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2017年04月25日

黄金の夜明け団と演劇 11

黄金の夜明け団と演劇11

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の意訳/研究テーマに絞り を試みております

今回も第3章を観て参りましょう

Chapter 3-4

オカルトとパフォーマンスの融合は新たな概念ではない
祭典演劇は20世紀の希望であったと云えるだろう 
それは文化人類学の研究より発展 
多文化に今もみられる超自然現象を扱う 
例えばシャーマンの現存である      
黄金の夜明け団の成したことは 
オカルトと魔法の実践を 観客(大方オカルティストであるが)
に向けパフォーマンスで実証したことだ

論者はパフォーマンスで実証してみせた
他の隠秘結社の存在を見出していない

当時一世を風靡した神智学協会は 霊媒会を催したが 
それは演劇には含まれない
黄金の夜明け団の首領はウエスコットWestcott 
メイザースSamuel Liddell MacGregor Mathers (1854 – 1918)である 
彼らはキャラクター/祭儀の御霊 として
パフォーマンスでは その役を演じるのだ
ところで観客は 
キャラクターは演者に降臨しているとみなす

黄金の夜明け団秘儀祭典の実践面に眼をむけるならば 
詩の朗誦に重きが置かれた事である
クロウリーAleister Crowley (1875-1947)は
秘儀と祭典魔術の公式宣誓に
アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン
Algernon Charles Swinburne (英1837 –1909作家) の
催眠状態の韻律詩の用法を取り入れている
「真の神々を降臨致すに芸術あり」 
とクロウリーは彼の魔法書に記しているが
それは何も新しいことではない
イエーツW.B Yeats (1865 – 1939)  はすでに 
黄金の夜明け団秘儀入門宣誓を詩で表し 
それをフローレンス.ファーFlorence Farr (1860 – 1917)  が
神々しく 神降臨の如し 朗誦している

グスタフ・マイリンクGustav Meyrink
(1868-1932オーストリア作家銀行家 
黄金の夜明け団 神智学協会員) は
オカルトと演劇は並行してある ことを知った体験について
彼の書"The Pilot" に残している
1892年 彼は銃を自身の頭部に当て
引き金を引こうとしていたその瞬間 
何かひっかく音が聞こえ 
誰かの手がドアの隙間から一冊の冊子を差し込んだのを見る 
その本『死後の世界』に 彼は霊感を受け 
以後オカルト研究にのめりこむ 
彼はこれをパフォーマンス/自殺企図 と 
オカルト/本『死後の世界』を
絡みあう存在であると表明するための隠喩であると理解した

黄金の夜明け団にはその後も 演劇関係者が入団している
パメラ・コールマン・スミス Pamela Coleman Smith (1878-1951
アーサー・エドワード・ウェイトArthur Edward Waite (1857 – 1942)
ウェイト版タロット の挿絵を担当で有名 
彼女はウエストエンド ライシアム劇場The Lyceum Theatre
ライオンキングは18年ロングラン現在も公演中)
等の舞台芸術を担当していた 

次回へ続きます

と たのしい演劇の日々

2017年04月23日

黄金の夜明け団と演劇 10

黄金の夜明け団と演劇10

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の意訳
/研究テーマに絞り を試みております

今回も第3章クロウリーAleister Crowley (1875-1947) を観て参りましょう


Chapter 3-3


1900年黄金の夜明け団内部抗争により
メイザースSamuel Liddell MacGregor Mathers (1854 – 1918) と
クロウリーAleister Crowley (1875-1947)は団を追われる

1904年のカイロへの新婚旅行中に
最初の妻ローズRose Edith Kelly (1874 – 1932) との霊体験より授かった
『法の書The Book of the Law 』を教義とし 
1907年George Cecil Jones, Jr. (1873 –1960) と
『銀の星the A∴A∴』魔術結社創設

『春秋分点The Equinox』発刊による
メイザースとの間で著作権に対する抗争に勝訴 
それがマスコミの眼にとまり大衆に知れ 
『銀の星』のプロモーションの好機とばかり 
魔法義のパフォーマンスthe Rites of Artemis を上演する
続いて
エレウシス祭典 the Rites of Eleusisを
ロンドンのCaxton Hall (アバンギャルド文化人の集いの場)で
レイラ.ワデル Leila Waddell 別名 Laylah,
(豪1880 – 1932 クロウリーのババロンScarlet Woman)
バイオリニストとして迎え 
ビクター.ベンジャミン.ニューバーグ
Victor Benjamin Neuburg
 (英1883 – 1940 クロウリー性魔術sex magickの相手)
そしてクロウリーをメインキャストで上演 

7つのエレウシス祭典 the Rites of Eleusisとは
古代7つの惑星 土星 木星 火星 太陽 金星 水星 月を云い
各々の惑星は意識の体現である 
1つの惑星を1シーンと据える
観客は7つの惑星を移動しながら 
セフィロトの樹との照応と結合の体験へと誘導される

観客は 惑星の意識との深い関連付けを要求され その為 
各惑星を象徴する色の衣装を纏って観劇に臨まねばならない
土星は黒 濃紺 
木星は紫 
火星は茶褐色 
太陽は橙か白 
金星は緑か空色 
水星は玉虫色の絹 
月は金 白 淡い青
観客は厳粛な宗教的儀式に臨むのであるから 始終沈黙を保つよう 
この儀式により観客は『宗教的歓喜』を体験するであろう 
それは教義書を読むだけでは達せない 
自己の最たる能力を啓発する為である とクロウリーは云う

クロウリーは体験としての演劇 象徴主義演劇を観客に提供する

しかし大方の劇評は それは冒涜と官能に溢れた頽廃の極みだ 
驚異と共に眉をひそめたのである


次回へ続きます

と たのしい演劇の日々

2017年04月21日

黄金の夜明け団と演劇 09

黄金の夜明け団と演劇09

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の意訳/
研究テーマに絞り を試みております

今回も第3章を観て参りましょう

Chapter 3-2
メイザースとモイナのパフォーマンス 『the Right of Isis』は
19世紀後半に現れた象徴主義演劇の要素と主題を多く実証してみせ 
アバンギャルド運動は始まった
象徴主義の顕著な効果は 
抽象概念と停滞への非劇的進行 観客への離反/回避 
はいくつかの戯曲に表現されている 
モーリス・ メーテルリンクMaurice Maeterlinck(ベルギー1862 – 1949)の
『ペレアスとメリザンド 』Pelleas and Melisanda (1882)はその代表作 
初演は舞台を薄いガーゼで囲い上演された

しかしある確かな一面で 続いて起こるであろう生産的発展は予期される

主題によれば 抽象主義演劇は当時の宗教的復興運動と関連していた 
エドモンド.ハレンコートEdmond Harancourt
(仏1856-1941の「キリスト受難劇」1882 1890 1891年 イースター週間) 
ジョセフィン.パラダンJoséphin Péladan (仏1858  – 1918 
オカルティスト 薔薇十字結社Mystic Order of the Rose + Cross創立 
象徴主義文化人の サロンSalon de la Rose + Croix 1890年を開設 ) 
バビロニアの秘儀とオカルトを主題とした演劇 等である

パリで起こっていたアバンギャルド芸術運動の最中にあって 
メイザースSamuel Liddell MacGregor Mathers (1854 – 1918) と
妻モイナMoina Mathers  (1865 – 1928) のパフォーマンスも
その流れに組み込まれたであろう

モイナの手による舞台背景は
当時パリの批評家たちからも高い評価を得ている 
またある評論によると the ‘Rites of Isis’ 上演中 
そのあまりに強烈なパフォーマンスのため 
観客に気絶者が出たと記録されている

メイザースとモイナにとってこれは一般大衆へ向け 
とは云っても観客は大方パリ在のオカルティストたちであった 
黄金の夜明け団の秘儀祭典を公開上演したものであった しかし 
その稽古に ロンドン ウエストエンド俳優
フローレンス.ファーFlorence Farr (1860 – 1917)が当たっている  

1899年のパフォーマンスの時期と同じくして
アレスター.クローリーAleister Crowley (1875-1947) が
黄金の夜明け団に入会している
彼は黄金の夜明け団内で 重要な役割を担う 更に 
彼はオカルティストたちの演劇活動の発展にも影響を与える




次回へ続きます

と たのしい演劇の日々

2017年04月20日

黄金の夜明け団と演劇 08

黄金の夜明け団と演劇08

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の意訳/
研究テーマに焦点を当てを試みております

今回より第3章を観て参りましょう

Chapter 3-1

黄金の夜明けに団の秘儀祭儀は
団内のみにて執り行われた
19世紀中頃 オカルト表演の一般への公開は
心霊術者たちにより行われた

三人の黄金の夜明け団創設者
ウィスコットDr.William Wynn Westcott ( 1848 –1925)
Dr. William Robert Woodman (1828–1891)  
メイザースSamuel Liddell MacGregor Mathers (1854 – 1918), ,
は魔法術の神秘結社設立を企み実施したのだ

ところが1892年 
メイザースと妻モイナMoina Mathers  (1865 – 1928)はパリに移住 
その地に黄金の夜明け団本部を設立 
が資金繰りの為に 1899年パリのTheatre Bodiniere(1890-1902)
((Charles Bodinier (6 January 1844 - 1911)建立 
学生向けNGO劇場として始めたがパリ文化人の集いの場となる)) において
 イシス祭典the ‘Rites of Isis’ を上演する事となる

この時から 
黄金の夜明け団による儀式パフォーマンスの実践と洗練が始まる

観客は概ねオカルティスト達であった
観衆は俳優たちの発声所作 台詞/台本 舞台設定/音楽/照明/衣装 演出 
その常軌を逸したパフォーマンスを目撃し 
そこには何かある しかし どう反応したものか 言葉に出来なかったとある

フォーマンスは芸術の極みにあった と表現された

芸術の極み という表現を 秘儀祭典に使うことに違和感を覚えるが
聴衆の記録によれば パフォーマンスは略 
黄金の夜明け団で執り行われる秘儀入門式さながらであったと云う

パフォーマンスはパリで3夜行われ 
『これをもってりイシス運動の始まりとする』
とメイザースは記録している
その当時の劇評によれば 
モイナの優雅な立ち居振る舞い 
威厳に満ちたイシスの表演に観衆は魅入った とある 

次回へ続きます

と たのしい演劇の日々

2017年04月19日

黄金の夜明け団と演劇 07

黄金の夜明け団と演劇07

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の 意訳
/自らの研究テーマを優先し を試みております

今回は第2章の結びを観て参りましょう



Chapter 2-4
3人目の 黄金の夜明け団秘儀祭典に影響を与えた演劇人
アニーAnnie Horniman (1860 –1937)  
彼女は形而上学の側面で 占星術 タロットカード 儀式魔術 
そして演劇に才能を示した

成功した紅茶商人の家に生まれ 
始めての観劇は家庭教師の付き添いで
シェークスピア劇ベニスの商人
 アニー14歳の時でる
美術収集家の父に連れ立ち 
一家で海外を多く旅する

ロンドンのThe Slade School of Fine Art に進学し
Moina Mathers  (1865 – 1928) は学友 
だがアニーの興味は造形芸術より演劇とオペラへ向かう 
事に ワグナーRichard Wagner(1813–1883) の祝祭劇
「ニーベルングの指輪」に心酔し 
イプセンHenrik Johan Ibsen (1828 – 1906) 劇に傾倒する

1980年モイナの紹介で黄金の夜明けに入団 
彼女もまた優れた霊的能力を開花させ 
イエーツW.B Yeats (1865-1939)とも親交を深め
彼の代筆者を勤めていた

1893年祖父の遺産相続 
メイザースとモイナのパトロン 
そしてイエーツ フローレンスを伴い演劇活動に人生と私財を注ぐ 
黄金夜明け団内部抗争により オカルト界より一時身を引くが  
1921年 the Quest Society
George Robert Stowe Mead (1863 –1933)人智学協会脱退後1909年に設立
 に入団する

1933年彼女は英国演劇振興の功績で受勲している

アニーの秘儀参入式はシンボリックでより複雑な手順を求めた
ワーグナーの祝祭劇さながらの 荘厳さと審美を追求した 
実はロンドンにあるパブの一室で会合は持たれていたにも関わらず である
祭儀魔術師で演劇人アニーは 
秘儀祭典に より視覚的 美的演劇要素の取り入れを決定づけた一人だ
Richard Wagner(1813–1883) は
アバンギャルド劇場運動への霊的存在である 
黄金夜明け団秘儀祭典には
1880年代フランス象徴主義演劇との共通点を見出す



次回へ続きます



と たのしい演劇の日々

2017年04月18日

黄金の夜明け団と演劇 06

黄金の夜明け団と演劇06

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の意訳を試みております

前回に続き第2章を観て参りましょう

Chapter 2-3

1890年 3人の入団は 黄金の夜明け団の秘儀祭典に
演劇的創造力を加える理論と実践に於いて主要な働きをした

先ずイエーツW.B Yeats (1865-1939)は
神秘主義 心霊主義 神秘学に通じ 
1885年ジョージ.ラッセルGeorge Russell(1867-1935) の
ダブリンヘルメス結社 the Dublin Hermetic Order設立に加わり 
また同年には神秘学協会ダブリン支部が置かれ 
モヒニ・チャタージ Brahmin Mohini Chatterjeeによる講演を聞き入り
 1886年より彼による交霊会にも出席 
東洋オカルト ヘルメス主義 薔薇十字団に心酔 
神智学協会に深く関わる 
そんな中 メイザースSamuel Liddell Mathers (1854-1918)とも親交を持ち
1890年黄金の夜明け団に入会 

秩序が統一を保ち続け 団結を効率的にしたならば 
秩序は偉大なタリスマン/護符となる 
我々の内に創造され 世界は我々と共にあり
魔法術の叡智は目覚め 最大の力を発揮する

イエーツの黄金の夜明け入会は 彼の創造性をも開花した

1889年イェーツの永遠の創造の女神 
モード.ゴンMaud Gonne MacBride (1866-1953)に出会う
彼女は 彼に戯曲‘Countess Cathleen’ ‘Shadowy Waters’ を書かせる 

ロンドンウエストエンドの舞台に立つ若き俳優フローレンスファーに
イエーツと George Bernard Shawは一目惚れする 
そして彼女を黄金の夜明けに導いたのもイェーツである  
彼女は黄金の夜明団秘儀式典を
更に芸術性の高いパフォーマンスへと創りかえる
彼女の演劇演技の知識 事に彼女の朗誦の才能は 
秘儀祭典に欠かせない要素となる
 黄金の夜明けは魔法術の理論と実践を探索する結社だ
‘Order of the Round Table’ を主催する Nick Farrellは 
フロレンスファーの秘儀祭典 
その進行においての重要な役割について
 プロの俳優である彼女の劇的朗誦 高貴な声音が いかに 
入信者をして 全身に戦慄が走り恍惚感に満たされたか 
記録を語る 

イェーツに誘われて入会したのだったが
彼女は瞬く間にそのオカルト才能を開花させる   
そしてそれに加え 俳優としての高い資質と魅力は 彼女の出演により
 秘儀祭典 参列者をも虜にするのであった

イェーツは1890年男性詩人たちのクラブthe Rhymers' Club, を組織し
ボヘミアンな文化人の溜り場/酒場/ロンドンのパブ
Ye Olde Cheshire Cheese で会合も持っていた 当然 
象徴主義の流れを敏感に受け取り 彼の詩作に そして勿論 
黄金の夜明け団秘儀祭典の演出 
厳格な儀式性とシンボル群にもその影響を与える




次回へ続きます


と たのしい演劇の日々

2017年04月17日

黄金の夜明け団と演劇 05

黄金の夜明け団と演劇05

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けております

本日も第2章を観て参りましょう

Chapter 2-2

モイナ.ベルクソン.メイザース
Moina Bergson Mathers (1865-1928)は
1887年 メイザースSamuel Liddell Mathers (1854-1918)と大英図書館で出会う

ユダヤ人を父 英人を母に持つ彼女は 
一家で1870年代初期アイルランドのダブリンよりパリへ移住  

兄ヘンリ.ルイ.ベルグソンHenri Bergson (1859-1941)はフランス哲学者 
1882年心霊現象研究協会Society of Psychical Research 会長も務め 
1924年ノーベル文学賞受ける

モイナは美術学校で学び 
アニ-.ホーニマンAnnie Horniman (1860-1937)は親しい学友 
モイナは黄金の夜明け団の初の女性会員にして 
その秘儀典礼実施において重要な役割を担う
エリックポールハウ Ellic Paul Howe
 (1910–1991、英作家 オカルティスト GD関連本の著者)
モイラはコラージュ技法をピカソより20年も先に作品に取り入れている
ヴィクトリア時代の女性アーチストたちは好んだ と書いている

 一方 彼女は魔法術の才能を見出し 
芸術家としてよりも オカルト研究に生涯を捧げる
1888 年メイザースと結婚 
その潜在的オカルトの才能故昇進も早く 秘儀祭司を務める
最上位の女性会員 
祭司である彼女は 彼女の芸術精神を 秘儀祭典の様式に注ぎ込む 
儀式は秘儀を受ける者を卓絶する劇的演出で為され 
舞台設定 道具 照明 衣装 も彼女が全て取り仕切った
  
男女平等な魔法結社は 
当時ロンドンのサロンに集う中上流階級のボヘミアンたちを魅了し
 当然の如く その好奇心は演劇興行へと向けられた 



次回へ続きます


と たのしい演劇の日々

2017年04月16日

黄金の夜明け団と演劇 04

黄金の夜明け団と演劇04

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けておりますが
第2章を観て参りましょう


黄金の夜明け団は フリーメーソンリーの位階制度を採り入れ 
それをカバラのセフィロトの樹と照合させて 独自の位階制度を整えた 
その内陣に当たる「紅薔薇と金の十字架」 中位位階
(更に上位の位階があるが 超人な霊的レベル)
に属した 優秀な儀式魔術師たちが 19世紀オカルト復活に貢献する

黄金の夜明け団の発端はウィリアム.ウィン.ウェストコット
Dr William Wynn Westcott (1848-1925)が持ち込んだ暗号文書であったが
 それをサミュエル.リドル .マグレガー.メイザース
Samuel Liddell Mathers (1854-1918)が膨大な資料を紐解き
アストラル交霊体験により 
断絶され広範囲に散在した叡智を 一貫して合成し 
実用的かつ効果的なシステムとして編成された

神智学協会はオカルトを学術研究により体系化したが 一方 
黄金の夜明け団は 儀式魔法の実践を探求したのだ

神智学協会は入会に制限はなかったが 
黄金の夜明け団は現会員の推薦が必要であった
オカルト実践を希望する多くの神智学協会員は
黄金の夜明け団に入会した

黄金の夜明け団の会員は オカルトサイエンス/精神科学を学び
生命と死の神秘 人類の境遇の更なる調査を重ねる 
神智学 神秘学よりエッセンスを取り出し 
安全な魔術の方法を創作した 
許可は英国薔薇十字団 秘密の首領
(肉体を超越した者)により与えられた

17世紀産業革命後 西欧は大きく変化する 
1859年ダーウィンの種の起源 
科学的世界観が進化の概念を基礎から塗り替える 
黄金の夜明け団は この急激な社会変化に対抗していたのだろうか? 
英国では労働組合 参政権運動が盛り上がりる 
ヴィクトリア時代の女性たちも 
自らの権利について模索を始めていた
フリーメーソンリーが女性会員を認めない中 
黄金の夜明け団は 女性にも男性同等の権威を認め その結果 
実社会で演劇に関わる婦人会員たちが 
黄金の夜明け団の秘儀祭典を 
より芸術的パフォーマンスへと導くこととなる



次回へ続きます




と たのしい演劇の日々

2017年04月14日

黄金の夜明け団と演劇03

黄金の夜明け団と演劇03

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けております


第1章後半部を以下に

黄金の夜明け団と演劇の関係 
事に彼らの秘儀祭典を見る場合 
伝承に関する理解とその活動成立に至る背景に焦点を当てる

まず3人の創立者
ウィリアム.ウィン.ウェストコット Dr William Wynn Westcott (1848-1925)
儀式魔術師 高位のフリーメーソンリー 英国薔薇十字協会 
神智学協会ロンドン支部長 ヘルメス協名誉会員 検視官

ウィリアム.ロバート.ウッドマン Dr William Robert Woodman (1828-1891)
高位フリーメーソンリー 英国薔薇十字協会会長も務める 外科医

サミュエル.リドル .マグレガー.マサース Samuel Liddell Mathers (1854-1918)
高位フリーメーソンリー 英国薔薇十字協会で上記の二人と出会う
ヘルメス協会 神智学協会ロンドン支部と交流 天才的な儀式魔術師

 組織のリーダーとなったのはメイザースである 
彼は1880年代 新しく起こったオカルト運動に参加し 
大英博物館で秘儀魔術に関する文献を踏査 神秘哲学の基幹を育てる
 それは黄金の夜明け団教理へと及ぶ

神智学協会(Theosophical Society 1875年創設)
が目指したものは人間の潜在能力研究を通じて
17世紀薔薇十字団の教義に科学と宗教の橋掛かりを取り付けることであり
その役目を果たした 
謎めいたロシア人ブラバツキー婦人Madame Helena Blavatsky (1831-1891)は
心霊主義が社会現象となっていたアメリカを旅し
心霊 神秘主義について研鑽を積む
ブラバツキーは有名なサイキック 霊媒 ハシッシュの常用者で
彼女独自の神秘思想哲学を世に送り出した

神智学は西洋と東洋オカルト実践の融合である

彼女は外国人入国が禁止されていた当時のチベットの
マハトマ/偉大な魂 と呼ぶばれる 霊的成就者/アデプト の教理を
自動筆記により授かり
1877年に『ヴェールを脱いだイシス神』
1888年『シークレット・ドクトリン』 を上梓する
 
神智学協会は国際的教団として信奉者は集い普及した メンバーには
ウィリアム・バトラー・イェイツ(アイルランドWilliam Butler Yeats1865-1939)
ワシリー・カンディンスキー露Wassily Kandinsky1866-1944)
ピエト・モンドリアン和蘭(Piet Mondrian1872-1944)
オルダス・レナード・ハクスリー英(Aldous Leonard Huxley1894-1963) 等
 
神智学協会が目指したものは 
未知なる体験の科学的証明とオカルト実践であったが
心霊現象研究協会(英The Society for Psychical Research 1882年設立
ケンブリッジ大学心霊主義研究者による非営利団体)
が 1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴くクローン事件)
このSPRの活発な活動は心霊主義衰退を当然導くも 
水面下で活動は続けられる
19世紀の末にはフリーメーソンとエジプト秘儀への関心がオカルト界を支配する
神秘学協会も20世紀オカルト運動 ニューエイジ運動に多大な影響及ぼす

メイザースもブラバツキーと関わり 
フリーメーソンの会合を持ち 
神智学協会ロンドン支部では彼のカバラ論を披露し 更に
フェミニスト運動の先駆者アンナ・キングスフォード Anna Kingsford (1846-1888)
との出会いにより 黄金の夜明け団は男女同権を受け入る

マザースは多言語に通じ 
彼の日常は大英博物館図書室においてカバラ 秘儀魔術研究にあてられたが
独Christian Knorr von Rosenroth (1636 – 1689)キリスト教カバラ研究者の
『ヴェールを脱いだカバラ』The Kabbalah Unveiled (1684) を1887年翻訳出版
ここに顕された暗号の数々は黄金の夜明け団秘儀祭典を大きく容創る


次回へ続きます




と たのしい演劇の日々

2017年04月13日

黄金の夜明け団と演劇02

黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の
 意訳を試みております


第1章
黄金の夜明け団は31/03/1888 ロンドンにて発足 
当時は オカルトが社会現象となっており それが最も盛んな時期であった

その発端は1848年米のフォックス姉妹にみる 
それはまたたくまに西欧人を虜にする
31/03/1848 フォックス姉妹は深夜 自宅 Hydesvilleで不可思議な音を確認する 
所謂ハイズビル事件 の始まりである 
その音は数か月に渡り鳴り続け 
そして姉妹は符号を介し霊との交信が可能であることを公にする
そのフォックス姉妹はマスコミを巻き込み 
学術的調査までも行われた 
フォックス姉妹は ‘medium’ 霊媒師/故人の霊と交信が出来る者 
の名を得 心霊ブームを巻き起こした

この動きはすぐさま西欧諸国に広まり 
新宗教或いは新しい倫理哲学も生み出す
(例;アラン・カルデック
(仏Allan Kardec 1804 – 1869 のSpiritism/スピリティズム 心霊主義)

そして近代神秘主義は
交霊会/霊存在を聴衆の前に顕すパフォーマンスを引き起こす

当時の実施方法は現在よく知られる交霊会の模様と同様である 
そこには成文化はされていないが 確固とした約束事はあった
それは 聴衆は何人も その霊に決して触れてはいけない と云うものだ

交霊会はヴィクトリア時代の貴族たちによって
会食後の余興として盛んに楽しまれ広まった 

エクトプラズム/ectoplasm1893エーテル体の視覚化
 仏シャルル・ロベール・リシェ Charles Robert Richet (1850 – 1935)
アナフィラキシーの研究でノーベル生理医学賞1913)
物質化現象 空中浮揚 ラップ現象 は死者との交霊であるとみなされた

このパフォーマンスは 観衆の大きな期待 
それに応える交霊者の芝居じみた演出を創り出す  

ところでこの当時の心霊主義は 大命題 死後の世界はあるのか?
 ヴィクトリア時代の探求者の問に応え得るものではなかった

その問の答えを出すために より科学的/写真 電波 を利用した新たな挑戦が行われ
この科学的オカルト認識により 黄金の夜明け団は 神秘主義の歴史に参入する

次回へ続きます


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