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2018年02月01日

日の出の巻 第14帖

お日様は円いのでないぞ、お月様も円いのではないぞ、地球も円いのではないぞ、人も円いのが良いのではないぞ、息しているから円く見えるのざぞ、活(はたら)いているから円く見えるのざぞ、皆形無いもの言うぞ、息しているもの皆円いのざぞ。
Θの経済このことから生み出せよ、大きくなったり小さくなったり、Θの御意(みこころ)どおりに活(はたら)くものは円いのざぞ、円い中に芯あるぞ、神の政治、このことから割り出せよ、Θは政事(まつりごと)の姿であるぞ、Θの政治生きているぞ、人の政治死んでいるぞ、
十二月十五日、一二Θ。


哲学的な文章ですね。
お日様が円くないのはガスの塊だから分かるとして、月も地球も円くないというのはどういうことでしょう。月も地球も元は太陽と同じようにガスだったり、隕石だったり、それが動いて、息して、活いて今の形になっているということでしょうか。人も円いのが良いのではなく、動いて、息して、活いて円く見えるのが良いということでしょう。

「Θの経済このことから生み出せよ、大きくなったり小さくなったり、Θの御意(みこころ)どおりに活(はたら)くものは円いのざぞ、円い中に芯あるぞ」
神の経済は、必要なものだけ生み出し、消費し、贅沢や飽食や貧困はないということでしょう。環境破壊はなく、デフレもインフレもないということでしょう。

「神の政治、このことから割り出せよ、Θは政事(まつりごと)の姿であるぞ、Θの政治生きているぞ、人の政治死んでいるぞ、」
神の政治も、必要な政策だけを行い、余計な組織をつくらず、余計な争いをせず、総ての人民が自発的に参加する互助会のような平和な政治なのでしょう。


日の出の巻 第15帖

十柱のΘΘ様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれのΘΘ様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。
御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉の日にお祀りしてくれよ。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。
届くとは注ぐことぞ、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸の息と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざ、災難見ないのざから、毎朝神拝みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ、もしも息合っていない時には一二三(ひふみ)唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ、この方、意富加牟豆美(オオカムツミ)の神であるぞ。
神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本、足二本入れて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。
飛行機の災難も、地震、罪穢れの禍いも、大き災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓い祝詞とΘの息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信じる者ばかりに知らしてやりてくれよ。
十二月十八の日、ひつ九か三。


「十柱のΘΘ様、奥山に祀りてくれよ、九柱でよいぞ、いずれのΘΘ様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合わして十柱となるのざぞ。」
十柱の神々(とおかみ)のお名前はまだ分かりませんが、「ひつ九か三」がこのうちの一柱であることが分かりました。

「御神体の石集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉の日にお祀りしてくれよ。」
やっぱり、辛酉なんですね。因みに、辛酉は陰金と陰金が重なる比和であり、八専(はっせん)です。干支ともに金性であり、陰の気なので、人の心がより冷酷になりやすい年とされています。中国では、辛酉は天命が改まる年であり、王朝が交代する革命の年(辛酉革命)とされています。

「病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかでわかると申してあろがな。」
手が届くかどうかという話は以前出て来ました。今回は、「病」だけでなく「災難来るかどうか」も分かると書いてあります。

「届くとは注ぐことぞ、手首の息と腹の息と首の息とホの息と頭の息と足の息と胸の息と臍(へそ)の息と脊首の息と手の息と、八所十所(やところとところ)の息合っていれば病無いのざ、災難見ないのざから、毎朝神拝みてからよく合わしてみよ、合っていたらその日には災難無いのざぞ、ことに臍の息一番大切ざぞ」
届くとは「注ぐこと」ぞとありますから、物理的に届いている必要はないようです。しかし、身体の上から順に「頭、首、脊首、胸、腹、臍、手首、手、足、ホは不明」ですから、チャクラ、丹田、経絡、経穴などとも直接の関係はないようです。よく分かりません。

「もしも息合っていない時には一二三(ひふみ)唱えよ、唱え唱えて息合うまで祈れよ、どんな難儀も災難も無くしてやるぞ」

「この方、意富加牟豆美(オオカムツミ)の神であるぞ。」
あれ、「ひつ九か三」ですから十柱のお一人ですね。

「神の息と合わされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、このことはこの方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ」

「手二本、足二本入れて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ」
ますます分かりません。(笑)
 手  足   6柱     合計8柱
手手 足足   6柱     合計10柱
ヤ㋳ ワ㋻ ア サタナハマ  合計10柱

「このこと早う皆に知らしてどしどしと安心して働くようにしてやれよ。」
無理です。(笑)

「飛行機の災難も、地震、罪穢れの禍いも、大き災難ある時には息乱れるのぞ、一二三祝詞と祓い祝詞とΘの息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信じる者ばかりに知らしてやりてくれよ。」
「一二三祝詞」はご紹介しました。
「祓え祝詞」(みそぎはらえのことば)をご紹介します。神社でよく聞かれていると思います。

たかまなはらにかむつまります
かむろぎかむろみのみこともちて
すめみおやかむいざなぎのみこと
つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはらに
みそぎはらいたまうときにあれませる
はらいどのおおかみたち
もろもろのまがことつみけがれを
はらいたまいきよめたまえとまおすことのよしを
あまつかみくにつかみやおよろずのかみたちともに
きこしめせとかしこみかしこみまおす


日の出の巻 第16帖

悪の衣着せられて、節分に押し込められしΘΘ様御出ましぞ。
この節分からはいよいよΘの規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。
ヤの身魂御苦労、石なぜ物言わぬのぞ、いよいよとなりているではないか、春になったらどんなことあるかわからんから、今年中に心洗濯せよ、身のまわり洗濯せよ、Θの規則臣民には堪(こば)れんことあるかも知れんぞ、気つけておくぞ。
十二月十九日、一二Θ。


「悪の衣着せられて、節分に押し込められしΘΘ様御出ましぞ。」
国之常立大神を始め、伊邪那美大神、須佐鳴之大神、饒速日尊、瀬織津姫、大国主命といった出雲=奴国系の神々のことでしょう。

「この節分からはいよいよΘの規則通りになるのざから気つけておくぞ、容赦は無いのざぞ」

「ヤの身魂御苦労、石なぜ物言わぬのぞ、いよいよとなりているではないか、春になったらどんなことあるかわからんから、今年中に心洗濯せよ、身のまわり洗濯せよ」
ヤの身魂は「須佐鳴之大神」でしょう。石は「石長姫(いわながひめ)」のことだと思われます。

「Θの規則臣民には堪(こば)れんことあるかも知れんぞ、気つけておくぞ。」
いろいろ有り過ぎて特定できません。沖縄戦か本土大空襲か本土決戦か。


日の出の巻 第17帖

何もかもひっくるめて立て直しするのであるから、何処から何が出て来るかわからんぞ、御用はそれぞれの役員殿、手分けて務めてくれよ、皆の者に手柄立てさしたいのぞ、一ヶ所の御用二人ずつでやりてくれよ、結構な御用であるぞ、いずこも仮であるぞ、世変わりたら結構に祀りくれよ、今は型であるぞ、祀れ祀れと申してあること忘れるなよ、まつわらねばならぬのざぞ、ΘがついているのざからΘの申す通りにやれば箱指したように行くのざぞ。産土(うぶすな)様忘れずにな。
十二月十九日、ひつ九か三。


「何もかもひっくるめて立て直しするのであるから、何処から何が出て来るかわからんぞ」

「御用はそれぞれの役員殿、手分けて務めてくれよ、皆の者に手柄立てさしたいのぞ、一ヶ所の御用二人ずつでやりてくれよ、結構な御用であるぞ」

「いずこも仮であるぞ、世変わりたら結構に祀りくれよ、今は型であるぞ」
今は型として簡単に祀ればよいが、世が変わったあかつきには、ちゃんと神社を建てて祀ってくださいよということです。

「祀れ祀れと申してあること忘れるなよ、まつわらねばならぬのざぞ」

「ΘがついているのざからΘの申す通りにやれば箱指したように行くのざぞ」

「産土(うぶすな)様忘れずにな。」

いよいよ臨戦態勢のようです。


日の出の巻 第18帖

富士の御用は奥山に祀りくれよ、カイの御用も続けてくれよ、江戸一の宮作りくれよ、道場も同じぞ、渦右巻き.jpg(渦)海の御用とは、渦右巻き.jpg(渦)海の鳴門と、渦右巻き.jpg(渦)海の諏訪と、渦右巻き.jpg(渦)海のマアカタと、三と所へ祀りてくれよ。
まつりの仕方、天明(岡本天明)に知らしておくぞ、その前の御用、言葉で知らしたこと済みたぞ、渦右巻き.jpg(渦)海マアカタとは印旛(印旛沼・麻賀多神社)ぞ。
十柱とは火の神、キの神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。
辛酉の日に祀りてくれよ。しばらく御神示(おふで)出ないぞ。皆の者早く今までの神示肚に入れてくれよ、神急けるぞ。神示読めば神示出て来るぞ。神祀り早く済ませてくれよ。
十二月二十一日朝、一二のか三。


「富士の御用」「カイの御用」「江戸一の宮と道場」「渦海の御用三か所(鳴門、諏訪、印旛)」追い込みに入りました。

「十柱とは火の神、キの神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神であるぞ。」
ついに元の世から活き通しの「十柱」(とおかみ)の勢揃いです。
 火の神      稚比売君
 キの神(木の神) 木花開耶比売(木花咲耶姫)
 金の神      金勝要
 日の出の神    彦火々出見
 竜宮の乙姫    玉依比売(玉依姫)
 雨の神      天之水分、国之水分
 風の神      志那都比古、志那都比売
 地震の神     武甕槌、経津主
 荒の神      大雷男、若雷男
 岩の神      石戸別、石長比売(岩長姫)

十柱ということですが、全部で十五柱です。「手足+六柱」になりません。
「雨と風」、「荒と地震」、「火、木、金、日の出、竜宮、岩」とカウントするのでしょうか。

あれ、国之常立大神、須佐鳴之大神、饒速日尊、瀬織津姫が入っていませんね。経営陣は十柱ではないようですね。すると、「㋐㋳㋻ヤワサタナハマ」十柱説は間違いでしょうか。今後も検証を続けます。

「辛酉の日に祀りてくれよ。」

「神示読めば神示出て来るぞ。」
神示を読めば、神の神威が示されるぞということでしょう。


2018年02月02日

日の出の巻 第19帖

海にはΘの石鎮め祀りてくれよ、山にはΘの石立てて樹植えてくれよ、石はΘの印つけて祀るところに置いてあるぞ、祀り結構ぞ、富士奥山には十柱の石あるぞ、十柱祀りてくれよ、祀るところ、行けばわかるようにしてあるぞ。
十二月二十六日、ひつ九ノか三。


海は、鳴門、諏訪、印旛沼ですね。山は、富士、帝那山、榛名山と思われます。「富士奥山」は帝那山のことでしょうが、祀ったと思えるような場所は存在しませんでしたし、十柱の石も見当たりませんでした。探し方が悪かったのでしょうか。前にも述べた「お伊勢山」だとしっくりくるのですが。


日の出の巻 第20帖

この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。
これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。
Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。
皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。
何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。
この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。
改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。
三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。
見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。
この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。
末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。
十二月二十六日、一二Θ。


「この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。」
国之常立大神、伊邪那美大神、須佐鳴之大神を始めとする出雲系の国津神のことでしょう。臣民も農林水産業を始めとする国の礎となっている人々のことでしょう。

「これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。」

「Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。」

「皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。」
神も御魂のままで臣民の肉体がないと、力が出ないということです。特に世の元の生き通しの神十柱が大事だということのようです。

「何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。」
組織が出来るとどうしても人間の欲が出てしまうということでしょう。

「この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。」
「この方」一二Θは、オオカムツミの神や祓え戸の神としても現れるということですから、どうやら、国之常立大神のようです。何が原因で艮の金神として封じられたのかは分かりませんが、「慢心と取り違い」が最大の「我」であるようです。

「改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。」
計画はやはり変更されたようです。「多分、神を信じていれば最後に日本が勝つ」というようなことを役員方が広められていたのでしょう。

「今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。」
国家神道による天皇の現人神のことだと思います。天皇陛下はあくまでも祭司としての役割、人民は神の御心に従う存在にならないといけないということでしょう。

「吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。」
世のため人のために、身命を捧げる覚悟が必要ということでしょう。

「十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。」

「道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ」
身魂磨きが全てで、逃げ道はないそうです。

「足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。」
足元に影が出来ないようにしろということですね。チリチリ舞いは空襲や火炎放射器、原爆などを想起させますね。

「三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。」
この「三四」は何でしょう。残滓(ざんし)=残りかす、だとすれば固定観念にとらわれた余計な考えということでしょうか。

「見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。」
神様には見事なことでも、人間には恐いことです。大掃除する時は棚のもの下に置くというのは、神様が人間の肉体を借りて地上にいるとしても、人間の浅はかな考えで見下すなよということでしょう。

「この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ」
日本が真の臣民でありそれなりの魂も授けてあるので、まず、日本から掃除するぞということのようです。

「同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ」

「一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ」

「やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ」
この「天に一柱、地に一柱」は神様が隠されているので分かりません。「火(ヤ)にも焼けず水(ワ)にも溺れぬ元の種」ですから、ムとウでしょうか。武藤さんかもしれません。(笑)

「細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。」

「三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。」
やはり、国之常立大神ですね。紀元前千年頃、地に潜られたということのようです。ダビデ王、ソロモン王の時代です。

「末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。」
今、世界はゼロ1の時代に入りました。「末法の世」の入口なのかもしれません。

「オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ」
北にも西にも気をつけないといけません。ただ、いたずらに敵視するのではなく、上手に立ち回る必要があります。しっかり、舵取りをお願い致します。

「日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ」
前回は、ルーズベルト大統領の突然の死で親ロシアルートが遮断され、トルーマン大統領の下2つの原爆が落とされるなどの悲劇があったものの、国家としては最悪の道を歩まずに済みました。
次回は、その轍を踏まないよう、まず、開戦に至ることのないように外交を行って欲しいものです。

しかも、アジアが平和になったと思える時が一番危険な時だぞという警告もありました。
くれぐれも油断しないよう、細心の注意もお願い致します。

「日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。」


日の出の巻 第21帖

Θ憑かりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分かれているのざぞ、Θがかり、か三かかり、か三か✓りぞ、✓か✓ りぞ、Θか✓り、 か三か✓り、か三か✓りざぞ、神憑かっていないと見える神憑かりが真のΘ憑かりと申してあろが。
そこらに御座る神憑かりは、皆四段目、五段目、六段目、七段目の神憑かりぞ。
Θ憑かりとは、惟神(かむながら)のことぞ、これが神国の真の臣民の姿ぞ。
惟神の国、惟神ぞ、Θと人と融け合った真の姿ぞ、今の人民の言う惟神ではないぞ、この道理わかりたか、真のΘにまつりあった姿ぞ。
悪の大将の神憑かりは、神憑かりとわからんぞ、気つけてくれよ、これからは神憑かりでないと、何もわからんことになるのざぞ、早うΘ憑かりになるよう、掃除してくれよ、Θの息吹に合うとΘ憑かりになれるのぞ。
一二三唱えよ、祓いの(宣)れよ、Θ讃えよ、人讃えよ、Θは人誉め、人はΘ讃えてまつりくれよ、まつわりくれよ、あなないくれよ。
十二月二十七日、ひつ九か三。


(Θ憑かり七つ)
  日月神示            修正後    
1 Θがかり             Θがかり
2 か三かかり           か三かかり
3 か三か✓り           か三か✓り
4 ✓か✓り              ✓か✓り
5 Θか✓り             Θか✓り
6 か三か✓り(上記3と同じ)   ✓かかり(?)
7 か三か✓り(上記3と同じ)   Θかかり(?)

1〜7 それぞれ七つに分かれる(二段目)七七神。さらに七つに分かれる(三段目)と思われます。(ただ、これは神様一柱に対してのものでしょう)

「神憑かっていないと見える神憑かりが真のΘ憑かりと申してあろが。」

「そこらに御座る神憑かりは、皆四段目、五段目、六段目、七段目の神憑かりぞ。」
四段目は、七x七x七x七=2,401となるので、下級霊、動物霊、悪霊などの憑依となるのでしょう。

「Θ憑かりとは、惟神(かむながら)のことぞ、これが神国の真の臣民の姿ぞ。」
惟神といえば大本教の「かんながらたまちはえませ」ですが意味は「神の御心のままにお任せする」ということのようです。この文章で示される惟神は、神との一体化のことのようです。

「惟神の国、惟神ぞ、Θと人と融け合った真の姿ぞ、今の人民の言う惟神ではないぞ、この道理わかりたか、真のΘにまつりあった姿ぞ。」

「悪の大将の神憑かりは、神憑かりとわからんぞ、気つけてくれよ」
悪神というども神は神ですから、同じように〇憑かりするようです。本人は悪という意識さえなく憑依されるのでしょう。

「これからは神憑かりでないと、何もわからんことになるのざぞ、早うΘ憑かりになるよう、掃除してくれよ」

「Θの息吹に合うとΘ憑かりになれるのぞ。一二三唱えよ、祓いの(宣)れよ、Θ讃えよ、人讃えよ、Θは人誉め、人はΘ讃えてまつりくれよ、まつわりくれよ、あなないくれよ。」
悪神に囚われないための方法でしょう。一二三祝詞を唱え、祓い、神を讃え、人を讃え、神にまつわり、あなないてくれということです。


日の出の巻 第22帖

左は火ざぞ、右は水ざぞ、Θの神と渦右巻き.jpg(渦)の神ぞ、Θ(日)の神と月の神ぞ、日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直々(じきじき)恵み下さるのは渦右巻き.jpg(渦)の神、月の神ぞ、ざと申して日の神おろそかにするでないぞ、水は身を護る神ざぞ、火は魂(たま)護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂(たま)入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ。渦右巻き.jpg(渦)海の御用大切ざぞ。
十二月二十八日、ひつ九のか三。


どちらから見てというのはあるのですが、正面左が左大臣なので、同様に正面左が「火」としておきます。
上記をまとめると、火=日=霊、水=月=渦=身 となりますが、火も渦を巻きますので、本当は、
「火=日=渦(左巻き)=霊、水=月=渦(右巻き)=身」なのかもしれません。

しかし、霊が「火の魂」で身が「水」とはよく出来ていますね。

「日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ」
現在の伊勢神宮の仕組では、内宮の正宮(日の神・天照大御神)荒祭宮(天照大御神の荒魂)ですので、月読宮(月読尊)も拝めよということです。天照皇大神宮のお札では日の神しか拝んでいないことになります。
しかし、ご安心ください。伊勢に「饒速日尊と瀬織津姫」が隠してあるとすれば、知らず知らずのうちに日と月の神様両方を拝んでいることになりますから。

「人に直々(じきじき)恵み下さるのは月の神ぞ、ざと申して日の神おろそかにするでないぞ」
伊勢神宮の仕組でもまさにそうなっていますね。正宮は「感謝」するところ、荒祭宮は「お願い」するところです。荒祭宮に瀬織津姫を隠してあるとすれば、それもうなずけます。

「水は身を護る神ざぞ、火は魂(たま)護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂(たま)入れてあるのざぞ」

「国土も同様ぞ。渦海の御用大切ざぞ。」
国の魂は火、土は水ということですね。渦海の御用は、国土の大地を守る御用でもあるわけですね。そうすると、山の御用は国土の魂を守る御用ということになります。しかも、これ、山は「火山」ですね。


日の出の巻 第23帖

この世の位もいざとなれば、宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸はそのまま役に立つぞ。
人に知れぬように徳つめと申してあろがな、Θの国に積む徳のみが光るのざぞ、マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、海晴れるぞ。
天明(岡本天明)ご苦労ぞ。ヤノご苦労ぞ。ササキ、イソカミ、カドタ、ご苦労ぞ。
この巻、「日の出の巻」としてまとめて役員に読ませて、一二三(ひふみ)として皆に知らせてくれよ、Θ急ぐぞ。
十二月の二十九日、ひつ九ノか三。


「この世の位もいざとなれば、宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、この世去って役に立つのは身魂の徳だけぞ」
身録の仕組ですね。(笑)

「身についた芸はそのまま役に立つぞ。」
芸も身魂に記録されるのですね。

「人に知れぬように徳つめと申してあろがな、Θの国に積む徳のみが光るのざぞ」

「マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、海晴れるぞ。」
渦海の仕組(印旛沼)ですね。

「天明(岡本天明)ご苦労ぞ。ヤノご苦労ぞ。ササキ、イソカミ、カドタ、ご苦労ぞ。」
岡本天明氏とそのお仲間ですね。それぞれ、「ヤ、サ、イ、カ」の身魂でしょうか。四人で「弥栄(いやさか)」になっています。これも、偶然でしょうか。


日の出の巻 第22帖 原文

原文
ヒたり八火三三 三キリ八水三三 Θのか三十渦右巻き.jpg(渦)のか三三 Θのか三十月のか三三 Θのか三八かりおろがんて月のか三〇すれて八七らん三 一十二ちき々々め九三九た三るの八渦右巻き.jpg(渦)のか三月のか三三 三十百四てΘのか三おろそか二するて七一三 三八三をまもるか三三三 一八たままもるか三三三 一十三十て九三九て一十三 三八水ててきて一る三 一のたま一れてあるの三三 九二つち百十四三 渦右巻き.jpg(渦)う三の五四た一せつ三三
十二かつ二十八にち ひつ九のか三

対訳
ヒたり八火三三(左は火ざぞ) 三キリ八水三三(右は水ざぞ) Θのか三十渦のか三三(Θの神と渦の神ぞ) Θのか三十月のか三三(日の神と月の神ぞ) Θのか三八かりおろがんて(日の神ばかり拝んで)月のか三〇すれて八七らん三(月の神忘れてはならんぞ) 一十二ちき々々め九三九た三るの八(人に直々恵み下さるのは)渦のか三月のか三三(渦の神、月の神ぞ) 三十百四てΘのか三おろそか二するて七一三(ざと申して日の神おろそかにするでないぞ) 三八三をまもるか三三三(水は身を護る神ざぞ) 一八たままもるか三三三(火は魂護る神ざぞ) 一十三十て九三九て一十三(火と水とで組み組みて人ぞ) 三八水ててきて一る三(身は水で出来ているぞ) 一のたま一れてあるの三三(火の魂入れてあるのざぞ) 九二つち百十四三(国土も同様ぞ) 渦う三の五四た一せつ三三(渦海の御用大切ざぞ)
十二かつ二十八にち(十二月二十八日) ひつ九のか三

ひつき
左は火ざぞ、右は水ざぞ、Θの神と渦の神ぞ、Θ(日)の神と月の神ぞ、日の神ばかり拝んで月の神忘れてはならんぞ、人に直々(じきじき)恵み下さるのは渦の神、月の神ぞ、ざと申して日の神おろそかにするでないぞ、水は身を護る神ざぞ、火は魂(たま)護る神ざぞ、火と水とで組み組みて人ぞ、身は水で出来ているぞ、火の魂(たま)入れてあるのざぞ、国土も同様ぞ。渦海の御用大切ざぞ。
十二月二十八日、ひつ九のか三。

私見
これは、間違いようがありませんね。
完璧です。

2018年02月03日

磐戸の巻 第1帖

「磐戸(いわと)の巻」書き知らすぞよ。
岩戸開くにはΘ人共にえらぎ(楽しく笑い)賑(にぎ)わうのざぞ、Θ憑かりして唄い舞うのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。
ウズメとは女のみでないぞ、男もウズメざぞ、女の魂は男、男の魂は女と申してあろがな。
闇の中で踊るのざぞ、唄うのざぞ、皆の者ウズメとなりて下されよ、暁(あけ)告げる鳥となりて下されよ、神憑かりて舞い唄い下されよ、Θ憑かりでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。
十二月三十日、Θの一二Θ。


古事記の「天の岩戸開き」に似ていますね。天宇受賣命(あめのうずめ)のお名前も出て来ます。ただ、気をつけなければならないのは、後で「騙した岩戸からは偽の神しか出て来ないぞ」というくだりがあることです。真の天照大御神にお出まし頂かなければなりません。騙したり嘘をついてはいけないのです。
神がかりして、心の底から楽しみ、笑い、歌い、踊ることが必要なようです。

「ウズメとは女のみでないぞ、男もウズメざぞ、女の魂は男、男の魂は女と申してあろがな。」
天宇受賣命は天孫降臨の際、猿田彦と出会い結婚したことになっています。子孫は猿女君とも呼ばれ、俳優や芸人の祖とされています。「おかめ」「ひょっとこ」の「おかめ」に比定されることもあるようです。
現在は「お笑い」の全盛時代ですから、人材には事欠かないでしょうね。

「闇の中で踊るのざぞ、唄うのざぞ、皆の者ウズメとなりて下されよ、暁(あけ)告げる鳥となりて下されよ、神憑かりて舞い唄い下されよ」
夜通し、朝まで踊り歌うそうです。ご近所の迷惑にならないよう気をつけましょう。(笑)

そういえば、江戸末期に「お蔭参り」や「ええじゃないか」という騒動が各地で起きたようです。これもある意味、「岩戸開き」なのでしょう。近年でも、各地で大規模な「お祭り」が行われるようになって来ました。民衆のエネルギーが必要なのかもしれません。


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磐戸の巻 第2帖

気つけてくれよ、キが元ざぞ、キから生れるのざぞ。
心配れと申してあろが、心の元はキざぞ、すべての元はキであるぞ、キはΘざぞ、臣民皆にそれぞれのキ植えつけてあるのざぞ、嬉しキは嬉しキこと生むぞ、悲しキは悲しキ生むぞ、恐れは恐れ生むぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災(震災?)でも、臣民の心の中に動くキのままになるのざぞ。
この道理わかるであろがな。
爆弾でも当たると思えば当たるのざぞ、恐れると恐ろしいことになるのざぞ、モノはキから生れるのぞ、キが元ぞ、くどくキつけておくぞ。
ムのキ動けばム来るぞ、ウのキ動けばウ来るぞ、どんなことでもキあれば出来るぞ、キから生まれるぞ、勇んでΘの御用つとめて下されよ。
十二月三十一日、Θの一つ九Θ。



「キ」はたくさんの意味を持っています。Θ、気、木、黄、起、危、喜、基、生、嬉などです。

「キが元ざぞ、キから生れるのざぞ」「心の元はキざぞ、すべての元はキであるぞ」「キはΘざぞ、臣民皆にそれぞれのキ植えつけてあるのざぞ」
ここでは、「キ」は「魂」とか「気」のことを言っているのでしょう。

「嬉しキは嬉しキこと生むぞ、悲しキは悲しキ生むぞ、恐れは恐れ生むぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災(震災?)でも、臣民の心の中に動くキのままになるのざぞ。」
この「人災」は人災でしょう。震災は天災に含まれます。
天災も人災も全て人間の想念から生み出されるということでしょう。

「爆弾でも当たると思えば当たるのざぞ、恐れると恐ろしいことになるのざぞ、モノはキから生れるのぞ、キが元ぞ、くどくキつけておくぞ。」

「ムのキ動けばム来るぞ、ウのキ動けばウ来るぞ、どんなことでもキあれば出来るぞ、キから生まれるぞ」
ムは無で、ウは生・有です。縦軸の上下です。これに横軸の火・水が作用してキが上下しているのでしょう(富士鳴門の仕組)。この文章で注意すべきは、「キ」次第で無も有も選べるということです。

大和魂は「キ」です。大和魂さえあれば何でも出来るという考え方は戦略としては間違っていましたが、生き方としては正しかったといえましょう。


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磐戸の巻 第3帖

富士は晴れたり、日本晴れ、ビックリ箱愈々(いよいよ)となりたぞ。
春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマゲドンとなるのぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠越せんことになるぞ。
大峠となりたらどんな臣民もアフンとして物言えんことになるのざぞ、何とした取り違いでありたかと地団駄踏んでも、その時では間に合わんのざぞ、十人並のことしていては今度の御用は出来んのざぞ。
逆様(さかさま)にかえると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、グレンざぞ、富士に花咲くぞ。
一月一日、Θのひつ九のか三。


「春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマケドンとなるのぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠越せんことになるぞ。」
昭和20年1月1日元旦です。「春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて」いよいよ「ハルマゲドン」の到来ということでしょう。

「大峠となりたらどんな臣民もアフンとして物言えんことになるのざぞ、何とした取り違いでありたかと地団駄踏んでも、その時では間に合わんのざぞ、十人並のことしていては今度の御用は出来んのざぞ。」

「逆様(さかさま)にかえると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、グレンざぞ、富士に花咲くぞ。」
戦後、国民主権となりグレンとなりましたが、「ハルマゲドンの大峠」を越したのでしょうか。それともただの「型」だったのでしょうか。


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磐戸の巻 第4帖

この方、この世の悪神(あくがみ)とも現われるぞ、闇魔とも現われるぞ、悪と申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来ているのにキづかぬか、その日その時裁かれているのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、岩戸いつでも開くのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善と立て別けて、どちらも生かすのざぞ、生かすとはΘのイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのざぞ。
この道理よく肚に入れて、Θの心早う汲み取れよ、それが洗濯ざぞ。
一月二日、Θのひつ九のか三。



「Θのひつ九のか三」は閻魔大王として善悪の審判を下す存在でもあるそうです。しかも常時裁いているそうです。

気になるのは次の文章です
「善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善と立て別けて、どちらも生かすのざぞ」
以前「悪でない悪と善でない善」のお話をしました。しかし、この文はさらに進み、「善の世界」と「悪の世界」二つに立て別けるとあります。つまり、善の魂は善の世界に、悪の魂は悪の世界にそれぞれ行くことになるようです。今までは「内面」の善と悪の鏡の裏表だったものが、「善の世界」と「悪の世界」の鏡の裏表になります。善の世界の住人は良いですが、悪の世界の住人は大変なことになります。なんせ周りが皆悪人なんですよ。我慢できますか?

「生かすとはΘのイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、Θの心早う汲み取れよ、それが洗濯ざぞ。」
悪神のイキに合うと悪も悪でなくなるということでしょうか。それとも、悪の世界であっても、善神にイキを合わすと悪でなくなるということでしょうか。哲学的で難しいですね。


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磐戸の巻 第5帖

天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、臣民の心の中に生けおいた花火、いよいよ開く時来たぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれの御魂によりて、その色違うのざぞ、御魂どおりの色出るのざぞ。
金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金の真似するでないぞ。
地(くに)つちの軸動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりてどうにもこうにもならんことになるぞ、その時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人くらいは何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。
一月三日、Θのひつ九のか三。



さて、これこそが、私の考える「神一厘の仕組」です。内緒のはずなんですけど〜。神示として出てるから、まぁ、いっかぁ(笑)

「臣民の心の中に生けおいた花火、いよいよ開く時来たぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれの御魂によりて、その色違うのざぞ、御魂どおりの色出るのざぞ。」
前にも出て来ましたね。人がそれぞれ持つオーラの話ですね。大本教でも「九つ花」の神諭があるそうですが、これがその「九つ花」だと思います。「地つ巻」第11帖にも「国はそれぞれの色の違う臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。」という文章がありましたね。この時は「7つの国」ですから7色でした(日本を別としても8色)。「九つ花」は「苦の花」でもありますが、さらに1色多くなります。
青、赤、黄、白、黒の五色が基本として、考えられる候補としては緑、青緑、赤紫(光および色材の三原色による計8色)の他に、文中にもあるように、金、銀、銅、鉄、鉛色などが挙げられます。
オーラの色の種類の数え方もさまざまですから、九つの色が何色と特定はできませんが、基本的には上記の十三色のどれかだと思われます。

「金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金の真似するでないぞ。」
文章より判断するとこの色は出生時点で定められており、他の色になることはないようです。その色のまま原色に近くなるよう磨いてくださいということのようです。

「地(くに)つちの軸動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりてどうにもこうにもならんことになるぞ、その時この神示、心棒に入れてくれよ」
地軸の向きが変わるようですね。そりゃ、大地震、大津波が起こるでしょう。

「百人に一人くらいは何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。」


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2018年02月04日

磐戸の巻 第6帖

北、南、宝出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるから滅多に間違いないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど、仕上げ見て下されよ、何事もΘの申すこと聞いて素直になるのが一等ざぞ、神示出ぬ時近くなりたぞ、神示出なくなりたら口で知らすぞ、神示早う肚に入れぬと間に合わんことになりてくるぞ。
西も東もみな宝あるぞ、北の宝は潮満(しおみつ)ざぞ、南の宝は潮干(しおひる)ざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、この宝天晴れ、この世の大洗濯の宝であるぞ。
一月の四日、Θのひつ九のか三。


「北、南、宝出す時近づいたぞ、世の元からの仕組であるから滅多に間違いないぞ、これから愈々臣民にはわからなくなれど、仕上げ見て下されよ」

「西も東もみな宝あるぞ、北の宝は潮満(しおみつ)ざぞ、南の宝は潮干(しおひる)ざぞ、東西の宝も今にわかりてくるぞ、この宝天晴れ、この世の大洗濯の宝であるぞ。」
あれ、南北間違ってましたね。北の宝が潮満ですって。東西の宝もあるそうです。
南北の宝は「この世の大洗濯の宝」のうち「水」に関するものですね。すると東西の宝は「火」に関するものでしょうか。もしかして、原爆?


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磐戸の巻 第7帖

臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ、開いた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな、マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。
Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。
世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ、今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。
今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。
一月七日、Θのひつ九か三。


「臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ」
「早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな」
岩戸は、物理的なもので開くのではなく、魂の力で開くようです。また、魂の「戦」や「わざわい」は見当つかないぐらい怖いもののようです。

「マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。」

「右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ」
右に寄る人、左による人、それぞれの心が正しいと思っていることしか出来ないのだから、責めてはならないということです。ただし、真中(中道)を行くのが正しい道ということを忘れてはならないということです。

「今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。」
意味としては、これまでのような宗教的な組織・集団は、一方的に押し付けるだけで、しかも内輪だけで通じる教えであり、そのうち勝手に潰れてしまうということでしょう。

「この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。」

「今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。」
岩戸開きは序の口で、その後、本番が始まるそうです。



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磐戸の巻 第8帖

Θの国の昔からの生神の声は、世に出ている守護人の耳には入らんぞ、世に出ている守護人は九分九厘まで外国魂ざから、聞こえんのざぞ。
外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出て参れよ。
このΘの国には世の元からの生Θが水も洩らさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ、敗けても悔しくないまでに攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。
その上で敗けて、これはかなわんと言う時までかかりて御座れよ。
学、勝ちたら従ってやるぞ、Θの力にかなわんこと心からわかりたら、末代どんなことあっても従わして、ΘのΘのマコトの世にして、改心さして、万劫末代口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。
ミエタ、ご苦労であったぞ。
一月九日、Θの一二のか三。


「Θの国の昔からの生神の声は、世に出ている守護人の耳には入らんぞ、世に出ている守護人は九分九厘まで外国魂ざから、聞こえんのざぞ。」
守護人とは「守護霊」のことでしょう。「九分九厘まで外国魂」というのは99%が「幽界」のものだということでしょう。

「外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出て参れよ。」
オロチ、邪鬼、金毛のことですね。マトモとは正面です。どこからでもかかって来いということです。

「このΘの国には世の元からの生Θが水も洩らさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ、敗けても悔しくないまでに攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。
その上で敗けて、これはかなわんと言う時までかかりて御座れよ。」
頼もしいですね。よろしくお願いします。

「学、勝ちたら従ってやるぞ、Θの力にかなわんこと心からわかりたら、末代どんなことあっても従わして、ΘのΘのマコトの世にして、改心さして、万劫末代口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。」
口説とは「口答え」です。近代兵器や技術で神にかなわないことを納得、改心させて、未来永劫、神の真(まこと)の世にするということです。

「ミエタ、ご苦労であったぞ。」
御用した方のお名前でしょう。隠された意味は特にないようです。


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磐戸の巻 第9帖

富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。
天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。
この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。
長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。
米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。
命あると申して油断するでないぞ。
この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。
一月十一日、Θのひつ九Θ。


「富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。」
火と水による大掃除ですね。地球規模の大惨事ですから、いくら欲張りでも人類絶滅の危機を招いてでも我を通すことはしないでしょう。

「天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。」
本当の神は誰にでも憑かるわけではなく、また、憑かった場合においても、人の口を借りて話すということはしないそうです。すぐに何でも出来るというわけでもないようです。

次からの文章は現代への警告です。
「この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。」
戦争は終わりましたが、アメリカの支配下のもと箸の上げ下ろしまで管理され、今や第2回目の東西冷戦を迎えようとしています。C国やK国の浸食を受け、戦後70年ジリジリと日本の独立国家としての存在を希薄化しています。

「米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。」
単純に読めば、食糧、弾薬のことですが、現代に置き換えると、「米国あると油断するな。大和魂あると油断するな。命あると油断するな」となります。

個人的には、日本という枠組みを捨て、米国、日本、インド、オセアニア、アジア諸国の「インド太平洋大連邦国家」の建設が平和の礎になるのではないかと思っていますが、日月神示の神様のご意思にはそぐわないでしょうね。(苦笑)

「この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。」
辰の年は、申から始まる子年真中の9番目の年です。最終一歩手前の「九の花」の年となります。


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磐戸の巻 第10帖

悪の仕組は、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、ひと呑みにする計画であるぞ。
Θの臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気づかんか、上からやり方変えてもらわねば、下ばかりではどうにもならんぞ。
上に立ちている人、日に日に悪くなりてきているぞ。
メグリある金でも物でも持ちていたらよいように思うているが、えらい取り違いであるぞ。
早うΘの申すこと聞きて下されよ。
世界の何処探しても、今ではここより他にΘのマコトの道知らすところないのざぞ。
この道の役員、上から見られんところに善きことないと、今度の御用なかなかに務まらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の内が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気つけておくぞ、村も国々も同様ぞ。
女のメグリは怖いのざぞ。
節分からは八回柏手打ちて下されよ。Θ烈しくなるぞ。
一月十二日、Θのひつ九ノΘ。


もう、完全に現代の日本のことを言っています。まだ、硫黄島、沖縄戦も始まっていない時ですよ。
「悪の仕組は、日本魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、ひと呑みにする計画であるぞ。Θの臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気づかんか、上からやり方変えてもらわねば、下ばかりではどうにもならんぞ。」
悪の仕組は、最終段階に来ているようですね。あとは「ひと呑み」にされるのを待つだけの状況です。

「上に立ちている人、日に日に悪くなりてきているぞ。メグリある金でも物でも持ちていたらよいように思うているが、えらい取り違いであるぞ。早うΘの申すこと聞きて下されよ。」
今では、金と財産が全ての物質社会です。終戦後、日本人の持っていた「優しさ」や「思いやり」はまだかろうじて残ってはいるものの、どんどん希薄になって来ています。

「世界の何処探しても、今ではここより他にΘのマコトの道知らすところないのざぞ。」
本当にないですね。あっても特定の神だけを信じている者だけが救われるといった選民的思想を持った「囲い込み」型の教えであって「我れ善し」の域を出ていません。それに対し、日月神示の神様は「選民」であろうとも「身魂磨き」が出来ない者は容赦しないという「厳しく」「激しい」教えです。人の「道」です。

「この道の役員、上から見られんところに善きことないと、今度の御用なかなかに務まらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ」
人の目につくところでなく、陰で善行を積めよということでしょう。

「家の内が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気つけておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリは怖いのざぞ。」
怖いです。私も経験しました。一瞬にして崩壊です。女性は家庭の要です。村の要です。国家の要です。ただし、女性としての本分をわきまえた上でというのが条件ですけど。
国会議員になって、軽々と浮気して開き直っている方々を拝見していると、これは、世も末だなぁと思います。男性もだらしないです。天下国家を論じられない男性が多過ぎます。プチブルの社会に流され、自分だけ良ければよいという人ばかりです。
女のメグリ、男のメグリ、社会のメグリ何とかしたいものです。

「節分からは八回拍手打ちて下されよ。Θ烈しくなるぞ。」


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2018年02月05日

磐戸の巻 第11帖

心にメグリ積むと動物の容れ物となるぞ、Θの容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトのΘの臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。
ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終いには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。
改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月のΘと頼めばどんなことでもさしてやるぞ、このΘは、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこのΘぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、Θの御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、Θには依怙(えこ)ないぞ。
一月十三日、Θの一二か三。


「心にメグリ積むと動物の容れ物となるぞ、Θの容れ物、動物などに自由にされていて、それでマコトのΘの臣民と申されるか、わからんと申してあまりであるぞ。」
このメグリは動物霊の憑依なので、ギャンブル、色情、酒、金などの「欲」に関するものでしょうか。

「ゴモク吐き出せよ、そのままにしておくとだんだん大きくなりて、(始末にゆかんことになりて、)終いには灰にするより、手なくなるぞ」
ゴモクとはゴミ、チリのことです。心の汚れは早く取り除かないと大きくなってしまい最後には焼いて灰にするしかなくなるぞということです。

「石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。」
当たり前のことが当たり前でなくなり、逆になった状況だということでしょう。「不倫は文化」「モンスターペアレント」「逆ギレ」「ロードレイジ」思い当たることがたくさんありますね。

「改心して綺麗に掃除出来たら、千里先にいても、日月のΘと頼めばどんなことでもさしてやるぞ、このΘは、世界中何処へでも届く鼻持っているのざぞ、この世造りたこのΘぞ、この世にわからんこと一つもないのざぞ」

「Θの御用さえ務めて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、Θには依怙(えこ)ないぞ。」
神の御用さえ務めれば、依怙贔屓なく世界中の民を助けてくださるそうです。


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磐戸の巻 第12帖

マコトの者は千人に一人ざぞ、向こうの国にはまだまだドエライ仕組しているから、今のうちにΘの申すこと聞いて、Θ国はΘ国のやり方にしてくれよ。
人の殺し合いばかりではケリつかんのざぞ、今度の勝ち負けはそんなチョロイことではないのざぞ、トコトンのところまで行くのざから、神も総活動ざぞ。
臣民、石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今度は万劫末代のことざから、いつまでも変わらんマコトの神徳与えるぞ。
言われぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。
一月十三日、Θの一二のか三。


「マコトの者は千人に一人ざぞ」
マコトの者は、1%どころか0.1%だそうです。一厘どころか一毛ですね。

「向こうの国にはまだまだドエライ仕組しているから、今のうちにΘの申すこと聞いて、Θ国はΘ国のやり方にしてくれよ。」
これは原子爆弾のことと思われます。

「人の殺し合いばかりではケリつかんのざぞ、今度の勝ち負けはそんなチョロイことではないのざぞ、トコトンのところまで行くのざから、神も総活動ざぞ。」
これは神の殺し合いがあることを言われているのだと思います。

「臣民、石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今度は万劫末代のことざから、いつまでも変わらんマコトの神徳与えるぞ。」
人間も大変な苦労をするが、マコトの神徳を与えるから頑張れよということです。

「言われぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。」
神界の秘密さえ伝えることもあるそうです。


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磐戸の巻 第13帖

コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。
Θの国はΘ(もと)のΘの血筋の混じり気のないミタマで、末代世治めるのぞ。
何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。
上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我れ善しざぞ。
今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、Θ魂(かみたましい)の臣民でないとΘの国には住めんことになるのざぞ。
この世治めるのは地(ち)の先祖の生Θの光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりてまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
Θは一時は菩薩とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。
大国常立尊大神と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、Θ(もと)のΘ(日本)のΘ(神)の光クッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。
この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思うているとグレンざぞ。
神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。
この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に努め上げてくれよ。逃げ道作ってはならんぞ、二つ三つ道作ってはならんぞ。まっすぐにΘの道に進めよ。Θの道は一筋ぞと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺から愈々が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、Θの国はΘのやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやり方違っていたから、Θのお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もかもΘに捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それがΘ国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。Θ国の政治経済は一つぞと申してあろがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でもΘ様に捧げるのぞ、Θの御社は幸で埋もれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。Θから分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトのΘの世になるのぞ。Θの世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札のようなものざぞ。わかるように申すなら、Θの御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな。
一月十三日、Θの一二か三。


「コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。Θの国はΘ(もと)のΘの血筋の混じり気のないミタマで、末代世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我れ善しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、Θ魂(かみたましい)の臣民でないとΘの国には住めんことになるのざぞ。」
日本は、混じりけのない日本人の血統で治めるそうです。大和魂の臣民でないと日本には住めないそうです。それ以外の方も、日本以外に七つの国があるのでご安心ください。同じような精神の人毎に国を作るようです。

「この世治めるのは地(ち)の先祖の生Θの光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりてまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。」

「Θは一時は菩薩とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。」
八幡大菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩などでしょう。神仏習合、廃仏毀釈、国家神道など勝手なことをぬかしてるんじゃないということでしょう。

「大国常立尊大神と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、Θ(もと)のΘ(日本)のΘ(神)の光クッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。早う洗濯せんと間に合わんぞ。」
今回の立て替えの主役「国常立尊大神」がいよいよのご登場のようです。

「この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思うているとグレンざぞ。」

「神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。」
いやいや、激しいですね。昔の因縁って何でしょう。もしかして、「Θの一二か三」は坤の金神「豊雲野尊」でしょうか。

「この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に努め上げてくれよ。逃げ道作ってはならんぞ、二つ三つ道作ってはならんぞ。まっすぐにΘの道に進めよ。Θの道は一筋ぞと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。」

「世界の片端浜辺から愈々が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、Θの国はΘのやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやり方違っていたから、Θのお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。」
やはり、世界規模の津波から始まるようです。筆舌に尽くしがたい苦しみだそうです。逆に言えば、今までのやり方を反省し心からお詫びすれば大惨事から救われるということでしょうか。

「何もかもΘに捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それがΘ国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。Θ国の政治経済は一つぞと申してあろがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でもΘ様に捧げるのぞ、Θの御社は幸で埋もれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。Θから分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトのΘの世になるのぞ。」
神中心の共産主義ですね。人中心の共産主義はご存じの通り悲惨な結果となりました。

「Θの世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札のようなものざぞ。わかるように申すなら、Θの御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真のマツリの一(はじめ)ざぞ。」
お宝は無料パスのようなものみたいですね。(笑)

「このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな。」
この守護人殿は、政府や地方の役人のことのようですね。

神様が仕切られるのであれば、生産量・漁獲量の調整も楽々でしょうから、上手く行くでしょうね。
サボることも出来ませんしね。(笑)


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磐戸の巻 第14帖

生味(しょうみ)の、生き通しのΘが、生味を見せてやらねばならんことに、いずれはなるのざが、生神の生味は烈しいから、今のうちに綺麗に洗濯しておけと申すのぞ、皆にまつろいておけと申すのぞ。
可哀そうなのは兵隊さんざぞ、Θに祈りてやりてくれよ。
幽界(がいこく)人よ、Θの国にいる幽界魂の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなたたちも子ざから、早うΘの下に還りてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどう気づけるぞ。
一月十三日、Θの一二のか三。


「生味(しょうみ)の、生き通しのΘが、生味を見せてやらねばならんことに、いずれはなるのざが、生神の生味は烈しいから、今のうちに綺麗に洗濯しておけと申すのぞ、皆にまつろいておけと申すのぞ。」
龍体なのか光輝く閃光なのか、あるいはその両方なのか、常人には耐え難いものなのでしょう。

「可哀そうなのは兵隊さんざぞ、Θに祈りてやりてくれよ。」
本当ですよね。命がけで死力を尽くして戦われたのですから。

「幽界(がいこく)人よ、Θの国にいる幽界魂の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなたたちも子ざから、早うΘの下に還りてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどう気づけるぞ。」
外国人はおろか「日本を戦争に導いた戦犯(軍部だけでなく経済人や言論人も含まれると思われる)」も「死ぬことも生きることも出来ん苦しみ」になるところでした。
現代に置き換えれば、「日本を外国に売り飛ばそうとする売国奴」も同じことになることを肝に銘じた方が良さそうです。



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磐戸の巻 第15帖

この方の道、悪きと思うなら、出て御座れ、良きか悪きか、ハッキリと得心ゆくまで見せてやるぞ。
何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけてくれよ。皆、和合してくれよ。
悪き言葉、息吹が、この方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコトわからんぞ、欲は要らぬぞ、欲出したら曇るぞ。盲人になるぞ、お詫びすれば赦してやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。
病治してやるぞ、Θ息吹つくりてやれよ、Θ息吹きとは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことざぞ。
腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪もわからん世、闇の世と申すぞ。
天照皇太神宮様の岩戸開きは、騙した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理に開けた岩戸開き)ざから、開いたΘΘに大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、Θには分け隔てないのざぞ、今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトのΘの息吹で開くのざぞ。混じりありたら、濁り少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどう気つけているのざぞ。いつまでも変わらんマコトで開くのざぞ。
一月十四日、旧十一月三十日、Θの一二Θ。


「この方の道、悪きと思うなら、出て御座れ、良きか悪きか、ハッキリと得心ゆくまで見せてやるぞ。何事も得心させねば、根本からの掃除は出来んのざぞ、役員気つけてくれよ。皆、和合してくれよ。」
善神中心の共産主義であれば賛成です。人間中心であれば絶対に反対です。

「悪き言葉、息吹が、この方一番邪魔になるぞ、苦労なしにはマコトわからんぞ、欲は要らぬぞ、欲出したら曇るぞ。盲人になるぞ、お詫びすれば赦してやるぞ、天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。」

「病治してやるぞ、Θ息吹つくりてやれよ、Θ息吹きとは一二三書いた紙、神前に供えてから分けてやるもののことざぞ。」

「腹立つのは慢心からぞ、守護神よくなれば肉体よくなるぞ、善も悪もわからん世、闇の世と申すぞ。」

「天照皇太神宮様の岩戸開きは、騙した、間違いの岩戸開き(ぞ、無理に開けた岩戸開き)ざから、開いたΘΘに大きなメグリあるのざぞ、今度はメグリだけのことはせなならんぞ、Θには分け隔てないのざぞ」
騙した岩戸開きの話です。ここでは、騙した側の神々様のメグリの話となっています。

「今度の岩戸開きはちっとも間違いない、混じり気のない、マコトのΘの息吹で開くのざぞ。混じりありたら、濁り少しでもありたら、またやり直しせなならんからくどう気つけているのざぞ。いつまでも変わらんマコトで開くのざぞ。」
天照大御神でなく、「天照皇太神宮」様の岩戸開きとしてあるのが、ポイントです。

昭和20年1月14日は旧暦昭和19年12月1日なのでやはり1日のずれがありました(同じ1日遅れ)。



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2018年02月06日

磐戸の巻 第16帖

世の元からの生Θが揃うて現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えんようになるのざぞ。
神徳貰うた臣民でないとなかなか越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、大き器持ちて御座れよ、掃除した大き容れ物いくらでも持って御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来ているのざから、安心して御用務めてくれよ。今度はマコトのΘの力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、Θの国は小さいが、天と地との神力強い、Θのマコトの元の国であるぞ。
洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、Θの申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心の初心(うぶ心)になりて、Θの教え守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている身魂の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、Θの申すとおり背(そむ)かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けんのぞ。学越えた学、智越えた智は、Θの学、Θの智ざということわからんか。今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのざから、なかなかであるぞ。天災や戦ばかりでは中々埒(らち)あかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思うているとわからんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ、今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本から造り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ。
叱(しか)るばかりでは改心出来んから、喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。この道の役員は昔からの因縁によって御魂調べて、引き寄せて、御用さしてあるのぞ、滅多に見当狂わんぞ、Θが綱かけたら中々離さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくるまわってまた初めからお出直しで御用せなならんようになって来るぞ。身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。子の年真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日ぞ。
一月十四日、Θの一二のか三。


「世の元からの生Θが揃うて現れたら、皆腰抜かして、目パチクリさして、物言えんようになるのざぞ。」
龍体の勢揃いでしょうか。相当の迫力でしょうね。

「神徳貰うた臣民でないとなかなか越せん峠ざぞ、神徳はいくらでも背負いきれんまでにやるぞ、大き器持ちて御座れよ、掃除した大き容れ物いくらでも持って御座れよ、神界にはビクともしぬ仕組出来ているのざから、安心して御用務めてくれよ」

「今度はマコトのΘの力でないと何も出来はせんぞと申してあろが、Θの国は小さいが、天と地との神力強い、Θのマコトの元の国であるぞ。」
日本は小さい国ですが、天地の神のご神力の強い真の元の神国だそうです。真(誠)の神の力でないと「大峠」は越せないそうです。

「洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、Θの申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心の初心(うぶ心)になりて、Θの教え守ることぞ。」
「身魂磨きと申すのは、神から授かっている身魂の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、Θの申すとおり背(そむ)かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは身魂は磨けんのぞ。学越えた学、智越えた智は、Θの学、Θの智ざということわからんか。」
洗濯と身魂磨きは厳密には別のことのようですね。まとめると、洗濯とは「人間心を捨てて素直な心で神に従うこと」、身魂磨きとは「神のご意思に身をまかせて従うこと」のようです。

「今度の岩戸開きは身魂から、根本から変えてゆくのざから、なかなかであるぞ。天災や戦ばかりでは中々埒(らち)あかんぞ、根本の改めざぞ。小さいこと思うているとわからんことになると申してあろがな、この道理よく肚に入れて下されよ」
戦の主戦場は、人の心の中にこそあるということです。

「今度は上中下三段に分けてある身魂の因縁によって、それぞれに目鼻つけて、悪も改心さして、善も改心さしての岩戸開きざから、根本から造り変えるよりはどれだけ難しいか、大層な骨折りざぞよ。」
神様からすればひとまとめに潰してしまえば簡単なことですが、人間一人一人の改心を待っての立て替えなので大変だということのようです。

「叱(しか)るばかりでは改心出来んから、喜ばして改心さすことも守護神にありてはあるのざぞ、聞き分けよい守護神殿少ないぞ、聞き分けよい悪神、早く改心するぞ、聞き分け悪き善の守護神あるぞ。」
善の守護神でさえ聞き分けが悪いこともあるようです。「何もそこまで」という現状肯定・慎重派の神々でしょうか。

「この道の役員は昔からの因縁によって御魂調べて、引き寄せて、御用さしてあるのぞ、滅多に見当狂わんぞ、Θが綱かけたら中々離さんぞ、逃げられるならば逃げてみよれ、くるくるまわってまた初めからお出直しで御用せなならんようになって来るぞ。」
終戦時には「立て替え」が無かったので、「くるくるまわってまた初めからお出直し」の御用となりますね。お疲れ様です。

「身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ。出雲の神様大切申せと知らしてあること忘れるなよ。」
この「出雲の神様」とは大国主命のことでしょうね。ただ、「大国主命」というのは役職名ですから広義で言えば「大穴牟遅神(おおなむぢ)」の他に「須佐鳴之大神」も含まれるのかもしれません。また、国津神ということであれば、さらに多くの神様がその対象になりそうです。

「子の年真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ。未(ひつじ)の三月三日、五月五日は結構な日ぞ。」
三月三日、五月五日が未年または未日に限定されました。未年であれば1955、1967、1979、1991、2003、2015年ですが、特にこれといった出来事はありませんでした。残るは、2027、2039年です。
未の日については、全部調べたわけではありませんが、平成12年(西暦2000年)の三月三日(4月7日)、五月五日(6月6日)が未の日に該当していました(両方共乙未)。両方共に特にこれといった出来事はありませんでしたが、もしかするとこの日生まれの現在17才が鍵を握っているのかもしれません。因みにこの年は辰年です。


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磐戸の巻 第17帖

このΘは善き臣民には善く見え、悪き臣民には悪く見えるのざぞ、鬼門金神とも見えるのざぞ、世はクルクルとまわるのざぞ、幸せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれの身魂の曇り取りているのざから、勇んで苦しいこともして下されよ、上が裸で下が袴(はかま)はくこと出て来るぞ、Θが化かして使うているのざから、出来上がるまでは誰にもわからんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がビックリするのざぞ、ビックリ箱にも、悪いビックリ箱と、嬉し嬉しのビックリ箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑うは無理ないなれど、曇り取ればすぐうつる、元の種持っているのざから、(早うこの神示読んで洗濯してくれよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、)Θの道は無理ない道ざと知らしてあろが。身魂の因縁恐ろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。
一月十四日、Θの一二のか三。


「このΘは善き臣民には善く見え、悪き臣民には悪く見えるのざぞ、鬼門金神とも見えるのざぞ、世はクルクルとまわるのざぞ、幸せ悪くとも悔やむでないぞ、それぞれの身魂の曇り取りているのざから、勇んで苦しいこともして下されよ」
「Θの一二のか三」とありますが「Θの一二か三」と同じとすれば、豊雲野尊でしょうね。坤の金神と呼ばれる方です。昨年の熊本地震とも関係がありそうです。不幸・不運といっても嘆くなよ、身魂磨きであるぞということのようです。

「上が裸で下が袴(はかま)はくこと出て来るぞ、Θが化かして使うているのざから、出来上がるまでは誰にもわからんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと皆がビックリするのざぞ」
これは、今の上の人が裸(獣)となり、下の人が正装の上下逆転もあるぞということでしょう。

「ビックリ箱にも、悪いビックリ箱と、嬉し嬉しのビックリ箱とあるのざぞ、何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑うは無理ないなれど、曇り取ればすぐうつる、元の種持っているのざから」
結果は、人によっては、良くも悪くもなるぞということでしょう。

「Θの道は無理ない道ざと知らしてあろが。身魂の因縁恐ろしいぞ。上下わき上がるが近うなりたぞ。」
身魂の因縁(メグリ)次第だぞということです。


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磐戸の巻 第18帖

今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民でないと中々に務まらんぞ、Θも長らく世に落ちて苦労に苦労重ねていたのざが、時節到来して、天晴れ世に出て来たのざぞ、因縁の身魂、世に落ちているぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第でその時から善き方にまわしてやるぞ。改心と申して、人の前で懺悔するのは(神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは)Θ傷つけることになると心得よ、Θの御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、善き言霊(ことだま)のれよ、言高くあげよ、富士晴れるまで言高くあげてくれよ、そのコトにΘうつりて、どんな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残るようにしてやるぞ。この仕組わかりたら上の臣民、逆立ちしてお詫びに来るなれど、その時ではもう間に合わんから、くどう気つけているのざぞ。臣民、可愛いから嫌がられても、この方申すのざぞ。
悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になっているのざからマコトのΘさえ悪に巻き込まれて御座るほど、知らず知らずに悪になりているのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸閉めざから見当とれん、臣民にわからんのは無理ないなれど、そこわかりてもらわんと、結構な御用務まらんのざぞ、時が来たら、吾が吾の口で吾が白状するようになりて来るぞ。Θの臣民、恥ずかしくないようにしてくれよ、臣民恥ずかしいことは、Θ恥ずかしいのざぞ。愈々善と悪の変わり目であるから、悪神暴れるから巻き込まれぬように褌(ふんどし)締めて、この神示読んで、Θの心汲み取って御用大切になされよ。
一月十四日、Θの一二のか三。


「今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民でないと中々に務まらんぞ、Θも長らく世に落ちて苦労に苦労重ねていたのざが、時節到来して、天晴れ世に出て来たのざぞ、因縁の身魂、世に落ちているぞと申してあろがな」

「外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第でその時から善き方にまわしてやるぞ。」

「改心と申して、人の前で懺悔するのは(神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは)Θ傷つけることになると心得よ、Θの御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、善き言霊(ことだま)のれよ、言高くあげよ、富士晴れるまで言高くあげてくれよ」
キリスト教での神父さんへの懺悔は神に恥をかかすことになるそうです。神前で神への「善き言霊」=祝詞こそが真の懺悔となるようです。

「そのコトにΘうつりて、どんな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残るようにしてやるぞ。この仕組わかりたら上の臣民、逆立ちしてお詫びに来るなれど、その時ではもう間に合わんから、くどう気つけているのざぞ。臣民、可愛いから嫌がられても、この方申すのざぞ。」
その言霊に神が乗り移って身魂に宿るようです。

「悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になっているのざからマコトのΘさえ悪に巻き込まれて御座るほど、知らず知らずに悪になりているのざから」
悪の世では、真の神さえ巻き込まれるほど、知らず知らずのうちに「悪」になってしまっているようです。

「今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸閉めざから見当とれん、臣民にわからんのは無理ないなれど、そこわかりてもらわんと、結構な御用務まらんのざぞ」
五度の岩戸閉めは、@伊邪那岐、伊邪那美の離別A騙した岩戸開きB須佐鳴之大神の追放C仏魔D神武天皇の時(多分、国家神道の現人神のこと)でしたね。

「時が来たら、吾が吾の口で吾が白状するようになりて来るぞ。Θの臣民、恥ずかしくないようにしてくれよ、臣民恥ずかしいことは、Θ恥ずかしいのざぞ」
身録の仕組です。叩けばホコリの出る身体、いやですね〜(笑)

「愈々善と悪の変わり目であるから、悪神暴れるから巻き込まれぬように褌(ふんどし)締めて、この神示読んで、Θの心汲み取って御用大切になされよ。」
いよいよの時が近づくと「悪神」が暴れまわるそうです。気をつけましょう。



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磐戸の巻 第19帖

向こうの国、いくら物ありても、人ありても、生Θが表に出て働くのざから、Θなき国は、いずれは往生ざぞ。この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ、Θには何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのぞ、可哀そうなれどΘの臣民殿、堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ、マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、Θの臣民に手柄立てさして、Θから篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねてΘが臣民殿に頼むぞよ、守護神殿に頼むぞよ。
一月十四日、Θのひつ九のか三。


「向こうの国、いくら物ありても、人ありても、生Θが表に出て働くのざから、Θなき国は、いずれは往生ざぞ。」
アメリカのことのようです。

「この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ、Θには何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのぞ、可哀そうなれどΘの臣民殿、堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ」
本土決戦のことですね。

「マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、Θの臣民に手柄立てさして、Θから篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねてΘが臣民殿に頼むぞよ、守護神殿に頼むぞよ。」
腹帯ですから、これは女性に対して言っていますね。日本が九分九厘滅びる所まで行かないと、マコトの生神は表に出て来れないようです。
日本が始めた戦争で仕方ないとはいえ、悲惨な状況になっていたことでしょう。
結果的に、その前に降参してしまいましたから、「立て替え」は行われませんでしたが、良かったのか悪かったのか、それは今後の我々日本人の「生き方」にかかっているのでしょう。



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磐戸の巻 第20帖

戦、いつも勝つとばかりは限らんぞ、春マケとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、Θの国、Θの道は大丈夫であるなれど、日本臣民大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早う身魂磨いてくれよ、もう少し戦進むと、これはどうしたことか、こんなはずではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、そうなってからでは遅いから、それまでにこの神示読んで、その時にはどうするかということわかりておらんと仕組成就せんぞ、役員の大切の役目ざぞ、我の思い捨ててしもうて、早うこの神示、穴のあくほど裏の裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終わりにΘ強く頼むぞよ。
旧十一月三十日、Θの一二のΘ。


「戦、いつも勝つとばかりは限らんぞ、春マケとなるぞ」
旧十一月三十日は、西暦昭和20年1月13日です。誤差が1日あるので、1月14日でしょうか。
前日1月13日には三河地震が起きています。1月18日には本土決戦体制が決定され、2月18日には米軍が硫黄島に上陸します(3月26日まで戦闘)。4月1日にはついに米軍が沖縄本島に上陸し、「春マケ」がほぼ確定します。

「いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、Θの国、Θの道は大丈夫であるなれど、日本臣民大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早う身魂磨いてくれよ」

「もう少し戦進むと、これはどうしたことか、こんなはずではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、そうなってからでは遅いから、それまでにこの神示読んで、その時にはどうするかということわかりておらんと仕組成就せんぞ」

「役員の大切の役目ざぞ、我の思い捨ててしもうて、早うこの神示、穴のあくほど裏の裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終わりにΘ強く頼むぞよ。」


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2018年02月07日

磐戸の巻 第21帖

元の大和魂に還れと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、Θに心向ければ出来るのざぞ、どうしても今度は元のキのままの魂に還らんとならんのぞ、肝心の神示、むやみに見せるでないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、ミミから知らすから、肚から肚へと伝えてくれよ。
節分からは烈しくなりて、烈しき神示は書かせんぞ。天明、神示の御用はこれでしばらく御用済みぞ、その代わりミミ掃除しておいてくれよ。
旧一月三十日、Θの一二Θ。


「元の大和魂に還れと申すのは、今の臣民には無理ぢゃな、無理でも、Θに心向ければ出来るのざぞ」
うんうん、無理です。なに〜無理でも出来るとナ!

「どうしても今度は元のキのままの魂に還らんとならんのぞ」

「肝心の神示、むやみに見せるでないぞ。仕組こわれるぞ、今に神示に書けないことも知らさなならんから、ミミから知らすから、肚から肚へと伝えてくれよ。」

「節分からは烈しくなりて、烈しき神示は書かせんぞ。天明、神示の御用はこれでしばらく御用済みぞ、その代わりミミ掃除しておいてくれよ。」
神示にも書けないほど烈しい神示なのでしょう。

「Θの一二Θ」が「一二Θ」と同じとすると「国之常立大神」だと思われますので、ミミに聞かすのはこの神様が直接ということなのでしょう。スゴイですね〜!



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キの巻 第1帖

節分からは手打ちながら、ひふみ祝詞宣りてくれよ、拍手は元の大神様の全き御働きぞ、タカミムスビとカミムスビの御働きぞ、御音ぞ、和ぞ、大和のことぞ、言霊ぞ、喜びぞ、喜びの御音ぞ、悪祓う御音ぞ。
イシモト、イソガミ、カドタ、ご苦労ぞ。ショウダ、ご苦労ぞ。サイトウ、ご苦労ぞ、カドタ、ご苦労ぞ。節分境に何もかも変わりて来るのざぞ、何事も掃除一番ぞ。
一月二十九日、Θのひつ九のか三しるす。


「節分からは手打ちながら、ひふみ祝詞宣りてくれよ」

「拍手は元の大神様の全き御働きぞ、タカミムスビとカミムスビの御働きぞ、御音ぞ、和ぞ、大和のことぞ、言霊ぞ、喜びぞ、喜びの御音ぞ、悪祓う御音ぞ。」
高御産巣日神(タカミムスビ)と神皇産霊神(カミムスビ)は、造化三神のうちの二柱であり、総称としての神漏岐・神漏美の筆頭格です(狭義では伊邪那岐・伊邪那美だと思います)。この造化三神という仕組は良く出来ていて、現代の素粒子論との対比としても、天之御中主をボース粒子(光子、重力)、高御産巣日神と神皇産霊神をフェルミ粒子のクォーク (原子・中性子)とレプトン (電子)と仮定すると非常にしっくりきます。キリスト教も一神教ですが、「神と子と精霊」の三位三体ですから、実は神道との共通点もあるのです。

「イシモト、イソガミ、カドタ、ご苦労ぞ。ショウダ、ご苦労ぞ。サイトウ、ご苦労ぞ、カドタ、ご苦労ぞ。節分境に何もかも変わりて来るのざぞ、何事も掃除一番ぞ。」
これも、御用の方のお名前でしょうが、なぜか「カドタ」さんだけ2回も出て来ます。門田さんと角田さんでしょうか。隠された意図はないようです。


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キの巻 第2帖

神示読めば何もかもわかるようになりていることわからぬか、尾張の御用、御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組通りになりている、臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲く所へ造れよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀りくれよ、祭典、国民服の左の胸に八垂(やたれ)のシデ二本つけて、絹のシデつけて当分奉仕してよいぞ、道場は一の宮と一つ所でよいぞ、イイヨリ(四国、讃岐)の御用、タニハ(丹波)の御用御苦労であったぞ。
皆の者愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌(ふんどし)しめよ、グレンざぞ。
二月二十六日、ひつ九のか三。


尾張の御用も無事終わり、奥の奥のことも仕組通りになっているようです。

「一の宮は桜咲く所へ造れよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀りくれよ」
一の宮は「麻賀多神社」でしょうね。梅でなく桜で良いようですね。意富加牟豆美命(オホカムツミの神)は良く出て来ますね。しかも、同じ神様とは限らないようです。「苦境を救う神」ということなのでしょう。

「祭典、国民服の左の胸に八垂(やたれ)のシデ二本つけて、絹のシデつけて当分奉仕してよいぞ」
戦時中ですから、国民服ですが、シデが御用の印なのでしょう。

「道場は一の宮と一つ所でよいぞ」
麻賀多神社と東京に一か所でしょう。

「イイヨリ(四国、讃岐)の御用、タニハ(丹波)の御用御苦労であったぞ。」
金比羅山(または大三島)と籠神社でしょうか。

「皆の者愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケて、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌(ふんどし)しめよ、グレンざぞ。」
春マケでほぼ戦力を喪失し、夏マケでとどめを刺されます。


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キの巻 第3帖

雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、この世の地震、荒れ、逃らせて下さるぞ、皆の者に知らしてやりて下されよ、この方イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現われるぞ、ヒの神と現われるぞ、ミの神と現われるぞ、イリヰの神と現われるぞ、五柱の神様篤くおろがめよ、十柱の神篤くおろがめよ。
三月八日、ひつ九ノか三しらすぞ。


「雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神様にお祈りすれば、この世の地震、荒れ、逃らせて下さるぞ、皆の者に知らしてやりて下されよ」
雨の神(天之水分、国之水分)、風の神(志那都比古、志那都比売)、地震の神(武甕槌、経津主)、岩の神(石戸別、岩長姫)、荒の神様(大雷男、若雷男)でした。「五柱の神様」のようです。

「この方イの神と現われるぞ、キの神と現われるぞ、シチニの神と現われるぞ、ヒの神と現われるぞ、ミの神と現われるぞ、イリヰの神と現われるぞ」
イ・キ・シチニ・ヒ・ミ・イリヰ、50音のイの段です。「ひつ九ノか三」は「十柱」の一柱であり、「オオカムツミ」でもあるとのことですが、日の出の神の「彦火々出見神」でしょうか。日の出の神は金比羅山の神様でもありますから、饒速日尊のことかもなと思っております。自信はありません。

素直に読めば、「キ」の神なので、「木花咲耶姫」となります。


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キの巻 第4帖

カミの大事の肝腎のところが違ったことになりているから、その肝腎要のところ元に戻さな、何ほど人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、ここと言うところ出来んぞ、Θの国の元の元の元のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返っているぞ、早う気づかんと間に合わんぞ、もちと大き心持ちなされよ、世界のことざから、世界の御用ざから、大き心でないと、御用出来んぞ。これからはΘが化けに化けて心引くことあるからそのつもりでいてくれよ、三、四月気つけてくれよ。
三月九日、ひつ九のか三ふで。


「カミの大事の肝腎のところが違ったことになりているから、その肝腎要のところ元に戻さな、何ほど人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、ここと言うところ出来んぞ」
元の先祖の神は、「国之常立大神」だと思うのですが。

「Θの国の元の元の元のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返っているぞ、早う気づかんと間に合わんぞ、もちと大き心持ちなされよ。世界のことざから、世界の御用ざから、大き心でないと、御用出来んぞ」
ヤハウェのこととしか思えませんが。

「これからはΘが化けに化けて心引くことあるからそのつもりでいてくれよ」

「三、四月気つけてくれよ。」
3月10日東京大空襲(死者は約10万人)、3月26日硫黄島の戦い終結、4月1日米軍沖縄本島に上陸、4月7日戦艦大和撃沈と、多くの出来事が3、4月に集中しています。


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2018年02月08日

キの巻 第5帖

この神示は心通りにうつるのぞ、思い違うといくら神示読んでも違うことになるのぞ、心違うと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方は悔やむこと嫌いぞ。
次の世となれば、これまでのように無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民、今は人の手に握っているものでも叩き落して取るようになりているのざから、Θも往生ざぞ、Θは臣民、楽にしてやりたいのに、楽に狎(な)れて、自分でしたように思うて、Θを無きものにしたから、今度の難儀になって来たのざぞ、そこにまだ気づかんか、キが元ぞと申してあろがな、早う気づかんと間に合わんぞ、このΘは、従う者にはおだやかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。
三月十日、一二Θ。


「この神示は心通りにうつるのぞ、思い違うといくら神示読んでも違うことになるのぞ、心違うと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方は悔やむこと嫌いぞ。」
私も一応はこの神示を素直な心で読み解くように努めておりますが、心曇りておりますので、皆さんも、ぜひそのまま鵜呑みにせず、ご自分の解釈にてお読みくださいますようお願いいたします。

「次の世となれば、これまでのように無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民、今は人の手に握っているものでも叩き落して取るようになりているのざから、Θも往生ざぞ」
競争社会に生きる我々としては、どうしても自分自身や家族を優先にして、他人のことには目もくれないような生活をしております。フェアにやるかやらないかで大きな違いはありますが、フェアにやるとしても、一歩立ち止まって「他人を思いやる気持」を大事にしたいものです。

「Θは臣民、楽にしてやりたいのに、楽に狎(な)れて、自分でしたように思うて、Θを無きものにしたから、今度の難儀になって来たのざぞ、そこにまだ気づかんか、キが元ぞと申してあろがな、早う気づかんと間に合わんぞ」
神が日本人を助けて楽にしてやるようにしたのに、日本人は全て自分達が為した事のように考え、神を無視していたから、頭に乗って戦線を拡大し、太平洋戦争の敗戦になったと言っておられます。神の「キ」が元だということを早く気づけよということです。

「このΘは、従う者にはおだやかざが、逆らう者には鬼となるのざぞ。」
日本人は神に逆らう気持ちはなかったのですが、結果的に「逆らう」ようになっておりました。
神様は、基本的に平和主義であることを前提に考えることが肝要かと思います。
但し、不戦・無抵抗論者ではありません。悪との対決に躊躇はないと肝に銘じるべきです。


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キの巻 第6帖

道場開き結構でありたぞ、皆の者御苦労ぞ、知らしてあるように道開いて下されよ、天と地と合わせ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ、桜咲く所、桜と共に花咲くぞ、夏マケ、秋マケとなったら、冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦済んでからが愈々のイクサぞ、褌(ふんどし)締めよ、役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気つけてくれよ。神示よく読めよ、肝腎のことわかりてはおらんぞ。(一のことぞ。)一✓✓✓ 三(ひふみざぞ)
三月十一日、ひつ九ノか三。



道場開きも上手くいったようです。

「知らしてあるように道開いて下されよ、天と地と合わせ鏡ぞ、一人でしてはならんぞ、桜咲く所、桜と共に花咲くぞ」
御用も「天と地と合わせ鏡」なので、二人ペアで行うことが必要だということです。

「夏マケ、秋マケとなったら、冬マケで泣きあげてはならんぞ、戦済んでからが愈々のイクサぞ、褌(ふんどし)締めよ」
夏マケで終わってしまいました。秋、冬と苦難の道のりが続く予定だったようです。「戦済んでからが愈々のイクサぞ」というのは、物理的な戦争の後、本番の「心の戦争」が待っているぞということでしょう。

「役員も一度は青なるのざぞ、土もぐるのざぞ、九、十、気つけてくれよ。」
青というのは、「蒼くなる」ということもありますが、「青人草」になることを意味しているようです。「土もぐる」は、防空壕や戦場での地下壕を指しているようです。
九、十、が出て来ましたね。単に9月、10月のことだったのかもしれません。原爆投下は広島、長崎の2発だけでしたが、当時最大20発くらいあったようですから。

「神示よく読めよ、肝腎のことわかりてはおらんぞ。(一のことぞ。)一✓✓✓ 三(ひふみざぞ)」
肝腎のことは、「一」または「ひふみ」と訳しているようです。この他に「秘密ざぞ」「日の道ぞ」とも訳せるようですが、私は「火の道ぞ」または「霊の道ぞ」と訳してみました。「広島ぞ」かもしれません。


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キの巻 第7帖

物、自分のものと思うのは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、くどう申してあるのにまだわからんか。行い出来て、口静かにしてもらうと、何事もスラリと行くぞ、行が出来ておらんと、何かのことが遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。
Θの国も、半分の所にはイヤなことあるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サァ今ざということになりたら、臣民の知らん働きさして、悪では出来ん手柄さして、なした結構なことかとビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大Θ様のミコトですることぞ、いくら悪神ジタバタしたとて手も出せんぞ、この世三角にしようと四角にしようと、元のこの方等の心のままぞ。後から来た守護神先になるから、今の役員そうならんように神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つわかんことのないようにしてくれよ、今に恥ずかしいことになるぞ。
元の大和魂の誠の身魂揃うたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざぞ、と申してあろが、末代動かぬ世の元の礎築くのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな、上は上の行い、中は中、下は下の行い、作法、あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。
三月十一日、ひつ九か三。


「物、自分のものと思うのは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、くどう申してあるのにまだわからんか。行い出来て、口静かにしてもらうと、何事もスラリと行くぞ、行が出来ておらんと、何かのことが遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。」
地上にあるもの全て神様のものであるぞ。正しい行いが出来て、無駄口をたたかなければ、全て上手くいくぞ。もし出来ないと仕組が遅れ、遅れるだけ苦しみが多くなるぞということです。

「Θの国も、半分の所にはイヤなことあるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サァ今ざということになりたら、臣民の知らん働きさして、悪では出来ん手柄さして、なした結構なことかとビックリ箱あくのざぞ。」
日本の半分が焦土と化すということでしょう。元の神が「洗濯出来た臣民」に乗り移り、本人が知らない間に働かれ、本人が気が付いたらビックリ箱ということでしょう。

「天と地との親の大Θ様のミコトですることぞ、いくら悪神ジタバタしたとて手も出せんぞ、この世三角にしようと四角にしようと、元のこの方等の心のままぞ。」

「後から来た守護神先になるから、今の役員そうならんように神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つわかんことのないようにしてくれよ、今に恥ずかしいことになるぞ。」
後から来た守護神が先になるというのは、長く修業した方がそれだけ身魂が磨かれているからということでしょう。御用しているからといって、神示を理解できないでいると、それらの人に対して恥ずかしい思いをすることになりますよということです。

「元の大和魂の誠の身魂揃うたら、人は沢山なくてもこの仕組成就するのざぞ、と申してあろが、末代動かぬ世の元の礎築くのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな」
最低五十九柱でしたね。これだけで、仕組が成就するそうです。

「上は上の行い、中は中、下は下の行い、作法、あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。」
昔からの因縁と身魂の磨き具合で上、中、下の三段に分けられてあると書かれていましたね。それぞれの身分に応じ、礼儀、作法を守ってくださいよということです。


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キの巻 第8帖

今までのして来たことが、なるほど天地のΘの心に背いているということ心からわかりて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負っている身魂は、この世にはおいてもらえんことに規則決まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。
タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、立て直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ、立て直しとは元の世に、Θの世に返すことざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層なことであるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れてくれよ。
三月十一日、一二Θ。


「今までのして来たことが、なるほど天地のΘの心に背いているということ心からわかりて、心からお詫びして改心すれば、この先末代身魂をかまうぞ、借銭負っている身魂は、この世にはおいてもらえんことに規則決まったのざぞ、早う皆に知らしてやれよ。」
今までの行いを、心から改心しお詫びすれば、身魂を構って頂けるということです。メグリの取れていない借銭のある身魂は消されてしまうという規則だそうです。

「タテコワシ、タテナホシ、一度になるぞ、立て直しの世直し早うなるも知れんぞ、遅れるでないぞ。立て直し急ぐぞ、立て直しとは元の世に、Θの世に返すことざぞ、元の世と申しても泥の海ではないのざぞ、中々に大層なことであるのざぞ。上下グレンと申してあることよく肚に入れてくれよ。」
建て壊しの後、立て直しは即座に行われるそうです。神世の昔に返すことだそうです。上下が引っ繰り返るそうです。


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キの巻 第9帖

悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。この神示世界中に知らすのざ、今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、Θの規則通りにビシビシと出て来るぞ、世界一平に泥の海であったのを、修理固成(つくりかため)たのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、このΘΘ様、御手伝いでこの世のかため致したのであるぞ。
元からの龍体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、Θを見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。
天と地との御恩ということがΘの国の守護神にわかりておらんから、難儀なことが、愈々どうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ。臣民生まれ落ちたら、ウブの御水を火で温めて産湯を浴びせてもらうであろが、その御水はお土から頂くのざぞ、焚き火灯しは皆日の大Θ様から頂くのぞ、御水と御火と御土で、この世のイキあるもの、生きているのざぞ、そんなことくらい誰でも知っていると申すであろが、その御恩ということ知るまいがな。(一厘のところわかるまいがな。)
守護神も曇りているからΘΘ様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かすようでは誠の役員とは言われんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしているのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民腐ってしまうぞ、せわしく働けよ、
三月十一日、ひつ九のか三。


「悪いこと待つは悪魔ぞ、いつ立て替え、大峠が来るかと待つ心は、悪魔に使われているのざぞ。この神示世界中に知らすのざ」
時節は時の神が決めること、心勇むのは良いが、大峠を待ちわびるのは「我れ善し」の悪魔の心だぞということです。世界中にこの神示を知らせてくれ、世界の人民の中にも当然救われるべき民がいるぞということでしょう。

「今までは大目に見ていたが、もう待たれんから見直し聞き直しないぞ、Θの規則通りにビシビシと出て来るぞ」
いよいよ時節が到来しそうだから、待っている余裕がなくなって来ているぞということです。三、四月の決戦が始まっています。

「世界一平に泥の海であったのを、修理固成(つくりかため)たのは国常立尊であるぞ、親様を泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ、それで天にお昇りなされたのぞ。岩の神、荒の神、雨の神、風の神、地震の神殿、このΘΘ様、御手伝いでこの世のかため致したのであるぞ。」
親神様は、やはり「国之常立大神」でした。今は、地から天に昇られたようです。おそらくその後を継がれたのは「須佐鳴之大神」です。

「元からの龍体持たれた荒神様でないと今度の御用は出来んのざぞ、世界つくり固めてから臣民つくりたのであるぞ、何も知らずに上に登りて、Θを見下ろしているようで、何でこの世が治まるものぞ。」
これは、「足元に気づけよ」と同じですね。以前、頭上からの神の光を真上から受けると足元に影が差さないう話がありましたが、同時に、その足元に大恩ある神様がいらっしゃることを忘れるなということでもあるようです。

「天と地との御恩ということがΘの国の守護神にわかりておらんから、難儀なことが、愈々どうにもならんことになるのぞ、バタバタとなるのぞ」
天の神様だけ拝んで、地の神様が疎かになっているから、この窮地があるのだぞということです。

「臣民生まれ落ちたら、ウブの御水を火で温めて産湯を浴びせてもらうであろが、その御水はお土から頂くのざぞ、焚き火灯しは皆日の大Θ様から頂くのぞ、御水と御火と御土で、この世のイキあるもの、生きているのざぞ、そんなことくらい誰でも知っていると申すであろが、その御恩ということ知るまいがな。(一厘のところわかるまいがな。)」
水は土から、火は日から、水と火と土で生命をつないでいるが、そのご恩というのは、日の神様(火)、月の神様(水)以外にも土の神様から頂いているのだぞということでしょう。「(一厘のところわかるまいがな。)」と記載してありますが、これは違うと思います。「七厘」くらいでしょうか。(笑)

「守護神も曇りているからΘΘ様にも早うこの神示読んで聞かせてやれよ、世間話に花咲かすようでは誠の役員とは言われんぞ、桜に花咲かせよ。せわしくさしているのざぞ、せわしいのは神の恵みざぞ、今の世にせわしくなかったら臣民腐ってしまうぞ、せわしく働けよ、」
戦争は「大峠」に差し掛かっているので、神様も役員を鼓舞していらっしゃるのでしょう。


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2018年02月09日

キの巻 第10帖

山の谷まで曇りているぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、Θなき所愈々だぞ。ひどいことあるぞ、Θがするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。一日一日延ばして改心さすように致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、Θは愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。
家内和合出来んようでは、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主坊主臭くてはならんぞ。
三月十三日、一二Θ。


「山の谷まで曇りているぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、Θなき所愈々だぞ。ひどいことあるぞ、Θがするのでないぞ、臣民自分でするのざぞ。」
直接的には、硫黄島、沖縄の火炎放射と広島、長崎の原爆のことでしょう。現代では、核戦争のことだと思われます。今、北朝鮮による核攻撃という危機があります。一部には、話し合いで解決をという声もありますが、話し合いの後は水爆と核拡散です。そこまで覚悟してのことであれば結構ですが、いずれにしても賢明な解決をして頂きたいものです。

「一日一日延ばして改心さすように致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、Θは愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。」
そうですね。73年間は長過ぎたような気がしますね。いろんな所からいろんなものが出て来ています。何より「大和心=魂」が失われ過ぎています。

「花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。」
花火とは、皆さんの心の中にある「花火」です。「九つ花」です。「一厘の仕組」です。

「家内和合出来んようでは、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからぞ、昼も夜もないのざぞ」
和合が大事ということです。まずは、夫婦、家族、親戚、友人、地域の住民、学校、職場、地方公共団体、国家、そして世界です。北朝鮮との「和合」はどう為すべきか。難しい問題です。

「坊主坊主臭くてはならんぞ。
これは何でしょうね。「坊主」とはお寺のお坊さんでしょうか、それとも子供のことでしょうか。いずれにしても、後ろ向きの考え方は捨てよということでしょう。



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キの巻 第11帖

一二三(ひふみ)とは限りなきΘの弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始めであるぞ、ケは終わりなき終わりであるぞ、Θの能(はたらき)が一二三であるぞ、始めなく終わりなく弥栄の中今(なかいま)ぞ。一二三はΘの息吹きであるぞ、一二三唱えよ、Θ人共に一二三唱えて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三はΘぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓い清めぞ、祓い清めとは弥栄ぞ、Θの息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。一(ヒ)であるぞ、二(フ)であるぞ、三(ミ)であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、渦右巻き小.jpg(渦)であるぞ、渦右巻き.jpg(渦)であるぞ。皆の者に一二三唱えさせよ、五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、イロハ(いろは)ぞ、わかりたか。
三月十四日、ひつ九ノか三。


「一二三」(ひふみ)の重要性は良く分かります。限りなき神の弥栄、始めなく終わりなく弥栄の中今です。突然「ケ」が出て来るようですが、ひふみ祝詞「ヒフミヨイムナヤ..............ホレケ〜」の最後のケです。

「一二三はΘの息吹きであるぞ、一二三唱えよ、Θ人共に一二三唱えて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三はΘぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓い清めぞ、祓い清めとは弥栄ぞ、Θの息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。」
ひふみが全てです。

「一(ヒ)であるぞ、二(フ)であるぞ、三(ミ)であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、(渦)であるぞ、(渦)であるぞ。」
最初からと、最後から。言霊が、渦を巻いている状態を想像してください。右回りです。左回りです。

「皆の者に一二三唱えさせよ、五柱御働きぞ、八柱十柱御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、イロハ(いろは)ぞ、わかりたか。」
五十連は「あいうえお」五十音、イロハは「いろは」四十七音です。言霊です。
(「あおうえい」もあります)


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キの巻 第12帖

見苦しき霊(たま)には見苦しきものうつるぞ、それが病の元ぞ、見苦しき者に、見苦しきタマ当たるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気つけておいたのぞ。Θの試しもあるなれど、所々に見せしめしてあるぞ、早う改心してくれよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ。鎮魂(みたましずめ)には神示読みて聞かせよ、三回、五回、七回、三十回、 五十回、七十回で始めはよいぞ、それでわからぬようなればお出直しで御座る。
三月十五日、ひつ九のか三。


「見苦しき霊(たま)には見苦しきものうつるぞ、それが病の元ぞ、見苦しき者に、見苦しきタマ当たるぞ、それで早う洗濯掃除と申してくどう気つけておいたのぞ。」
汚れた身魂には、魔がうつり、病気になり、鉄砲の弾が当たるということです。

「Θの試しもあるなれど、所々に見せしめしてあるぞ、早う改心してくれよ、それが天地への孝行であるぞ、てんし様への忠義であるぞ。」
神の「お試し」ということも「見せしめ」ということもあるとのことです。「改心」が大事だということです。

「鎮魂(みたましずめ)には神示読みて聞かせよ、三回、五回、七回、三十回、 五十回、七十回で始めはよいぞ、それでわからぬようなればお出直しで御座る。」
三五七というのが、神様のリズムだそうです。それで、三、五、七、三十、五十、七十なのでしょう。


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キの巻 第13帖

世に落ちておいでなさる御方、御一方、竜宮の乙姫殿、御守護あそばすぞ、この方、天晴れ表に現われるぞ、これからは神徳もらわんと一寸先へも行けんことになったぞ、御用さしてくれと申しても、メグリある金は御用にならんぞ、メグリになるのぞ。
自分の物と思うのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護神、九分九厘まで天の賊ぞ。偉い人愈々とんでもないことになるぞ、捕らわれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれどその時では遅い遅い。おかみも一時は無くなるのぞ、一人一人何でも出来るようになりておりてくれと申してあること近うなりたぞ、
火の大Θ気つけてくれよ、どえらいことになるぞ。一厘のこと言わねばならず、言うてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりてくれよ、Θたのむのざぞ。
三月十六日、ひつ九ノか三。


「世に落ちておいでなさる御方、御一方、竜宮の乙姫殿、御守護あそばすぞ、この方、天晴れ表に現われるぞ」

「竜宮の乙姫」は、「玉依姫」(たまよりひめ)です。豊玉姫の妹(海神の娘)や、賀茂別雷神の母など同じ名前の神様がいらっしゃるのですが、ここでは「豊玉姫の妹(海神の娘)」のことのようです。神武天皇の母親でもあります。「世に落ちておいでなさる御方」という表現が気になりますが、もし「活玉依毘売」ということであれば「瀬織津姫」ということにもなります。神武天皇の義母にあたりますから、その可能性もあります(古事記、日本書紀のゴマカシの一つとして)。少なくとも、「菜々緒」さんでないことだけは確かです。(笑)

「これからは神徳もらわんと一寸先へも行けんことになったぞ、御用さしてくれと申しても、メグリある金は御用にならんぞ、メグリになるのぞ。」
金では何も解決しない、神徳こそ必要とのことです。

「自分の物と思うのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護神、九分九厘まで天の賊ぞ。偉い人愈々とんでもないことになるぞ、捕らわれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれどその時では遅い遅い。おかみも一時は無くなるのぞ、一人一人何でも出来るようになりておりてくれと申してあること近うなりたぞ」
前から気になっているのが「天の賊ぞ」という言葉なのですが、「天皇族ぞ」とも読めるんですよ。天皇ご自身は、昭和天皇も平成天皇もそして次の徳仁親王も立派な方々なので、「天皇陛下を利用して私腹を肥やす人達」という意味なのかもしれません。ABC級戦犯の方々が戦後処罰されたことは既にお話しました(本当はもっと悪いのに処罰されなかった方々も沢山おられます)。アメリカの占領下におかれ国家としても一度は無くなりました。戦後の困窮も筆舌に尽くしがたいものがあったと思います。

「火の大Θ気つけてくれよ、どえらいことになるぞ。一厘のこと言わねばならず、言うてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりてくれよ、Θたのむのざぞ。」
これは明らかに、広島、長崎の原爆のことを言っていますね。「一厘の仕組」も原子またはクオークの核融合のことだと思われますので、言ってはならず、言わねばならずということなのかもしれません。


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キの巻 第14帖

三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意して
どんなこと起こってもビクともせんように心しておいてくれよ、心違うているから、臣民の思うことの逆さばかりが出てくるのざぞ、九月八日の仕組、近づいたぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り、ことごとく弥栄へ戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。
一時はこの中も火の消えたように寂しくなってくるぞ、その時になっておかげ落とさんようにしてくれよ、Θの仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。
三月十七日、ひつ九か三。


「三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから、更に用意して
どんなこと起こってもビクともせんように心しておいてくれよ」
この三月三日は昭和20年4月14日(または4月15日)、五月五日は昭和20年6月14日(または6月15日)です。
近い出来事としては、4月15日ソ連軍によるベルリン攻撃開始、 6月 21日アメリカ軍による沖縄の占領となっています。

「心違うているから、臣民の思うことの逆さばかりが出てくるのざぞ」

「九月八日の仕組、近づいたぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り、ことごとく弥栄へ戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ」
九月八日は昭和20年10月13日(または10月14日)です。近い出来事としては、10月15日に治安警察法・治安維持法廃止、参謀本部・軍令部廃止がありました。戦争が終わっていなかったら、世界中の戦争が尽き果てるような何か重大な出来事があったのかもしれません。

「一時はこの中も火の消えたように寂しくなってくるぞ、その時になっておかげ落とさんようにしてくれよ」
この中というのは天之日津久奉賛会でしょうか。戦争が迫って来ると疎開や徴兵で人が少なくなってくるということでしょう。

「Θの仕組愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。」
年内に混乱は終わり、年が明けて春になると神の仕組が完成するということでしょう。


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2018年02月10日

キの巻 第15帖

誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道、
三月十九日、ひつ九のか三。


「誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ」
神が真実を言えば、耳に痛く拒絶反応を示すであろうが、自分では自覚しない汚れがあるぞということです。

「今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ」
最後の審判は一人一人に対するものだから、家族といえど同じではないぞ。一家揃って、国民揃って神国行きになるよう努力してくださいよとのことです。

「メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。」
メグリは皆で分け合って、神様にお詫びすることで、借銭なしに出来るようです。

「この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道」
とにかく、一番重要なのは、「あなない=和」ということですね。


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キの巻 第15帖

誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ、今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道、
三月十九日、ひつ九のか三。


「誠申すと耳に逆らうであろが、その耳取り替えてしまうぞ、我にわからんメグリあるぞ」
神が真実を言えば、耳に痛く拒絶反応を示すであろうが、自分では自覚しない汚れがあるぞということです。

「今度は親子でも夫婦でも同じように裁くわけには行かんのぞ、子が天国で親地獄というようにならんようにしてくれよ、一家揃うて天国身魂となってくれよ、国皆揃うてΘ国となるようつとめてくれよ」
最後の審判は一人一人に対するものだから、家族といえど同じではないぞ。一家揃って、国民揃って神国行きになるよう努力してくださいよとのことです。

「メグリは一家分け合って、国中分け合って借銭なしにして下されよ、天明(岡本天明)代わりに詫びしてくれよ、役員代わりて詫びしてくれよ。」
メグリは皆で分け合って、神様にお詫びすることで、借銭なしに出来るようです。

「この神示肚に入れておれば、どんなこと出て来ても、胴すわるから心配ないぞ、あなない、元津神々人の世ひらき和し、ことごとくの神人満つ道、勇み出で、すべてはひふみひふみとなり、和し勇む大道」
とにかく、一番重要なのは、「あなない=和」ということですね。


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キの巻 第16帖

元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道満つ。神々満ち、え(笑)らぎ百千万のよきこと極む。いよいよとなり、何もかも百千(ももち)とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々えらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。世に光る神々の大道、神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る、弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。
三月二十日、ひつ九のか三。


「元津神代の道は満つ、一時は闇の道、ひらき極み、富士の代々、鳴り成るには弥栄に変わり和すの道、道は弥栄。」
和の道は、一時的には「闇」となろうと、道は開き、極み、弥栄となる。

「ひふみ道出で睦び、月の神足り足りて成り、新しき大道満つ。神々満ち、え(笑)らぎ百千万のよきこと極む。」
ひふみの道は、睦み合い、月の神満ちたりて、新しい大道が達成される。百千万の神々は楽しく笑い満ち足りる。

「いよいよとなり、何もかも百千(ももち)とひらき、道栄え道極み進み、道極み真理の真理極む。元の光の神々えらぎ、更に進む世、和合まずなりて百(もも)の世極みなる。」
草木を始め何もかも様々に解き放たれ、進み、極み、さらに進み、極み、真理の真理を極める。元の光の神々も楽しく笑い、さらに世は進み、和合し、諸々の世が極まっていく。

「世に光る神々の大道、神々ことごとにえらぎて大道いよいよ展き進みて、大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る」
世に光る神々の大道は、神々を悉く笑い喜ばせ、さらに進展して、「大真理世界」の三つ(上、中、下)は一と和し、真の愛の世が極み来たる。

「弥栄の代の神、人、神人わけへだてなく光り輝き、道は更に極みの極みに進み動き、ありとあることごとくの成り結び、更に新しく更に極むるの大道、神代歓喜の代々。」
弥栄の世では、神、人の隔てがなく全て光り輝き、道はさらに極みの極みに進み、ありとあらゆるものが悉く和し、その大道は、さらに新しく、さらに極まる。神世は歓喜に包まれる。


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キの巻 第17帖

すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我れ善しざぞ、今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが、身魂相当の御用致しているのざぞ。
仕事しながら神示肚に入れて行けば仕事段々変わるのざぞ、神示声立てて読むのぞと申してあること忘れるなよ、その上で人にこの道伝えてやれよ、無理するでないぞ。我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、Θの息吹にとけ入るのざぞ、御稜威(ごみいづ)にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹きぞ、ミミに知らすぞ、言わねばならぬから、一二三として、息吹として知らすぞ。神示よく読めばわかることぞ、神示読めよ、読むと神示出るぞ、この巻は「キの巻」と申せよ。富士は晴れたり世界.jpg(せかい)晴れ、岩戸あけたり世界.jpg(せかい)晴れぞ。
三月二十日、ひつ九ノか三。


「すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我れ善しざぞ」
世界中何処にいても逃げられないそうです、その時が来たら、潔くあきらめましょう。

「今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが、身魂相当の御用致しているのざぞ。」
過激ですね。仕事に悪も善もないそうです。身魂相当の御用だそうです。

「仕事しながら神示肚に入れて行けば仕事段々変わるのざぞ」
ああ〜、良かった。神示が肚に落ちれば、ひとりでに仕事が変わっていくそうです。

「神示声立てて読むのぞと申してあること忘れるなよ、その上で人にこの道伝えてやれよ、無理するでないぞ。」

「我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、Θの息吹にとけ入るのざぞ、御稜威(ごみいづ)にとけ入るのざぞ」
神の息吹、ご威光に溶け入るのだそうです。

「愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹きぞ、ミミに知らすぞ、言わねばならぬから、一二三として、息吹として知らすぞ。」
これまでの「日月神示」(ひつく神示)から「一二三神示」(ひふみ神示)となるようです。何が違うかといえば、これまでは人の解釈が入っていましたが、それが神からの直接の啓示に変わるということでしょう。

「神示よく読めばわかることぞ、神示読めよ、読むと神示出るぞ」

「富士は晴れたり(せかい)晴れ、岩戸あけたり(せかい)晴れぞ。」
この「世界」の記号は〇の中に十です。島津藩の紋です。島津とユダヤを関連づける向きもありますが、どうでしょう。(笑)
単純にキリスト教を始めとする世界の宗教との統一を意味する象徴としての記号だと思われます(因みにお寺の卍も鍵十字という十の一種です。ナチスとは傾きも方向も違うのでご注意のほど)。

しかも、これは、身魂の〇と十だけですから完成形ではないのです。十が回転すると米になります。さらに回転すると十六弁菊花紋となります。さらに、さらに回転して行きますと渦になります。その状態がΘとなるのです。


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