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第329回 新婦人協会 [2016/08/22 14:09]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年二月一日、『労働運動』二次二号が発刊された。
労働運動社が神田区駿河台北甲賀町の駿台倶楽部内に移ったのは一月中旬だったが、以降、大杉は麹町区有楽町の露国興信所(ロシア人経営の貸しアパート)から、駿河台の労働運動社まで通った。
「病室から」(『労働運動』二次二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)によれば、大杉は奥山医師からは「絶対安静」..
第312回 ローザ・ルクセンブルク [2016/08/02 17:43]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』第一次第五号に「堺利彦論(五〜九)」の他に、「外国時事」欄に「独逸労働者の奮闘」と「米国鉄道罷業」、および「ざつろく」(いずれも『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)を書いた。
一九二〇(大正九)年三月十三日、ヴァイマル共和政下のドイツにおいて、右派ヴォルフガング・カップによるクーデターが起きた(カップ一揆)。
ベルリンを脱出した大統領フリードリヒ・エーベルトは、労働組合のゼネストによって..
第301回 下婢 [2016/07/21 11:55]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』一九二〇年二月号(一次四号)に、「堺利彦論」の前編、および八面(婦人欄)に「争議二件」「閑却されたる下婢(かひ)」「友愛会婦人部独立」「消息其他」を書いた。
「争議二件」は富士瓦斯(がす)紡績押上工場の争議、相州平塚町の相模紡績の争議の短信である。
相模紡績について野枝は「女工虐待では有名な」と書いている。
「閑却されたる下婢(かひ)」の冒頭で、野枝はこう書いている。
婦人の労働..
第299回 山川菊栄論 [2016/07/19 17:50]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『解放』一月号(一九二〇年一月号・第二巻第一号)に「山川菊栄論」を書いた。
「新時代の新人物月旦」欄の一文で、他に黒田礼二「森戸辰男論」、新明正道「島田清次郎論」が掲載された。
野枝は前振りとしてこんなことを書いている。以下、『定本 伊藤野枝全集 第三巻』の要約。
●社会問題がやかましく議論される昨今だが、社会問題に関する婦人界の知識が隔絶されている中で、山川菊栄氏のような評論家を得たことは一般..
第295回 婦人労働者の覚醒 [2016/07/15 13:34]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十一月十三日、『労働運動』(第一次)第二号が発行された。
この号から野枝は「婦人欄」を担当し、婦人労働問題に関わっていく。
「婦人欄」を担当するにあたっての「御挨拶」で、野枝は田中孝子、与謝野晶子、平塚らいてうについて触れている。
過日友愛会婦人部の演説会に臨まれた田中孝子女史が、自分もアメリカで多少の苦学らしい事をしたから、労働の生活は知つてゐるつもりだと云つて、男子側..
第293回 婦人労働者大会 [2016/07/13 13:03]
文●ツルシカズヒコ
第一次世界大戦の講和会議によって創設されたのが国際労働機関(ILO)だったが、その第一回国際労働会議が一九一九(大正八)年十月二十九日、ワシントンで開催されることになった。
その日本代表団の労働者代表が、政府の選出によって鳥羽造船所工場長・桝本卯平に決まったことから、友愛会をはじめとする労働団体の一大反対運動が起きていた。
第一回国際労働会議では、婦人の深夜業禁止や産前産後の休暇など、婦人関係の議題が含ま..
第241回 伊藤野枝論 [2016/06/05 15:27]
文●ツルシカズヒコ
『新日本』一九一七(大正六)年七月号・八月号に平塚明「伊藤野枝さんの歩かれた道」が掲載された。
『新日本』はらいてうに「伊藤野枝論」を書いてほしかったのだという。
『新日本』は野枝が同誌四月号に寄稿した「平塚明子論」の対になるものを、らいてうに寄稿してほしかったのだろうが、らいてうはそれをやりたくなかったので、野枝が歩んで来た道を自分の知っている範囲内の事実によって書いたという。
らいてうが「伊藤野..
第228回 塩瀬の最中 [2016/05/31 12:42]
文●ツルシカズヒコ
日蔭茶屋事件が起きる直前、大杉と野枝の訪問を受けていたらいてうは驚いた。
神近が『青鞜』から離れて以降、らいてうは彼女と疎遠になっていたが、彼女が大杉が主宰するフランス語教室やフランス文学研究会に参加しているらしいという噂話はどこからともなく聞いていた。
しかし、らいてうは神近と大杉が傷害事件に発展するような深い間柄であることは、まったく知らなかった。
こんないたましい破局に、神近さんが、..
第212回 抜き衣紋 [2016/05/24 14:39]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)十一月六日、大杉と野枝は茅ケ崎経由で葉山に向かった。
近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、この日の野枝は近くの髪結で銀杏返しに結い、縞のお召の着物を着て白粉も濃く、何やら浮き浮きしたようすだったので、菊富士ホテルの女中はびっくりしたという。
後藤新平から金を入手できたが、それだけでは雑誌を始めるにはまだ少し足りない。
大杉は単行本の翻訳をひとつと雑誌の原稿をふたつ抱えて、一..
文●ツルシカズヒコ
野枝は『中央公論』三月号と四月号に「妾の会つた男」五人の人物評を書いたわけだが、『中央公論』五月号は「伊藤野枝の批評に対して」と題された欄を設け、中村狐月と西村陽吉の反論を掲載した。
おそらく、狐月と西村が『中央公論』編集部に反論の掲載を要求したのだろう。
ふたりの反論文は小さな六号活字で組まれているので、そのあたりに編集部が仕方なくスペースを割いたふうな状況も感じ取れる。
狐月の文章には「伊藤野..
第181回 厚顔無恥 [2016/05/16 14:22]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉、神近、野枝の三人が会ったのは二月中旬ころだった。
大杉の書いた「お化を見た話」によれば、大杉は神近から絶縁状を受け取った。
「もし本当に私を思っていてくれるのなら、今後もうお互いに顔を合わせないようにしてくれ。では、永遠にさよなら」というような、内容だった。
大杉はすぐに逗子から上京し、神近の家を訪れた。
彼女は大杉の顔を見るや、泣いてただ「帰れ、帰れ..
第176回 公娼廃止 [2016/05/15 16:59]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年一月三日、『大阪毎日新聞』で野枝の「雑音ーー『青鞜』の周囲の人々『新しい女』の内部生活」の連載が始まったが(〜四月十七日)、肝心の『青鞜』一九一六(大正五)年一月号の表紙は文字だけになった。
野枝は読者に向けて、こう書いている。
私は自分で編輯するこの雑誌を、出来る丈(だ)け、立派なものにしたひと思ひます。
けれども如何に、私が自惚(うぬぼ)れて見ましても本当に貧弱な内..