<本丸の石碑>
ここは本丸跡。石碑には瀧之城本丸之趾と刻まれています。
以下は所沢市ホームページからの抜粋です。
『柳瀬の城地区にある城跡で、台地の縁辺部を利用した多郭式平山城です。土塁・堀・櫓台が残り、本郭・二の郭・三の郭の内郭とそれらを囲む外郭で構成されています。内郭は大石氏が築造、北条氏と関係深い「障子堀(畝堀)」を確認したことから、外郭は後世に北条氏によって拡張されたと推測されます。
【所在地】所沢市城537番地ほか』
障子掘も備えた城だったのですね。
障子掘そのものは確認できませんが、立派な空堀が満載の城跡です。
<柳瀬川>
この川沿いを歩いて現地へ向かいました。城にとって天然堀だった柳瀬川です。この川を臨む比高20mほどの丘に滝の城があります
<城前橋>
こんな橋とも出会いました。城跡が近いことを実感した瞬間です
<城内からの眺め>
ここは急な崖を利用した山城。先ほどの柳瀬川が長年かけて侵食した地形ですね
<二の丸方面へ登る階段>
いい感じです。まぁ実際は階段はなかったのでしょう
<空堀>
更に感じです。鳥肌が立ちます
<空堀>
いい。所沢市ホームページの表現を部分的にお借りすると「折りを多用した中堀」です。
次の瞬間
また鳥肌が立ちました!
<土橋>
ここ土橋になっています。向う側の曲輪(本丸)への入り口。つまり虎口の跡ですね。なんと分りやすい遺構なのでしょう。
<四脚門跡>
こちらは先ほどの土橋を渡った先です。ここに虎口の門があったわけですね。門そのものは落城の時に焼失しましたが、所沢市による発掘調査で、門を設置した場所が特定されたそうです。この説明板によれば、引橋が掛けられていたとのこと。引橋とはつまり「いざとなったら橋板を取りはずして渡れなくすることができる橋」ですね。なるほど。それがこの場所に。豊臣軍の北国勢が押し寄せた時には、やはりとり外したのでしょうかね?勝手な想像が膨らみます。滝の城保存会さん、親切な説明ありがとうございます。
<三の丸跡>
こちらの説明板によれば、北条氏照が存城の時に家臣と茶を飲んだことから、別名「茶呑みくるわ」ともいうそうです。なんか名前がのんきですが、それだけコミュニケーションを大切にしたのでしょう。主要な城に庭園まで設けた北条氏らしい場所ですね。三の丸としては狭い気もしますが、茶会なら充分かもしれません(かなり個人的な感覚)。どんな会話をしたのでしょうね
滝の城そのものはもっと広範囲に及びますが、本丸周辺はざっとこんな感じになります。
最後に
<戦国滝の城まつりの幟>
毎年春に「戦国滝の城まつり」が開催されます。甲冑に身を包んだ武者行列も見ることもできるそうです。今回はフラっと来てしまいましたが、開催日に合わせてまた訪れてみますかね。一人で探索するのとは、また別の何かを感じることができるかもしれません。
つわものともが夢の跡
過ぎ去った人たちに思いを馳せれば、同じものが違った景色に映ります。
所沢市の城跡、とても充実した訪問となりました。
■訪問:滝の城
[埼玉県所沢市城]
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