<参道>
■太田諏訪神社■おおたすわじんじゃ
<鳥居>
<拝殿>
こちらは岩槻区太田の諏訪神社です。屋根が大きいですね
<説明>
こちらの説明によれば『17世紀前半の建築的特徴』を残す貴重な神社建築とのこと。市の有形文化財に指定されているようです。
<説明>
軍神として崇拝されていた諏訪神を、江戸時代初期に岩槻城主となった阿部正次が勧請したことに始まるとのこと。戦国時代ではなく、江戸時代になってからのお話のようですね。戦の世が終わりを告げたといっても、当時はまだ、一定の緊張を保っていた。その証でしょうか。ここは岩槻城のすぐ南側の台地です。万が一に備えて、軍神を祀ったのだと受け止めることにします。
また『北方に鎮座する久伊豆神社と同様、鬼門除けとして創建されたものと思われる』とあります。他の場所にも言えることですが、陰陽道が城や町造りに及ぼす影響は大きいですね。
この付近はかつての武家屋敷が集まっていた場所です。家臣たちの身近な祈願所でもあったのでしょう。
■諏訪神社から新曲輪へ■
拝殿の向かって左手、細い道があるの分かりますでしょうか?私のようなよそ者には何となく立ち入り禁止に映りますが、向こう側へ通り抜けすることができて、そのまま岩槻城址公園へ繋がります。
小径に入って振り返るとこんな感じです。緩やかな下り坂ですので、諏訪神社が高台にあることを実感できます。
<高低差>
台地から低地へ
<グラウンド>
下りきったところで撮影したグラウンドです。ここは低湿地だったところですね。
<地図>
[出典:岩槻城址公園説明板]
この図だと諏訪神社は左下の方ですね。新曲輪方面に進んでいるので、低い場所へ降り、かつては堀があったところを通過していくような感じになりますかね。
<新曲輪>
通ってきた小径は、低い場所では台地をかすめるように続いています。その台地上に登ってみると、こんな感じです。岩槻城の新曲輪の一部ですね。
<高低差>
高台から岩槻城址公園の入口が見えています。この高低差は堀切の跡でしょうか?
右手がいま通ってきた高台。左手が城址公園です。見た瞬間、この道は堀切の跡であろうと思いました。ところが、あとから調べたら、単純に道路を通すために台地を削っただけとのこと。雰囲気だけで思い込んでしまいましたが、勘違いでした。まぁよく考えたら、公園側はかつての沼です。ここでわざわざ堀切を設ける必要はありませんね。
ということで
諏訪神社とその脇の小径のご紹介でした。小径を通る人の楽しむきっかけになれば嬉しいです。
<岩槻城址公園>
■訪問:太田諏訪神社
[埼玉県さいたま市岩槻区太田]
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