2011年01月10日
成人式
本日は成人の日です。
毎年毎年この時期になると、というより20歳という年齢になるだけで多くの若者が、突然大人になったという儀式を行う。儀式といっても何の「犠牲」も伴わないまま。
「最近の若者は」という言葉は、ギリシャの昔からあった言葉というから、いつの時代も同じことの繰り返しなのだろうが、これからお話ししようとしている「最近の若者」はちょっと意味合いが違う。
最近の若者は、大人になりきれない。大人って誰が決める(認める)かというと、自分ではなく社会が決めるのでしょう。その社会がちぐはぐなことをしているのが、いまの成人式の行事なのでしょう。それは社会の中での各人の人生の、こども、少年、青年、壮年、老年などの各サイクルの期間が、昔と比べて非常に長くなっている。それは各人の寿命が長くなっているせいでしょう。だからいきおいまだ少年期にあるのに20歳になったから成人の仲間入りをしなさいと、根拠も無しに突然役割を押し付ける。
このちぐはぐが、様々な問題を引き起こしている。それは社会の仕組みがまだ大人になることを求めていないにも拘わらず何の意味も無く成人式を行い、明日から成人ですと突き放す。
先人の大人たちも、何をやらせているのか全く分かっていない。中世では、十代で元服というものを行った。それは社会が彼らに大人になることを求めていたし、その仕組みも作ってあった。みんなの寿命も短かった。だから成人にならなければならない時期も知っていた。それなりの受け皿も用意されていた。これでは今の若いもんはかわいそうだ。しかも成人の意味が全く分かっていないでただ自覚を持てだの、責任を持てだの、大人たち自身が本当に知らない言葉を押しつける。だから「何がめでたく、何を変身するのかもわからない。」クリスマスと同じお祭りに過ぎない。
すでにおわかりのように成人は、年齢でなるものではない。現代のように長寿でこどもに長い期間少年をやらせるように黙認してしまった社会では、20歳というのは早すぎる年齢なのだ。勿論環境によりもっともっと若い年齢でその自覚に至る若者も多く存在するだろうけれど。
そして肝心なのは成人ということの意味である。コエン・エルカさんは、男は一生こどもで大人には成れないといった。或る意味真実を突いているとおもう。現実的に成れない、いつも夢を追いかけているということでしょう。
「男と女の間には、深くて暗い川がある」のです。でも今は男女の話題ではなく「成人」・「大人になる」でした。
戸井田道三さんに「最初のハードル」という短編があります。
そのお話は、主人公の私が幼いころ大森海岸で、女の人の水死体を見つけるという象徴的な事件から始まります。
怖いとも恐ろしいとも思わず、死ぬということがどういうことか判らないまま、ただ「死んでいる」と感じただけでした。道端にはその子であろう幼児が死体で放りだされていました。私は巡査に、見てはいけない、早く家に帰るよう諭されました。
私は海岸の近くに住む貧しい家庭で育ちました。妹が一人、母は身体が弱く針仕事を生活の足しにしていました。或る日いつものように皆で遊んでいて夕方になり、うちが恋しくなる頃、、お手伝いのおばさんがやってきて「まだ遊んで」いるように言われました。暗くなって我慢ができなくなるころやっと迎えが来ました。「赤ちゃんが生まれましたよ。」
それから1ケ月、母は結核の身体での出産がたたり亡くなりました。
私が母と最後にあったのは、父に連れられ見舞った病院のベットでした。看護婦さんに上体を起こしてもらい、さびしく微笑んで、「こっちへおいでなさい」と言われたが久しぶりの懐かしさと恥ずかしさで立ち漉くすだけだった。
「うつるといけないから、もう連れてこないでください」と父に視線を移した時の毅然とした美しさは、私の幼心を締め付けた。私はその後、病弱のなきむしの死にそこないの息子だったせいか、母の死に立ち会えず、直接死の衝撃を受けない様保護されていた。薄々はそのことに気づいてはいたが、父や周囲とのやり取りでも曖昧なまま、嘘をつきあいながら、私の胸の中では、母は生きていた。
或る日1つ年上のチイチャンといういとこの子と遊んでいた時、なぜだか覚えていませんが、意地悪なことをされて、泣きだしました。泣くと習慣的に二階へ上がっていき「一緒になって泣きながら膝の上で慰めてくれた」母のもとに足が向きました。
すると、後ろから「二階にはもうみっちゃんの母さんはいないわよ。死んじゃったんだもん」と言葉が追いかけてきました。私の心臓は凍るような痛みを感じ涙も止まりました。
二階には慰めてくれる母がいない。母の死の悲しみがどっと押し寄せて、泣き続けました。私はその時まであやふやに、死んだらしいなどといううすぼんやりとした承認の仕方をしていたのです。けれどチイちゃんの一言は、無理やり母の死を絶対動かぬ真実として、私に承認を迫りました。
格子の窓から差し込む光は、誰もいないがらんとした畳を照らしているだけでした。この事実の底なしの空しさが判ってしまったのでした。
私はチイちゃんの心ない一言で、人生の最初で最大のハードルを飛び越したのでした。
こうして人は、1つ1つ現実を受け入れて、大事な何かを捨てて、大人になっていくんですね。
寂しいですね。でもその辛さを乗り越えた人には、ただ幸せに育っただけの
人とは何か違いがあると思いませんか?
人は諦めたことの数だけ、素晴らしい大人になる。
恋愛だって同じですね。
好きで好きでたまらない人のことを、どうしても諦めなければならない時。
人はとても大切なものを、諦めることのできた数だけ、大きくなる。
毎年毎年この時期になると、というより20歳という年齢になるだけで多くの若者が、突然大人になったという儀式を行う。儀式といっても何の「犠牲」も伴わないまま。
「最近の若者は」という言葉は、ギリシャの昔からあった言葉というから、いつの時代も同じことの繰り返しなのだろうが、これからお話ししようとしている「最近の若者」はちょっと意味合いが違う。
最近の若者は、大人になりきれない。大人って誰が決める(認める)かというと、自分ではなく社会が決めるのでしょう。その社会がちぐはぐなことをしているのが、いまの成人式の行事なのでしょう。それは社会の中での各人の人生の、こども、少年、青年、壮年、老年などの各サイクルの期間が、昔と比べて非常に長くなっている。それは各人の寿命が長くなっているせいでしょう。だからいきおいまだ少年期にあるのに20歳になったから成人の仲間入りをしなさいと、根拠も無しに突然役割を押し付ける。
このちぐはぐが、様々な問題を引き起こしている。それは社会の仕組みがまだ大人になることを求めていないにも拘わらず何の意味も無く成人式を行い、明日から成人ですと突き放す。
先人の大人たちも、何をやらせているのか全く分かっていない。中世では、十代で元服というものを行った。それは社会が彼らに大人になることを求めていたし、その仕組みも作ってあった。みんなの寿命も短かった。だから成人にならなければならない時期も知っていた。それなりの受け皿も用意されていた。これでは今の若いもんはかわいそうだ。しかも成人の意味が全く分かっていないでただ自覚を持てだの、責任を持てだの、大人たち自身が本当に知らない言葉を押しつける。だから「何がめでたく、何を変身するのかもわからない。」クリスマスと同じお祭りに過ぎない。
すでにおわかりのように成人は、年齢でなるものではない。現代のように長寿でこどもに長い期間少年をやらせるように黙認してしまった社会では、20歳というのは早すぎる年齢なのだ。勿論環境によりもっともっと若い年齢でその自覚に至る若者も多く存在するだろうけれど。
そして肝心なのは成人ということの意味である。コエン・エルカさんは、男は一生こどもで大人には成れないといった。或る意味真実を突いているとおもう。現実的に成れない、いつも夢を追いかけているということでしょう。
「男と女の間には、深くて暗い川がある」のです。でも今は男女の話題ではなく「成人」・「大人になる」でした。
戸井田道三さんに「最初のハードル」という短編があります。
そのお話は、主人公の私が幼いころ大森海岸で、女の人の水死体を見つけるという象徴的な事件から始まります。
怖いとも恐ろしいとも思わず、死ぬということがどういうことか判らないまま、ただ「死んでいる」と感じただけでした。道端にはその子であろう幼児が死体で放りだされていました。私は巡査に、見てはいけない、早く家に帰るよう諭されました。
私は海岸の近くに住む貧しい家庭で育ちました。妹が一人、母は身体が弱く針仕事を生活の足しにしていました。或る日いつものように皆で遊んでいて夕方になり、うちが恋しくなる頃、、お手伝いのおばさんがやってきて「まだ遊んで」いるように言われました。暗くなって我慢ができなくなるころやっと迎えが来ました。「赤ちゃんが生まれましたよ。」
それから1ケ月、母は結核の身体での出産がたたり亡くなりました。
私が母と最後にあったのは、父に連れられ見舞った病院のベットでした。看護婦さんに上体を起こしてもらい、さびしく微笑んで、「こっちへおいでなさい」と言われたが久しぶりの懐かしさと恥ずかしさで立ち漉くすだけだった。
「うつるといけないから、もう連れてこないでください」と父に視線を移した時の毅然とした美しさは、私の幼心を締め付けた。私はその後、病弱のなきむしの死にそこないの息子だったせいか、母の死に立ち会えず、直接死の衝撃を受けない様保護されていた。薄々はそのことに気づいてはいたが、父や周囲とのやり取りでも曖昧なまま、嘘をつきあいながら、私の胸の中では、母は生きていた。
或る日1つ年上のチイチャンといういとこの子と遊んでいた時、なぜだか覚えていませんが、意地悪なことをされて、泣きだしました。泣くと習慣的に二階へ上がっていき「一緒になって泣きながら膝の上で慰めてくれた」母のもとに足が向きました。
すると、後ろから「二階にはもうみっちゃんの母さんはいないわよ。死んじゃったんだもん」と言葉が追いかけてきました。私の心臓は凍るような痛みを感じ涙も止まりました。
二階には慰めてくれる母がいない。母の死の悲しみがどっと押し寄せて、泣き続けました。私はその時まであやふやに、死んだらしいなどといううすぼんやりとした承認の仕方をしていたのです。けれどチイちゃんの一言は、無理やり母の死を絶対動かぬ真実として、私に承認を迫りました。
格子の窓から差し込む光は、誰もいないがらんとした畳を照らしているだけでした。この事実の底なしの空しさが判ってしまったのでした。
私はチイちゃんの心ない一言で、人生の最初で最大のハードルを飛び越したのでした。
こうして人は、1つ1つ現実を受け入れて、大事な何かを捨てて、大人になっていくんですね。
寂しいですね。でもその辛さを乗り越えた人には、ただ幸せに育っただけの
人とは何か違いがあると思いませんか?
人は諦めたことの数だけ、素晴らしい大人になる。
恋愛だって同じですね。
好きで好きでたまらない人のことを、どうしても諦めなければならない時。
人はとても大切なものを、諦めることのできた数だけ、大きくなる。
中古価格 |
dxkwofrcg http://www.g0df8193j8adeg9n1gy55iif8k3996d0s.org/
<a href="http://www.g0df8193j8adeg9n1gy55iif8k3996d0s.org/">adxkwofrcg</a>
[url=http://www.g0df8193j8adeg9n1gy55iif8k3996d0s.org/]udxkwofrcg[/url]