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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2013年09月26日
豊かな社会1
世の中、成長・成長とかまびすしい。長い長いデフレから脱却し、緩やかなインフレによって国民一人一人の所得が増えるところまで、経済規模の拡大が測れれば人々は安心してお金を消費に回し、景気が良くなる。また何処か(例えば企業の内部留保や国民の貯蓄)に滞留しているマネーも市場に出回ることになり、お望みの経済のパイも拡大し税収も上がり、40兆しかない税収に対して80兆超ものお金を使っている放漫家計を、縮小ではなく、今の規模のままでバランスをとる方向に近づけようと政府は腐心している。さらには近代の特徴である(自分だけは別にして、つまり自分たちだけはちゃっかり取り分を確保してから別の視線で見る)「客観主義」とやらで自分達の管理する
対象だけを分析して、何と国家予算の数倍にのぼる別会計の特殊法人群には目をつぶり、更にはその巨大な借金に匹敵する、国外に持つ投資や借款などの資産の有効活用に尽力することなく(最近首相が外遊でその対象の国々に対する経済交流を始めてはいますが、何と原発を売り込むなどという、本末転倒の活用には目を覆いたくなりますね。死の商人とかわりありません。)
財務省は、借金大国・借金大国と騒ぎ立て、国債の金利上昇という脅しで見事に、消費増税やむなしの「空気」を造りだすのに成功しています。なにも私は、消費税反対を言いたい訳ではありません。仮にですが、私達の思っているようにあまねくお金が回って、不満を口にする数が著しく減ったとしても、次に来るのは又、新たなる不満探しだと思うんです。(それでもやらないよりやった方がずっといい。そうですね私もそう思います。)
でもこの事だけは、知っていなければならない。こうすることで、私達が求めているものが、満たされるものなのかということです。多分私達が抱いている思いとは、誰もお金や物質に不自由することなくあまねく国民の懐が豊かになることだと思います。それが何が悪いとおっしゃる方もおられるでしょう。
悪くは無い(と思われるが・・・というのは「何かを得る」時必ず別の誰かが犠牲になっているものだからです)が、「見当違いだ」と。

これは「空気」の仕業ですね。先ほどの財務省の造り出している空気もそうですが、もっともっと根深い「空気」ですね。お金が無ければ始まらない。お金は人間を幸福にする。幸福とはそういうもの(裕福)だと皆が思う「空気」ですね。皆がそう感じている限り、「競争の魔」から脱却することはできません。

お金は三人称の世界です。ところが、人の幸福も不幸も二人称の世界なのです。

確かに「衣食足りて礼節を知る」というのはある意味真実でしょう。だからと言って、礼節とは人と人との、二人称の世界に入る入口に過ぎません。入るか入らないかはお金のすることではありません。私達はいつまでもこの入口の周りで、ぐるぐる回っているばかりなのです。入らないまま一生を終える人もいます。思い切って飛び込ませてくれるのは、三人称の「空気」では無く、二人称の「気」なのです。二人称とは、言いかえれば「私」が入った関係です。三人称とは何処にも「私」がいないで、冷静に周りを支配したり、管理したり、眺めたりの世界です。いつまで眺めていたって、幸福はやってこない、さあ思い切って二人称の世界へ!

「ここが、ロドスだ!ここで跳べ!」を言ってやりたいものです。㊟

それではその豊かな世界というのはどんな世界なのでしょうか。その前に言っておきますが、二人称の世界に入ったからといって、楽な道のりが待っているということではありません。満たされるか満たされないかは、「見かた」次第なんです。この世界に入ったからと言って相変わらず「お金」や「物」を武器にしている限り、何も変わりません。

私もそうでしたが、二人称の方法の一つである結婚という手段を選んだものの、やっていたことは「お金」を集めることしか眼中になく、家族の為と称して「心の凍る、震えあがるような恐怖」にも耐えて地位を守り、同僚や部下にも恨まれたり、褒められたりしたとしても、所詮、競争社会の中でのことであり三人称世界を生きていたに過ぎなかった事に気付くのです。その時既に、二人称の間柄を放ってあった家族や子どもたちの心に革命が起きていても、気付かないものなのです。
かくも、家族に限らず二人称の関係とは深く闇に閉ざされているんです。でもここに踏み込まなければ、人の心は死ぬまで満たされません。
人の「気」というものは栄養や「お金」や物質をいくら積み上げても育つものではありません。確かに最低限の心の栄養が無いと、「気」は研ぎ澄まされやせ細って、暴れます。それこそ心の向きを勝手に変えて、いじわるや「いじめ」をしたかと思えば、心が学校へ行かなければと思っても、どうしても行く「気」になれない「ひきこもり」になったりもします。
まさに、シェークスピア・マクベス夫人の「望みを遂げたが満足はない」状態なんですね。

話が逸れるのが悪い癖ですが、豊かな社会に戻りましょう。もうくどくど言いませんが、物質的に豊かというのは入口に過ぎず、必要なのは、先ほどの「気」や「心」やもっと深く掘り下げれば「たましい」が満たされる為の条件を整えてやる社会じゃないかと思うんです。
いじめや事故や、自殺者や、うつなどが減っていく(今は増えていますね)社会こそ豊かな社会なんじゃないかと・・・。声の大きい、力の強い、金のある、組織に属する人たちの声ばかりが通る(つまり、やる側の論理にみな立ちたがり、やられる側の事が考えられず、面倒をかけない「よい子」「よい社員」ばかり造ろうとする)のではなく、弱く静かでも人の痛みがわかる、ものごとの因果関係ばかりでなく相対関係の見えるひと達の声も拾ってくれる社会じゃないかと。
例えば、なぜ自分は勉強ばかりしなければならないのかとか、なぜ人は生きるのかとか、神は居るのかとかいわゆる「馬鹿なこと」に悩みながらそこを越して、社会に入るというパターンが昔はできていたが、そういうことに真剣に付き合う人材や「場」や時間を与えてくれない今は、決して豊かとはいえないのでは。すぐに病院行きのレッテルを貼られてしまう。
人生の悩みが昔は青年期だったのが、今は中年期ごろまで解決つかない事は稀ではなくなった。既に家族も持ちながら、社会生活を維持しながら悩まなければならない人は稀ではなくなった。
自由は有難いけれど、同時に選択肢が広がりすぎて何処から何をすべきか、それこそ御釈迦様が始めたところから始めなければならないという大変さを背負うことにもなった。
「そういう時に会社を辞めても一年くらい平気で生きて行けるというのが、本当の意味の豊かさですね。」(心の深みへ・河合隼夫)「一年遊んで帰ってきた人を雇って、なかなか面白いじゃないかとなってくると」本物だと思いますね。
或いは「私の祖父は農家でしたが、農家の夫婦は働き手でしたから、子どもをつくったあとはひたすら働けばいいんであって、子守りをする人や躾をする人、父親役、母親役はおじいちゃんやおばーちゃんとか周りにたくさんいました。ところが高度成長後、急に核家族になって家族や子育てや
教育のパターンを根底から壊されてしまった。」「いままで集団でやってきたことを、急に個人(若い経験のないおかーさん一人)に背負わされる事になったのだから、いくら道具があってもたまったもんじゃない。」物は豊かになったと言っても、その時の対応・方法論まで何の準備もされてこなかった。「これから家族を再構築するのはものすごいエネルギーを投入しなければなりません。」(河合隼夫) 子どもの虐待は犯罪だなんて簡単に言える問題じゃないですね。
(続く)

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