2018年02月02日
日の出の巻 第20帖
この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。
これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。
Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。
皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。
何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。
この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。
改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。
三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。
見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。
この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。
末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。
十二月二十六日、一二Θ。
「この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。」
国之常立大神、伊邪那美大神、須佐鳴之大神を始めとする出雲系の国津神のことでしょう。臣民も農林水産業を始めとする国の礎となっている人々のことでしょう。
「これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。」
「Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。」
「皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。」
神も御魂のままで臣民の肉体がないと、力が出ないということです。特に世の元の生き通しの神十柱が大事だということのようです。
「何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。」
組織が出来るとどうしても人間の欲が出てしまうということでしょう。
「この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。」
「この方」一二Θは、オオカムツミの神や祓え戸の神としても現れるということですから、どうやら、国之常立大神のようです。何が原因で艮の金神として封じられたのかは分かりませんが、「慢心と取り違い」が最大の「我」であるようです。
「改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。」
計画はやはり変更されたようです。「多分、神を信じていれば最後に日本が勝つ」というようなことを役員方が広められていたのでしょう。
「今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。」
国家神道による天皇の現人神のことだと思います。天皇陛下はあくまでも祭司としての役割、人民は神の御心に従う存在にならないといけないということでしょう。
「吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。」
世のため人のために、身命を捧げる覚悟が必要ということでしょう。
「十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。」
「道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ」
身魂磨きが全てで、逃げ道はないそうです。
「足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。」
足元に影が出来ないようにしろということですね。チリチリ舞いは空襲や火炎放射器、原爆などを想起させますね。
「三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。」
この「三四」は何でしょう。残滓(ざんし)=残りかす、だとすれば固定観念にとらわれた余計な考えということでしょうか。
「見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。」
神様には見事なことでも、人間には恐いことです。大掃除する時は棚のもの下に置くというのは、神様が人間の肉体を借りて地上にいるとしても、人間の浅はかな考えで見下すなよということでしょう。
「この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ」
日本が真の臣民でありそれなりの魂も授けてあるので、まず、日本から掃除するぞということのようです。
「同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ」
「一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ」
「やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ」
この「天に一柱、地に一柱」は神様が隠されているので分かりません。「火(ヤ)にも焼けず水(ワ)にも溺れぬ元の種」ですから、ムとウでしょうか。武藤さんかもしれません。(笑)
「細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。」
「三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。」
やはり、国之常立大神ですね。紀元前千年頃、地に潜られたということのようです。ダビデ王、ソロモン王の時代です。
「末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。」
今、世界はゼロ1の時代に入りました。「末法の世」の入口なのかもしれません。
「オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ」
北にも西にも気をつけないといけません。ただ、いたずらに敵視するのではなく、上手に立ち回る必要があります。しっかり、舵取りをお願い致します。
「日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ」
前回は、ルーズベルト大統領の突然の死で親ロシアルートが遮断され、トルーマン大統領の下2つの原爆が落とされるなどの悲劇があったものの、国家としては最悪の道を歩まずに済みました。
次回は、その轍を踏まないよう、まず、開戦に至ることのないように外交を行って欲しいものです。
しかも、アジアが平和になったと思える時が一番危険な時だぞという警告もありました。
くれぐれも油断しないよう、細心の注意もお願い致します。
「日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。」
これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。
Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。
皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。
何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。
この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。
改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。
十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。
三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。
見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。
この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ、同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ、やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。
末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ、日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ、日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。
十二月二十六日、一二Θ。
「この度は世に落ちておいでなされたΘΘ様をあげねばならぬぞであるぞ、臣民もその通りざぞ、Θの申す通りにすれば何事も思う通りスラスラと進むと申してあろがな。」
国之常立大神、伊邪那美大神、須佐鳴之大神を始めとする出雲系の国津神のことでしょう。臣民も農林水産業を始めとする国の礎となっている人々のことでしょう。
「これからはΘに逆らうものは一つも埒(らち)あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でグレンざぞ。」
「Θの国はどうしても助けなならんから、Θが一日一日と延ばしていることわからんか。」
「皆の者がΘを軽くしているからお蔭なくなっているのざぞ、世の元の神でも御魂(みたま)となっていたのでは真の力出ないのざぞ。今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しのΘでないと間に合わんのざぞ。」
神も御魂のままで臣民の肉体がないと、力が出ないということです。特に世の元の生き通しの神十柱が大事だということのようです。
「何処の教会でも元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてしもうているのぞ、今の様は何ごとぞ。」
組織が出来るとどうしても人間の欲が出てしまうということでしょう。
「この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)ったΘざぞ、この世構うΘでも我出すと失敗るのざぞ、どんな力あったとて我出すでないぞ、この方がよい見せしめぞ。世界構うこの方さえ我で失敗ったのぞ、くどいようなれど我出すなよ、慢心と取り違いが一等気障(きざわ)りざぞ。」
「この方」一二Θは、オオカムツミの神や祓え戸の神としても現れるということですから、どうやら、国之常立大神のようです。何が原因で艮の金神として封じられたのかは分かりませんが、「慢心と取り違い」が最大の「我」であるようです。
「改心チグハグざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変わるぞ。今の役員、Θの道広めると申して我を広めているでないか、そんなことでは役員とは言わさんぞ。」
計画はやはり変更されたようです。「多分、神を信じていれば最後に日本が勝つ」というようなことを役員方が広められていたのでしょう。
「今まではΘが世に落ちて人がΘになりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上、臣民、臣民で下におらねばならんぞ。」
国家神道による天皇の現人神のことだと思います。天皇陛下はあくまでも祭司としての役割、人民は神の御心に従う存在にならないといけないということでしょう。
「吾が苦労して人救う心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は、吾の苦労で人助けねばならんのざぞ。」
世のため人のために、身命を捧げる覚悟が必要ということでしょう。
「十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間、鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、Θは日夜の苦労ぞ。」
「道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思うてはならんぞ」
身魂磨きが全てで、逃げ道はないそうです。
「足元から鳥立つと申してあろが、人民火がついてもまだ気づかずにいるが、今に体に火ついてチリチリ舞いせなならんことになるから、Θ、くどう気つけておくのざぞ。」
足元に影が出来ないようにしろということですね。チリチリ舞いは空襲や火炎放射器、原爆などを想起させますね。
「三四気つけてくれよ、Θの国はΘの力で何事も思うように行くようになりているのに、学や智に邪魔されている臣民ばかり、早う気づかぬと今度という今度は取り返しつかんぞ。」
この「三四」は何でしょう。残滓(ざんし)=残りかす、だとすれば固定観念にとらわれた余計な考えということでしょうか。
「見事なことΘがして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐いことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置くことあるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ。」
神様には見事なことでも、人間には恐いことです。大掃除する時は棚のもの下に置くというのは、神様が人間の肉体を借りて地上にいるとしても、人間の浅はかな考えで見下すなよということでしょう。
「この神はΘの国の救われること一番願っているのざぞ、外国人もΘの子ではあるが性来が違うのざぞ、Θの国の臣民が真のΘの子ざぞ、今は曇りているなれど、元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りてくれよ、依怙(えこ)のようなれど外国は後まわしぞ」
日本が真の臣民でありそれなりの魂も授けてあるので、まず、日本から掃除するぞということのようです。
「同じΘの子でありながらΘの国の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民にはわからんことであるぞ」
「一に一足す二でないと申してあろが、何事もΘの国からΘの民からぞ、洗濯も同様ざぞ。今度の御用外したら、いつになりても取り返しつかんことになるのざから、心して御用してくれよ」
「やり損い出来ないことになりているのざぞ。天に一柱、地に一柱、火にも焼けず水にも溺れぬ元の種、隠しておいてのこの度の大立て替えぞ、どんなことあっても人間心で心配するでないぞ」
この「天に一柱、地に一柱」は神様が隠されているので分かりません。「火(ヤ)にも焼けず水(ワ)にも溺れぬ元の種」ですから、ムとウでしょうか。武藤さんかもしれません。(笑)
「細工は流々(りゅうりゅう)、仕上げ見てくれよ、このΘはめったに間違いないぞ。」
「三千年地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間どの心配せずに、Θの申すよう素直に致して下されよ。」
やはり、国之常立大神ですね。紀元前千年頃、地に潜られたということのようです。ダビデ王、ソロモン王の時代です。
「末法の世とは地の上の大将の器無くなりていることざぞ。」
今、世界はゼロ1の時代に入りました。「末法の世」の入口なのかもしれません。
「オロシヤの悪と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神であるぞ。北に気つけてくれよ」
北にも西にも気をつけないといけません。ただ、いたずらに敵視するのではなく、上手に立ち回る必要があります。しっかり、舵取りをお願い致します。
「日本の国は結構な国で、世界の元の、真中の国であるから、悪神が日本を取りて末代の住居(すまい)とする計画で、トコトンの智恵出して、どんなことしてもするつもりで、いよいよを始めているのざから、よほど褌(ふんどし)締めて下されよ」
前回は、ルーズベルト大統領の突然の死で親ロシアルートが遮断され、トルーマン大統領の下2つの原爆が落とされるなどの悲劇があったものの、国家としては最悪の道を歩まずに済みました。
次回は、その轍を踏まないよう、まず、開戦に至ることのないように外交を行って欲しいものです。
しかも、アジアが平和になったと思える時が一番危険な時だぞという警告もありました。
くれぐれも油断しないよう、細心の注意もお願い致します。
「日本の上に立ちている守護神にわかりかけたらバタバタに埒あくぞ。早う改心してくれよ。」
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