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2016年03月17日

第17回 謙愛タイムス






文●ツルシカズヒコ



 一九一一(明治四十四)年一月十八日、大逆事件被告に判決が下った。

 被告二十六名のうち二十四人に死刑判決、うち十二名は翌日、無期懲役に減刑された。

 兵庫県立柏原(かいばら)中学三年生だった近藤憲二は、この判決を下校途中の柏原駅で手にした新聞の号外で知った。


 社会問題に無関心であった私は、そのなかに僧侶三人(内山愚堂高木顕明峰尾節堂)がいるのを見て、おやこんな中に坊主がいる、と思ったぐらいだ。

(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p158~159)


 大杉豊『日録・大杉栄伝』(p80)によれば、大杉と保子が、幸徳秋水や管野すが子ら死刑囚に面会に行ったのは一月二十一日だった。

 それが今生の別れになった。

 幸徳ら十一名の死刑が執行されたのは一月二十四日、管野の死刑執行は翌一月二十五日だった。

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 二月一日、徳冨蘆花は第一高等学校の弁論部に招かれ、同校で「謀叛論」と題する講演をした。


 社会主義が何が恐い? 

 世界の何処にでもある。

 然るに狭量にして神経質な政府(註ーーもちろん山県に操られる桂内閣のことである)は、ひどく気にさへ出して、殊に社会主義者が日露戦争に非戦論を唱ふると俄に圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事件となつて、官権と社会主義は到頭(とうとう)犬猿の間となつて了つた。

 諸君、幸徳等は時の政府に謀反人と見做(みな)されて殺された。

 が、謀叛を恐れてはならぬ。

 謀叛人を恐れてはならぬ。

 自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。

 新しいものは常に謀叛である。

 我等は生きねばならぬ。

 生きる為に謀叛しなければならぬ。


(「謀叛論」/中野好夫『盧花徳冨健次郎 第三部』_p33~36)


 盧花はちょうどそのころ増築中だった新書斎に「秋水書院」と命名した。

「秋水書院」は現在、盧花恒春園に保存され、「謀叛論」の草稿も同園の盧花記念館に保存展示されている。





 三月二十四日、大杉は神楽坂倶楽部で開かれた第二回同志合同茶話会に堀保子と出席した。

 同志合同茶話会は、大逆事件後の「冬の時代」に運動再興の足がかりとするための集まりだった。

 以前に書かれた堺利彦、西川光二郎、幸徳秋水らの寄せ書きがあった。

 大杉は「春三月縊り残され花に舞ふ」と詠み、その寄せ書きに加筆した。

 四月、上野高女五年に進級した野枝は級長を務めた。

 西原担任の級の三年と四年の級長は野枝の従姉・代千代子だったが、代準介の自伝『牟田乃落穂』に「千代子、五年生となり級長を退きたり。これは野枝、反対の行動を執りたるに起因せるなり」(矢野寛治『伊藤野枝と代準介』_p59)とあり、五年の級長に千代子がなることに野枝が反対し、自分がやるという意思表示をしたようだ。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』は、野枝の言動を「千代子を立てる性格ではなかった。級長を奪い、千代子の鼻を明かす、自己顕示欲の強い娘だった」(p60)と指摘している。

 辻潤は神経衰弱を理由に浅草区の精華高等小学校を退職し、教頭の佐藤と西原の縁故で四月から上野高等女学校に英語教師として赴任した。

 野枝は辻の第一印象をこう書いている





 男が英語の教師として学校にはいつて来たのは、町子が五年になつたばかりの時だつた。

 四月の始めの入学式の時に、町子の腰掛けてゐる近くに腰掛けた、見なれぬ人が英語の教師だと、町子の後からさゝやかれた。

 一寸(ちよつと)特徴のある顔付きをしてゐるのが町子の注意を引いた。

 併しそのことには長く興味をもつてゐられなかつた。

 つい式のはじまる先に立つて彼女は受持教師から、在校生の代表者として新入の生徒たちに挨拶すべく命令されてゐたので困りきつてゐた。

 やがて落ちつかないうちに番がまはつてきたので仕方なしに立つて二言三言挨拶らしいことを云つて引つこんだ。

 続いて新任の挨拶の時に一寸変つた如何にも砕けた気どらない様子であつさりとした話し振りや教師らしい処などのちつともない可なりいゝ感がした。

 式が終つて町子たちのサアクルでは此度のその英語の教師についての噂で持ちきつてゐた。

『何だか変に年よりくさいやうな顔してるわね。若いんだか年寄りだか分らないわね』

『あれで英語の教授が出来るのかしら、矢張り校長先生に教はりたいわね、あの先生何んだかずいぶんバンカラねえ』

『だつてそれは教はつて見なくつちや分らないわ。そんなこと云つたつて校長先生よりうまいかもしれなくつてよ』

『アラだつて何んだか私まづさうな気がするわ、校長先生のリーデイングはすてきね、私ほんとに気に入つてゐるの』

『Oさんはね、それや校長先生よりいゝ先生はないんですもの、でも風采やなんかで軽蔑するもんぢやなくつてよ、教はつて見なくちや、』

 そうしたとりとめもないたわいのない会話が取りかはされてゐた。


(「惑ひ」/『青鞜』1914年4月号・第4巻第4号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p266~267/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p110~111)





「惑ひ」は創作のスタイルをとっているが、「町子」は野枝であり「男」は辻である。

「町子たちのサアクル」とは、校内新聞『謙愛タイムス』を作っている新聞部のことであろう。

 堀切利高『野枝さんをさがして』(p70)によれば、「謙愛」は教頭の佐藤とクラス担任の西原の師である新井奥邃の私塾「謙和舎」の「謙和」と響き合うという。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』に、一九一二(明治四十五)年に撮影した「謙愛タイムス新聞部」編集員の写真が載っている。

 編集員は六人で野枝はもちろん、代千代子の姿もある。

 部員の卒業記念写真と思われる。

 野枝と同級だった花沢かつゑは、『謙愛タイムス』と辻についてこう書いている。


 その頃生徒達の手で校内新聞を発行することになりました。

 ガリ版刷り藁半紙一枚の物でしたが、校内の連絡事項や生徒達の作品などの発表をするのが重な刷り物で、編集には野枝さんの実力が大いに発揮されたのだと思います。

 その新聞は「謙愛タイムス」と呼ばれ、当時の下級生でありました村上やす子さんと石橋ちよう子さんが、腰に鈴をつけチリンチリンと配って歩いて下さいました。

 その頃英語の先生に新任していらっしゃった辻潤先生が私達の前に現われました。

 いかにも江戸ッ子らしい磊落さと、先生というような堅苦しさのない新鮮な感じに受け取れましたので、たちまち子供っぽい女学生達の人気の的になってしまったのは当然でした。

 私達も大好きでした。

 新しい英語の教え方に、皆は酔ったように英語の時間が好きになりました。

 放課後になっても、生徒達は学校にいるのが楽しくて仕方がありませんでした。

 辻先生はよく音楽室へこられまして、ピアノを弾いて下さったり、英語の賛美歌などを教えて下さったり、いつか時のたつのも忘れて……。


(花沢かつゑ「鶯谷の頃から」/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」)




★近藤憲二『一無政府主義者の回想』(平凡社・1965年6月30日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★中野好夫『盧花徳冨健次郎 第三部』(筑摩書房・1974年9月18日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★矢野寛治『伊藤野枝と代準介』(弦書房・2012年10月30日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★堀切利高編著『野枝さんをさがして 定本 伊藤野枝全集 補遺・資料・解説』(學藝書林・2013年5月29日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




posted by kazuhikotsurushi2 at 17:08| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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