2010年03月11日
風景U
東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ
(ひんがしの のにかぎろひのたつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ)
柿本人麻呂 巻1・48
朝早くに日の出を待つのは、寒いものですが、このように美しい「かぎろい」を見ることが出来ました。もう少し早いとより良いのですが。人麻呂という人は日の出の前の予感のような美に加えてもう1つ、太陽が昇ると同時に落ちていく月、これが傾くのだという風景を取り合わせたものですね。
この何でもないことのようですけれど、2つのものを対比させたということ、これが、実は大きな宇宙の理・自然の理、これを発見したことになるスケールの大きな歌ですね。
世間も常にしあらば屋戸にある桜の花の散れる頃かも
久米女郎kumeno iratsume 巻8・1459
(よのなかもつねにしあらねばやどにあるさくらのはなのちれるころかも)
世間も移ろうものですから、あなたの心のように、家の桜の花とて散っている頃でしょうよ。
厚見王atsumino ookimiが贈った歌にこたえたもの。
この水の流れを借景した桜は、食いしん坊ですが、鳥寄せの為でもある我が家のサクランボの花です。
桜花咲きかも散ると見るまでに誰かも此処に見えて散りゆく
(柿本人麻呂 巻12・3129)
春を待ちに待った人々に桜は、その花の下で、毎年毎年行き交う何人の心を揺らし・さわがせたことでしょう。
染井吉野は未だですが、一足早く目を楽しませてくれるのは、「大島桜」です。
ももづたふ 磐余iwareの池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
(ももづたふ いわれのいけになくかもを きょうのみみてや くもがくりなむ)
大津皇子 巻3・416
鴨という鳥は万葉集ではどのように歌われていたか。
男性の鳥と女性の鳥、雄と雌というのがいつもペアになっているとそういう格好で歌われるようです。例のおしどりもこの一種なんですね。ですから、鴨というものは常に愛を象徴するような鳥として歌われ続けているんですね。
その鴨が、今、命終わろうとする時に、鋭く大津皇子が目を向けた、目に留まった。ここで、命(謀反の廉で処刑)と共に愛を喪失して行く、失って行く。そういうことをこの歌は歌おうとしている。
お后が、裸足で髪を振り乱してその場へ駆けって行って、すがりついて共に、殉死をしたというふうに書いてあるわけですね。(中西 進先生解説)
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