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第316回 コミンテルン(一) [2016/08/07 16:00]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇年八月十七日、「社会改造運動の闘将養成」を目的にした、山崎今朝弥主催の平民大学夏期講習会が大杉宅で開催され、受講生二十人ばかりがやって来た(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
開始してすぐに解散を命じられたので、鎌倉署の署長に向かって大杉が馬鹿だの野郎だのと抗議、鎌倉中の評判になり、家主からの立ち退き話にまでなった(「鎌倉の若衆」/『労働運動』一九二一年二月一日・二次二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四..
第315回 幸子 [2016/08/05 12:03]
文●ツルシカズヒコ
さて、大杉は九人兄弟(姉妹)の長男であり、五人の妹と三人の弟がいたが、ここで整理してみたい。
長男・栄(一八八五年生・一九二三年没)
長妹・春(一八八七年生・一九七一年没)/中国・北京在住。三菱商事北京支店長・秋山いく禧・いくぎと結婚。※『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題(書簡・柴田菊宛て・一九二二年十一月二日)
次妹・菊(一八八八年生・一九八一年没)/アメリカ在住。柴田勝造と結婚。
長弟..
第314回 航海記 [2016/08/04 17:54]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年六月十五日に開かれた労働運動同盟会の例会で、岩佐作太郎が尼港事件のパルチザンを話題にした。
大杉はパルチザンについてこう書いている。
パルチザンの首領が何んとか云ふ無清酒主義者で、其の秘書官がやはり何んとか云ふヒステリイ性の食人鬼、女無政府主義者だ、と事ふ(ママ/※「云ふ」であろう)やうな事も、誰も問題にはしなかつた。
厄介な手に負へない奴は、何処ででも皆な無政府主義者にし..
第313回 クロポトキンの経済学 [2016/08/02 18:04]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正9)年六月一日、『労働運動』第一次第六号が発刊された。
大杉は「社会的理想論」「新秩序の創造」「組合運動と革命運動」(いずれも大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第6巻』)などの論文を書いている。
……人生とは何んぞやと云ふ事は、嘗つて哲学史上の主題であつた。
しかし、人生は決して、予め定められた、即ちちやんと出来あがつた一冊の本ではない。
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第312回 ローザ・ルクセンブルク [2016/08/02 17:43]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』第一次第五号に「堺利彦論(五〜九)」の他に、「外国時事」欄に「独逸労働者の奮闘」と「米国鉄道罷業」、および「ざつろく」(いずれも『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)を書いた。
一九二〇(大正九)年三月十三日、ヴァイマル共和政下のドイツにおいて、右派ヴォルフガング・カップによるクーデターが起きた(カップ一揆)。
ベルリンを脱出した大統領フリードリヒ・エーベルトは、労働組合のゼネストによって..
第310回 不景気 [2016/07/30 21:38]
文●ツルシカズヒコ
大杉一家が鎌倉に引っ越した一九二〇(大正九)年四月三十日は、『労働運動』第一次第五号が発行された日でもあった。
三月の株価暴落による不景気の到来、それによる労働運動の新たな展開について、大杉が書いている。
とうたう不景気が来た。
戦争中から、今に来るぞ、今に来るぞ、そして其時には険悪な労働運動が起こるぞ、と警戒されてゐた不景気がとうたう来た。
(「労働運動の転機」/『労働運動』1920年4月..
第309回 大谷嘉兵衛 [2016/07/29 18:58]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年四月三十日、大杉一家は神奈川県三浦郡鎌倉町字小町二八五番地(瀬戸小路)に引っ越した。
谷ナオ所有の貸家を月六十円で借り、大杉一家四人と村木が住むことになった。
「鎌倉から」(『労働運動』1920年6月1日・1次6号/『大杉栄全集 第四巻』/『大杉栄全集 第14巻』)によれば、四月中旬、村木が知人の鎌倉の刺繍屋さんを仲介し、決めてきた家だった。
野枝は「引越し騒ぎ」(『定本..
第308回 入獄前のO氏 [2016/07/29 13:32]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年四月三日と四日、牛込区の築土八幡停留所前の骨董店・同好会で、第一回黒燿会展覧会が開催され、大杉は自画像「入獄前のO氏」を出品した(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
「入獄前のO氏」を、望月桂はこう評している。
かつて曙町の家に行つた時、壁にフクロウか狸の面のような、自画像とも思はれるが自らは猫だと云ふものが筆太にぬつたくつてあるのに気づき、大杉は絵も描かせれば描く男だなと思ひ、黒燿会..
第307回 トルコ帽 [2016/07/27 11:53]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二〇(大正九)年四月一日、大杉の出獄歓迎会兼荒畑の大阪行き送別会が神田区錦町の松本亭で開かれた。
百人余が出席したこの会で、大杉はトルコ帽姿で演壇に立ち獄中生活を語った。
荒畑の大阪行きは、大阪で岩出金次郎が出している『日本労働新聞』の編集をするためだった。
四月二日、改造社が銀座のカフェ・パウリスタで賀川豊彦歓迎会を開催した(『日録・大杉栄伝』)..
第306回 自由母権 [2016/07/26 19:49]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『解放』一九二〇(大正九)年四月号に「自由母権の方へ」を寄稿した。
「新しい時代において両性問題はどう変化していくのか?」というテーマで原稿を依頼されたようだ。
野枝は冒頭で両性問題、つまり男女の問題について考えることに興味が持てなくなったと書いている。
そしてこう言う。
親密な男女間をつなぐ第一のものが、決して『性の差別』でなくて、人と人の間に生ずる最も深い感激をもつた『フレンド..
第305回 出獄 [2016/07/25 11:03]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年三月十五日、日本では株価が三分の一に大暴落し、欧州大戦後の戦後恐慌が始まった。
三月二十三日、大杉が三ヶ月の刑期を終えて豊多摩監獄から出獄した。
『読売新聞』は「昨朝 大杉栄氏 出獄す」という見出しで、こう報じている。
……昨日朝七時、伊藤野枝氏を始め同士廿数名に迎へられ革命歌に擁せられて出獄せり。
同氏は頤髭(あごひげ)蓬々(ぼうぼう)たれども極めて元気なりしと。
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第304回 ロシアの婦人運動 [2016/07/25 10:49]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『改造』一九二〇(大正九)年三月号に「クロポトキンの自叙伝に現はれたるロシアの婦人運動」を書いた。
「クロポトキン思想批判」特集の中の一文であり、同特集には他に昇曙夢、片上伸、室伏高信、井箆節三が執筆している。
クロポトキン著、大杉栄訳『一革命家の思出』(春陽堂書店/一九二〇年五月)の第六節を中心にした紹介である。
クロポトキンの回想記『一革命家の思出』は、野枝に深い感激を与えたが、特に一八六..