<新曲輪橋>
あれ、こんな名の橋があったか
ここを通るのは初めてではないのですが、橋の名を意識したのは初めて。岩槻城の新曲輪跡を目指して歩いていたので、何となく微笑ましく感じてしまいました。親柱の人形もいいですね。岩槻は人形工芸でも知られる町です。そこへやってきたのだという実感が湧きます。
<元荒川>
橋から眺めた上流。岩槻城にとっての天然の堀です(左手が岩槻城)
<縄張り図>
[出典:岩槻城址公園説明板]
こんな感じの縄張りです。川の果たした役割は大きいですね。そして適所に配置された曲輪。岩槻城には七つの曲輪があったとされ、本丸から沼を挟んだ南側の部分は最後に整備されたことから、新曲輪と呼ばれたと伝わります。諸説ありますが、豊臣秀吉による小田原征伐(1590年)の際に、元荒川を渡る豊臣軍に備えるべく出丸として拡張されたと考えられています。この時の岩槻城主は、北条家第5代当主である氏直の弟・氏房でした。
地図の右手下に小さく見えている橋が現在の『新曲輪橋』です。ちょっと地図を拡大させて頂きますとこんな感じです。
ここまでくれば、もう岩槻城の新曲輪、そしてお隣の鍛冶曲輪はすぐそばです。
『新曲輪』の名を冠する橋。また、この付近の地名もかつては新曲輪町でした(現在は城町)。それらのなごりを感じさせる橋です。いいですね。
よくよく考えてみると、城好きなら普通に読めるこの『曲輪』という字、一般的には難解かもしれませんね。でも大丈夫。橋の親柱にはひらがなで刻まれています。
しんくるわはし
ということで
本日8月4日が『橋の日』ということで、最近よく行く岩槻の橋を紹介させて頂きました。拙ブログに最後までおつき合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:新曲輪橋
[埼玉県さいたま市岩槻区城町]
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