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第351回 原敬 [2016/09/16 21:48]
文●ツルシカズヒコ
近藤憲二が懐に弾丸(たま)を入れる村木を見てから二、三日後、一九二一(大正十)年十月のある朝だった。
近藤と村木は蒲団を並べて寝ていた。
村木が蒲団から手を出して、煙草に火をつけながら話し出した。
「君の留守中にひとつ仕事を思いついてね……」
村木はまるで商売の話でもするように、愉快そうな元気な調子で話し出した。
「僕はこのとおりの体だ、とても諸君と一緒に駆けずり回ることは..
第350回 弾丸 [2016/09/15 23:01]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年九月九日、夜の十時、野枝は堺真柄とともに警視庁特別高等課に出頭させられた。
『東京朝日新聞』(九月十日)によれば、野枝と真柄は高津正道の妻・多代子とともに一時間ほどの取り調べを受け、多代子はそのまま検束され、帰宅を許された野枝と真柄は高津夫妻に差し入れをして引き取った。
そのころ『お目出度誌』という謄写版刷りの小冊子が出回っていたが、それには縦に読めばなんでもない文句を横に読むと不敬なも..
第336回 高村光太郎 [2016/08/29 10:30]
文●ツルシカズヒコ
大杉が聖路加病院から退院したのは、一九二一(大正十)年三月二十八日だった。
聖路加病院に入院中であつた大杉栄氏は
廿八日午後三時退院して午後四時十六分新橋発の列車で鎌倉雪の下の住居に帰つたが
伊藤野枝 村木源次郎の両氏が付添つて保護に努めた
(『読売新聞』1921年3月29日)
「日本脱出記」によれば、大杉が入院したために上海の社会主義者との連絡が絶たれ、ヴォイチン..
第331回 聖路加病院(一) [2016/08/23 17:22]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年二月十三日の正午、野枝は福岡から上京した叔父・代準介の乗った列車を横浜駅で迎え、すぐに「病室」に戻った。
村木には魔子を連れて鎌倉に帰ってもらった。
大杉の熱は少しも下がらなかった。
大杉は体が非常にだるいと訴えたが、元気はいつもどおりで、平常どおりに話し、妊娠中の野枝の体の心配までしてくれた。
二月十四日、大杉の入院が決定した。
『労働運動』の仕事、..
第330回 チブス [2016/08/22 14:16]
文●ツルシカズヒコ
伊藤野枝「大杉栄の死を救う」によれば、一九二一(大正十)年二月九日、大杉は有楽町の「病室」から午前中に鎌倉に行き、その晩は自宅に泊まった。
翌二月十日、天気がよかったので野枝、大杉、魔子、そして遊びに来ていた労働運動社の和田久太郎の四人は、馬車で金沢に遊びに出かけた。
金沢は当時、神奈川県久良岐郡(くらきぐん)金沢町、現在の横浜市金沢区である。
その日は馬車の窓を開けていても、ポカポカするような暖..
第325回 週刊『労働運動』 [2016/08/18 11:26]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二一(大正十)年一月八日、大杉は神田の多賀羅亭で開催されたコスモ倶楽部の懇親会で講演した。
一月十一日、大杉が借りた有楽町の病室兼仮事務所で、週刊『労働運動』(第二次)の編集方針の協議が行なわれた(『日録・大杉栄伝』)。
『近藤栄蔵自伝』によれば、栄蔵は靴店の仕事を妻に任せ上京した。
事務所は有楽町の数寄屋橋と省線ガードとの中ほど、日本劇場の筋向かいに建つ木造四階建..
第318回 夜逃げ [2016/08/09 13:44]
文●ツルシカズヒコ
葉山に住んでいたコズロフが、鎌倉の大杉宅にふとやって来たのは、十月初旬のころだった。
コズロフはしきりに何かを大杉に訴えていたが要領を得ず、大杉は何を言っているのかわからないまま、大杉がよくやる手でウンウンと頷いてわかったような顔をしていた。
『分りましたか?』
云ふだけの事を云つて了つたあとで、コズロフは日本語で云つた。
僕は顔をあげて彼れの顔を見た。
すると、不思..
第309回 大谷嘉兵衛 [2016/07/29 18:58]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年四月三十日、大杉一家は神奈川県三浦郡鎌倉町字小町二八五番地(瀬戸小路)に引っ越した。
谷ナオ所有の貸家を月六十円で借り、大杉一家四人と村木が住むことになった。
「鎌倉から」(『労働運動』1920年6月1日・1次6号/『大杉栄全集 第四巻』/『大杉栄全集 第14巻』)によれば、四月中旬、村木が知人の鎌倉の刺繍屋さんを仲介し、決めてきた家だった。
野枝は「引越し騒ぎ」(『定本..
第287回 柿色 [2016/07/10 12:02]
文●ツルシカズヒコ
野枝が大杉に面会したのは一九一九(大正八)年七月二十二日だったが、彼女は七月十九日か七月二十日にも警視庁に来て吉田一(はじめ)に面会している(「或る男の堕落」)。
吉田は電気料不払いのために切られた電線を接続して電気を窃盗、七月十九日に警視庁(刑事課)に召喚され、七月二十一日から東京監獄の未決監に収監された(『日録・大杉栄伝』)。
そのころのことを野枝はこう書いている。
Yは吉田、Oは大杉。
..
第286回 警視庁(三) [2016/07/10 11:35]
文●ツルシカズヒコ
「だからさーー」
大杉は少しでも呑気に刑事部屋にいられるのを楽しむように、意地の悪い微笑を含みながら、ゆっくりと話し出した。
「つまり、君の言う主義というのは、四、五年前に僕のところで話したのと違ったわけじゃないんだろう。ね、君の主義は人民がみんな君を安んじて国を想いめいめいに国家や政府に世話を焼かせたり迷惑をかけたりしないようにならなくちゃならん、ということなんだろう?」
「そうです、そうです。その通..
第284回 警視庁(一) [2016/07/09 15:24]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年七月二十一日、大杉は警視庁に傷害罪の容疑で拘留された。
二ヶ月前の船橋署の尾行刑事殴打の一件を蒸し返されたのである。
警視庁の警務部刑事課長・正力松太郎の執念である。
大杉は警視庁に二晩泊められ、七月二十三日に東京監獄の未決監に収監された。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、野枝が村木と警視庁に行き刑事部屋で大杉と面会したのは七月二十二日だった。
野枝がこのときのエ..
第264回 茶ア公 [2016/06/28 16:40]
文●ツルシカズヒコ
亀戸で『労働新聞』を出していたこのころのある朝の出来事を、野枝は「化の皮」という作品にした。
朝の七時ごろ、玄関の戸を開けている和田に、取り次ぎを頼んでいる男の声がした。
野枝と大杉はまだ床の中にいたが、和田が名刺を持って来た。
「法学士弁護士」という肩書きのYという男の名刺だった。
野枝は起きるとすぐに台所に立ったので、その男の顔を見なかったが、座敷に入る後ろ姿を見ると、頑丈そうな体を持っ..