2010年04月06日
「醜いあひるの子」と「ジョコンダ夫人」と「あばよ」
研ナオコに「あばよ」という唄がある。
・・・明日も今日も留守なんて
見え透く手口つかわれるほど、嫌われたならしょーがねー
笑ってあばよと気取ってみるさ
泣かないで、泣かないで、私の恋心
あの人はあの人はお前に似合わない・・・・
私のとても好きな唄の一つだが、この歌詞が気に入らない。
「あの人はあの人はお前に似合わない・・・・
でなく、「あんな薄っぺらは、おまえにはもったいない・・・」ではないのか?
人を観る眼のない男に、安売りするやさしさと自分自身を受け入れる覚悟が、哀れ美しい。
だから「似合わない」でいいのかもしれない。
カニングズバークの「ジョコンダ夫人の肖像」の話はご存じだろうか。
少し長くなるが、引用しよう。
誰もその名を知らない人はいないダ・ヴィンチは、彼の仕えるミラノの支配者ロドヴィコ公の妻ベアトリチェと親交を深める。
ベアトリチェは、ロドヴィコ公が結婚したがっていた美人イザベラの妹で、小さくて色が黒くてみっともない姿形をしていた。しかし政略的に結婚を余儀なくされた経緯があった。ベアトリチェの魅力を一番に発見したのは、ダ・ヴィンチが大切にしていた「ウソつきでコソ泥のサライという少年」だった。二人はお互いのいたずら好きが共鳴し合って意気投合した。
サライはベアトリチェを、「ベツレヘムの星」という草花を観察してスケッチしていたダ・ヴィンチのところに連れて行き紹介した。
ベアトリチェは、ロドヴィコ公の妻と言うことで「私が誰なのかを知っていても、どんな人なのかを知らない崇拝者に取り巻かれて、どうして寂しさに打ち克てるか」と訴えた。自分は美人ではないし、夫にも無視されていると彼女は嘆く。
レオナルドは、ベアトリチェに「ベツレヘムの星」を見せて、「この花は目立たないけれど、葉の構造が興味深い。私はそこにひかれてスケッチをしている。貴方も花よりも葉で人目を引く存在になれないか」と説いた。彼女もそれには同意するが、夫はどうしても美人に心を動かされる。チェチリアという愛人もおり、レオナルドはロドヴィコの要請で肖像も書いたことを、彼女は知っていた。
サライもレオナルドも、ベアトリチェが好きだし肖像画を書くことを勧めるが拒絶する。
しかし彼女には「頭の中に眼に見えない物差しを持っている」かのように多くの芸術家の魅力を見つけ出し発掘し、みな彼女のところに集まりだした。ロドヴィコもようやく妻のすぐれた良さを見出して愛しはじめるのだった。遂に彼は妻の肖像画を書くようレオナルドに要請するが、彼女はかたくなに拒絶した。
彼女の観察眼は、レオナルドがロドヴィコの要請で作った巨大な馬像を評して、「芸術と言うより努力のかたまり」と指摘し、折角の才能が金縛りになっているのを見抜いた。彼女はサライに、レオナルドの荒々しい、責任に縛られないものを持ち続けるよう気をつけるようアドヴァイスする。しかし間もなく彼女は22歳の若さでこの世を去る。そうした中でも、相変わらず権力者達は、美人の肖像画を描いてもらいたいとレオナルドに迫るが、乗り気にならない。
或る日見慣れぬ商人が自分の妻の肖像を先生に書いてもらいたいと現れる。サライはからかい半分にその妻を観たところ、ハッと胸を突かれる。「この人は、自分が美しくないことを知っていて、それをわきまえて生きている人だ。自分自身を受け入れて、その為に、人知れず深く、美しくなった人だ。その人の前に立つと、頭の中にあるその人だけの物差しで量られているいるような気のする、そんな人だ。人に喜びも与えられれば、苦しみも与えられる女性。耐えることのできる女性。幾層もの積み重ねを持った人だ。」とベアトリチェに重ねて思った。「彼女は、レオナルドが決して描けなかったベアトリチェの肖像になるだろう」と考えたサライは、レオナルドにこの女性の肖像画を描くよう説得しようと決心した。そこでサライは
奥様のお名前は?と聞く。商人は喜んで、お辞儀をして答える。
「私ですか?私はジョコンダです。」
(ベアトリチェがレオナルドに求めた「荒々しさ」は、ワイルドという言葉だが、それは何も荒々しいというだけでなく、野に咲く可憐な草花もワイルドだ。)
そしてもう一つのお話。デンマークのクリスチャン・アンデルセンの童話ですね。
アヒルの群の中で生まれたひな鳥が、他のアヒルの子に似ていないという理由でいじめられる。アヒルの親は七面鳥のひなかもしれないと判断した。周りのアヒルからあまりに辛く当たられることに耐えられなくなったひな鳥は家族の元から逃げ出すが、他の群れでもやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む水地に行く。
しかし、いつの間にか大人になっていたひな鳥はそこで初めて、水面に映る自分の姿を見て、自分は「醜いアヒル」ではなく「美しい白鳥」であったことに気付く。
ようやく、3つの話を繋ぐ事が出来ました。
(念のために付け加えますと、ジョコンダ夫人とは、モナリザのこと。勿論ご存知でしたよネ。愚息が知らなかったものですから。)
フー!!
懐かしの音楽CDが見つかる『EG SELECT』
・・・明日も今日も留守なんて
見え透く手口つかわれるほど、嫌われたならしょーがねー
笑ってあばよと気取ってみるさ
泣かないで、泣かないで、私の恋心
あの人はあの人はお前に似合わない・・・・
私のとても好きな唄の一つだが、この歌詞が気に入らない。
「あの人はあの人はお前に似合わない・・・・
でなく、「あんな薄っぺらは、おまえにはもったいない・・・」ではないのか?
人を観る眼のない男に、安売りするやさしさと自分自身を受け入れる覚悟が、哀れ美しい。
だから「似合わない」でいいのかもしれない。
カニングズバークの「ジョコンダ夫人の肖像」の話はご存じだろうか。
少し長くなるが、引用しよう。
誰もその名を知らない人はいないダ・ヴィンチは、彼の仕えるミラノの支配者ロドヴィコ公の妻ベアトリチェと親交を深める。
ベアトリチェは、ロドヴィコ公が結婚したがっていた美人イザベラの妹で、小さくて色が黒くてみっともない姿形をしていた。しかし政略的に結婚を余儀なくされた経緯があった。ベアトリチェの魅力を一番に発見したのは、ダ・ヴィンチが大切にしていた「ウソつきでコソ泥のサライという少年」だった。二人はお互いのいたずら好きが共鳴し合って意気投合した。
サライはベアトリチェを、「ベツレヘムの星」という草花を観察してスケッチしていたダ・ヴィンチのところに連れて行き紹介した。
ベアトリチェは、ロドヴィコ公の妻と言うことで「私が誰なのかを知っていても、どんな人なのかを知らない崇拝者に取り巻かれて、どうして寂しさに打ち克てるか」と訴えた。自分は美人ではないし、夫にも無視されていると彼女は嘆く。
レオナルドは、ベアトリチェに「ベツレヘムの星」を見せて、「この花は目立たないけれど、葉の構造が興味深い。私はそこにひかれてスケッチをしている。貴方も花よりも葉で人目を引く存在になれないか」と説いた。彼女もそれには同意するが、夫はどうしても美人に心を動かされる。チェチリアという愛人もおり、レオナルドはロドヴィコの要請で肖像も書いたことを、彼女は知っていた。
サライもレオナルドも、ベアトリチェが好きだし肖像画を書くことを勧めるが拒絶する。
しかし彼女には「頭の中に眼に見えない物差しを持っている」かのように多くの芸術家の魅力を見つけ出し発掘し、みな彼女のところに集まりだした。ロドヴィコもようやく妻のすぐれた良さを見出して愛しはじめるのだった。遂に彼は妻の肖像画を書くようレオナルドに要請するが、彼女はかたくなに拒絶した。
彼女の観察眼は、レオナルドがロドヴィコの要請で作った巨大な馬像を評して、「芸術と言うより努力のかたまり」と指摘し、折角の才能が金縛りになっているのを見抜いた。彼女はサライに、レオナルドの荒々しい、責任に縛られないものを持ち続けるよう気をつけるようアドヴァイスする。しかし間もなく彼女は22歳の若さでこの世を去る。そうした中でも、相変わらず権力者達は、美人の肖像画を描いてもらいたいとレオナルドに迫るが、乗り気にならない。
或る日見慣れぬ商人が自分の妻の肖像を先生に書いてもらいたいと現れる。サライはからかい半分にその妻を観たところ、ハッと胸を突かれる。「この人は、自分が美しくないことを知っていて、それをわきまえて生きている人だ。自分自身を受け入れて、その為に、人知れず深く、美しくなった人だ。その人の前に立つと、頭の中にあるその人だけの物差しで量られているいるような気のする、そんな人だ。人に喜びも与えられれば、苦しみも与えられる女性。耐えることのできる女性。幾層もの積み重ねを持った人だ。」とベアトリチェに重ねて思った。「彼女は、レオナルドが決して描けなかったベアトリチェの肖像になるだろう」と考えたサライは、レオナルドにこの女性の肖像画を描くよう説得しようと決心した。そこでサライは
奥様のお名前は?と聞く。商人は喜んで、お辞儀をして答える。
「私ですか?私はジョコンダです。」
(ベアトリチェがレオナルドに求めた「荒々しさ」は、ワイルドという言葉だが、それは何も荒々しいというだけでなく、野に咲く可憐な草花もワイルドだ。)
そしてもう一つのお話。デンマークのクリスチャン・アンデルセンの童話ですね。
アヒルの群の中で生まれたひな鳥が、他のアヒルの子に似ていないという理由でいじめられる。アヒルの親は七面鳥のひなかもしれないと判断した。周りのアヒルからあまりに辛く当たられることに耐えられなくなったひな鳥は家族の元から逃げ出すが、他の群れでもやはり醜いといじめられながら一冬を過ごす。生きることに疲れ切ったひな鳥は、殺してもらおうと白鳥の住む水地に行く。
しかし、いつの間にか大人になっていたひな鳥はそこで初めて、水面に映る自分の姿を見て、自分は「醜いアヒル」ではなく「美しい白鳥」であったことに気付く。
ようやく、3つの話を繋ぐ事が出来ました。
(念のために付け加えますと、ジョコンダ夫人とは、モナリザのこと。勿論ご存知でしたよネ。愚息が知らなかったものですから。)
フー!!
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