2015年07月17日
≪脚注≫ 何故中世の名工は、おのれの作品に名を刻まなかったか
注(1)
近世も近代と同じことであるという見解をとる。なぜなら近代が都市の文化であり、意識の文化であるなら、近世も紛れもなく都市の文化だからだ。従って江戸のみならず、平安の都市文化にも近代はあった。歴史は行ったり来たりであり、過去から未来にまっすぐ進歩するものというのは誤った進歩史観(イデオロギー)に過ぎない。そもそも「近世」とは無理に西洋の歴史観に合わせようとして、合わないから無理やり作った妥協の呼び方に過ぎないもので、立派に近代だと思います。
注(2) 信仰
全くの意識の無い状態から、何か観念を感じたとたんに、人間はそれに取りつかれる。そしてなんとか自身と関連付けたり、整理してどこかに置いておこうとする。それが意識(自分がここに住もうと決めた中心となる意識を自我とよぶ)であって、だから意識は後からの追認されたもの。意識ができると、こんどは、未だ整理されない観念がばらばらに回りに取り残されている違和感を感じる。これが無意識だ。これは広大だ。特にグーテンベルクの印刷術などが発明されてからは、人は大量の本を「黙読」できるようになった。これで特に音声で述べることが後退し、文字由来の黙読によって「無意識」が飛躍的に拡大した。
ラカンによれば、無意識の発生は、言語活動そのものの中にある。「無意識はひとつのランガージュ(言語活動で、人がパロール=個人的発話といった言語的行為をおこなうこと)として構造化されている」というテーゼを示した。たいていの言葉は、「他者の誰かを想定して」発達してきたわけだ。) 日記や小説を書かないと、「他者を想定した言葉」はその人の頭の中にたまっていく。それがある時、無意識のようなものとして出てくる。本能・恐怖・魔が差す・虫の知らせなど。長期間一人で過ごさざるを得ない時なんか、日記でなくともせめて「独り言」を大いに発しないと、おかしくなりますよ!捕まえとかないと無意識は一人歩きする。
そして、河合隼夫さんに言わせれば、自我とは整理された意識を束にしたたくさんのものの中で一番の派閥みたいなものだそうです(*1)。ほかにもいっぱい小さな束はもっているんです。みんなそうして多重人格を使い分けているんです。授業中に生徒さんの親御さんから電話が入れば、ころっと変わって、「ですます口調」になる。それでみんな笑うわけですが、そうしてみんな多重人格を使い分ける訳です。使い分けられるようになりなさいと言います。ただし自分の家は(自我からは)引っ越しちゃいけないよ。必ず戻ってきなさいよと。
「一般人は超多重人格であって、(人格の)数の少ない(不器用な)のが多重人格だという逆説もある(*2)。」
そこで信仰ですが、信仰とは何か「在るもの」に対するもの、外にある畏敬の念を感じるものに対する心の持ち方です。言語は「何か」を感じているからできた。正直ですね、「他者を想定」してるとはそのことですね。ノバーリスではありませんが人は何かに触っているんです。
それは見えるものではありません。小学校中学年くらいまでは、普通に感じているみたいですよ。その他者が。みんな何か決める時、空を見上げぶつぶつ相談している。宮崎駿さんはその他者を何かに「見立て」た。何に?トトロですね。おっさんになってくるとその感覚が薄れてきて、実在として感じなくなっちゃうんですね。
詩人の大岡信さんが、同郷の大作家芹沢光次良さんの葬儀の際に、弔辞として選んだ言葉は、「神シリーズ」の第1作「神の微笑」の解説文に載せられている。
「芹沢さんの文学に差し込んでいる本質的に明るい光は、私達一人一人に本来与えられているところの、現実世界とぴったり重ね合わせになっている高次の精神世界を感じ取る能力を、この作家が片時も曇らすことなく持ち続けたことの、こよなき証しなのだというほかないであろう」
注(3) 神
神とは、動物から人間に進化(横滑り)した瞬間に勝ちとった様々な能力の代わりに失った何かなのだ。(動物から人間に進化したきっかけは、勿論「立ちあがった」ことによる様々な利点とそれによって生まれた様々な困難を克服してきた遺伝子の戦略によるところが大きいのだが、これについては既にネオテニー(2011.6.9人間とは何かUネオテニー参照)の項で述べたので多くは語らない。唯結果的に最も重要だった戦略が「後退」だったことだけを述べておこう)。ここでは、ジョルジュ・バタイユが動物的なるものと人間的になるものの区別として挙げているのが、前者は「世界の内在性」であり、後者は「世界を否定し、外に出つつ、否定した方の自己でも又世界でもある自己矛盾性、分裂症(バタイユはこのような表現を使っていないが要約した)」であることを述べる。そこから、神とは、嘗ての動物性から外に飛び出た人間が、「必要性による行動に服従し、自己意識(本質なき存在の意識)へと横滑りするという問い」を忘れ、「即ち個人を「事物」にし(戻し)、さらに内奥性の拒否としてしまうというこの根本的な背理は、おそらくあるひとつの無力さを明るみに出すだろうが、この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となる(*3)」。その無力の中で知った沈黙の対象こそ「神」と呼ばれるものなのである。難しい表現ですが、ぶっちゃけ、進化の外に出ちゃったけど、自由になって、何とか感じているものや対象(見たもの)を外に表現してみた。絵や甲骨文字などで。コミュニケーションが取れた。たけどそれは以前と違った(間接的な)媒体・シンボルだった。そこで自己意識も、オブジェという意識も生まれ、はじめ(誕生)と終わり(死)=時間意識ができて不安で、恐ろしくなった。過去も知った。戻れないことも知った。そこから心が生まれた。元を振り返ってみると、帰りたいけど深い深淵で、そこからは何の答えも返ってこない。だから手にした必要性による行動力で計算高く生きていくしか他に判らない。と言ったところでしょうか。後悔して帰りたくとも戻れない。もうあっちの世界は見えなくなってしまった。リルケの言う様に、「我ら人間の眼は、動物の表情にあれほど深く表れている<開かれたもの>では無く、形ある世界(シンボル=表象)でしか見ることができな」くなっているのだ。これはリルケがドゥイノの悲歌で繰り返し詠っている人間の背理(パラドックス)だ。出たことによって、初めて感じた。重力をはじめとした宇宙観の存在物が我々を囲んでくれていた=生かされていたんだということを。それなのに、「あっち」を見ようとしない。有用性ばかりを(子どもにも)見させてるばかりだ。
すべての眼でいきたものたちは
<開かれた世界>を見ている。われら人間の眼だけが、
いわば反対の方向を見ている。そして罠として、生き者たちを、
かれらの自由な出口を、十重二十重にかこんでいる。
・・・おさない子ども達をさえも
私達はこちら向きにさせて
形態の世界(シンボルの世界)を見るように強いる。動物の目に
あれほど深くたたえられた開かれた世界を見せようとしない、死から
自由のその世界を (*4)
動物や植物や自然の世界は神を意識しない。自身がその一部だからだ。人はそこから飛び出た。もう帰れない人は、その元の世界(「あちら」)を、「こちら」から見て「そと」と呼ぶ。
「神はあるんだからしょうがない」と書きましたが、私は特段新興宗教を擁護している訳ではありませんのであしからず。まずもって、人に勧誘(布教)などという行為をする人間を信じません。それは自分の信心に自信が無いから人を巻き込むのだと思っています。人にものを教えたり、巻き込むことはそのひとを「変える」可能性がある。そんな責任のある事を、(本人の)自らの意志や偶然に任せない、無責任な人は信用できません。勿論、「あの世を証明する」などという勘違いには与しません。
注4 実在と存在
実在とは、発明(デッサンや数学のようなもの)であって、発見(石が転がっているのを認識するようなもの)とは違った意味で一旦区別する。神の意識も勿論発明だが、そうと言わなければ仕方ない何か「在るもの」なのだ。それは人間的を遥か越えて外にあるものだから、発明という形式で間接的にしか語れないということなのだろう。実在はたくさんある。むしろ満ち溢れていると言うべきである。心・気・意識・社会・世間・国家・代紋(エンブレム)・貨幣・お守り・学問(含む科学)、等々、数えればきりが無い。人間がそれに影響されて行動している対象は実在である。もちろん神も。これらはみなシンボル(表象)の形で発明された。人間と他の動物の違いを決定的にするものは道具を使う事よりも、シンボルを操ることであると思うのは異論が無いでしょう。シンボルは抽象化です。だから具体的なもんじゃない。鳥はチューチューでもチョットコイでもヒョーイヒョーイでも具体的な違いで交信し合っています。共通な「鳴き声」などという抽象的シンボルは必要ありません。だから言葉を必要としないのです。このことは鳥を見て、聞いていれば発見できますね。人間は発明も発見も両方もってしまったんです。むしろ発明物でがちがちに固めて、何もしなくても済むように楽をしようと、自らの「あちら」の生き者だった時の能力をどんどん削いでいきます。
でも、元をただせば実在するものも存在するものも、動き回っている量子状態まで広げれば、変わりが無いものなのです。密度の違いに過ぎないでしょう。人間だけが実在を考えだせる、知能が高い(でも知能って人間だけに必要なものなのかもしれませんよ)。そうかもしれない、でもそれは「世界を否定し、外に出たもの」の不安がつくりだしたものであり、その心の深いところの産物である脳が「見立てた」ものなのだ。人間の五感という狭い限られた劇場では見せることのできないものを、せめて「見たて」で示してくれたものなのだ。だからもっと大きな世界から見れば、実在も存在も(発明も発見も)同じものなのだ。
神々への意識とは、それらすべてを包括するものに対する「感覚」なのだ。即ち神の有無の証明はできない。従ってこのように背理法で説明するしかない。定義する様に、その周りを括ることで、「何々ではないもの」「もし神が無かったら、これこれのこころの動きは証明ができない」というものである。だからバタイユは「私は神を信じない、というのも私を信じないからである。神を信じるとは、私(自我)を信じることだ。神とは私(自我)に与えられたひとつの保証にしか過ぎない(*5)」と述べる。
注5 芸術
神の動きを真似たり、共に共振するのが舞踏や能の「振り」です。これには全く(人間的な)意味は無いようです。後の様々な舞踏の「振り」は観客への媚びが生んだものです(「媚態」)。それはそれで、神との関係では無く男女の関係に於いて、無常を自覚しながらもそこを敢えて引き受け、市井に身を投じる潔さの美学としての「いき」という方法もバロン九鬼が見つけた素晴らしい生き方だと思います。ただここは、神を真似て讃えるのですから、人間的な意味など在るわけがありません。唯「規則性の無いリズム(きまぐれな・1/fゆらぎのような)」だけなんです。鑑賞するものでなく参加するものですから。参加する人の気分が混じります。
それと芸術の関係ですが、その「神迎え」の儀式(神がマレビトとしての客で、主人はこれを迎える人だった)を、何と「神遊び(*6)」(客であってマレビトであったものを、即ち神をシテとして演じてしまう、そしてそれ(シテ)を接待する・繫ぎ役をするものをワキとして新たに設ける)にしてしまう大それた男たちが登場しました。彼等の名は世阿弥です(世阿弥も左甚五郎もあちこちの名匠の呼び名だから複数=つまり実は本人は誰だか判らなかったようです、シェイクスピアのように)。これって大革命だったようです。能が一歩抜け出た芸術となった瞬間かもしれません。もちろん主役が神から人間にかわったということも革命なんですが、それは自分が神になろうとしたといったそこまでのものではありませんでした。神を真似ているのですから、その崇める対象はしっかり在るんです。だからそこよりももっと重要な変化が別にあります。
それは観客と演じ手の主客の逆転です。もっと言えば見られていた(恥かしめられていた)から、見せている(勝ち誇っている)への大逆転なのです。古事記では芸能の発祥の起源として「漁業を生業・なりわいとする海幸彦が、山の獲物を獲る弟・山幸彦に負けた様を未来永劫演じ続ける」から始まるようですが(山幸彦とはヤマト朝廷、海幸彦とは「まつろわぬ人・従わない薩摩の人達・薩摩隼人」のことを指すようです)、辱められる方なのに、海幸彦(隼人)が活躍する時間がだんだん長いドラマになっていく。終いには負けるんですが。そうすると、隼人は徐々に観客の目に、見られるもの(恥かしめられるもの)から観客に見せるもの(勝ち誇るもの)に変わっていくんですね(*7)。筋としては負けるものであるのに。
世阿弥個人でいえば、権力者の衆道(男色)の餌食として辱められていた(見られていた・肉体的にも嬲られていた)稚児から、彼らに芸術を「見せる」側に回るという復讐と言って良いでしょう。
身近なところでも、「伊豆の踊子」だって、名作だなんて言ってますが、如何に表面はやさしくともあの一高生の甘ったれた「上から目線」で、何一つ引き受けようとしないぬくぬくとしたずるさと、逆にそれを真に受けて人生を賭けようとした踊子の真摯な気持ち、又説得され、道ならぬ恋を諦めなければならないと覚悟した悲哀の組合せが、何が青春の名作だ!と言いたいのです。残酷もてあそび・なぶりドラマじゃないか。川端というのはああいう人なんです。あの大きな眼で女性を嬲るという本質をもった小説家なんです。ちょっと言い過ぎたかも知れません、反省。あの踊り子が将来花魁や師匠にでもなって、「見られていた」性を、自分の意志で「見せつけてや」れば、一高生は自分が恥ずかしくなるでしょう。見ていた側から、見せられる側に回る訳で、立場は逆転するわけですから。が、今はそんな怨念はもたなくてもいい時代ですか。又よそ見をしてしまいました。
こうして神や亡霊迄をも演じてしまうようになりました。神の人間化の話とそれを利用した虐げられた賤民の逆襲という話でしたね。
15世紀というと、西の方でも間もなくゲルマン民族が都市化して、キリスト教も都市化し、ルネッサンスが始まり、自然より人工が幅を利かせるようになり、やがて宗教改革(神の人間化と貧民の逆襲)やシェイクスピアも登場します。どこでも同じ様な流れなんですね。
最もシェイクスピアでは「世界の裂け目」を見せて最高の悲劇を見せてくれましたが、能のように、その無念を溶かしてはくれませんでした。
建築をはじめとした絵画・音楽等様々な芸術も、初めは、みな神(自然)への信仰・接近・共感・共振だと思います。そして同じ様に建築は高く天に届きたい、絵画は色の論理に従って外に感じる存在の証を表現したい(ともすれば人工物の氾濫で感じなくなってしまう「色=輝き」の存在を思い起こさせたい・神や自然に寄り添いたい、音楽は、絵画同様雑踏にまぎれて、見えなくなってしまう・きこえなくなっている神聖な音が常にここに鳴っているんだということを知らせたい・音のリズムの呼ぶ方に向かって無となって自身のリズムを自然に溶け込ませたい。
(「文学とは言葉の謂いである」と吉田健一は喝破したが、)言葉は眼(絵画→右脳)や耳(音楽→右脳)が感覚したものを、左脳で共通にして(裏を返せば共通化できないものは捨てている・無いものと扱っている)シンボル化(言葉・お守り・墓・お金など)したものです(*8)。
話し言葉とは最初から「誰か相手を想定したもの」だった筈で、その相手は神だった。「ととろ」だった。それが「物語」だった。
それを、書き言葉いうシンボル化をして、原初の記憶を忘れないように記憶しておく。(お金というシンボルだって、最初は神に対する、あの世へ行っても宜しくという為の贈与(交換わいろ)の手段だった。まさしく支払いはお祓いだった。今でこそお賽銭はお寺で使ってしまいますが、発掘された寺院の柱や隅に和同開珎などが埋められているのはこの為と思われます。)贈与と言えば、神に対する贈与は貨幣ができる前は、生贄でしたね。既にお話ししたように、生贄にされる連中は未だ文字を持たず、従って心ももたず、時間も、死も無かったから、だから逃げ出さなかった。屠殺前の牛みたいですね。
印刷技術の発達で大量に記録できるようになって、物語は不要になるばかりか益々長編化して残しやすくなった。誰でも「黙読で」たくさん読みやすくなった。それに応じてして無意識が肥大した(*9)。それに比して物語が「あらすじ」になり下がった。漱石は言っています。「・・・筋を読む気なら、私だってそうします」「初めから読んだって、終いから読んだって、いい加減なところをいい加減に読んだって、良いわけじゃありませんか(*10)」。物語だって、あらすじだって方便でしょ、と。
目的も、相手は神(自然)の為でなく、無意識となった。主体が神(自然)から人間にとってかわりつつあった。
その人間達が溢れ返る心をどう整理するか。そのひとつに「記憶」があります。時間という抗えない摂理に対し、せめてもの挑戦。健康なままの臓器提供の為に育てられた子ども達の物語「わたしを離さないで」のカズオ・イシグロさんは言っています。「記憶とは、死に対する部分的な勝利なのです」と。この映画の中で「あなた達に心があるなんて」のセリフが印象的ですね。「心が無かったのはあんた達の方でしょ」ですよね。このような映画がつくられているという事は、もう殆んど現代人のこころが迷路に入っている証拠ですね。
でもこの記憶という方法は「人も自然もみんな常に変わっていることを、認めない」という大きな副作用があります。これについては又考えましょう。だってそれが無くなったら、「あちら」に戻ったことになっちゃいますから。
結局文学は、吉田健一さんに戻りますが、言葉がもたらした、心や無意識をどう処理するか、それはとどのつまり、「言葉とは何か」という問題になり、それが文学の目的だったんですね。
注6 見立て
「見たて」とは、足りない部分を想像で補う(想像に任せる)日本独特の美意識である。
古くは神武4年の「神武記」のころから始まる日本の庭から始まる。「三輪山山頂の巨大な磐座を「神の降ります庭」と見たて、やがて平地に降り、中央政権のマツリゴトの中心である「宮の庭」を形成する。これがいわゆる「都(宮処)」であった(*11)。国というものがそもそも「庭」の見立てであったかもしれないとも述べている。万葉集以来和歌の中に登場する「歌枕」などもその典型でしょう。古歌に詠まれた名所ですが、単にそれだけでは無く、有名な歌に詠まれた地名が後世になってもある定着したイメージを持つようになったもので、その地名が登場するだけで余分な説明をしなくともみな判っている。「宇治」は「憂し」をという様に、想像力がはたらく。
その「歌枕」を訪ねて、西行(佐藤義清)が旅します。近親相姦入り混じった崇徳院の怨霊の鎮魂が最大のものですが、平泉にも旅した。それは自身の故郷の身内でもある佐藤継信・忠信の鎮魂でした。
芭蕉が西行にあこがれ、彼を真似て奥の細道に旅立ったのですが、その西行の奥州行きは、武芸の天才にして政治に鈍感だった、生まれてくるのが遅すぎた悲運の武将源義経の奥州落ちを悼んだ鎮魂の旅でもあった。あこがれの西行の親族で、義経の危機に身を呈して壮絶な死を得た家臣佐藤継信・忠信の父佐藤庄司の旧跡を訪ね鎮魂することでもありました。(継信・忠信はもともと藤原秀衡の家臣だったが、主君の命に従い義経の忠臣となった人です)。芭蕉はあこがれの西行の生き方を自らの旅に見立てたわけです。もちろん鎮魂ですから真剣勝負でもありました。真似こそ「見たて」の基本です。さて「見たて」が如何に日本の文芸に重要だったかはお分かりと思いますが、最後に確認しておきます。
利休も藤原定家を追従し、この歌こそ、「詫び」の精神を示したものだと言いました。
見わたせば
花も紅葉も
なかりけり
浦の苫やの
秋の夕暮れ
初めて接した時は、何の感動もありませんでした。しかし能楽師の安田登さんの本を読んでから、目から鱗でした(*12)。
詫び茶が、当時の高級品「唐物・からもの」など何も贅沢なものは、と言って、聞いている人に素晴らしい名物の姿をパッート浮かび上がらせておいて、突然、なにもありませんがと、在り合わせで精一杯工夫した、つまり、贅沢を否定した粗末なものを差し出す。お「詫び」する。一度知った贅沢は消えません。それと眼の前の粗末だが恐ろしく深い真っ黒の茶碗やたった一輪の朝顔を、「どうだ!」と対比させる。
水が無いのに水を感じさせる石庭・枯山水。これだけあれば十分です、後は想像力でどうにでも。余分なものは、ものを見る目を曇らせる。鋤いて、鋤いて、鋤きまくる。洗練の極致が、「見たて」なんですね。これは定家の上の歌の説明でもあります。わざと4行に分けて書きました。一行一行声を出して、イメージしてから、次に進んでいただければ、見えてくるものと思います。
※「見たて」はそこに見えると「信じようとする」行為ではありません。つまり「こころ」で「意志」で見ようと想像する行為ではありません。本当に見えるようになる、つまり「こころ」では無く、そういうものを洗い流して(というよりもともとこの時代の人達には在りませんが)、身体・内臓からくる感覚で捉えるから本当に見えるのです。「こころ」よりもっと原始的な「思い」・無意識で感じるんです。雑念の無い無意識に踊っている・走っている時なんかが該当します。
(*1)河合隼夫著「無意識の構造」中公新書
(*2)中井久夫著「看護の為の精神医学」 医学書院P215
(*3) ジョルジュ・バタイユ・「宗教の理論」筑摩学芸文庫P16)
(*4)ライナー・マリア・リルケ「ドゥイノの悲歌」岩波文庫P60 第八の悲歌より
(*5) ジョルジュ・バタイユ著「有罪者」出口裕弘訳 現代思潮社(ガリマール版P382)
(*6)松岡正剛著「にほんとニッポン」工作舎 P187
(*7)安田登著 あわいの力 ミシマ社 P46〜49
(*8)養老孟司著「手入れという思想」新潮文庫 P90〜93
(*9)M.マクルーハン著「グーテンベルクの銀河系」みすず書房 P130,P260,P478
「無意識は文字文化のせいである」という。その再生産には、今も四六時中騒ぎまくっているテレビや新聞も一役買っているのだ。
(*10)夏目漱石著「草枕」岩波文庫P112)
(*11)松岡正剛「にほんとニッポン」工作舎P49
(*12) 安田登著 あわいの力 ミシマ社 P250〜253
近世も近代と同じことであるという見解をとる。なぜなら近代が都市の文化であり、意識の文化であるなら、近世も紛れもなく都市の文化だからだ。従って江戸のみならず、平安の都市文化にも近代はあった。歴史は行ったり来たりであり、過去から未来にまっすぐ進歩するものというのは誤った進歩史観(イデオロギー)に過ぎない。そもそも「近世」とは無理に西洋の歴史観に合わせようとして、合わないから無理やり作った妥協の呼び方に過ぎないもので、立派に近代だと思います。
注(2) 信仰
全くの意識の無い状態から、何か観念を感じたとたんに、人間はそれに取りつかれる。そしてなんとか自身と関連付けたり、整理してどこかに置いておこうとする。それが意識(自分がここに住もうと決めた中心となる意識を自我とよぶ)であって、だから意識は後からの追認されたもの。意識ができると、こんどは、未だ整理されない観念がばらばらに回りに取り残されている違和感を感じる。これが無意識だ。これは広大だ。特にグーテンベルクの印刷術などが発明されてからは、人は大量の本を「黙読」できるようになった。これで特に音声で述べることが後退し、文字由来の黙読によって「無意識」が飛躍的に拡大した。
ラカンによれば、無意識の発生は、言語活動そのものの中にある。「無意識はひとつのランガージュ(言語活動で、人がパロール=個人的発話といった言語的行為をおこなうこと)として構造化されている」というテーゼを示した。たいていの言葉は、「他者の誰かを想定して」発達してきたわけだ。) 日記や小説を書かないと、「他者を想定した言葉」はその人の頭の中にたまっていく。それがある時、無意識のようなものとして出てくる。本能・恐怖・魔が差す・虫の知らせなど。長期間一人で過ごさざるを得ない時なんか、日記でなくともせめて「独り言」を大いに発しないと、おかしくなりますよ!捕まえとかないと無意識は一人歩きする。
そして、河合隼夫さんに言わせれば、自我とは整理された意識を束にしたたくさんのものの中で一番の派閥みたいなものだそうです(*1)。ほかにもいっぱい小さな束はもっているんです。みんなそうして多重人格を使い分けているんです。授業中に生徒さんの親御さんから電話が入れば、ころっと変わって、「ですます口調」になる。それでみんな笑うわけですが、そうしてみんな多重人格を使い分ける訳です。使い分けられるようになりなさいと言います。ただし自分の家は(自我からは)引っ越しちゃいけないよ。必ず戻ってきなさいよと。
「一般人は超多重人格であって、(人格の)数の少ない(不器用な)のが多重人格だという逆説もある(*2)。」
そこで信仰ですが、信仰とは何か「在るもの」に対するもの、外にある畏敬の念を感じるものに対する心の持ち方です。言語は「何か」を感じているからできた。正直ですね、「他者を想定」してるとはそのことですね。ノバーリスではありませんが人は何かに触っているんです。
それは見えるものではありません。小学校中学年くらいまでは、普通に感じているみたいですよ。その他者が。みんな何か決める時、空を見上げぶつぶつ相談している。宮崎駿さんはその他者を何かに「見立て」た。何に?トトロですね。おっさんになってくるとその感覚が薄れてきて、実在として感じなくなっちゃうんですね。
詩人の大岡信さんが、同郷の大作家芹沢光次良さんの葬儀の際に、弔辞として選んだ言葉は、「神シリーズ」の第1作「神の微笑」の解説文に載せられている。
「芹沢さんの文学に差し込んでいる本質的に明るい光は、私達一人一人に本来与えられているところの、現実世界とぴったり重ね合わせになっている高次の精神世界を感じ取る能力を、この作家が片時も曇らすことなく持ち続けたことの、こよなき証しなのだというほかないであろう」
注(3) 神
神とは、動物から人間に進化(横滑り)した瞬間に勝ちとった様々な能力の代わりに失った何かなのだ。(動物から人間に進化したきっかけは、勿論「立ちあがった」ことによる様々な利点とそれによって生まれた様々な困難を克服してきた遺伝子の戦略によるところが大きいのだが、これについては既にネオテニー(2011.6.9人間とは何かUネオテニー参照)の項で述べたので多くは語らない。唯結果的に最も重要だった戦略が「後退」だったことだけを述べておこう)。ここでは、ジョルジュ・バタイユが動物的なるものと人間的になるものの区別として挙げているのが、前者は「世界の内在性」であり、後者は「世界を否定し、外に出つつ、否定した方の自己でも又世界でもある自己矛盾性、分裂症(バタイユはこのような表現を使っていないが要約した)」であることを述べる。そこから、神とは、嘗ての動物性から外に飛び出た人間が、「必要性による行動に服従し、自己意識(本質なき存在の意識)へと横滑りするという問い」を忘れ、「即ち個人を「事物」にし(戻し)、さらに内奥性の拒否としてしまうというこの根本的な背理は、おそらくあるひとつの無力さを明るみに出すだろうが、この無力さの叫びこそ最も深奥にある沈黙への前奏曲となる(*3)」。その無力の中で知った沈黙の対象こそ「神」と呼ばれるものなのである。難しい表現ですが、ぶっちゃけ、進化の外に出ちゃったけど、自由になって、何とか感じているものや対象(見たもの)を外に表現してみた。絵や甲骨文字などで。コミュニケーションが取れた。たけどそれは以前と違った(間接的な)媒体・シンボルだった。そこで自己意識も、オブジェという意識も生まれ、はじめ(誕生)と終わり(死)=時間意識ができて不安で、恐ろしくなった。過去も知った。戻れないことも知った。そこから心が生まれた。元を振り返ってみると、帰りたいけど深い深淵で、そこからは何の答えも返ってこない。だから手にした必要性による行動力で計算高く生きていくしか他に判らない。と言ったところでしょうか。後悔して帰りたくとも戻れない。もうあっちの世界は見えなくなってしまった。リルケの言う様に、「我ら人間の眼は、動物の表情にあれほど深く表れている<開かれたもの>では無く、形ある世界(シンボル=表象)でしか見ることができな」くなっているのだ。これはリルケがドゥイノの悲歌で繰り返し詠っている人間の背理(パラドックス)だ。出たことによって、初めて感じた。重力をはじめとした宇宙観の存在物が我々を囲んでくれていた=生かされていたんだということを。それなのに、「あっち」を見ようとしない。有用性ばかりを(子どもにも)見させてるばかりだ。
すべての眼でいきたものたちは
<開かれた世界>を見ている。われら人間の眼だけが、
いわば反対の方向を見ている。そして罠として、生き者たちを、
かれらの自由な出口を、十重二十重にかこんでいる。
・・・おさない子ども達をさえも
私達はこちら向きにさせて
形態の世界(シンボルの世界)を見るように強いる。動物の目に
あれほど深くたたえられた開かれた世界を見せようとしない、死から
自由のその世界を (*4)
動物や植物や自然の世界は神を意識しない。自身がその一部だからだ。人はそこから飛び出た。もう帰れない人は、その元の世界(「あちら」)を、「こちら」から見て「そと」と呼ぶ。
「神はあるんだからしょうがない」と書きましたが、私は特段新興宗教を擁護している訳ではありませんのであしからず。まずもって、人に勧誘(布教)などという行為をする人間を信じません。それは自分の信心に自信が無いから人を巻き込むのだと思っています。人にものを教えたり、巻き込むことはそのひとを「変える」可能性がある。そんな責任のある事を、(本人の)自らの意志や偶然に任せない、無責任な人は信用できません。勿論、「あの世を証明する」などという勘違いには与しません。
注4 実在と存在
実在とは、発明(デッサンや数学のようなもの)であって、発見(石が転がっているのを認識するようなもの)とは違った意味で一旦区別する。神の意識も勿論発明だが、そうと言わなければ仕方ない何か「在るもの」なのだ。それは人間的を遥か越えて外にあるものだから、発明という形式で間接的にしか語れないということなのだろう。実在はたくさんある。むしろ満ち溢れていると言うべきである。心・気・意識・社会・世間・国家・代紋(エンブレム)・貨幣・お守り・学問(含む科学)、等々、数えればきりが無い。人間がそれに影響されて行動している対象は実在である。もちろん神も。これらはみなシンボル(表象)の形で発明された。人間と他の動物の違いを決定的にするものは道具を使う事よりも、シンボルを操ることであると思うのは異論が無いでしょう。シンボルは抽象化です。だから具体的なもんじゃない。鳥はチューチューでもチョットコイでもヒョーイヒョーイでも具体的な違いで交信し合っています。共通な「鳴き声」などという抽象的シンボルは必要ありません。だから言葉を必要としないのです。このことは鳥を見て、聞いていれば発見できますね。人間は発明も発見も両方もってしまったんです。むしろ発明物でがちがちに固めて、何もしなくても済むように楽をしようと、自らの「あちら」の生き者だった時の能力をどんどん削いでいきます。
でも、元をただせば実在するものも存在するものも、動き回っている量子状態まで広げれば、変わりが無いものなのです。密度の違いに過ぎないでしょう。人間だけが実在を考えだせる、知能が高い(でも知能って人間だけに必要なものなのかもしれませんよ)。そうかもしれない、でもそれは「世界を否定し、外に出たもの」の不安がつくりだしたものであり、その心の深いところの産物である脳が「見立てた」ものなのだ。人間の五感という狭い限られた劇場では見せることのできないものを、せめて「見たて」で示してくれたものなのだ。だからもっと大きな世界から見れば、実在も存在も(発明も発見も)同じものなのだ。
神々への意識とは、それらすべてを包括するものに対する「感覚」なのだ。即ち神の有無の証明はできない。従ってこのように背理法で説明するしかない。定義する様に、その周りを括ることで、「何々ではないもの」「もし神が無かったら、これこれのこころの動きは証明ができない」というものである。だからバタイユは「私は神を信じない、というのも私を信じないからである。神を信じるとは、私(自我)を信じることだ。神とは私(自我)に与えられたひとつの保証にしか過ぎない(*5)」と述べる。
注5 芸術
神の動きを真似たり、共に共振するのが舞踏や能の「振り」です。これには全く(人間的な)意味は無いようです。後の様々な舞踏の「振り」は観客への媚びが生んだものです(「媚態」)。それはそれで、神との関係では無く男女の関係に於いて、無常を自覚しながらもそこを敢えて引き受け、市井に身を投じる潔さの美学としての「いき」という方法もバロン九鬼が見つけた素晴らしい生き方だと思います。ただここは、神を真似て讃えるのですから、人間的な意味など在るわけがありません。唯「規則性の無いリズム(きまぐれな・1/fゆらぎのような)」だけなんです。鑑賞するものでなく参加するものですから。参加する人の気分が混じります。
それと芸術の関係ですが、その「神迎え」の儀式(神がマレビトとしての客で、主人はこれを迎える人だった)を、何と「神遊び(*6)」(客であってマレビトであったものを、即ち神をシテとして演じてしまう、そしてそれ(シテ)を接待する・繫ぎ役をするものをワキとして新たに設ける)にしてしまう大それた男たちが登場しました。彼等の名は世阿弥です(世阿弥も左甚五郎もあちこちの名匠の呼び名だから複数=つまり実は本人は誰だか判らなかったようです、シェイクスピアのように)。これって大革命だったようです。能が一歩抜け出た芸術となった瞬間かもしれません。もちろん主役が神から人間にかわったということも革命なんですが、それは自分が神になろうとしたといったそこまでのものではありませんでした。神を真似ているのですから、その崇める対象はしっかり在るんです。だからそこよりももっと重要な変化が別にあります。
それは観客と演じ手の主客の逆転です。もっと言えば見られていた(恥かしめられていた)から、見せている(勝ち誇っている)への大逆転なのです。古事記では芸能の発祥の起源として「漁業を生業・なりわいとする海幸彦が、山の獲物を獲る弟・山幸彦に負けた様を未来永劫演じ続ける」から始まるようですが(山幸彦とはヤマト朝廷、海幸彦とは「まつろわぬ人・従わない薩摩の人達・薩摩隼人」のことを指すようです)、辱められる方なのに、海幸彦(隼人)が活躍する時間がだんだん長いドラマになっていく。終いには負けるんですが。そうすると、隼人は徐々に観客の目に、見られるもの(恥かしめられるもの)から観客に見せるもの(勝ち誇るもの)に変わっていくんですね(*7)。筋としては負けるものであるのに。
世阿弥個人でいえば、権力者の衆道(男色)の餌食として辱められていた(見られていた・肉体的にも嬲られていた)稚児から、彼らに芸術を「見せる」側に回るという復讐と言って良いでしょう。
身近なところでも、「伊豆の踊子」だって、名作だなんて言ってますが、如何に表面はやさしくともあの一高生の甘ったれた「上から目線」で、何一つ引き受けようとしないぬくぬくとしたずるさと、逆にそれを真に受けて人生を賭けようとした踊子の真摯な気持ち、又説得され、道ならぬ恋を諦めなければならないと覚悟した悲哀の組合せが、何が青春の名作だ!と言いたいのです。残酷もてあそび・なぶりドラマじゃないか。川端というのはああいう人なんです。あの大きな眼で女性を嬲るという本質をもった小説家なんです。ちょっと言い過ぎたかも知れません、反省。あの踊り子が将来花魁や師匠にでもなって、「見られていた」性を、自分の意志で「見せつけてや」れば、一高生は自分が恥ずかしくなるでしょう。見ていた側から、見せられる側に回る訳で、立場は逆転するわけですから。が、今はそんな怨念はもたなくてもいい時代ですか。又よそ見をしてしまいました。
こうして神や亡霊迄をも演じてしまうようになりました。神の人間化の話とそれを利用した虐げられた賤民の逆襲という話でしたね。
15世紀というと、西の方でも間もなくゲルマン民族が都市化して、キリスト教も都市化し、ルネッサンスが始まり、自然より人工が幅を利かせるようになり、やがて宗教改革(神の人間化と貧民の逆襲)やシェイクスピアも登場します。どこでも同じ様な流れなんですね。
最もシェイクスピアでは「世界の裂け目」を見せて最高の悲劇を見せてくれましたが、能のように、その無念を溶かしてはくれませんでした。
建築をはじめとした絵画・音楽等様々な芸術も、初めは、みな神(自然)への信仰・接近・共感・共振だと思います。そして同じ様に建築は高く天に届きたい、絵画は色の論理に従って外に感じる存在の証を表現したい(ともすれば人工物の氾濫で感じなくなってしまう「色=輝き」の存在を思い起こさせたい・神や自然に寄り添いたい、音楽は、絵画同様雑踏にまぎれて、見えなくなってしまう・きこえなくなっている神聖な音が常にここに鳴っているんだということを知らせたい・音のリズムの呼ぶ方に向かって無となって自身のリズムを自然に溶け込ませたい。
(「文学とは言葉の謂いである」と吉田健一は喝破したが、)言葉は眼(絵画→右脳)や耳(音楽→右脳)が感覚したものを、左脳で共通にして(裏を返せば共通化できないものは捨てている・無いものと扱っている)シンボル化(言葉・お守り・墓・お金など)したものです(*8)。
話し言葉とは最初から「誰か相手を想定したもの」だった筈で、その相手は神だった。「ととろ」だった。それが「物語」だった。
それを、書き言葉いうシンボル化をして、原初の記憶を忘れないように記憶しておく。(お金というシンボルだって、最初は神に対する、あの世へ行っても宜しくという為の贈与(交換わいろ)の手段だった。まさしく支払いはお祓いだった。今でこそお賽銭はお寺で使ってしまいますが、発掘された寺院の柱や隅に和同開珎などが埋められているのはこの為と思われます。)贈与と言えば、神に対する贈与は貨幣ができる前は、生贄でしたね。既にお話ししたように、生贄にされる連中は未だ文字を持たず、従って心ももたず、時間も、死も無かったから、だから逃げ出さなかった。屠殺前の牛みたいですね。
印刷技術の発達で大量に記録できるようになって、物語は不要になるばかりか益々長編化して残しやすくなった。誰でも「黙読で」たくさん読みやすくなった。それに応じてして無意識が肥大した(*9)。それに比して物語が「あらすじ」になり下がった。漱石は言っています。「・・・筋を読む気なら、私だってそうします」「初めから読んだって、終いから読んだって、いい加減なところをいい加減に読んだって、良いわけじゃありませんか(*10)」。物語だって、あらすじだって方便でしょ、と。
目的も、相手は神(自然)の為でなく、無意識となった。主体が神(自然)から人間にとってかわりつつあった。
その人間達が溢れ返る心をどう整理するか。そのひとつに「記憶」があります。時間という抗えない摂理に対し、せめてもの挑戦。健康なままの臓器提供の為に育てられた子ども達の物語「わたしを離さないで」のカズオ・イシグロさんは言っています。「記憶とは、死に対する部分的な勝利なのです」と。この映画の中で「あなた達に心があるなんて」のセリフが印象的ですね。「心が無かったのはあんた達の方でしょ」ですよね。このような映画がつくられているという事は、もう殆んど現代人のこころが迷路に入っている証拠ですね。
でもこの記憶という方法は「人も自然もみんな常に変わっていることを、認めない」という大きな副作用があります。これについては又考えましょう。だってそれが無くなったら、「あちら」に戻ったことになっちゃいますから。
結局文学は、吉田健一さんに戻りますが、言葉がもたらした、心や無意識をどう処理するか、それはとどのつまり、「言葉とは何か」という問題になり、それが文学の目的だったんですね。
注6 見立て
「見たて」とは、足りない部分を想像で補う(想像に任せる)日本独特の美意識である。
古くは神武4年の「神武記」のころから始まる日本の庭から始まる。「三輪山山頂の巨大な磐座を「神の降ります庭」と見たて、やがて平地に降り、中央政権のマツリゴトの中心である「宮の庭」を形成する。これがいわゆる「都(宮処)」であった(*11)。国というものがそもそも「庭」の見立てであったかもしれないとも述べている。万葉集以来和歌の中に登場する「歌枕」などもその典型でしょう。古歌に詠まれた名所ですが、単にそれだけでは無く、有名な歌に詠まれた地名が後世になってもある定着したイメージを持つようになったもので、その地名が登場するだけで余分な説明をしなくともみな判っている。「宇治」は「憂し」をという様に、想像力がはたらく。
その「歌枕」を訪ねて、西行(佐藤義清)が旅します。近親相姦入り混じった崇徳院の怨霊の鎮魂が最大のものですが、平泉にも旅した。それは自身の故郷の身内でもある佐藤継信・忠信の鎮魂でした。
芭蕉が西行にあこがれ、彼を真似て奥の細道に旅立ったのですが、その西行の奥州行きは、武芸の天才にして政治に鈍感だった、生まれてくるのが遅すぎた悲運の武将源義経の奥州落ちを悼んだ鎮魂の旅でもあった。あこがれの西行の親族で、義経の危機に身を呈して壮絶な死を得た家臣佐藤継信・忠信の父佐藤庄司の旧跡を訪ね鎮魂することでもありました。(継信・忠信はもともと藤原秀衡の家臣だったが、主君の命に従い義経の忠臣となった人です)。芭蕉はあこがれの西行の生き方を自らの旅に見立てたわけです。もちろん鎮魂ですから真剣勝負でもありました。真似こそ「見たて」の基本です。さて「見たて」が如何に日本の文芸に重要だったかはお分かりと思いますが、最後に確認しておきます。
利休も藤原定家を追従し、この歌こそ、「詫び」の精神を示したものだと言いました。
見わたせば
花も紅葉も
なかりけり
浦の苫やの
秋の夕暮れ
初めて接した時は、何の感動もありませんでした。しかし能楽師の安田登さんの本を読んでから、目から鱗でした(*12)。
詫び茶が、当時の高級品「唐物・からもの」など何も贅沢なものは、と言って、聞いている人に素晴らしい名物の姿をパッート浮かび上がらせておいて、突然、なにもありませんがと、在り合わせで精一杯工夫した、つまり、贅沢を否定した粗末なものを差し出す。お「詫び」する。一度知った贅沢は消えません。それと眼の前の粗末だが恐ろしく深い真っ黒の茶碗やたった一輪の朝顔を、「どうだ!」と対比させる。
水が無いのに水を感じさせる石庭・枯山水。これだけあれば十分です、後は想像力でどうにでも。余分なものは、ものを見る目を曇らせる。鋤いて、鋤いて、鋤きまくる。洗練の極致が、「見たて」なんですね。これは定家の上の歌の説明でもあります。わざと4行に分けて書きました。一行一行声を出して、イメージしてから、次に進んでいただければ、見えてくるものと思います。
※「見たて」はそこに見えると「信じようとする」行為ではありません。つまり「こころ」で「意志」で見ようと想像する行為ではありません。本当に見えるようになる、つまり「こころ」では無く、そういうものを洗い流して(というよりもともとこの時代の人達には在りませんが)、身体・内臓からくる感覚で捉えるから本当に見えるのです。「こころ」よりもっと原始的な「思い」・無意識で感じるんです。雑念の無い無意識に踊っている・走っている時なんかが該当します。
(*1)河合隼夫著「無意識の構造」中公新書
(*2)中井久夫著「看護の為の精神医学」 医学書院P215
(*3) ジョルジュ・バタイユ・「宗教の理論」筑摩学芸文庫P16)
(*4)ライナー・マリア・リルケ「ドゥイノの悲歌」岩波文庫P60 第八の悲歌より
(*5) ジョルジュ・バタイユ著「有罪者」出口裕弘訳 現代思潮社(ガリマール版P382)
(*6)松岡正剛著「にほんとニッポン」工作舎 P187
(*7)安田登著 あわいの力 ミシマ社 P46〜49
(*8)養老孟司著「手入れという思想」新潮文庫 P90〜93
(*9)M.マクルーハン著「グーテンベルクの銀河系」みすず書房 P130,P260,P478
「無意識は文字文化のせいである」という。その再生産には、今も四六時中騒ぎまくっているテレビや新聞も一役買っているのだ。
(*10)夏目漱石著「草枕」岩波文庫P112)
(*11)松岡正剛「にほんとニッポン」工作舎P49
(*12) 安田登著 あわいの力 ミシマ社 P250〜253
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