2018年02月04日
磐戸の巻 第9帖
富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。
天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。
この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。
長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。
米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。
命あると申して油断するでないぞ。
この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。
一月十一日、Θのひつ九Θ。
「富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。」
火と水による大掃除ですね。地球規模の大惨事ですから、いくら欲張りでも人類絶滅の危機を招いてでも我を通すことはしないでしょう。
「天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。」
本当の神は誰にでも憑かるわけではなく、また、憑かった場合においても、人の口を借りて話すということはしないそうです。すぐに何でも出来るというわけでもないようです。
次からの文章は現代への警告です。
「この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。」
戦争は終わりましたが、アメリカの支配下のもと箸の上げ下ろしまで管理され、今や第2回目の東西冷戦を迎えようとしています。C国やK国の浸食を受け、戦後70年ジリジリと日本の独立国家としての存在を希薄化しています。
「米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。」
単純に読めば、食糧、弾薬のことですが、現代に置き換えると、「米国あると油断するな。大和魂あると油断するな。命あると油断するな」となります。
個人的には、日本という枠組みを捨て、米国、日本、インド、オセアニア、アジア諸国の「インド太平洋大連邦国家」の建設が平和の礎になるのではないかと思っていますが、日月神示の神様のご意思にはそぐわないでしょうね。(苦笑)
「この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。」
辰の年は、申から始まる子年真中の9番目の年です。最終一歩手前の「九の花」の年となります。
天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。
この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。
長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。
米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。
命あると申して油断するでないぞ。
この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。
一月十一日、Θのひつ九Θ。
「富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それまでにΘの国の臣民改心しておらぬと気の毒出来るぞ。」
火と水による大掃除ですね。地球規模の大惨事ですから、いくら欲張りでも人類絶滅の危機を招いてでも我を通すことはしないでしょう。
「天狗や狐は誰にでも憑かりてモノ言うなれど、Θは中々にチョコラサとは憑からんぞ、善き代になりたらΘはモノ言わんぞ。人がΘとなるのざぞ、このΘは巫女や禰宜(ねぎ)には憑からんぞ、Θが誰にでも憑かりて、すぐ何でも出来ると思うていると思いが違うから気つけておくぞ。神憑かりに凝るとロクなことないからホドホドにしてくれよ。」
本当の神は誰にでも憑かるわけではなく、また、憑かった場合においても、人の口を借りて話すということはしないそうです。すぐに何でも出来るというわけでもないようです。
次からの文章は現代への警告です。
「この道は中行く道と申してあろがな。戦済みたでもなく、済まぬでもなく、上げも下(おろ)しもならず、人民の智や学や算盤(そろばん)では、どうとも出来んことになるのが目の前に見えているのざから、早う神の申す通り素直に言うこと聞けと申しているのざぞ。長引くほど国はジリジリに無くなるぞ。」
戦争は終わりましたが、アメリカの支配下のもと箸の上げ下ろしまで管理され、今や第2回目の東西冷戦を迎えようとしています。C国やK国の浸食を受け、戦後70年ジリジリと日本の独立国家としての存在を希薄化しています。
「米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命あると申して油断するでないぞ。」
単純に読めば、食糧、弾薬のことですが、現代に置き換えると、「米国あると油断するな。大和魂あると油断するな。命あると油断するな」となります。
個人的には、日本という枠組みを捨て、米国、日本、インド、オセアニア、アジア諸国の「インド太平洋大連邦国家」の建設が平和の礎になるのではないかと思っていますが、日月神示の神様のご意思にはそぐわないでしょうね。(苦笑)
「この神示よく読めば楽になって、人々から光出るのざぞ、辰の年は善き年となりているのざぞ、早う洗濯してくれよ。」
辰の年は、申から始まる子年真中の9番目の年です。最終一歩手前の「九の花」の年となります。
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