2016年03月21日
第32回 出奔(四)
文●ツルシカズヒコ
辻からの手紙、四月十三日の文面にはこう書いてあった。
今日帰ると汝の手紙が三本一緒にきてゐたのでやつと安心した。
近頃は日が長くなつたので晩飯を食ふとすぐ七時半頃になつてしまふ。
俺は飯を食ふとしばらく休んで、たいてい毎晩の様に三味線を弄ぶか歌沢をうたう。
或は尺八を吹く。
それから読む。
そうすると忽ち十時頃になつてしまふ。
何にか書くのはそれからだ。
今夜はこれを書き初める前に三通手紙を書かされた。
俺は敢て書かされたと云ふ。
Nヘ、Wへ、それからFヘ、なんぼ俺だつてこの忙しいのに、そう/\あつちこつちのお相手はできない。
それに無意味な言葉や甘つたるい文句なぞを並べてゐるといくら俺だつて馬鹿/\しくつて涙がこぼれて来らあ。
人間と云ふ奴は勝手なものだなあ。
だがそれが自然なのだ。
同じ羽色の鳥は一緒に集まるのだ、それより他仕方がないのだ。
だが俺等の羽の色が黒いからといつて全くの他の鳥の羽の色を黒くしなければならないと云ふ理屈はない(十三日)
(「出奔」/『青鞜』1914年2月号・4巻2号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p101)
「Nへ、Wへ、それからFへ」三通手紙を書かされたとあるのは、野枝失踪に関する始末書のようなものか。
Nは西原、WとFは校長と教頭だろうか。
学校へ「トシニゲタ、ホゴタノム」と云ふ電報がきたのは十日だと思ふ。
俺はとう/\やったなと思つた。
しかし同時に不安の念の起きるのをどうすることも出来なかつた。
俺は落ち付いた調子で多分東京へやつてくるつもりなのでせうと云つた。
校長は即座に「東京へ来たら一切かまはないことに手筈をきめやうぢやありませんか」と如何にも校長らしい口吻を洩らした。
S先生は「知らん顔をしてゐようじやありませんか」と俺にはよく意味の分らないことを云つた。
N先生は「兎に角出たら保護はしてやらねばなりますまい」と云つた。
俺は「僕は自由行動をとります。もし藤井が僕の家へでもたよつて来たとすれば僕は自分一個の判断で措置をするつもりです」とキツパリ断言した。
みんなにはそれがどんな風に聞えたか俺は解らない。
女の先生達は唯だ呆れたといふ様な調子でしきりに驚いてゐた。
俺はかうまで人間の思想は異ふものかと寧ろ滑稽に感じた位だつた。
S先生はさすがに汝を稍や解してゐるので同情は充分持つてゐる。
だが汝の行動に対しては全然非を鳴らしてゐるのだ。
俺はいろ/\苦しい思を抱いて黙つてゐた。
その日帰ると汝の手紙が来てゐた。
俺は遠くから客観してゐるのだからまだいゝとして当人の身になつたらさぞ辛いことだらう、苦しいことだらう、悲しいことだらうと思ふと俺は何時の間にか重い鉛に圧迫されたやうな気分になつて来た。
だが俺は痛烈な感に打たれて心は勿論昂(たかぶ)つてゐた。
それにしても首尾よく逃げおうせればいいがとまた不安の念を抱かないではゐられなかつた。
俺は翌日(即ち十二日)手紙を持つて学校へ行つた。
勿論知れてしまつたのだから秘(かく)す必要もない。
そうして手紙を見せて俺の態度を学校に明かにする積りだつたのだ。
で、俺は汝に対してはすこしすまない様な気はしたがS先生に対しても俺は心よくないことがあるのだから。
(十四日)
(「出奔」/『青鞜』1914年2月号・4巻2号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p101~102)
S先生は佐藤教頭、N先生は西原のことであろう。
「十五日夜」の辻の手紙によれば、四月十二日、辻宛てに末松福太郎から極めて露骨なハガキが舞い込んだ。
「私妻伊藤野枝子」という書き出しだった。
野枝はたぶん上京しただろうから、宿所がわかったらさっそく知らせてくれ、父と警官と同道の上で引き取りに行くという。
さらに自分の妻は姦通した形跡があるとか、同志と固く約束したらしいというようなことが書いてあった。
辻は野枝が去年の夏、結婚したという話は薄々聞いていた。
しかし、どういう事情でなされた結婚なのかは知らなかった。
……汝が帰国する前になぜもつと俺に向つて全てを打ち明けてくれなかつたのだとそれを残念に思つてゐる。
少くとも先生へなりと話して置けば俺等はまさか「そうか」とその話を聞きはなしにしておくような男ぢやない。
それは女としてそう云ふことは打ち明けにくからう。
しかしそれは一時だ汝が全てを打ち明けないのだからどうすることも出来ないぢやあないか。
(「出奔」/『青鞜』1914年2月号・4巻2号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p102~103)
野枝は夏休み明け以降の、ほとんど自棄のような生活を思い浮かべていた。
野枝は何度かその苦悶を西原先生に訴えようとした。
しかし、考えることの腹立たしさに順序を追って話の道筋を立てることができなかった。
そしてなるべく考えないように努めた。
そのころは、野枝にとって辻は、そんなことを面と向かって話せる相手ではなかった。
煩悶に煩悶を重ね、焦(じ)り焦りして、頭が動かなくなるほど、毎日そればかり考えていても、考えは決まらなかった。
月日だけが遠慮なく過ぎ去り、とうとう西原先生にも打ち明ける機会がなくなった。
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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