2016年05月24日
第212回 抜き衣紋
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)十一月六日、大杉と野枝は茅ケ崎経由で葉山に向かった。
近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、この日の野枝は近くの髪結で銀杏返しに結い、縞のお召の着物を着て白粉も濃く、何やら浮き浮きしたようすだったので、菊富士ホテルの女中はびっくりしたという。
後藤新平から金を入手できたが、それだけでは雑誌を始めるにはまだ少し足りない。
大杉は単行本の翻訳をひとつと雑誌の原稿をふたつ抱えて、一ヶ月ばかり常宿の葉山の日蔭茶屋に出かけることにしたのである。
これを機に大杉と野枝は別居をする心づもりでいた。
大杉がこの別居計画を神近に話すと、非常に喜んだ神近が言った。
「葉山へひとりで?」
「もちろん、ひとりだ。みんなから逃げて、たったひとりになって仕事をするんだ」
神近は「たったひとり」ということにしきりに賛成し、ゆっくりと、たくさん仕事をしてくるようにと大杉に勧めた。
そしてさらに彼女はねだるような口調で、こう言った。
「それじゃ、たったひとつ、こういうことを約束してくれない? あなたが出かけるとき私を誘うこと、そして一日葉山で遊ぶこと。ね、あなた、いいでしょう、いいでしょう」
そんなことは大杉にとってなんでもないことだったが、そのころ、大杉は神近がことあるごとにしつこく追及したり要求したりすることを、だいぶ煩く感じ始めていた。
そして、こんななんでもない願いでも、そのあとに「ね、あなた、いいでしょう、いいでしょう」という、その「いいでしょう、いいでしょう」が煩くてたまらなかった。
それを拒絶すればことがますます煩くなるだけなので、大杉はいい加減な返事をしておいた。
「うん、うん……」
十一月五日、大杉が葉山に出かけようとしていた日の前日のことだった。
野枝がふいに大杉に言った。
「私、平塚さんのところまで行きたいわ」
らいてうはこの年の二月から奥村が入院中の南湖院近くの借り間に長女・曙生と住み始め、奥村が自宅療養になった晩夏に、やはり南湖院近くの「人参湯」という銭湯の離れ座敷を借りて親子三人の生活をしていた。
野枝はあらゆる友人から棄てられる覚悟で辻の家を出たが、らいてうには葉書で知らせ、野上弥生子には直接会って話をした。
野枝にとってらいてうと弥生子は大事な友人だったが、らいてうも弥生子も子供を棄てて辻の家を出た野枝を厳しく批判した。
野枝はふたりの反応に失望したが、やはり彼女たちとの関係を途絶してしまうことはさびしいことだった。
彼女たちとのかつての友情を懐かしむ野枝の言葉を、大杉も聞いていた。
「よかろう。それじゃ茅ケ崎まで一緒に行って、葉山にひと晩泊まって帰るか」
大杉が野枝の心中を推しはかって言った。
大杉と野枝が茅ケ崎のらいてうを訪ねたのは、十一月六日の昼下がりだった。
らいてうはなんの前ぶれもない、突然のふたりの来訪に驚いた。
戸口に秋の陽射しを浴びて立っていたふたりは、葉山に行く途中、奥村の見舞いに寄ったと言った。
らいてうは突然の訪問にも驚いたが、野枝の風体の変わり方にも驚いた。
野枝さんが、日本髪を結ったのは、前にも見て知っていますが、いま目の前に見る野枝さんは、下町の年増の結う、つぶし銀杏返しとかいう、世話にくだけた髪を結い、縞お召しの着物を、抜き衣紋に着て、帯をしめた格好はーー野枝さんが、満足に帯をしめたのは、このときはじめて見ましたーーどう見ても芸者ほどアカぬけしたものでなく、お茶屋の女中というところです。
思わず、「変わったわね」と連発するわたくしに、野枝さんはニヤニヤ笑うばかりでした。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p605)
らいてうが大杉に直接会ったのは、後にも先にもこれ一度きりだった。
……この日の大杉さんは、痩せた、けれど、がっちりしたからだに大島かなにかの飛白(かすり)の着流しで、色黒のきびしい顔に、クルクルと大きな目の印象が、なにより先にくる人でした。
それは、人相がわるいといえばいえますが、態度にこせついたところがなく、陽気で、気のおけない話しぶりに、好感がもてるのでした。
初対面にもかかわらず、お互いに、もう以前から知っているので、旧知のような調子で、野枝さんをさしおいて、遠慮なくしゃべります。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p605~606)
らいてうは久しぶりに対面した野枝が、以前のようなふっくらした精力あふれる感じがなくなり、どことなくすさんだ感じが漂っているように見えた。
らいてうがもう大杉と一緒に暮らしているのかと聞くと、野枝は曖昧な返事をした。
野枝はらいてうに非難されるのではないかと思い、どこかよそよそしかった。
らいてうはかつてのようなピチピチした野枝とは、うって変わった感じがした。
子ども好きらしい大杉さんは、小さな顎髭のある顔をほころばせながら、曙生を抱きあげ、自分の膝の間に入れて「子どもはいいな、可愛いいものだなあ」と、あやしつづけています。
それを見ながら、野枝さんが連れて家を出たときいている、曙生より四月(※筆者註/「一月」の誤り)ほど前に生まれた赤ちゃんのことをたずねると、「ええ」と無表情でひとこといったきりでした。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p606)
三月以降、休刊が続いている『青鞜』に触れられることも、野枝にとっては辛いことだった。
らいてうが「あんまり無理なことをしない方がいいわ」と言うと、野枝は「もっと小さなものにでもして続けたい……」と元気なく話した。
午後の日が傾きかけたころ、これから逗子に行くというふたりを、らいてうは道に立って見送った。
着流し姿の大杉の後ろを、小柄な野枝がチョコチョコと歩いていた。
らいてうには、どこかの旦那とお茶屋の女中の二人連れのように見えた。
遠ざかっていくふたりの後ろ姿を眺めながら、らいてうはふたりの飛躍を願いつつも、胸にわびしい失望のような思いが広がった。
このとき、大杉と野枝にはふたりの尾行がついていた。
らいてうは「いまなおおかしく思い出される」エピソードとして、こんなことも書いている。
……(尾行が)おもてで張り番をしているのを見た近所の人たちが、人参湯の囲いのなかへ、泥棒が逃げこんだといって、板塀の隙間や節穴から、声をひそめて庭先をのぞきこんでいたのだそうです。
とんだ泥棒さわぎの一幕でした。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p607)
大杉はらいてうを訪問したことについて、こう書いている。
「彼女」は野枝のことである。
……らいてうの家では、僕等はひる飯を御馳走になって二三時間話してゐたが、お互いに腹の中で思つてゐる問題にはちつとも触れずに終つた。
「いいわ、もう全く他人だわ。私もう、友達にだつて理解して貰はうなどと思はないから。」
彼女は其の家を出て松原にさしかかると、僕の手をしつかりと握りながら云つた。
彼女は其の友人に求めてゐたものを遂に見出す事が出来なかつたのだ。
(「お化を見た話」/『改造』1922年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』には「葉山事件」と改題所収/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』)
★近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫・1983年4月10日)
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)
★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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