2011年07月28日
俳句歳時記T
八月は死者の月。
八月は、私達生きている者にとって、死者を弔う月です。
先の戦争にかかわる追悼の日が集中している月だからです。
広島・長崎の原爆被災の日、敗戦の日(責任のごまかし言葉・終戦ではありません)
これに9月1日ではありますが、関東大震災の日を加えればひと月に戦争や震災で亡くなった多くの人々を追悼する日が集中しているからでしょう。
戦後の日本人にとっては八月は死者とともに過ごす月となったのです。
実は日本人にとっては八月はこの戦争や地震のおこるはるか前から死者とともに過ごす月だったようです。
1年の前半(春と夏)が過ぎて後半(秋と冬)に入る月です。その昔この折り返し地点に死者・先祖をまつる一連の行事がありました。
晩夏の新月の禊(夏越の祓=ナゴシノハラエ) (旧暦六月晦日)
初秋の半月の禊(七夕) (旧暦七月七日)
初秋の満月の先祖祭(お盆) (旧暦七月十五日)
半月の禊は中国伝来の七夕と、満月の先祖祭は仏教のお盆と重なり、後から来た名前に代わりましたが、大昔からあった行事だそうです。
最大の行事であった初秋の満月の先祖祭は、皆其の夜が近ずくと先祖の魂を家に迎えて数日を共に過ごしました。今ではお盆と重なっています。
「夏越の祓」も「初秋の半月の禊」も同様に先祖の魂を迎える禊の行事でした。
この日、水辺に出て禊をする風習があったようです。
このように日本では昔から旧暦七月(今の八月)は死者の月だったところに、戦争や震災の犠牲者追悼が加わったのだそうです。
単なる偶然以上のものを感ぜざるをえませんね。幾千年にわたり祀られた魂たちからの「もういいじゃないか。頑張らなくっていいよ。殺生は終わりにして、みんなこころ安らかになり給え。」という救いの声が聞こえてきたような偶然ですね。3.11も必ずや、何らかの名をもって、犠牲者の御霊とともに過ごす1日となるでしょう。
わが知れる阿鼻叫喚や震災忌 京極杞陽
闇 美し 泉 美し 夏禊 高野素十
鼠花火くらがりの子の笑ひかな 原田種茅
旧暦七月(新暦では八月)は既に立秋です。七夕は古くから秋の初めの行事でした。この頃になると、空気が澄んでおり姫もひこぼしも天の川も良く見えるようになりますね。
七夕や秋を定むる夜のはじめ 芭蕉
「七夕の夜から、秋らしくなる」の句意だそうです。
浴(ユアミ)してわが身となりぬ盆の月 一茶
ひと風呂浴びて昼の汗や埃を洗い流し、やっと人心地ついたまだ暑い初秋のころの句です。
立秋は八月八日ごろ。暑さの最中に秋の気配を感じ取る。これが立秋という季語の本位だそうです。秋は人間ばかりか鳥獣も草木も夏の暑い盛りを乗り切って、ほっと一息つく季節でこの「安心」こそ秋という季語の本位のようです。秋の季語はこの安らかな心持を含んでいなければなりません。
秋立つや川瀬にまじる風の音 飯田蛇笏
川瀬の水音に風の音が混じる。それを聞いていると、秋になったのがわかるという句です。
朝顔の紺のかなたの月日かな 石田波郷
まだ暑い日中を避けて、朝早くそっと花開く。このひそかさこそ朝顔の本意です。
朝顔の花の深い藍色の淵を見つめていると、過ぎ去った遠い日々に思いが移っていくという初秋の朝ならではの回想ですね。同じ作者で、
雁(カリガネ)や残るものみな美しき 石田波郷
波郷が出征する時の句。戦場へ赴くわが身も、あとに残される人々も、この国の山河も、みな大きな時の巡りの中にある。
雁は時空の彼方から 彼方へ旅をする鳥。雁を仰ぎ見ながら、果てしない空間と夏から秋、秋から冬へと向う悠久の時に思いを馳せ、対称的に小さなわが身を省みる。
この国の美しい山河を惜しむ。残された家族を惜しむ。そして旅立つ小さきわが身をも惜しむという、運命を受け入れた男の、潔く澄みきった広い心が周囲の胸を締め付ける良い句ですね。
今日はこのくらいにして・・・・。
八月は、私達生きている者にとって、死者を弔う月です。
先の戦争にかかわる追悼の日が集中している月だからです。
広島・長崎の原爆被災の日、敗戦の日(責任のごまかし言葉・終戦ではありません)
これに9月1日ではありますが、関東大震災の日を加えればひと月に戦争や震災で亡くなった多くの人々を追悼する日が集中しているからでしょう。
戦後の日本人にとっては八月は死者とともに過ごす月となったのです。
実は日本人にとっては八月はこの戦争や地震のおこるはるか前から死者とともに過ごす月だったようです。
1年の前半(春と夏)が過ぎて後半(秋と冬)に入る月です。その昔この折り返し地点に死者・先祖をまつる一連の行事がありました。
晩夏の新月の禊(夏越の祓=ナゴシノハラエ) (旧暦六月晦日)
初秋の半月の禊(七夕) (旧暦七月七日)
初秋の満月の先祖祭(お盆) (旧暦七月十五日)
半月の禊は中国伝来の七夕と、満月の先祖祭は仏教のお盆と重なり、後から来た名前に代わりましたが、大昔からあった行事だそうです。
最大の行事であった初秋の満月の先祖祭は、皆其の夜が近ずくと先祖の魂を家に迎えて数日を共に過ごしました。今ではお盆と重なっています。
「夏越の祓」も「初秋の半月の禊」も同様に先祖の魂を迎える禊の行事でした。
この日、水辺に出て禊をする風習があったようです。
このように日本では昔から旧暦七月(今の八月)は死者の月だったところに、戦争や震災の犠牲者追悼が加わったのだそうです。
単なる偶然以上のものを感ぜざるをえませんね。幾千年にわたり祀られた魂たちからの「もういいじゃないか。頑張らなくっていいよ。殺生は終わりにして、みんなこころ安らかになり給え。」という救いの声が聞こえてきたような偶然ですね。3.11も必ずや、何らかの名をもって、犠牲者の御霊とともに過ごす1日となるでしょう。
わが知れる阿鼻叫喚や震災忌 京極杞陽
闇 美し 泉 美し 夏禊 高野素十
鼠花火くらがりの子の笑ひかな 原田種茅
旧暦七月(新暦では八月)は既に立秋です。七夕は古くから秋の初めの行事でした。この頃になると、空気が澄んでおり姫もひこぼしも天の川も良く見えるようになりますね。
七夕や秋を定むる夜のはじめ 芭蕉
「七夕の夜から、秋らしくなる」の句意だそうです。
浴(ユアミ)してわが身となりぬ盆の月 一茶
ひと風呂浴びて昼の汗や埃を洗い流し、やっと人心地ついたまだ暑い初秋のころの句です。
立秋は八月八日ごろ。暑さの最中に秋の気配を感じ取る。これが立秋という季語の本位だそうです。秋は人間ばかりか鳥獣も草木も夏の暑い盛りを乗り切って、ほっと一息つく季節でこの「安心」こそ秋という季語の本位のようです。秋の季語はこの安らかな心持を含んでいなければなりません。
秋立つや川瀬にまじる風の音 飯田蛇笏
川瀬の水音に風の音が混じる。それを聞いていると、秋になったのがわかるという句です。
朝顔の紺のかなたの月日かな 石田波郷
まだ暑い日中を避けて、朝早くそっと花開く。このひそかさこそ朝顔の本意です。
朝顔の花の深い藍色の淵を見つめていると、過ぎ去った遠い日々に思いが移っていくという初秋の朝ならではの回想ですね。同じ作者で、
雁(カリガネ)や残るものみな美しき 石田波郷
波郷が出征する時の句。戦場へ赴くわが身も、あとに残される人々も、この国の山河も、みな大きな時の巡りの中にある。
雁は時空の彼方から 彼方へ旅をする鳥。雁を仰ぎ見ながら、果てしない空間と夏から秋、秋から冬へと向う悠久の時に思いを馳せ、対称的に小さなわが身を省みる。
この国の美しい山河を惜しむ。残された家族を惜しむ。そして旅立つ小さきわが身をも惜しむという、運命を受け入れた男の、潔く澄みきった広い心が周囲の胸を締め付ける良い句ですね。
今日はこのくらいにして・・・・。
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