2016年03月20日
第31回 出奔(三)
文●ツルシカズヒコ
金の問題もあった。
着替えも持たず、お金も用意する暇もなく、不用意にフラフラと家を出てしまったのだ。
三池の叔母の家で金を算段するつもりだったが、ついに言い出せなかった。
そして、家出したことが知れそうになって、思案のあまり志保子の家に来たのだ。
手紙を出して頼んだら、お金の算段に応じてくれそうな二、三人のあてはあった。
その手紙の返事を待つ間に連れ返されそうなところは嫌だったので、志保子を頼ったのである。
しかし、手紙を出して一週間になるが、どこからも返事は来ない。
もうどうなってもいい。
なるようにしかならないのだ。
あの命がけでその日その日を生きていく、炭坑の坑夫のようなつきつめた、あの痛烈な、むき出しな、あんな生き方が自分にもできるのなら、こんなめそめそした上品ぶった狭いケチな生き方より、よほど気が利いているかしれない。
親も兄妹もみな捨てた体だ。
堕ちるならあの程度まで思い切ってどん底まで堕ちてみたい、というふうなピンと張った恐ろしく鳴りの高い調子のときもあるが、すべてのものに反抗して自分で切り開いた道の先は、真っ暗で何もないかもしれない。
自分を自由に扱える喜びに浸れたのは、このまま逃れようと決心した瞬間だけだった。
今日まで一日だって明るい気持ちになったことはない。
肉親という不思議なきづなに締めつけられて、暗く重苦しい気持ちが離れない。
上京したら辻を頼るつもりだが、辻の気持ちだってどちらを向くかわからない。
考えると不安なことばかりだ。
どうせ人は遅かれ早かれ死ぬのだ。
どこか人の知らないところへ行って静かに死にたい。
どうにでもなれという気にもなる。
考えに考えたが、疲れてしまった。
もう何も考えまいと思うが、やはりそれからそれへと考えが飛んでいった。
「郵便! 伊藤野枝という人はいますか?」
「はい」
野枝が出てみると、三通の封書を渡された。
受け取った封書の一通は西原先生から、一通は辻から、あとの一通は鼠色の封筒に入った郵便局からので開けてみると電報為替だった。
野枝は西原先生が送金してくれるとは思っていなかったので、目にいっぱい涙が溜まった。
一昨日に届いた先生からの電報を見たときにも、自分のことを気にかけてくれる気持ちにやはり涙が溢れ、志保子に先生のことを話した。
野枝はまず西原からの手紙を読んだ。
御地からの手紙を見て電報を打つた。
……金に困るのなら何処からでも打電して下さい、少々の事は間に合せますから、弱い心は敵である。
しつかりしてゐらつしやい……自分の真の満足を得んが為に自信を貫徹することが即ち当人の生命である。
生命を失つてはそれこそ人形である。
信じて進む所にその人の世界が開ける。
如何なる場合にもレールの上などに立つべからず決して自棄すべからず
心強かれ 取り急ぎこれ丈け。
今家へあて出した私の手紙の最後の一通があなたの家出のあとに届いたであらうと思はれる、誰れか開封して検閲に及んだかもしれない、熱した情を吐露した文章であつたからもしそれを見た人があるとすればその人は幸福である。
(「出奔」/『青鞜』1914年2月号・4巻2号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p99)
野枝はぐずぐずしていられないと思った。
先生はこんなにまで私の上に心を注いで下さるか、私は本当に一生懸命にこれから自分の道をどんなに苦しくともつらくとも自分の手で切開いて進んで行かなければならない。
私は決して自棄なんかしない。
勉強する、勉強するそして私はずん/\進んでいく。
(「出奔」/『青鞜』1914年2月号・4巻2号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p99)
西原からの手紙を読み終えた野枝は、最後に辻の手紙を開けた。
軽いあるうれしさに微かに胸が躍った。
「出奔」に収録されている、辻からの手紙には日付がある。
「八日」「十三日」「十四日」「十五日夜」である。
辻は野枝からの手紙を受け取った後、そのつど文章をしたため、野枝の落ち着き先に封書にして郵送したのであろう。
オイ、どうした。
俺は今やつと『S』を卒業したところだ。
明日から仕事が始まるのだから……。
俺は汝(おまえ)を買ひ被つてゐるかもしれないが可なり信用してゐる。
汝は或は俺にとつて恐ろしい敵であるかもしれない。
だが俺は汝の如き敵を持つことを少しも悔ひない。
俺は汝を憎む程に愛したいと思つてゐる。
俺は汝と痛切な相愛の生活を送つてみたいと思つてゐる。
勿論悉(あら)ゆる習俗から切り離されたーー否風俗をふみにじつた上に建てられた生活を送つてみたいと思つてゐる。
汝の其処までの覚悟があるかどうか。
そうしてお互ひの「自己」を発揮するために思ひ切つて努力してみたい。
もし不幸にして俺が弱く汝の発展を障(さまた)げる様ならお前は何時でも俺を棄てゝどこへでも行くがいゝ。(八日)
(「出奔」/『青鞜』1914年2月号・4巻2号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p100)
「S」はドイツの哲学者、マックス・シュティルナーのことだ。
「明日から仕事が始まる」とあるから、四月九日から上野高女の新学期が始まるわけだ。
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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