深い歴史が刻まれた名城・岩槻城の本丸跡を訪ねました
<本丸跡>
民家の塀に設置された本丸跡の証です。
<場所>
お隣はマミーマート。この付近一帯がかつての本丸でした。
<縄張り図>
[出典:岩槻城址公園説明板]
こちらが岩槻城の縄張り図です。岩槻城は室町時代末に築かれ、拡張や改修を繰り返しながら江戸時代も存続した城です。しかし明治の廃城以降は街の開発が進み、現在は曲輪の一部が城址公園として残るのみとなっています。
<マミーマート>
本丸跡には他の建物もありますが、ここが一番目立ちますね。裏には駐車場も確保され、まとまった敷地ですので、ここを本丸跡と思うことにします。
さて
縄張り図だと、本丸は水堀の役割を果たした沼に浮かぶ島のようなところだったようですね。遺構はありませんが、こういう時は地形を感じるようにしています。
<北側>
マミーマートの広い駐車場を抜けて北側へ移動しました。この付近から谷になるようです。
<高低差>
沼が埋め立てられ宅地化される前は、もうちょっと高低差があったのかもしれません。
<坂道>
別方向にも高い所から降る坂があります。複雑な地形を実感します。住所表記だと低い所も含めて『本丸』ということになります。現在の住所でいう『本丸』は実際の本丸跡より広範囲で、一部の高台を除けば、かつては概ね沼地だったのでしょう。
この付近はこの程度にして
次に南側へ移動することにしました。方向でいうと現在の岩槻城址公園へ向かうことになります。
<下り坂>
もしかしたら気付かないうちに二の丸を通過していたのかもしれませんが、とにかく低い方へ向かって進みました。
<暗渠>
この付近の水が集まるところというサインですね。つまり一番低い場所
<暗渠の行先>
岩槻城址公園へ到着です。
<かつての沼>
ここは曲輪跡ではなくかつての沼の底。本丸や二の丸といった主郭部分と、出丸である新曲輪の間の沼です。私は沼と表現していますが、これを『濠』とみなすと、国内の城では最大級の水堀だったことになります。
<沼の底>
公園内のこの水路は先ほど見た暗渠と繋がっています。
ということで
今回は本丸跡を訪ね、遺構はないのでその北側と南側の低地、つまりかつての沼を実感するために歩いたという内容でした。
<本丸跡>
つわものどもが夢の跡
■訪問:岩槻城本丸跡
[埼玉県さいたま市岩槻区本丸]3丁目
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再訪したところ、本丸跡はリニューアル工事中でした。
<2024年2月撮影>
本丸跡の象徴だったマミーマートは、2023年12月8日をもって営業を終了しました。オープンは2003年12月9日だったとのこと。ちょうど20年で幕引きとなったわけですね。敷地が今後どのように活用されるのかは分かりませんが、ここが岩槻城本丸跡であることは変わりません。また様子を見に訪問しようと思います。
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