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2021年03月13日

羽生城のなごり

つわものどもが夢の跡
今回は埼玉県羽生市の城跡です
<羽生城>はにゅうじょう
shirononagori520-Hanyu-Castle.jpg
上杉謙信の関東出兵において重要な拠点となった城跡です

■現地訪問■
私は羽生駅から徒歩で現地へ向かいました。その途上、こんな橋を渡りました。
<城橋>
Bridge-Hanyu.JPG
Castle-Bridge.jpg
なんとなく気分が盛り上がる名前です

もう少し進むと

<道しるべ>
Road-sign-Castle.jpg
ここに記載されている『羽生古城天満宮』がこの日のゴール。これもまた気分が盛り上がる名前です

<羽生城跡>
Hanyu-Castle (16).jpg
到着しました。羽生駅から20分くらいでしょうか。遺構らしい遺構は無いことを事前に聞いていましたので、何となく地形を意識しながらゆっくり歩いてきました。多少の起伏を除くと、駅からここまでほぼ平らな地形です。

<天満宮>
Hanyu-Castle-Shrine-front.jpg
城跡の天満宮

<史跡羽生城址>
Stone-monument-Castle-Hanyu.jpg
立派な石碑です

<説明板>
Map-Castle.jpg
石碑の隣には説明板。城の歴史と縄張り図が記されています。ちょっと見てみますかね

<羽生古城之図>
Map-Hanyu-Castle.JPG
ちょっと影で見にくいですが、雰囲気は伝わると思います。平らな低地の微高地に築かれた城だったのでしょう。埼玉県の平野にありがちですが、城は沼地に取り囲まれた浮き城のようです。いまでこそこの付近も整備されていますが、大昔は水郷だったのでしょう。そこに築かれた平城が今回訪問の羽生城ということですね。円状に設けられた曲輪の中央が本丸、西側が二の丸。右上(北東)の蓮池に面したところに建物が記されています。いま立っている場所があの位置と受け止めました。つまり、ここは本丸跡ではないということですね。

さて
羽生城の歴史について事前に知っていたことは、あの上杉謙信(当時は長尾景虎)が関東攻略の拠点とし、のちに小田原北条氏の配下に組み込まれたということだけです。現地の説明板で、もうちょっと詳しい情報を得ました。予習なしの訪問者にはありがたい説明です。折角ですので以下に抜粋させて頂きます(部分的に文字を省略していますがご容赦下さい。)

【羽生城のうつりかわり】
 西暦   主な事項
1540年代:広田直繁・木戸忠朝兄弟によって築城
1544年:古河公方(足利義氏)敗れ小田原北条氏の支配下になる
1560年:広田直繁・木戸忠朝 上杉謙信に属す
1561年:木戸忠朝 皿尾城(現在の行田市)に移る
     広田直繁 羽生城を守る
1570年:広田直繁 館林城に移る
     木戸忠朝 羽生城を守る
1574年:木戸氏上州の膳城に移り、羽生城北条氏に攻められ落城
     忍城の支城となる
1590年:大久保忠隣 羽生城主となり、1万石を領す
1614年:忠隣、徳川家康の不振を買い、城地は没収され羽生城も廃城となる

[出典:現地説明板]

築城者である兄弟、広田直繁木戸忠朝を中心に羽生城の歴史が紹介されています。あとで調べたことを補足すると、広田直繁が兄で、木戸忠朝が弟です。北武蔵において、忍城の成田氏と勢力争いをした木戸氏。弟が家督を継ぎ、兄は同じく北武蔵の地元豪族の広田氏を継いだようです(細かい事情まではわかりませんでした)。

つづいて
『古河公方敗れ小田原北条氏の支配下になる』ですが、兄弟は揃って古河公方に従っていましたが、その古河公方が北条氏に敗れてしまったことで、一度は城を奪われたということですね。しかし関東へ出兵する『上杉謙信に属す』ことで兄弟は羽生城を奪回。そのあと広田直繁は『館林城に移る』とありますので、謙信からよほど期待されていたのでしょう。館林城も謙信の重要拠点だったことで知られています。

上杉謙信と言えば、いうまでもなく現在の新潟県を本拠とした武将。関東出兵での拠点というと、私はまず前橋城(厩橋城)ほか群馬県の城を想像します。しかし今回訪問の羽生城は埼玉県です。山を越えて関東に入り、更に南下するための拠点ということでしょうか。南へ進むほど、小田原の北条氏と勢力が重なることになります。上杉謙信にとって、羽生城は関東攻略のための最前線の城のひとつだったのかもしれません。

説明板によれば、1574年に『羽生城北条氏に攻められ落城』となり、以降は北条配下の『忍城の支城と』なったようです。少しだけ補足すると、上杉対北条の争いが激化し、諸々の経緯を経たのち、羽生城は謙信の指示で破却され、木戸忠朝は城兵とともに群馬県の膳城に移されたそうです。

上杉謙信としては、守り切れない拠点を手放して、信頼できる木戸忠朝率いる兵力を温存したわけですね。木戸忠朝は討ち死にしてしまい、兵だけが膳城に移されたとする説もありますが、とりあえず前者を信じることにします。

<古城天満宮>
Hanyu-Castle-Shrine.jpg
Hanyu-Castle-Shrine-Main.jpg
Shrine-Hanyu-2.jpg
羽生城は上杉謙信が救援に駆けつける重要な城でした。遺構はなく、いまはかつての城の一部(天神曲輪跡)に天満宮が鎮座しています。この神社は藤原秀郷による創建に始まります。城主である木戸忠朝が古城天満宮と改称し、城の守護神としたと伝わります。

やがて戦国時代末期
豊臣秀吉による小田原征伐により、北条氏は滅亡。関東には徳川家康が入ります。羽生城は大久保忠隣(ただちか)に与えられました。忠隣は古くからの家康の家臣です。数々の戦で武功を立てるとともに、三方ヶ原で大敗を喫して敗走する時も、はたまた織田信長死後の伊賀越えの際にも、家康と同行していた武将です。家康から高く評価され、武蔵国羽生2万石を拝領しました。羽生城には城代がおかれ、徳森伝蔵らがつとめました。
大久保忠隣はやがて幕府の中核を担う存在となりますが、説明板にもある通り『1614年:忠隣、徳川家康の不振を買い、城地は没収され羽生城も廃城』となりました。老中や小田原藩主にもなった大物なんですがね。失脚の経緯はかなり複雑なため、今回は省略致します。

<羽生城のなごり>
Road-Castle (13).jpg
江戸初期まで城があったとは思えない景色ですが、ここには確かに武士の拠点がありました。三方を沼地で囲まれた天然の要害は、中世においては上杉謙信の戦略上の重要拠点、そしてそれに呼応する地元豪族の広田直繁・木戸忠朝兄弟の思いが込められた城でした。天満宮の境内であるがゆえに宅地化されなかった敷地に、微かながら城のなごりが漂います。

<つわものどもが夢の跡>
shirononagori520.JPG


--------■ 羽生城 ■--------
築城主:木戸忠朝
築城年:不明(1540年代)
改修者:広田直繁
    大久保忠隣
城 主:木戸氏 成田氏
    大久保氏
廃城年:1614年(慶長19)
[ 埼玉県羽生市東 ]

■参考及び抜粋
Wikipedia:2021/3/13
現地説明板



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タグ:埼玉
posted by Isuke at 23:15| Comment(4) | TrackBack(0) | 城跡[埼玉]
この記事へのコメント
与六さん
支城や館跡も?と思って与六さんの『古城巡り写真館』にお邪魔しました。大手はあの付近でしたか!そして周辺の情報も画像で紹介されていますね。なるほどです。私はふらっと行ってしまい、ちょっと勉強不足でしたwまた行ける機会があると良いのですが・・・
コメント頂きありがとうございます。
Posted by Isuke at 2021年03月29日 22:53
この城は何度なく、行きましたが明確な遺構は残ってません。しかし、周辺を歩くと城の痕跡の地名は多く残っています、又羽生城を本城とした支城や館跡も有りますよ!
Posted by 与六 at 2021年03月29日 06:16
うちださん
城跡巡りを始めた頃、本や雑誌より個人ブログが頼りだったので、自分もやってみようと思い当ブログを開設しました。最近は城跡以外のお話も増えていますがw
都内に通う埼玉県民ですので、どうしても東京と埼玉が多くなります。なかなか遠くへは行けませんね。

訪問頂きありがとうございました。
Posted by Isuke at 2021年03月18日 22:45
こんにちは!
お城巡りがメインのご趣味なんですね!
カテゴリも埼玉だけ単独になられているのが、私的には面白く思えました。
Posted by うちだ at 2021年03月17日 06:25
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