2013年08月15日
仏の留守番
猛暑ですね。誰のせいなのか確実に気候の変わりつつある地球。亜熱帯化している日本。
ここでいつものように愚痴をこぼしても始まりません。人と自然の流れはともに、行くところまで行かなければけりはつかないのですから。せめてその変化に応じた新しいライフスタイルと文化の誕生するのを願うのみです。
今はお盆でどこもかしこも、子ども連れで賑わっています。家には未だ孫がおりませんので、額に汗して「おとうさん」した昔を涼しげに想い起すのみです。13日に迎え火を焚いて、せめて年の数日くらいは先祖のことに想いを馳せる機会を持つのも必要なことではないかと、旧暦7月・太陽暦八月の満月の夜に(15日)先祖の祭りを執り行い、魂を家に迎えて数日を共に過ごす。
そういえばお盆という言葉は仏教からきているものですが、日本にも
*晩夏の新月(1日)の禊(ミソギ)・・・・・・・夏越の祓
*初秋の半月(7日)の禊(ミソギ)・・・・・・・これが「七夕」と重なりました。
*初秋の満月(15日)の禊(ミソギ)・・・・・・これが「お盆」と重なりました。
があったようです。七夕は中国伝来の星まつりですが、日本ではこの日水辺に出て禊をする風習があったようです。お盆は御存知盂蘭盆会ですが、日本でも古くから、満月の先祖祭ととして一年の前半が終わって、後半に入るけじめの月として精霊を鎮め、「死と蘇生」の儀式を行うんですね。
すこし引用を。
田中優子; 学生を連れて、秋田に行った時、簾内敬司(スノウチケイジ)さんというエッセイストに巡り合ったんです。・・・・・秋田市の白神山地に近い二ツ井町というところにじーっとしていらしてる方なんです。(隠れて生きてますね)・・・・・・その時「案内してあげる ところがある」と言われて連れて行ってもらったのが伊勢堂ぬたというところのストーンサークルだったんです。」
松岡正剛: 環状列石ね。
田中優子; 「この石は、あの川から運んできた。河原の石をわざわざここに持ってきた。なぜならあの川は地球の血液だ。だからあの石には命がある。だからここへ持ってきた。」で、「このストーンサークルとストーンサークルの間で踊ったんだ。秋田の鹿踊り(シシオドリ)のようなものだ。」とおっしゃった。昼間だったけれど本当に星が降りてきたような気がした。簾内さんがその話を、亡くなった藤田省三さんにしたら、「それは何か隠れる瞬間があるでしょ」とおっしゃったんですって。簾内さんは「えっ」と驚いて聞いてみたら、鹿踊りには踊っている最中に誰かが隠れるんです。でもう一度出てくるんですって。「これこそ、死と蘇生だ」っておっしゃったけれど、そういう「死と蘇生」を踊りの中でやるんですね。
松岡正剛; 折口信夫がみたら感激するでしょうね。
田中優子; 私の先生が高知の西寺というお寺でお墓に入っているので、そこの盆踊りを見に行ったことがあるんですが、その時に感じたんですね。わたしは初めて「盆踊りってこれなんだ!」と思った。ぐるぐると回っているんですけど地の底に隠れて行くみたいだったんです。それで又浮上してくるような踊りです。陰々滅々とした盆踊りなんですね。」
松岡正剛; 「本来の盆ってそういうものですね。盆踊りは地霊や死者が上がってくるのをもう一度踏み鎮めている訳ですね。それにしてもその「隠れる」という踊りを新たに再生しているのはすごいね。それはまた「山伏」という言葉にも繋がってくる。」
こういう話はめったに聞けないので、載せました。(連塾・方法日本Uより)
それにしても、「お盆」は、仏さんがたまに帰ってくるというのに、家の人は
たま(?)の休みとばかり、帰ってきた仏さんに留守番させて、観光・観光ですかね?
闇うつくし泉美し夏祓 高野素十(スジュウ)
アッ、それから、送り火ですがね、皆さん16日の朝に、供え物を川に流す(橋を跨がしてくださいよ。)ので、15日の晩にやる方がいらっしゃいますが、それは違いますので。
16日の晩が正式です。ええ。
大文字の送り火も16日ですもんね。それでは又。
ここでいつものように愚痴をこぼしても始まりません。人と自然の流れはともに、行くところまで行かなければけりはつかないのですから。せめてその変化に応じた新しいライフスタイルと文化の誕生するのを願うのみです。
今はお盆でどこもかしこも、子ども連れで賑わっています。家には未だ孫がおりませんので、額に汗して「おとうさん」した昔を涼しげに想い起すのみです。13日に迎え火を焚いて、せめて年の数日くらいは先祖のことに想いを馳せる機会を持つのも必要なことではないかと、旧暦7月・太陽暦八月の満月の夜に(15日)先祖の祭りを執り行い、魂を家に迎えて数日を共に過ごす。
そういえばお盆という言葉は仏教からきているものですが、日本にも
*晩夏の新月(1日)の禊(ミソギ)・・・・・・・夏越の祓
*初秋の半月(7日)の禊(ミソギ)・・・・・・・これが「七夕」と重なりました。
*初秋の満月(15日)の禊(ミソギ)・・・・・・これが「お盆」と重なりました。
があったようです。七夕は中国伝来の星まつりですが、日本ではこの日水辺に出て禊をする風習があったようです。お盆は御存知盂蘭盆会ですが、日本でも古くから、満月の先祖祭ととして一年の前半が終わって、後半に入るけじめの月として精霊を鎮め、「死と蘇生」の儀式を行うんですね。
すこし引用を。
田中優子; 学生を連れて、秋田に行った時、簾内敬司(スノウチケイジ)さんというエッセイストに巡り合ったんです。・・・・・秋田市の白神山地に近い二ツ井町というところにじーっとしていらしてる方なんです。(隠れて生きてますね)・・・・・・その時「案内してあげる ところがある」と言われて連れて行ってもらったのが伊勢堂ぬたというところのストーンサークルだったんです。」
松岡正剛: 環状列石ね。
田中優子; 「この石は、あの川から運んできた。河原の石をわざわざここに持ってきた。なぜならあの川は地球の血液だ。だからあの石には命がある。だからここへ持ってきた。」で、「このストーンサークルとストーンサークルの間で踊ったんだ。秋田の鹿踊り(シシオドリ)のようなものだ。」とおっしゃった。昼間だったけれど本当に星が降りてきたような気がした。簾内さんがその話を、亡くなった藤田省三さんにしたら、「それは何か隠れる瞬間があるでしょ」とおっしゃったんですって。簾内さんは「えっ」と驚いて聞いてみたら、鹿踊りには踊っている最中に誰かが隠れるんです。でもう一度出てくるんですって。「これこそ、死と蘇生だ」っておっしゃったけれど、そういう「死と蘇生」を踊りの中でやるんですね。
松岡正剛; 折口信夫がみたら感激するでしょうね。
田中優子; 私の先生が高知の西寺というお寺でお墓に入っているので、そこの盆踊りを見に行ったことがあるんですが、その時に感じたんですね。わたしは初めて「盆踊りってこれなんだ!」と思った。ぐるぐると回っているんですけど地の底に隠れて行くみたいだったんです。それで又浮上してくるような踊りです。陰々滅々とした盆踊りなんですね。」
松岡正剛; 「本来の盆ってそういうものですね。盆踊りは地霊や死者が上がってくるのをもう一度踏み鎮めている訳ですね。それにしてもその「隠れる」という踊りを新たに再生しているのはすごいね。それはまた「山伏」という言葉にも繋がってくる。」
こういう話はめったに聞けないので、載せました。(連塾・方法日本Uより)
それにしても、「お盆」は、仏さんがたまに帰ってくるというのに、家の人は
たま(?)の休みとばかり、帰ってきた仏さんに留守番させて、観光・観光ですかね?
闇うつくし泉美し夏祓 高野素十(スジュウ)
アッ、それから、送り火ですがね、皆さん16日の朝に、供え物を川に流す(橋を跨がしてくださいよ。)ので、15日の晩にやる方がいらっしゃいますが、それは違いますので。
16日の晩が正式です。ええ。
大文字の送り火も16日ですもんね。それでは又。
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<a href="http://www.gjtrgp1w5c3s2rp4j91187w18ny55g21s.org/">asshvvzbgge</a>
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