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2018年02月03日

磐戸の巻 第4帖

この方、この世の悪神(あくがみ)とも現われるぞ、闇魔とも現われるぞ、悪と申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来ているのにキづかぬか、その日その時裁かれているのざぞ、早う洗濯せよ、掃除せよ、岩戸いつでも開くのざぞ、善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善と立て別けて、どちらも生かすのざぞ、生かすとはΘのイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのざぞ。
この道理よく肚に入れて、Θの心早う汲み取れよ、それが洗濯ざぞ。
一月二日、Θのひつ九のか三。



「Θのひつ九のか三」は閻魔大王として善悪の審判を下す存在でもあるそうです。しかも常時裁いているそうです。

気になるのは次の文章です
「善の御代来るぞ、悪の御代来るぞ。悪と善と立て別けて、どちらも生かすのざぞ」
以前「悪でない悪と善でない善」のお話をしました。しかし、この文はさらに進み、「善の世界」と「悪の世界」二つに立て別けるとあります。つまり、善の魂は善の世界に、悪の魂は悪の世界にそれぞれ行くことになるようです。今までは「内面」の善と悪の鏡の裏表だったものが、「善の世界」と「悪の世界」の鏡の裏表になります。善の世界の住人は良いですが、悪の世界の住人は大変なことになります。なんせ周りが皆悪人なんですよ。我慢できますか?

「生かすとはΘのイキに合わすことぞ、イキに合えば悪は悪でないのざぞ。この道理よく肚に入れて、Θの心早う汲み取れよ、それが洗濯ざぞ。」
悪神のイキに合うと悪も悪でなくなるということでしょうか。それとも、悪の世界であっても、善神にイキを合わすと悪でなくなるということでしょうか。哲学的で難しいですね。


posted by mydears at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 磐戸の巻
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