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2020年11月03日

秀吉にとってもゆかりの地・浜松(元城町東照宮の銅像)

浜松城と聞いて思い出すのは徳川家康。そんな思いで訪問した現地で、こんな銅像と対面することとなりました。
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左は家康として右の少年は誰?

ここはかつての浜松城内に位置する元城町東照宮です。東照宮だから家康。これは想定していましたが、子供が家康と同等の位置にいることに非常に違和感がありました。

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豊臣秀吉公?!

なんと秀吉でした。いかにも若く、まだ風格が備わる前の姿ですね。ここ浜松は、後に天下人となる秀吉(木下藤吉郎)にとってもゆかりの地なのです。

家を出て奉公先を探していた秀吉は、まずここ浜松で、頭陀寺城(ずだじじょう)の城主だった松下之綱(まつしたゆきつな)に仕えます。のちに織田信長に仕えて頭角を現す秀吉ですが、浜松での恩を忘れず、かつての主である松下之綱を、逆に家臣として召し抱え、所領を与えることになります。

松下之綱はもともと今川義元に仕えていましたが、今川氏滅亡後は徳川家康に仕えました。武田勝頼率いる軍勢が高天神城に押し寄せた際には、徳川側として籠城戦に加わっています(1574年:第一次高天神城の戦い)。この戦い、窮地に追い込まれた高天神城は浜松の徳川家康に助けを求めます。しかし援軍は来ませんでした。約2ケ月後、高天神城は落城。武田勝頼は敗軍の将たちの命を奪いませんでしたので、松下之綱も解放されています。その後、長浜城主となっていた秀吉に仕える道を選びました。

高天神城を救うことができなかった家康ですが、この時は浜松から動けない深い事情がありました。家康はのちに高天神城を奪回しています。

話をもどしますと
秀吉の出自や幼少の頃の話には不確実なものが多いですが、16歳〜18歳という多感な時期を、ここ浜松で過ごしたことは事実のようです。この地での下積みが、のちの大出世に繋がっていくわけですね。

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訪問した元城町東照宮

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大出世する二人が並んでいます

■訪問:浜松元城町東照宮
[静岡県浜松市中区元城町]


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posted by Isuke at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ゆかりの地
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