2018年02月04日
磐戸の巻 第7帖
臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ、開いた口ふさがらんことになりて来るのざから、早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな、マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。
Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。
世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ、今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。
今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。
一月七日、Θのひつ九か三。
「臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ」
「早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな」
岩戸は、物理的なもので開くのではなく、魂の力で開くようです。また、魂の「戦」や「わざわい」は見当つかないぐらい怖いもののようです。
「マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。」
「右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ」
右に寄る人、左による人、それぞれの心が正しいと思っていることしか出来ないのだから、責めてはならないということです。ただし、真中(中道)を行くのが正しい道ということを忘れてはならないということです。
「今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。」
意味としては、これまでのような宗教的な組織・集団は、一方的に押し付けるだけで、しかも内輪だけで通じる教えであり、そのうち勝手に潰れてしまうということでしょう。
「この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。」
「今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。」
岩戸開きは序の口で、その後、本番が始まるそうです。
Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。
右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。
世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ、今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。
この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。
今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。
一月七日、Θのひつ九か三。
「臣民の戦や天災ばかりで今度の岩戸開くと思うていたら大きな間違いざぞ、戦や天災で埒(らち)開くような チョロコイことでないぞ」
「早うミタマ磨いて怖いもの無いようになっておりてくれよ、肉体の怖さではないぞ、魂の怖さざぞ、魂の戦や禍(わざわい)は見当とれまいがな」
岩戸は、物理的なもので開くのではなく、魂の力で開くようです。また、魂の「戦」や「わざわい」は見当つかないぐらい怖いもののようです。
「マツリ第一と申すのぞ、Θのミコト聞けよ、理屈は悪魔と申してあろが、Θのミコトに聞けよ、それにはどうしても身魂磨いてΘ憑かれるようにならねばならんのぞ。Θ憑かりと申しても、そこらに御座る天狗や狐や狸憑きではないぞ。マコトの神憑かりであるぞ。」
「右行く人、左行く人、咎(とが)むるでないぞ。世界のことは皆、己の心にうつりて心だけのことより出来んのざぞ、この道理わかりたか、この道は真中行く道とくどう申してあること忘れるなよ」
右に寄る人、左による人、それぞれの心が正しいと思っていることしか出来ないのだから、責めてはならないということです。ただし、真中(中道)を行くのが正しい道ということを忘れてはならないということです。
「今までのような宗教や教えの集団(つどい)は潰れてしまうぞ、Θが潰すのではないぞ、自分で潰れるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、配給は配給と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教えであるぞ。」
意味としては、これまでのような宗教的な組織・集団は、一方的に押し付けるだけで、しかも内輪だけで通じる教えであり、そのうち勝手に潰れてしまうということでしょう。
「この神の申すこと天の道ぞ、地の道ぞ、人の道ざぞ。」
「今度の岩戸開きの大望済みたとて、すぐに善いことばかりはないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、素直に、Θの申す通りにするのが何より結構なことざぞ。」
岩戸開きは序の口で、その後、本番が始まるそうです。
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