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第156回 同窓会 [2016/05/09 20:30]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年四月ごろ、野枝は上野高女の同総会に出席した。
上野高女は校舎移転改築のため銀行から資金を借り、校舎の外観が整い入学者が増えるにつれて、資本主の干渉が始まった。
その対立の末「創立十周年の記念日を期し」て多くの教職員とともに佐藤政次郎(まさじろう)教頭と野枝のクラス担任だった西原和治も上野高女を辞職した。
同窓会も母校と絶縁し、佐藤を中心とする温旧会を結成した。
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第25回 抱擁 [2016/03/19 18:23]
文●ツルシカズヒコ
上野高女の卒業が間近になったころのことについて、野枝と同級の花沢かつゑはこう書いている。
……三月の卒業も間近になった頃友達は皆卒業後の夢物語に胸をふくらませておりました。
或る人は外交官の夫人になりたいとか、七ツの海を航海する船乗りさんの奥さんになりたいとか、目前の卒業試験も気にならず、将来の明るい希望の事ばかり語り合っておりましたが、野枝さんは、やっぱり私達より大人でした。
私は卒業すれば..
第24回 おきんちゃん [2016/03/19 17:24]
文●ツルシカズヒコ
年が改まり、一九一二(明治四十五)年、学校は三学期になった。
野枝はほとんど何もやる気が出なかった。
苦悶は日ごと重くなり、卒業試験の準備などまるですることができなかった。
「辻先生と野枝さん」と誰からとなく言われるようになったころ、野枝は辻とおきんちゃんが接近するのをじっと見ていた。
野枝は、見当違いのことを言われるのがおかしくて、鼻の先で笑ったり怒ったりして見せていた。
しかし、..
第23回 天地有情 [2016/03/19 12:22]
文●ツルシカズヒコ
野枝が福岡から帰京したころ、一九一一(明治四十四)年八月下旬の蒸し暑い夜だった。
平塚らいてうは自分の部屋の雨戸を開け放ち、しばらく静坐したのち、机の前に座り原稿用紙に向かった。
らいてうはその原稿を夜明けまでかかり、ひと息に書き上げた。
書き出しはこうだった。
元始、女性は実に太陽であつた。
真正の人であつた。
今、女性は月である。
他に依つて生き、他の光によ..
第22回 仮祝言 [2016/03/18 20:09]
文●ツルシカズヒコ
西原和治著『新時代の女性』に収録されている「閉ぢたる心」(堀切利高編著『野枝さんをさがして』p62~66)によれば、野枝が煩悶し始めたのは、上野高女五年の一学期の試験が終わり、夏休みも近づいた一九一一(明治四十四)年七月だった。
西原は国語科の担当で野枝が上野高女五年のクラス担任である。
「どうしましょう、先生、夏休みが来ます、帰らなければなりません」
西原にこう切り出した野枝は、両腕を机の..
第21回 縁談 [2016/03/18 16:21]
文●ツルシカズヒコ
級長になり、新聞部の部長を務め、谷先生の自死を知り、新任英語教師の辻の教養に瞠目した野枝の上野高女五年の一学期はあわただしく過ぎていったことだろう。
井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』によれば、野枝と同級の花沢かつゑは、野枝についてこんな回想もしている。
花沢によれば、野枝は「ずいぶん高ビシャな人」だった。
花沢が日番で教員室に日直簿を置きに行ったときだった。
教員室にいた野枝は..
第20回 反面教師 [2016/03/18 14:06]
文●ツルシカズヒコ
野枝が上野高女五年に進級した、一九一一(明治四十四)年の春。
野枝が谷先生からの手紙に返信したのは四月末だったが、一週間が過ぎ、十日が過ぎても谷先生からの返事は来なかった。
そして、とうとう五月の上旬のある朝、谷先生の友達から谷先生が自殺したという知らせを受け取った。
谷先生は自宅の前の湯溜池で自殺を遂げたのだった。
よくふたりで行った、あの思い出の溜池だった。
野枝は何だか、当然のよ..
第19回 西洋乞食 [2016/03/17 23:04]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年四月、新任の英語教師として上野高女に赴任した辻は、さっそく女生徒たちから「西洋乞食」というあだ名をつけられた。
辻がふちがヒラヒラしたくたびれた中折帽子をかぶり、黒木綿繻子(くろもめんしゅす)の奇妙なガウンを来て学校に来たからである。
辻は貧相な風貌だったが、授業では絶大な信用を博した。
「アルトで歌うようにその口からすべり出す外国語」。
しかも、話題は教科書の枠..
第18回 遺書 [2016/03/17 21:53]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年四月末、下谷区下根岸の代家に野枝宛ての一通の分厚い手紙が届いた。
この時、野枝は上野高女五年生である。
差出人は周船寺(すせんじ)高等小学校の谷先生だった。
それは長い長い手紙だった。
書き出しはこうである。
もう二ヶ月待てばあなたは帰つて来る。
もう会えるのだと思つても私はその二ヶ月をどうしても待てない。
私の力で及ぶ事ならばすぐにも呼..
第17回 謙愛タイムス [2016/03/17 17:08]
文●ツルシカズヒコ
一九一一(明治四十四)年一月十八日、大逆事件被告に判決が下った。
被告二十六名のうち二十四人に死刑判決、うち十二名は翌日、無期懲役に減刑された。
兵庫県立柏原(かいばら)中学三年生だった近藤憲二は、この判決を下校途中の柏原駅で手にした新聞の号外で知った。
社会問題に無関心であった私は、そのなかに僧侶三人(内山愚堂、高木顕明、峰尾節堂)がいるのを見て、おやこんな中に坊主がいる、と思ったぐらいだ。..
第16回 上野高女 [2016/03/17 14:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝が私立・上野高等女学校に在籍していたのは、一九一〇(明治四十三)年四月から一九一二(明治四十五)年三月である。
当時の上野高女はどんな学校だったのか、そして野枝はどんな生徒だったのだろうか。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」に、野枝と同級生だったOGふたりの文章が載っている。
一九六七(昭和四十二)年一月に発行された、「温旧会」という上野高女同窓会の冊子『残照』に掲載された寄稿を..
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