2012年01月02日
折り節の移り変わり
折節の移り変わるこそ、物毎に哀れなり。
「ものの哀れは秋こそ勝れ」と人毎に言うめれど、それも然るものにて、今ひときわ、心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる(長閑なる)日ざしに、垣根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞わたりて、 花もようよう気色だす程こそあれ、おりしも、雨・風うち続きて、心あわただしく散り過ぎぬ。青葉になりゆくまで、万にただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれなお、梅の匂いぞ、古(いにしえ)の事も、立ち返り恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなき様したる、すべて、思い捨てがたきこと多し。 「灌仏の頃、祭の頃、若葉の、梢涼しげに茂りゆく程こそ、世の哀れも、人の恋しさも勝れ」と人の仰られしこそ、げに、然るものなれ。
五月、菖蒲葺く頃、早苗取る頃、水鶏(くびな)の叩くなど、心細からぬかは。六月(みなづき)の頃、賤しき(あやしき)家に、夕顔の白く見えて、蚊遣り火くすぶるも、哀れなり。六月(みなづき)祓い、またをかし。七夕祭るこそ、艶めかしけれ。漸(やうや)う夜寒になる程、雁鳴きてくる頃、萩の下葉色づく程、早稲田刈り干すなど、取り集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分けの朝こそ、おかしけれ。言いつづくれば、みな源氏の物語・枕の草子などに言古(ふ)りにたれど、同じ事、また今更に言はじとにもあらず。思しき事言はぬは、腹ふくるる業(わざ)なれば、筆にまかせつつ、味気なき遊(すさ)びにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
さて、冬枯れの景色こそ、秋には、おさおさ劣るまじけれ。汀(みぎは)の草に紅葉の散り留まりて、
霜いと白う置ける朝、遣水よりけむりの立つこそ、をかしけれ。
年の暮れ果てて、人毎に急ぎ合える頃ぞ、又無く哀れなる。凄まじきものにして、見る人もなき月の、寒けく澄める、廿日あまりの空こそ、心細きものなれ。御仏名、荷前の使ひ、立つなどぞ、哀れに、止むことなき。公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝に続くこそ面白けれ。晦日の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。 (徒然草 第19段)
(季節の移り変わりこそ、全てに哀れである。
ものの哀れは秋が勝ると誰もが言う。それはそうだけど、さらに心浮き立つものが春の景色にある。鶯などの鳥の鳴き声もことのほかに春めいて、のどかな日ざしに垣根の草も萌え出でる頃から、次第に春は深まり、あたりに霞もたち、桜の花もようやく咲きはじめるようになるかとおもうと、おり悪しく雨風の日が続きせっかくの桜はあっという間に、あわただしく散ってしまう。
青葉の季節になるまで、すべてにつけ、心悩ますことばかりである。
初夏に咲く花橘の香は「五月待つ花橘の香を嗅げば昔の人の袖の香ぞする」と歌にも詠まれて古来有名だがやはり何と言っても梅の香には、昔のことが心に立ちかえってきて、恋しく思い出される。また山吹の清涼感や、藤の花のふっさりとした様子など、すべて、春の季節は思い捨てがたい情感があふれている。「四月八日の釈迦生誕の日に行う灌仏会、それに続き賀茂祭り(葵祭)となり、若葉が、梢に涼しげに茂る夏の季節は、とりわけ世のあわれも、人の恋しさも増さるものだなあ」とある御方がおっしゃったのもまことにそのとおりである。五月になると、菖蒲を屋根に葺く端午の節句や、水田に植える早苗を採る頃となる。水鶏(くいな)がホトホトと戸口を叩くように鳴くことなども、折しも五月闇(五月雨の降るころの夜が暗いこと)の季節のせいなのか、なんとも心細く感じてしまう。
六月の頃、粗末な家に、夕顔の花が白く咲いているのが見えて、蚊除けの蚊遣火などを炊いているのもあわれな情感を誘う。
一年のちょうど半年が経った夏の終わり、六月末に行われる、六月禊い(みなつきばらえ)の儀式もまた風情がある。暦の上で秋になって間もなくの七夕祭りは、たいそう優美な行事である。次第に夜寒になる頃、雁が北方から鳴き渡ってくる頃、萩の下葉が紅葉(もみじ)する頃、早稲田を刈り干すなど、次々にいろいろなことが多いのは、秋ならではのことである。
また台風一過の朝の様子も風情がある。こう書いてくるとすでに『源氏物語』や『枕草子』で書き古されていることになってしまうが、同じことはもう今更言うまい、というわけでもないだろう。言いたいことを言わないのは腹が張った様な不快感が残るから、私は筆に任せて、詰らない無駄書きをしているのである。それに書く傍(そば)から破り捨てるべきものであるのだから、他人が見るべきものでもない。
それはそうと、さて冬枯れの状況は決して秋に勝るとも劣らないだろう。汀に(みぎわ)に生えている草に鮮やかな紅葉が流れ去らずに散り止まり、霜がたいそう白く降りた朝、遣水(やりみず)からこの寒さのせいで水蒸気が立ち昇っている光景は素晴らしい。
年もすっかり暮れ果てた歳末になって、誰でもが忙しそうにしている頃は、本当にあわれ深い。季節外れの白々しい興ざめなものとして、わざわざ見上げる人もない冬の月が、寒そうに皓々と澄み切っている十二月二十日過ぎの空は、何と言っても心細いものである。
宮中ではお仏名や、伊勢大神宮や各地の御陵に「荷前(のさき)の使い」【毎年諸国から奉る貢の初物】が立つなどあわれに尊いことである。その他にもいろいろな儀式が多く、新春の準備にとり重ねて催し行われる様子は素晴らしい。大晦日の深夜、宮中行事が、追儺(ついな・宮中行事で悪鬼を払い疫病を除く儀式)から、四方拝(しほうはい・元旦に行われる、天皇が午前五時半に寅の刻に、天地四方・山陵を拝し宝作の無窮・天下太平万民安寧を祈る儀式)に引き続いて行われるのも見ていて心がひかれるものである。
また外では、大晦日の夜にひどく暗いので松明を灯して、夜中過ぎまで人が、家の門をたたいて走り歩き、何事であろうか、大声で罵りながらまるで空中を走るが如き大騒ぎをしていたのに、暁方になるとさすがに静かになるのも、いよいよ今年も終わるのだと心細くなる。
亡き人がやってくる夜というので、大晦日に魂祭りを行うのは、この頃はすでに都ではすたれてしまったが、東国ではまだまだ行われていたのを見たのはあわれ深かった。
こうして次第に明けていく空の様子は、つい昨日とは変るものでもないのだが、なぜかすっかり事新しく改まった様で、珍しく感じる。大路のようすが門松をずっと向こうまで立て渡して、華やかでうれしそうに見えるのは、新年を迎えたからこそであり、そのことが身に沁みる。)
一年の季節の推移を毎月にわたって描き出しており、徒然草の中でも、よく知られ、中世日本の散文史の中でも最上に属する類まれな章段と言われている。放送大学の准教授であられる島内裕子先生は、毎年元旦の午前中にこの段を読み上げて、過ぎし一年のくさぐさと、これから始まる新しい一年に想いを馳せ、清澄な気分に包まれるとおっしゃっている。
私も、このようにありたいものと、まねてみました。
是非、「音読」してください。目読と違って、現代人にはわからない古代の息吹が伝わってきますよ。
1年に1度くらいは音読を勧めます。世界を揺るがす音を大事にするイスラムの心情も見えてきますよ。
本年も宜しくお願いいたします。
「ものの哀れは秋こそ勝れ」と人毎に言うめれど、それも然るものにて、今ひときわ、心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる(長閑なる)日ざしに、垣根の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞わたりて、 花もようよう気色だす程こそあれ、おりしも、雨・風うち続きて、心あわただしく散り過ぎぬ。青葉になりゆくまで、万にただ、心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそ負へれなお、梅の匂いぞ、古(いにしえ)の事も、立ち返り恋しう思い出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなき様したる、すべて、思い捨てがたきこと多し。 「灌仏の頃、祭の頃、若葉の、梢涼しげに茂りゆく程こそ、世の哀れも、人の恋しさも勝れ」と人の仰られしこそ、げに、然るものなれ。
五月、菖蒲葺く頃、早苗取る頃、水鶏(くびな)の叩くなど、心細からぬかは。六月(みなづき)の頃、賤しき(あやしき)家に、夕顔の白く見えて、蚊遣り火くすぶるも、哀れなり。六月(みなづき)祓い、またをかし。七夕祭るこそ、艶めかしけれ。漸(やうや)う夜寒になる程、雁鳴きてくる頃、萩の下葉色づく程、早稲田刈り干すなど、取り集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分けの朝こそ、おかしけれ。言いつづくれば、みな源氏の物語・枕の草子などに言古(ふ)りにたれど、同じ事、また今更に言はじとにもあらず。思しき事言はぬは、腹ふくるる業(わざ)なれば、筆にまかせつつ、味気なき遊(すさ)びにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
さて、冬枯れの景色こそ、秋には、おさおさ劣るまじけれ。汀(みぎは)の草に紅葉の散り留まりて、
霜いと白う置ける朝、遣水よりけむりの立つこそ、をかしけれ。
年の暮れ果てて、人毎に急ぎ合える頃ぞ、又無く哀れなる。凄まじきものにして、見る人もなき月の、寒けく澄める、廿日あまりの空こそ、心細きものなれ。御仏名、荷前の使ひ、立つなどぞ、哀れに、止むことなき。公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。追儺より四方拝に続くこそ面白けれ。晦日の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。 (徒然草 第19段)
(季節の移り変わりこそ、全てに哀れである。
ものの哀れは秋が勝ると誰もが言う。それはそうだけど、さらに心浮き立つものが春の景色にある。鶯などの鳥の鳴き声もことのほかに春めいて、のどかな日ざしに垣根の草も萌え出でる頃から、次第に春は深まり、あたりに霞もたち、桜の花もようやく咲きはじめるようになるかとおもうと、おり悪しく雨風の日が続きせっかくの桜はあっという間に、あわただしく散ってしまう。
青葉の季節になるまで、すべてにつけ、心悩ますことばかりである。
初夏に咲く花橘の香は「五月待つ花橘の香を嗅げば昔の人の袖の香ぞする」と歌にも詠まれて古来有名だがやはり何と言っても梅の香には、昔のことが心に立ちかえってきて、恋しく思い出される。また山吹の清涼感や、藤の花のふっさりとした様子など、すべて、春の季節は思い捨てがたい情感があふれている。「四月八日の釈迦生誕の日に行う灌仏会、それに続き賀茂祭り(葵祭)となり、若葉が、梢に涼しげに茂る夏の季節は、とりわけ世のあわれも、人の恋しさも増さるものだなあ」とある御方がおっしゃったのもまことにそのとおりである。五月になると、菖蒲を屋根に葺く端午の節句や、水田に植える早苗を採る頃となる。水鶏(くいな)がホトホトと戸口を叩くように鳴くことなども、折しも五月闇(五月雨の降るころの夜が暗いこと)の季節のせいなのか、なんとも心細く感じてしまう。
六月の頃、粗末な家に、夕顔の花が白く咲いているのが見えて、蚊除けの蚊遣火などを炊いているのもあわれな情感を誘う。
一年のちょうど半年が経った夏の終わり、六月末に行われる、六月禊い(みなつきばらえ)の儀式もまた風情がある。暦の上で秋になって間もなくの七夕祭りは、たいそう優美な行事である。次第に夜寒になる頃、雁が北方から鳴き渡ってくる頃、萩の下葉が紅葉(もみじ)する頃、早稲田を刈り干すなど、次々にいろいろなことが多いのは、秋ならではのことである。
また台風一過の朝の様子も風情がある。こう書いてくるとすでに『源氏物語』や『枕草子』で書き古されていることになってしまうが、同じことはもう今更言うまい、というわけでもないだろう。言いたいことを言わないのは腹が張った様な不快感が残るから、私は筆に任せて、詰らない無駄書きをしているのである。それに書く傍(そば)から破り捨てるべきものであるのだから、他人が見るべきものでもない。
それはそうと、さて冬枯れの状況は決して秋に勝るとも劣らないだろう。汀に(みぎわ)に生えている草に鮮やかな紅葉が流れ去らずに散り止まり、霜がたいそう白く降りた朝、遣水(やりみず)からこの寒さのせいで水蒸気が立ち昇っている光景は素晴らしい。
年もすっかり暮れ果てた歳末になって、誰でもが忙しそうにしている頃は、本当にあわれ深い。季節外れの白々しい興ざめなものとして、わざわざ見上げる人もない冬の月が、寒そうに皓々と澄み切っている十二月二十日過ぎの空は、何と言っても心細いものである。
宮中ではお仏名や、伊勢大神宮や各地の御陵に「荷前(のさき)の使い」【毎年諸国から奉る貢の初物】が立つなどあわれに尊いことである。その他にもいろいろな儀式が多く、新春の準備にとり重ねて催し行われる様子は素晴らしい。大晦日の深夜、宮中行事が、追儺(ついな・宮中行事で悪鬼を払い疫病を除く儀式)から、四方拝(しほうはい・元旦に行われる、天皇が午前五時半に寅の刻に、天地四方・山陵を拝し宝作の無窮・天下太平万民安寧を祈る儀式)に引き続いて行われるのも見ていて心がひかれるものである。
また外では、大晦日の夜にひどく暗いので松明を灯して、夜中過ぎまで人が、家の門をたたいて走り歩き、何事であろうか、大声で罵りながらまるで空中を走るが如き大騒ぎをしていたのに、暁方になるとさすがに静かになるのも、いよいよ今年も終わるのだと心細くなる。
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こうして次第に明けていく空の様子は、つい昨日とは変るものでもないのだが、なぜかすっかり事新しく改まった様で、珍しく感じる。大路のようすが門松をずっと向こうまで立て渡して、華やかでうれしそうに見えるのは、新年を迎えたからこそであり、そのことが身に沁みる。)
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