2013年07月01日
青嵐
青あらし 天守に登る 草履あり(前田普羅)
草原や森の木々を渡る風は心地よいものですね。(モミジバフウの木です。カエデ科で、メープルリーフに似て紅葉時はそれは美しい最後の葉姿を見せてくれます。)
久しぶりに明るい空が見えた御殿場で、秩父宮邸におじゃましました。
実は青嵐ほど強い風ではなかったのですが、むしろ「薫風」という感じでしたが、清々しい風に、つい想い起こしてしまいました。
紫陽花のどの花となく雫かな (岩井英雄)
名句ですね。
「インパチェンス・ノリタンゲン(「癇癪持ちの触るな草」という意)」なる植物が「黄釣船草」というたまたま引っこ抜いてきた植物のことだとわかって喜んだりする。 この数日間の植物界見物は」と寺田寅彦の随筆「草をのぞく」にある。
たまたま通りかかったら、カメラマンのような方が夢中でシャッターを切っていたので、ずーずーしく
聞きました。「何取ってるんですか?」と。そんな最中にも、癇癪を起すことなく、親切に教えてくれました。ありがとうございました!
前回、「仕事」で紹介した河井寛次郎さんの、作品が展示されていました。
鉄釉(てつゆう)とは、酸化鉄を多く含んだ、黒褐色を現す 釉薬のことで、、 ライトグレーの比較的光沢のある釉薬と、渋い 鉄釉とのツートンで派手さはありませんが、飽 きの来ない深い味わいがありますね。秩父宮さまのコレクションだったんですね。コレクションと言えばあの「韋駄天お正」と言われた天才批評家白州正子さんが、数々の名品・書画骨董を残されたそうです。
ある人がギャラリーや骨董屋で素晴らしいいたく感動した李朝の壺を見つけたとする。その人はこの時その壺の「面影」に心ひかれていたのであり、壺に魅せられていると錯覚して大金を投じて自分のものにしたいと思っても、果たして壺はその人のものになったのか。という問題が生じる。独占或いは所有が壺にとっては痛くも痒くも無いのは自明のことだ。つぼの面影とはその人のものなのにそこに気づかないから満足できず壺を買う。その人が手にしているのは春霞のような面影だけなのだ。」「何であれ死後にものを残すのはあまりいい事ではない」(長谷川櫂)
そういえば、私がその名をお借りしている大仏次郎の「冬の紳士」にもあった「人間は荷物をこしらえてはいけないのです」・・・・・うーん。意味深ですね。
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