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第32回 出奔(四) [2016/03/21 13:53]
文●ツルシカズヒコ
辻からの手紙、四月十三日の文面にはこう書いてあった。
今日帰ると汝の手紙が三本一緒にきてゐたのでやつと安心した。
近頃は日が長くなつたので晩飯を食ふとすぐ七時半頃になつてしまふ。
俺は飯を食ふとしばらく休んで、たいてい毎晩の様に三味線を弄ぶか歌沢をうたう。
或は尺八を吹く。
それから読む。
そうすると忽ち十時頃になつてしまふ。
何にか書くのはそれからだ。
..
第31回 出奔(三) [2016/03/20 22:51]
文●ツルシカズヒコ
金の問題もあった。
着替えも持たず、お金も用意する暇もなく、不用意にフラフラと家を出てしまったのだ。
三池の叔母の家で金を算段するつもりだったが、ついに言い出せなかった。
そして、家出したことが知れそうになって、思案のあまり志保子の家に来たのだ。
手紙を出して頼んだら、お金の算段に応じてくれそうな二、三人のあてはあった。
その手紙の返事を待つ間に連れ返されそうなところは嫌だったので..
第29回 出奔(一) [2016/03/20 19:03]
文●ツルシカズヒコ
野枝が出奔したのは、一九一二(明治四十五)年四月初旬だった。
野枝は後に「動揺」を発表するが、その中の木村荘太宛ての手紙に出奔についての言及がある。
「動揺」によれば、新橋から帰郷の汽車に乗った野枝は徐々に落ち着いてきて、いろいろ思考をめぐらせた。
最も思いをめぐらせたのは、辻からされた抱擁と接吻のことだった。
私はそれが何だか多分の遊戯衝動を含んでゐるやうにも思はれますのですがまた何か..
第28回 わがまま [2016/03/20 13:56]
文●ツルシカズヒコ
登志子や従姉の家は博多の停車場から三里余りもあった。
その途中でも野枝は身悶えしたいほど、不快なやり場のないおびえたような気持ちになった。
従姉の家に立ち寄った後、安子が従姉の家に泊まることになったので、登志子と男が一緒に帰ることになった。
挨拶をして従姉の家の門を出るやいなや、登志子は後ろも振り向かずにできるだけ大急ぎに、袴の裾を蹴って松原が続く町の家の方に歩いて行った。
登志子はひたす..
第26回 帰郷 [2016/03/19 22:22]
文●ツルシカズヒコ
一九一二(明治四十五)年三月末、上野高女を卒業した野枝は東京・新橋駅から列車に乗り、福岡県・今宿に帰郷した。
この帰郷について野枝が書いた創作が「わがまま」である。
「わがまま」に登場する人物設定は、以下である。
登志子=野枝、まき子=代千代子、野枝たちと同年輩らしい安子=千代子の親戚、叔父=代準介、叔母=代キチ、夫の永田=末松福太郎、「男」=辻。
「わがまま」では新橋駅から列車に乗り、博多へ..
第25回 抱擁 [2016/03/19 18:23]
文●ツルシカズヒコ
上野高女の卒業が間近になったころのことについて、野枝と同級の花沢かつゑはこう書いている。
……三月の卒業も間近になった頃友達は皆卒業後の夢物語に胸をふくらませておりました。
或る人は外交官の夫人になりたいとか、七ツの海を航海する船乗りさんの奥さんになりたいとか、目前の卒業試験も気にならず、将来の明るい希望の事ばかり語り合っておりましたが、野枝さんは、やっぱり私達より大人でした。
私は卒業すれば..
第24回 おきんちゃん [2016/03/19 17:24]
文●ツルシカズヒコ
年が改まり、一九一二(明治四十五)年、学校は三学期になった。
野枝はほとんど何もやる気が出なかった。
苦悶は日ごと重くなり、卒業試験の準備などまるですることができなかった。
「辻先生と野枝さん」と誰からとなく言われるようになったころ、野枝は辻とおきんちゃんが接近するのをじっと見ていた。
野枝は、見当違いのことを言われるのがおかしくて、鼻の先で笑ったり怒ったりして見せていた。
しかし、..
第19回 西洋乞食 [2016/03/17 23:04]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年四月、新任の英語教師として上野高女に赴任した辻は、さっそく女生徒たちから「西洋乞食」というあだ名をつけられた。
辻がふちがヒラヒラしたくたびれた中折帽子をかぶり、黒木綿繻子(くろもめんしゅす)の奇妙なガウンを来て学校に来たからである。
辻は貧相な風貌だったが、授業では絶大な信用を博した。
「アルトで歌うようにその口からすべり出す外国語」。
しかも、話題は教科書の枠..
第17回 謙愛タイムス [2016/03/17 17:08]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年一月十八日、大逆事件被告に判決が下った。
被告二十六名のうち二十四人に死刑判決、うち十二名は翌日、無期懲役に減刑された。
兵庫県立柏原(かいばら)中学三年生だった近藤憲二は、この判決を下校途中の柏原駅で手にした新聞の号外で知った。
社会問題に無関心であった私は、そのなかに僧侶三人(内山愚堂、高木顕明、峰尾節堂)がいるのを見て、おやこんな中に坊主がいる、と思ったぐらいだ。..
第16回 上野高女 [2016/03/17 14:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝が私立・上野高等女学校に在籍していたのは、一九一〇(明治四十三)年四月から一九一二(明治四十五)年三月である。
当時の上野高女はどんな学校だったのか、そして野枝はどんな生徒だったのだろうか。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」に、野枝と同級生だったOGふたりの文章が載っている。
一九六七(昭和四十二)年一月に発行された、「温旧会」という上野高女同窓会の冊子『残照』に掲載された寄稿を..
第14回 編入試験 [2016/03/15 13:00]
文●ツルシカズヒコ
一九一〇(明治四十三)年一月、前年暮れに上京した野枝の猛勉強が始まった。
代準介は野枝を上野高女の三年に編入させるつもりだったが、野枝は経済的負担をかけたくないことを理由に、飛び級して四年に編入するといってきかなかった。
代家は経済的に逼迫などはなく、どちらかといえば裕福で、そんな気遣いはいらぬ所帯である。
ノエは学資の負担を建前とし、従姉千代子と同じ四年生に拘り、その意思を曲げなかった。..
第2回 日清戦争 [2016/03/05 17:07]
文●ツルシカズヒコ
野枝が生まれた一八九五(明治二十八)年、辻潤は十一歳である。
ネットサイト「辻潤のひびき」の「辻潤年譜」と『辻潤全集 別巻』(五月書房)の「辻潤年譜」によれば、辻は一八八四(明治十七)年十月四日、東京市浅草区向柳原町で生まれた。
父・六次郎(〜一九一〇)と母・美津の第一子、長男である。
辻は浅草区猿尾町の育英小学校尋常科に入学したが、十一歳のころは三重県津市にいた。
野枝が生まれた一八..