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2018年02月05日

磐戸の巻 第13帖

コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。
Θの国はΘ(もと)のΘの血筋の混じり気のないミタマで、末代世治めるのぞ。
何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。
上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我れ善しざぞ。
今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、Θ魂(かみたましい)の臣民でないとΘの国には住めんことになるのざぞ。
この世治めるのは地(ち)の先祖の生Θの光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりてまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。
Θは一時は菩薩とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。
大国常立尊大神と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、Θ(もと)のΘ(日本)のΘ(神)の光クッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。
早う洗濯せんと間に合わんぞ。
この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思うているとグレンざぞ。
神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。
この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に努め上げてくれよ。逃げ道作ってはならんぞ、二つ三つ道作ってはならんぞ。まっすぐにΘの道に進めよ。Θの道は一筋ぞと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。
世界の片端浜辺から愈々が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、Θの国はΘのやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやり方違っていたから、Θのお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。
何もかもΘに捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それがΘ国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。Θ国の政治経済は一つぞと申してあろがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でもΘ様に捧げるのぞ、Θの御社は幸で埋もれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。Θから分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトのΘの世になるのぞ。Θの世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札のようなものざぞ。わかるように申すなら、Θの御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真のマツリの一(はじめ)ざぞ。
このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな。
一月十三日、Θの一二か三。


「コト違うから、精神違うから、違うことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。Θの国はΘ(もと)のΘの血筋の混じり気のないミタマで、末代世治めるのぞ。何事も末代のことであるから、末代動かん世に定めるのざから、大望であるぞ。上の守護人、このままで何とかかんとか、行けるように思うているが、その心我れ善しざぞ。今度は手合わして拝むばかりでは駄目ざと申してあろが、今度は規則決まりたら、昔より難しくなるのざぞ、曲げられんことになるのざぞ、Θ魂(かみたましい)の臣民でないとΘの国には住めんことになるのざぞ。」
日本は、混じりけのない日本人の血統で治めるそうです。大和魂の臣民でないと日本には住めないそうです。それ以外の方も、日本以外に七つの国があるのでご安心ください。同じような精神の人毎に国を作るようです。

「この世治めるのは地(ち)の先祖の生Θの光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでも混じり気ありたら、先になりてまた大きな間違いとなるから、洗濯々々とくどう申しているのぞ。」

「Θは一時は菩薩とも現われていたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現わしてバタバタに埒(らち)つけるのざぞ、今の学ある者、大き取り違い致しているぞ。」
八幡大菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩などでしょう。神仏習合、廃仏毀釈、国家神道など勝手なことをぬかしてるんじゃないということでしょう。

「大国常立尊大神と現われて、一時は天も構い、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、Θ(もと)のΘ(日本)のΘ(神)の光クッキリ現わさなならんと仰せあるぞ。早う洗濯せんと間に合わんぞ。」
今回の立て替えの主役「国常立尊大神」がいよいよのご登場のようです。

「この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思うているとグレンざぞ。」

「神も仏もキリストも何もかもスッカリと救わねばならんのぞ、殺して救うのと、生かして御用に使うのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔の因縁ざぞ。」
いやいや、激しいですね。昔の因縁って何でしょう。もしかして、「Θの一二か三」は坤の金神「豊雲野尊」でしょうか。

「この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構に努め上げてくれよ。逃げ道作ってはならんぞ、二つ三つ道作ってはならんぞ。まっすぐにΘの道に進めよ。Θの道は一筋ぞと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ。」

「世界の片端浜辺から愈々が始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどいようなれど、さっぱりと洗濯してくれよ、Θの国はΘのやり方でないと治まらんから、今までの法度(はっと)からコトから、やり方変えて、今まではやり方違っていたから、Θのお道通りに致しますと心からお詫びせねば、するまで苦しむのざぞ、その苦しみは筆にも口にもないようなことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申しているのざぞ。」
やはり、世界規模の津波から始まるようです。筆舌に尽くしがたい苦しみだそうです。逆に言えば、今までのやり方を反省し心からお詫びすれば大惨事から救われるということでしょうか。

「何もかもΘに捧げよ、てんし様に捧げよと申してあろがな、それがΘ国の民の心得ぞ、否でも応でもそうなって来るのざぞ。Θ国の政治経済は一つぞと申してあろがな、今の臣民にわかるように申すならば、臣民働いてとれたものは、何でもΘ様に捧げるのぞ、Θの御社は幸で埋もれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光の町となるのざぞ。Θから分けて下さるのざぞ、その人の働きによって、それぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝、徳相当に集まるのざぞ、金は要らんと申してあろがな、元の世になるまでにそうしたことになって、それからマコトのΘの世になるのぞ。」
神中心の共産主義ですね。人中心の共産主義はご存じの通り悲惨な結果となりました。

「Θの世はマツリあるだけぞ、それまでにお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札のようなものざぞ。わかるように申すなら、Θの御社と臣民のお役所と市場と合わしたようなものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、真のマツリの一(はじめ)ざぞ。」
お宝は無料パスのようなものみたいですね。(笑)

「このことよく肚に入れて、一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心さして、勇んで暮らすようにしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、寂しくなったら訪ねて御座れと申してあろがな。」
この守護人殿は、政府や地方の役人のことのようですね。

神様が仕切られるのであれば、生産量・漁獲量の調整も楽々でしょうから、上手く行くでしょうね。
サボることも出来ませんしね。(笑)


posted by mydears at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 磐戸の巻
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