秩父の荒川沿いに位置する崖城を訪ねました。最初に言っておきます。訪ねたけれど、遺構にたどりつきませんでした。そんな失敗訪問記録で良ければお付き合い下さい。
<秩父の荒川>
目指した城跡はこの画像の右手の崖にあります。
■秩父の宮崎城とは■
宮崎城は現在の寄居町にある鉢形城の支城と考えられています。鉢形城と言えば、北条氏邦を思い出す方も多いのではないでしょうか?小田原北条氏当主・氏政の弟で、武勇に優れた戦国武将ですね。宮崎城はその家臣・黒澤民部の居城とされています。城は川と川の合流地点の台地に築かれたとのこと。地図を見ながら、その合流地点を目指しました。
■現地訪問記■(失敗訪問記)
最寄駅は秩父鉄道の大野原駅。下車して荒川方向へ向かいます。
<飛渕山 龍石寺 >
途中で立ち寄った龍石寺さん。曹洞宗のお寺です。
<地図>
秩父三十四ヶ所札所の第19番の龍石寺さんが現在位置。で、その北側に民部城跡と記載されています。これは宮崎城の別名。ここを目指します。
更に進むと
<滑沢>
この沢の先、そして荒川の手前が城跡になります。やや気持ちが高揚してきた瞬間でした。
沢は荒川との合流地点で大きくカーブし、長い年月をかけて深い谷を刻んできました。城はその断崖を利用して築かれました。ということは、この沢沿いを歩けばたどりつけるということですね。ただちょっと現実的に厳しく、道沿いに荒川方向へ進みました。
しかし
<ほぼ現地>
夏草や
つわものどもが夢の跡。滑沢と荒川の間ですから、ほぼこの辺りなのですが、これは参りました。何も見えません。ご先達の方々のブログを見る限り、どこかに土塁と空堀が確認できるはず。しかも良好な遺構と聞き及んでいます。しかしどこにも見当たりません。あるいは、接近する方法を間違えているのかもしれません。
ここまで来たのだから
ということで、私有地と思われる畑を避けながら荒川方向へ突撃です。
<崖>
向こう側は荒川。崖になっています。
<斜面>
崖城という言葉がピッタリの場所です。斜面に窪みらしき影を見つけ、竪堀かと期待したものの身動きとれず。崖をつたって行けば辿りつける?とも思いましたが、真夏の炎天下で既に汗だく。予期せぬ侵入者に虫や鳥が大騒ぎ。そしてなにより、運動不足のオッサンが足を滑らせないで崖を横移動する自信がありません。
ここまでか・・・
場所としては既に城跡にいるようです。ただ、その証として、なんとか土塁だけでも自分の目で確認したかったすね。残念です。
<土が盛ってある>
望遠で撮影。土塁?にも見えましたが、ここまで草に覆われると実感が湧かず。手前は私有地と思われましたので、これ以上は近づけませんでした。
<その他城跡>
主郭と逆側も見て回りましたが、発見は特になく
ということで、チャレンジはここまで。冬に来るべきでしたかね。他の方の写真を拝借するわけにもいかないので言葉で説明すると、まず天然堀である谷と逆方向に土塁と堀が設けられ、その土塁には虎口が、そして堀には土橋が確認できるようです。三方を崖で守られた小規模な砦という感じですが、遺構は貴重と言えるレベルなのではないでしょうか。
私は残念でしたが、ご興味のある方はチャレンジしてください。
<帰路>
荒川に架かる旧秩父橋
<橋の上から撮影>
中洲の右側手前付近が宮崎城跡です。見えませんが、ほぼ間違いないと思います。
以上です。
拙ブログに訪問頂き、ありがとうございました。
■訪問:宮崎城跡
[埼玉県秩父市大野原宮崎]
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