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2016年08月02日

第312回 ローザ・ルクセンブルク






文●ツルシカズヒコ




 野枝は『労働運動』第一次第五号に「堺利彦論(五〜九)」の他に、「外国時事」欄に「独逸労働者の奮闘」と「米国鉄道罷業」、および「ざつろく」(いずれも『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)を書いた。

 一九二〇(大正九)年三月十三日、ヴァイマル共和政下のドイツにおいて、右派ヴォルフガング・カップによるクーデターが起きた(カップ一揆)。

 ベルリンを脱出した大統領フリードリヒ・エーベルトは、労働組合のゼネストによって右派に対抗したため、右派のクーデターは三月二十日に失敗に終わった。

 カップのクーデターに対して行われたゼネストは、ルール蜂起と呼ばれる大規模な左派の反乱の発端となる。

 この一連のドイツの政情をコンパクトにまとめたのが「独逸労働者の奮闘」である。

 ゼネストをリードした勢力のひとつがドイツ共産党・スパルタクス団だったが、スパルタクス団結成の首領だったローザ・ルクセンブルクは、前年の一月に反革命義勇軍によって殺害されていた。

 大杉がローザ・ルクセンブルクの写真入りの絵葉書を野枝に送り、野枝がそのお礼の手紙を大杉に書いたのは、五年前の一月だった。

 この年の四月にシカゴで鉄道労働者のストライキが起こり全米に拡大したが、「米国鉄道罷業」はその報告である。

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「ざつろく」は新婦人協会に言及している。

 三月二十八日、上野精養軒の大広間で新婦人協会の発会式が開催され、平塚らいてう、市川房枝、奥むめお三理事を中心に協会が運営されることになった。

 野枝は新婦人協会を手厳しく批判している。


 最近有名な知識階級の婦人達の手で生まれた『新婦人協会』は、其の社会的事業として、婦人労働者救済と云ふ方向にまで手をのばされるのださうです。

 しかし、此の、中流階級若しくは知識階級の人々の、婦人労働者救済と云ふ事は、労働者階級の婦人達に本当に徹底的な幸福を齎(もた)らすことは恐らくないでありませう。

 私は、『新婦人協会』そのものゝ為めにも、又婦人労働者の為めにも、『新婦人協会』が、余計な『お慈悲』を労働者階級の上に見せられぬ方が得策だと忠告申上げておきたい。


(「ざつろく」/『労働運動』1920年4月30日・第1次第5号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p185~186)





 第一回メーデーが上野公園の両大師前広場で開催されたのは五月二日だった。

「鎌倉から」(『労働運動』一次六号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)によれば、大杉は第一回メーデーの前日の昼にいつものトルコ帽と洋服で家を出て、その日は日比谷の服部浜次の家に泊まった。

 翌日、大杉と服部が上野に向かおうとすると、日比谷署の視察に「ちょっと署まで」と言われ、ふたりはメーデーの集会が終わるまで日比谷署に検束されてしまった。

 メーデーの当日は、葉山から聖上御還幸もあり、御召し列車は大杉宅の畑越しに一町ほどのところを通過することになっていた。

 前日、大杉の上京を見逃すというミスを犯した鎌倉署の監視が厳重になり、大杉宅の門の両側、庭に沿った垣根のそばに椅子腰掛けを持ち出した尾行がへばりついた。

 あまりの執拗さに腹を立てた野枝が、尾行を怒鳴りつけようやく少し遠くに追いやったが、その騒ぎは翌日の新聞に載った。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の同志たちも労働運動社の黒地に赤いLMの旗を掲げてメーデーに参加、『労働運動』の号外を配布するなどしたという。





 五月十六日、大杉は福富菁児に「先月末、鎌倉へ引っ越した。停車場前で郵便物はつく。停車場を出て直ぐ左に曲がり、二丁程行った右側の新しい家」という文面の書簡を送った(『日録・大杉栄伝』)。

 五月二十八日、大杉と野枝の共著『乞食の名誉』(聚英閣)が出版された。

 野枝の「転機」「惑い」「乞食の名誉」と大杉の「死灰の中から」が収録されている。

『日録・大杉栄伝』によれば、五月のある日、近藤茂雄が大杉宅に来訪した。

 近藤が生前語った話によれば、散歩に出た大杉が江川ウレオという若者を連れて帰って雑談し、翌日、江川は友人の高橋英一を連れて来訪したという。

 ふたりはトルストイの『アンナ・カレーニナ』や『復活』について大杉に質問し、語った。

 このとき、江川は十八歳、高橋は十七歳だった。

 江川は翌年に映画初出演する江川宇礼雄であり、高橋はこの年に谷崎潤一郎・脚本の映画『アマチュア倶楽部』で俳優としてデビューする岡田時彦(芸名の名付け親は谷崎潤一郎)である。

 近藤は安谷寛一の同志であり、彼も後に神戸光の芸名で俳優になった。

 一九七〇(昭和四十五)年に公開された吉田喜重監督『エロス+虐殺』で、伊藤野枝を演じたのは岡田茉莉子だが、岡田時彦は岡田茉莉子の父である。

『エロス+虐殺』の公開は、岡田時彦が大杉に面会してからちょうど五十年後だった。

 岡田時彦は茉莉子が一歳のときに結核で死去、三十歳の早世だった。

『女優 岡田茉莉子』によれば、時彦は生前、茉莉子の母に「若いころ、大杉栄の家を訪ね、書生にしてほしいと言った」という。





 その父、岡田時彦は、私が生まれると、魔子と名付けようとした。

 それは大杉と野枝とのあにだに生まれた長女に、大杉が魔子と名付けていたからだという。

 そうした大杉と野枝を描く映画に私が出演していることを新聞で知って、母はなにか運命のようなものを感じて、私に話してくれたのだろう。

 もっとも母は、生まれたばかりの私が魔子と命名されては、将来お嫁に行くときの障害になると思い、「魔」と「子」のあいだに、母自身の名、利子の「リ」を加えて、「マリコ」としてほしいと父に懇願し、ようやく父は私の名を、鞠子としたのだという。


(岡田茉莉子『女優 岡田茉莉子』_p349)


 ちなみに谷崎潤一郎は岡田茉莉子という芸名の名付け親でもあり、谷崎は岡田時彦、茉莉子、親子二代の名優の名付け親になった。



★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『大杉栄全集 第14巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★岡田茉莉子『女優 岡田茉莉子』(文藝春秋・2009年10月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index





posted by kazuhikotsurushi2 at 17:43| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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