今回は岩槻城址に佇む2棟の城門の話です。
<裏門と黒門>
城のなごりをいまに留める岩槻城址公園には、かつて実際に使われていた2棟の門がひっそりと佇んでいます。手前が裏門。そして奥の方に見えるのが黒門とよばれるかつての城門です。
まずは岩槻城の裏門だったと伝わる門から
<裏門>
大手門に対するいわゆる搦手門だったのでしょうか。門の形式は薬医門です。さいたま市のホームページによれば『江戸時代の明和7年(1770年)に当時の岩槻城主大岡氏が建立し、文政6年(1823年)に補修の手が加えられた』そうです。市の有形文化財に指定されています。
<裏門の裏>
ちょっと裏から失礼します。かなり傷んでいるようですね。人により受け止め方は異なると思いますが、やや疲れているとはいえ哀れさのようなものは感じません。移築された門ですので、ここが本来の場所ではありません。
役割を終えて、静かに佇んでいる
そんなふうに受けとめました。
つづいて
<黒門>
こちらは黒門の名で親しまれ城門です。見ての通りで、黒く塗られていることからそう呼ばれているそうです。
現地説明板によれば、城郭のどの場所に設けられていたかは不明とのこと。ただ、さいたま市のホームページによれば『城内での本来の位置は不明だが、三の丸藩主居宅の長屋門の可能性が高いと思われる。』とのこと。市指定有形文化財(建造物)です。
<現地説明板>
埼玉県庁に移されて正門として利用された時期もあったようですね。
<長屋門>
こちらも裏から失礼します。左右に部屋がある長屋門のような構造です。あくまで個人的な感想ですが、城門としての威圧感のようなものは感じられません。
岩槻城は室町時代の末期から始まりますが、江戸時代も存続した近世城郭です。江戸から近いこともあり、譜代大名が城主を歴任する幕府にとっての重要拠点でもありました。
明治の廃城後、岩槻城は跡形もなく取り壊されてしまったので、建造物が残っているのは極めて稀なケースです。歴史を刻んだ貴重な遺構が、かつての出丸付近を整備した城址公園の一角で、今も静かに佇んでいます。
つわものどもが夢の跡
■訪問:
岩槻城裏門
岩槻城城門(黒門)
[埼玉県さいたま市岩槻区太田]3丁目
■参考:
さいたま市ホームページ
『文化財紹介 岩槻城裏門』
『文化財紹介 岩槻城城門(黒門)』
お城巡りランキング
タグ:埼玉