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2011年10月02日
「差別」を私なりに考える(1)
 ・・・と言うかなり危なくもでっかいネタを持ってきましたが、ココ数ヶ月で思うところがありまして。

 かつ、このネタについてはもちろん1回でまとめられる内容でもありませんし、内容はかなり力が入る文章になるんで不定期なシリーズになるかと思います。よって、中途半端なタイミングでの抗議はスルーいたしますんで悪しからず。

 まずは「ココ数ヶ月で思うところが・・・」って話ですが、ネット上でのあるやり取りでどうも私のことを差別主義者であるような印象を持っている相手がいまして。そしてその人物、別に私の様な差別に意識の低い人を悪くは言わないが、自分は意識が高いので、こんなに気をつけている!ゆえに自分には差別は無い!(キリッ)と言うような話をしている。

 しかし、私から見てその人物は自身の持っている「差別」に気付いていない様子。こう言う人こそ、無意識に他人を傷付けることになる事も理解できないんだろうなぁ・・・と思った次第で。

 さて、ここであらためて「差別」の定義を辞書から見てみると・・・

さ‐べつ【差別】 [名](スル)

1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の―を明らかにする」

2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって―しない」「人種―



 とあります。一般的には「2」の「特に」以降の意味が非常に強く扱われますが、私が考える「差別」の定義は、「複数のものを比較し、その差(優劣)を元に対応や取り扱いを区別する」と言うもの。このため、私の定義では「差別は必ずしも悪いことではない」と。

 例えば電車で老人に席を譲ると言うのも(私の定義では)差別に入りますんで。

 前述の辞書的解釈では「不当に低く取り扱う」とありますが、これでは不十分。まず「不当に」とありますが、それじゃあ「正当に」差をつければ差別にならないか。実際に差別を行なっている人は、自身の判断では「正当」として行なうので、自身は「無意識に差別をしている」事に気付きもしない。

 更に、「低く取り扱う」だけではダメ。「高く取り扱う」も配慮しなければ「高く取り扱われなかった側」は相対的に「差別を受けている」のですが、やってる側はその意識も無い、と言うわけです。

 と、最後になりましたが、今回は「私なりの差別の定義」でした。




{a8.net http://books.livedoor.com/item/583357}

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