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2020年12月06日
初雪(十二月三日)
つい先日、今年の冬は、チェコの冬にしては暖かく、初雪もまだ降らないために、こちらに来て以来培ってきた季節感が狂って仕方がないなんてことを書いたわけだが、バチがあたってしまった。十二月に入って、気温が下がり始め、朝の最低気温がマイナスになるようになった。そして今日、朝起きたときには寒いと思っただけで、そんな気配はなかったのだが、昼前にふと思いついて外を見たら、雪が降っていた。
降り始めたばかりではなく、かなり降り続いたと思しく、周囲の家々の屋根も地面も道路も真っ白い雪に覆われていた。雪は嫌いだけれども、この雪景色は嫌いではない。しんしんと、この魅力的な擬態語もチェコに来て静かに雪の降り積もっていくさまを目にするまでは、その真価を知らなかったのだけど、雪の降る様子は眺めていても飽きない。それに今年は人通りや車の数が少ないおかげで、積もった雪がきれいなままの状態が長く続くような気がする。
そんなことを考えるのは部屋の中から外を眺めているからで、昼過ぎに職場に向かうのは、雪のせいで億劫で仕方がなかった。幸い粉雪で。路面がべちゃべちゃになっているということもなく、一度解けたものが凍結してつるつるすべるということもなかったのだが、歩きにくいことには変わりはない。雪の中を歩くことを考えて引っ張り出したごつい冬靴を、今年初めて履いたのも歩きにくさに拍車をかけていた。
日本にいた頃は季節によって靴を替えようなんて発想はなかったのだが、こちらで夏に履くような軽い靴を履いたら、冬場は足がとんでもないことになりそうである。靴底も雪や氷で滑りにくくなっているはずだし、それでも滑るけど、雪が降り始めると冬靴は生活に欠かせないものになる。ちょっと重いのが玉に瑕で、一日履いていると足が疲れてしまう。かと言って、夏場と違って職場で仕事靴と称して裸足にサンダルというわけにもいかないしなあ。
気温が下がって雪が降っているということは、服装も真冬仕様に変えるということである。気温が下がった火曜日から、厚手の上着を引っ張り出して着始めた。うちを出たときは暖かくていいのだけど、マスクをしているせいもあって、歩くことで体内に発生した熱が、うまく発散できなくて、職場につく頃には汗びっしょりになってしまう。前を開けて冷たい空気を入れるなどの対策はするのだけどなかなかうまくいかない。
夏場のくそ暑さで汗をかいてしまって着替えが必要というのはまだ納得できるのだけど、寒さに震える冬に汗をかいて、職場に出て最初にすることが着替えというのは納得いかないものがある。放置すると風邪を引きかねないからなあ。チェコで冬場に着るものを選ぶのは難しいのである。だからこそ、選択がうまくいって、寒いと感じることもなく、汗をかくこともなかったときの喜びは大きいのだが、そんなことで喜べるなんて我ながら安っぽい人間だとは思う。
着用が義務付けられて久しいマスクも悩みの種で、職場に付く頃には濡れて冷たくなっている。今後気温がさらに下がったら、冷たいどころか凍り付いてシャリシャリになってしまうに違いない。その不快感を考えたら、多くの人が自主的な規制緩和を始めてマスクの着用を辞めてしまった気持ちもよくわかる。
まだ年も明けず、初雪が降ったばかりだというのに、春が待ち遠しくて仕方がない。何か毎年同じような愚痴めいた話を書いているような気もするけど、初冬の風物詩だということにしておこう。来年も同じようなことを書くなら、できればマスクなしで書きたいものである。
2020年12月4日21時。
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2020年12月05日
自主的規制緩和?(十二月二日)
今週の月曜日から、規制緩和の一環として、基礎学校で授業が行われる学年が増えた。これまで1年生と2年生の授業だけが許可されていたのだが、5年生までと、卒業と高校受験を控える最終学年の9年生の授業が再開された。他の学年も、一部授業が再開されたのだが、二つのグループに分けて、一週間ごとに学校での授業とオンライン授業を交互に行うことになっている。高校でも、確か卒業試験と大学受験の準備が必要な最終学年の授業が再開され、他の学年が一週間ごとにオンラインと学校での授業を交互に行う点では基礎学校と同じである。
月曜日からの変更点はあくまで学校での授業が増えるということだけのはずなのだが、街を歩くと明らかに人の数が増えていた。ホルニー広場のクリスマスマーケットの準備も進んでいるので、道行く人の数が増えていること自体は、驚きでもなかったのだが、驚いたのは、ジョギングやサイクリングなどスポーツをしているわけでもないのに、マスクをしていない人が多いことだった。
学校以外の規制緩和は明日の木曜日から適用される予定だが、マスクの着用に関しては変更はないはずなのだが、人もそれほど多くないからということで、自主的にマスクの規制を緩和したというところだろうか。これまでもマスクを外して歩いている人がいなかったわけではないが、大抵はマスクは着用しているけれども口と鼻からは外していて、人のいるところでは、ちゃんと口と鼻を隠すというやり方をしていた。それが今週に入ると、マスクを持ってもいないような人が多くなっているのである。
どこまで効果があるのかもわからないマスクをしていると眼鏡が曇るし、息がしづらいし、もううんざりだという気持ちはよくわかる。だから、自分も日本にいたらマスクなしで町中を闊歩しているかもしれないとも思う。ただなあ、外国に住まわせてもらっている身としては、政府の出した規制を無視はしにくい。
ちなみにマスクは、うちののお手製の布のマスクを使っているのだが、先日市販のFFP2というカテゴリーのものを使ってみた。かけ心地自体は悪くなかったのだが、眼鏡が曇るのは布のものと大差なかったし、しばらく歩いていると内側が湿り始め、やがて雨が降っているような何とも不快な状態になってしまった。水蒸気がマスクの内側にこもって、外気に冷やされて結露し、小さな滴となって落ちてきたのだろう。せっかく高性能のものがあるのだけど、どうせ人とも会わないし、こんな不快になるのなら、使う必要はないか。
さて、明日からレストランなどの飲食店は、定員の半分、博物館は4分の1を上限に客を入れることが許可される。生活必需品以外を販売するお店も営業再開が許可され、売り場面積15平方メートル当たり一人が上限になっている。クリスマスプレゼントを求める人で行列ができるのは目に見えているから、買い物に出るのはクリスマス開けになるだろうけど、普通の生活が少しは戻ってくるようで嬉しい。
戻ってくるといえば、スポーツの試合に観客を入れることも許可されるという話があって、木曜日にヨーロッパリーグの試合を行うスラビアの場合には、2万人を超える収容人数を誇るエデンのスタジアムで600人にファンが声援を送る予定だという。この数字がどのようにして出てきたのかはわからないけれども、もう少し多くてもいいような気がする。十分の一で2000人とかさ。規制緩和で一度に集まれる人の数が増やされるはずだけど、それが600人になるのかもしれない。
深夜の外出禁止が解除されるのは悪いとは思わないが、外での、つまり道や広場を歩きながらの飲酒が解禁されるのは、あまり嬉しくない。せっかく飲み屋の営業が再開されるんだから、外じゃなくて中で飲めと言いたくなる。つぶれる飲み屋を減らすためにも、屋台でプンチなんてあまり美味しくもないお酒を飲むぐらいなら、飲み屋でビールを飲んだほうがましだろ。
その飲食店なんかでも、フライングぎみに営業を再開しているところがあるようにも見えたのだけど、あれはこちらの勘違いだったのだろうか。自主的に規制を強化する自粛を強要する人たちがいるのだから、自主気的に規制を緩和する人たちがいても不思議はない。
2020年12月3日14時。
2020年12月04日
ボジェナ・ニェムツォバー(十二月朔日)
チェコの女性作家というと、真っ先に思い浮かぶというか、ほかの名前がまったく思い浮かばないのだけど、チェコで過去、現在を問わず、最も有名な女性作家がボジェナ・ニェムツォバーである。ボヘミアの人で、オロモウツとはあまり関係ないと思うのだけど、旧市街の外側の公園に像が建てられている。田舎の因習と戦いながら作家活動を続けた人なので、女性解放のシンボルとしてチェコ各地に像が建てられたのかもしれない。
作品として最も有名なのは、1855年に発表された『Babička』(おばあさん)である。チェコでは何度か映画化もされており、一番有名なのはリブシェ・シャフラーンコバーが主役の女の子を演じたものかな。また舞台となった地域は、「おばあさんの谷」として観光地になっている。
当然というわけではないけれども、日本語にも翻訳されていて、国会図書館のオンライン目録で確認できる範囲では、以下の二つの翻訳が単行本として刊行されている。
@栗栖継訳『おばあさん』(岩波書店、1956)
言わずと知れたチェコ文学専門の翻訳者栗栖継の翻訳は、当初岩波の少年文庫の一冊として刊行されたようだ。その後、少年文庫を外れて、岩波文庫に収録されたのが国会図書館のオンライン目録によれば、1971年のこと。
念のために、hontoで確認をしたところ、少年文庫版は1979年の版が一番新しいようだが、残念ながら品切れで購入はできない。岩波文庫版は、1977年の版が重版を重ねているようで、今でも手に入るが、1188円という価格になっている。大部の本ではあるので、『R.U.R.』のような薄い本と比べると高くなるのは当然だが、70年代の文庫本の値段ではない。90年代に購入したときには、1000円以下だったと思うのだけど、古本屋で買ったんだったかなあ。
A源哲麿訳『チェコのお婆さん』(東京、彩流社、2014)
二冊目は、「チェコの」という枕をつけて刊行された。訳者の源哲麿は、専修大学教授でドイツ文学を専門とする方。チェコの民族覚醒の象徴でもあるニェムツォバーの作品を、対立していたと思われるドイツの文学を専門とする人が翻訳したという事実にちょっと驚いてしまった。
事情の一端は、hontoの商品解説のところに書かれていた。「当時、ドイツ語系高等学校の
チェコ語の教科書として使われ」ていたというのである。当時が指すのが、19世紀後半のことなのか、チェコスロバキアが独立した後なのかはわからないが、個人的には、この本でチェコ語の勉強はしたくない。
それで思い出したのが、二年前のサマースクールで『Babička』の一節を読まされたときのこと。知っている言葉でも形が微妙に違ったり、書き方が違ったりするというのも難しいと感じた原因の一つだったのだが、もう一つの問題は、先生の言葉を借りると、ニェムツォバーの時代のチェコ語は、まだまだドイツ語の影響を強く受けており、語順などがかなり現在のものと違うことだった。
ということは、ドイツ語を母語にする学生にとっては、比較的読みやすかったということになるのかもしれない。それで、ドイツが専門の方が、恐らくドイツ語版から翻訳したということなのだろう。でも、あのときのドイツ人の同級生達は、特にそんな感想はもらしていなかったけど。
商品解説には、「カフカの『城』の構想に大きな影響を与えたと見られる」なんてことも書かれているが、プラハに住んでいたカフカならチェコ語版を読んでいてもおかしくないような気もする。この時代のチェコの言語事情というのは、想像もつかないものがあるからなあ。
日本では『おばあさん』の作家として知られるニェムツォバーだが、エルベンと同様に民話を採集して集成するという仕事もしていた。ニェムツォバーの民話集、童話集というのは読んだことはないけれども、子供向けの童話映画の中には、たくさんニェムツォバーの作品を原作にして制作されたものがある。そんな原作、もしくは原案となった童話も翻訳されている。
B中村和博訳「金の星姫」(『ポケットのなかの東欧文学 : ルネッサンスから現代まで』(成文社、2006)
原題は「O princezna se zlatou hvězdou」で、同名の映画の原作になっている。同じような童話映画がいくつもあるので、記憶の中でごちゃ混ぜになっているのだけど、お姫様の婿取りの話。婚約者候補を嫌って城から逃げ出すのだったか。姿を変えて他所の国の城の厨房で働いているところを、王子に見出されて結婚したんだと思う。
番外
出久根育『十二の月たち : スラブ民話』(偕成社、2008)
原題は『O dvanácti měsíčkách』。原作としてニェムツォバーの名前は挙がっているが、翻訳ではなく絵本として刊行されている。文章はついていても翻訳ではないということかな。この作品も映画化されているのだけど、エルベンの「花束」と同じようになかなかこわい作品になっていた。テーマは継子いじめ。
他にも童話や民話のアンソロジーの中にニェムツォバーの作品は入っているとは思うが、現時点では確認できていない。クルダやエルベンの童話のように、作者名を挙げずに翻訳が掲載されている可能性もあるので、著作権切れでデジタルライブラリーで閲覧できる戦前の童話集を探してみようか。発見したらまた報告することにしよう。
2020年12月2日12時。
2020年12月03日
アロイス・イラーセク(十一月卅日)
以前、イラーセクの『チェコの伝説と歴史』の日本語訳を紹介したところで、イラーセクの日本語訳はこれが最初なんてことを書いたのだが、単行本としての翻訳は2011年のこの本が最初だが、国会図書館のオンライン検索で調べたら、短編の翻訳が雑誌に掲載されたのは、1954年が最初だった。掲載した雑誌が共産党系の文学雑誌「新日本文学」だったというのは、時代のなせる業であろう。チェコスロバキアも共産圏の国だったわけだし。『チェコの伝説と歴史』刊行以前に雑誌などに発表されたイラーセクの作品の翻訳は以下の二つ。
@種村季弘訳「ヤン様 チェコ人形劇上演台本」(「新日本文学」新日本文学会、1954.2)
訳者はなんと、ドイツ文学というよりは、澁澤龍彦と並ぶ怪奇幻想文学の大家の種村季弘。恐らくはドイツ語からの重訳であろう。わからないのは原典で、「ヤン様」というのは、チェコの人名としてヤンは存在するので、題名としてはおかしくないのだけど、「様」がついているということは、「Pan Jan」だろうか。呼びかけの形で「Pane Jane」でもいいかもしれない。ただし、そんな題名の作品は確認できなかった。
後に「チェコ人形劇上演台本」とあるから、イラーセクが人形劇用に書いた戯曲と考えてもいいのかもしれない。チェコという国は伝統的に人形劇が盛んなところで、プラハに限らず、いくつかの町に人形劇専用の劇場があるのだ。子供向けのテレビ番組「ベチェルニーチェク」で、普通のアニメーション作品以外に、「パットとマット」を代表とする人形アニメーションが制作され続けているのも、その伝統に連なると言っていい。もちろん、シュバンクマイエルの作品もそうである。
だから、イラーセクが人形劇の台本を書いていたとしても全く不思議はない。不思議なのは種村季弘がイラーセクを選んだことで、どこで見つけたんだろう。この翻訳は、後に没後に国書刊行会から刊行された『怪奇・幻想・綺想文学集 : 種村季弘翻訳集成』に「ヤン様」として収録されている。
A石川達夫訳「ファウストの館」(『東欧怪談集』河出書房新社、1995)
この本は国会図書館のオンラインカタログでは、収録された作品の一覧がなかったため見落としていたのだが、今年九月に刊行された新版のところに付された収録作品一覧で発見した。この手のアンソロジーに収録された翻訳作品の中には、同様の事情で発見できていないものも結構ありそうである。
掲載作品の「ファウストの館」は、おそらく『チェコの伝説と歴史』中の「Faustův dům」の翻訳だろうと思われる。ファウストと言うと、ついついゲーテを思い浮かべてしまうけれども、プラハにもいたのである。チェコの歴史は神聖ローマ帝国と分かちがたく結びついているので、ドイツのものだと思っているものの中にも、実はチェコのものだったり、チェコにもあったりするものは、意外と多い。
ちなみに、編者はポーランドの文学作品の翻訳も多い沼野充義氏。旧共産圏という意味での東欧文学のアンソロジーをいくつか手がけていたと思う。日本で旧共産圏の文学が取り上げられるときに、どうしてもポーランドが中心になるのは、国の大きさから言っても仕方がないのかなあ。チェコの人間としてはちょっと残念である。ポーランドの文学も嫌いじゃないんだけどね。『クォ・ヴァディス』とか面白かったし。
そして、2011年になって『チェコの伝説と歴史』(Staré pověsti české)が北海道大学出版会から、『暗黒』(Temno)が2016年に成文社から刊行される。上下二分冊で刊行された『暗黒』には、「18世紀、イエズス会とチェコ・バロックの世界」という副題がついている。訳者はともに浦井康男氏。この二冊についてはすでに紹介したので特には記さない。
2020年12月1日12時30分。
2020年12月02日
連立解消寸前(十一月廿九日)
バビシュ首相のANOとハマーチェク内務大臣が党首を務める社会民主党の連立政権は、その成立以来、両党の意見の対立で何度も解消の危機を迎えてきた。社会民主党内の閣僚ではない有力政治家が下野を求めて声を上げたのも一度や二度のことではない。そのたびに、どちらかというと社会民主党側が妥協することで連立が継続してきた。
春の緊急事態宣言が出ていたころも、当初の先がまったく見えなかった最悪の頃は、政府全体が一致して行動をしている印象がなくはなかったが、感染者の数が減り始め、規制緩和が日程に上るころになると、主導権をどちらが握るかの争いが始まり、例によってメディアやSNSを通じて、それぞれが見解を発表して、意見が一致していないことを衆目にさらしていた。
そしてその対立は、最も重要な来年度予算の編成とその国会での審議でも、最悪の形で現れた。チェコの政界では、かつて市民民主党が政権をになっていた時代に導入された所得税の制度を改正することが懸案となっていた。これは、給与所得に直接税率をかけるというものではなく、所得額を元になんだからよくわからない「スーパー・フルバー・ムズダ」というのを算出して、それに税率をかけて税額を決定するというもので、市民民主党さえ廃止を主張していた。
バビシュ政権もこの税制の改正を政策の一つとしていたのだが、ここまで実現できていなかった。それを現在の経済危機の状況で、経済的な対策の一環として実現しようというところまでは、政府内で一致していたのだが、改正後の税率に関してANOと社会民主党の意見が合わず対立していた。ANOは給与所得に対して一律15パーセントを主張し、社会民主党はそれでは国家の収入が減りすぎるとして19パーセントを主張していた。どちらも大幅な減税になるという点では変わりはない。
そして、与党二党は、事前の話し合いで合意に達するという努力を放棄し、そのまま予算案を下院に提出し、それぞれが修正案を同時に提出するという、ありえないだろうと言いたくなるような挙に出た。そして、市民民主党とオカムラ党の支持を得た15パーセントの修正案が可決され、社会民主党側の反発を呼んだ。市民民主党は税率15パーセントというのはもともと自分たちの案だから賛成するのは当然だといい、社会民主党は市民民主党の案だから賛成できないんだとか言っていた。
同時に、与党が対立して混乱していたせいで、海賊党の提案した控除案などのいくつかの減税案が可決された結果、来年度の税収が1300億コルナほど減ると試算されている。ただでさえ大きな赤字で予算が組まれている上に、これでは大変なことになると、バビシュ首相とシレロバー蔵相は、次に予算案を審議する上院に対して、下院で可決された予算案をそのまま承認しないように求めている。何やってんだかである。
社会民主党だけでなく、ANOと市民民主党が可決させた15パーセントという税率に反対している人たちが、一番問題にしているのは、地方公共団体の収入が激減することである。チェコでは、住民の支払った所得税の一部が地方公共団体に分け与えられることになっていて、それが収入の大半を占めるのである。当然、すでに来年度の予算を、今年の税制を基に立てているところが多く、この時期になって収入が大きく減るような減税をされるのは、迷惑以外の何物でもなかろう。
今回の予算案と共に可決された減税案が実施されれば、給与の額は変わらなくても、手取りの額は毎月数千コルナ増えるらしいから、個人的にはありがたいと思わなくもないけれども、その程度の額で、ギリシャのように国が破産なんてことになったら割に合わない。バビシュ政権の悪いところは、極端に走りがちなところである。現実的な線で考えたら少しの減税でも喜ばれたと思うのだけどなあ。
来週からの規制緩和についてもANOと社会民主党は対立していて、緩和を進めたがるANOの閣僚に対して、ハマーチェク内務大臣が反対しているようである。結局数の論理で、ANOの主張する規制緩和が行われることになった。ただし月曜日からではなく、木曜日からカテゴリー3の規制に切り替わるらしい。つまり、食料品や薬など生活必需品以外を販売する店も、レストランなどの飲食店も規制はあるものの営業が再開されるのである。
2020年11月30日16時。
2020年12月01日
久しぶりのスーパーマーケット(十一月廿八日)
久しぶりに郊外のツェントルム・ハナーに入っているテスコに買い物に出かけた。非常事態宣言が出てからなら、初めてということにはならないが、確か犬システムの導入と共に、日曜日の営業が禁止され、入店できる人の数が、一人当たりの売り場面積15平方メートルという基準で制限されるようになってからは、初めてである。
これまでは、規制の強化によって土曜日のスーパーマーケットで入り口にできていると報道されていた行列を嫌って、避けていたのだが、営業時間が延長されて時間当たりの客の数が多少は減っていることを期待して出かけることにした。日曜日も営業していた時期でも、土曜日のほうがはるかに客の数が多かったので、多少の不安はあったのだが、幸い杞憂に終わり、行列に並ぶことなく店内に入ることができた。ホームオフィスで自宅で仕事をする人が増えて、平日のうちに買い物を済ませることも多くなっているのかもしれない。
テスコの売り場に入るところには、担当の人がいてタブレット片手に店に入っていく人の数をチェックしていた。恐らくはレジのところでは出て行く人の数をチェックしていて、オンラインで集計して現在店内にいる人の数を管理しているのだろう。ニュースでは、数を数える担当の人を置く余裕がない店では、買い物用のカゴとカートの数で入店者数を管理しているところが紹介されていて、二人で買い物に来た人が、それぞれ一つずつカートを使うことを求められていたのだが、流石は大手のテスコ、そんな変なことはしていなかった。
そもそも、家族で買い物に行くにしても二人までという人数制限があるのだから、一人当たり15平方メートルではなく、一家族当たりにしておけば、こんな馬鹿なことをする店も出なかったはずなのだけどね。子供も6歳以下は数に入れないなんて規定があるけど、見ただけで6歳以下かどうかなんてわからないし、スーパーの人には身分証明書の提示を求める権利はないのだから、別の規制のかけ方があったのではないかと思う。
店内の様子は、普段の土曜日よりは人の数が少ない印象だったが、来店者数が少なかったからだけではなく、開いているレジの数が普段より多かったのも理由のような気がする。それでも、まだ閉鎖中のレジもあったから、もう少し増えて、普段の土曜日ぐらいの買い物客なら、何とか対応可能と考えてもいいか。このまま専門店の営業停止が続いたら、クリスマスプレゼントを探す人たちも、服やら靴などまで取り扱っている大規模スーパーに押し寄せるだろうから、今の規制のままだと行列ができることになりそうだ。
それにしても、これまでも何度か見ているけれども、大きなショッピングセンターで、総長でもないのに営業しているのが一番奥のスーパーマーケットと入り口近くの薬屋、ペットショップに酒屋ぐらいしかないというのは、やはり異様な光景である。週末に遊園地代わりにショッピングセンターに通うというのは論外としても、買い物好き、とくにバーゲンセールが大好きなチェコの人たちにとっては、ショッピングセンターで買い物できるところが少ないというのはストレスにつながっているに違いない。ネット上での買い物とお店での買い物ではまた違うだろうし。
バビシュ首相は、感染状況が期待していたほど改善されていないと口にしており、内閣の中でも来週から規制をさらに緩和するのか、しばらくこのままで行くのか合意ができていないようだけど、結局は、もう限界だという経営者達の声を聞き入れて緩和することになるんじゃないかなあ。倒産を避けるためと称して、規制を無視して営業した結果、摘発される例も増えているようだしさ。
2020年11月29日23時。
2020年11月30日
時間の流れが速すぎる(十一月廿七日)
気がつけば、十一月も最後の週末を前にしている。この前、月末を迎えたばかりのような気がするのだが、過ぎ去った日々を数えてみれば、今日の日付が今日の日付であっていることはわかる。わかるのだけど、何か間違っているという気分を消し去れないのは、おそらく規制の強化で、職場での死後とのあり方が二転三転して、その対応に追われてしまっていることが大きいのだろう。
もう一つ考えられるとすれば、今年の秋から冬にかけてが、チェコにしてはそれほど寒くないことも挙げられる。インベルゼが起こって地表付近のほうが山頂よりも気温が高いという現象が起こると、以前は気温はマイナスになっていたような記憶があるのだが、オロモウツがマイナス10度でイェセニークの山頂がプラス5度とか、今年はオロモウツの気温がマイナスに落ちない中でインベルゼが起こっている。
夏がここ数年に比べると涼しかったから、厳冬になるのではないかと恐れていたのだが、ちょっと拍子抜けである。十二月が近づくのに初雪もまだどころか、ちらつく気配さえない。寒さや雪が苦手な人間にとってはありがたいことではあるのだけど、こちらに来てから培ってきた季節感がおかしくなりそうで嫌になる。
例年であれば、クリスマスが近づくにつれてプレゼントを求める買い物客で賑わいをまし、時間帯によっては人手の多さにうんざりすることもある季節なのに、外出規制、営業規制のせいで、街中であっても、人影がまばらなのも、年末が近づいていることを忘れさせる。今週の月曜日からの規制緩和のせいか、先週よりは人通りが多くなったような気がする。
週の半ばからは、犬システムによる危険度評価が下降傾向にあるのを当て込んでなのか、念のためなのかはわからないが、ホルニー広場でクリスマスマーケットの準備が始まった。ただ準備中の出店の数は、ここ数年の無駄に多かったのと比べると、かなり少ない。昔の小ぢんまりとした控えめなクリスマスマーケットが戻ってくるのだとしたら嬉しい。
ドルニー広場にまで会場を広げて店の数を増やしていたとはいっても、クリスマスならではという商品を売る店は少なく、同じような店がいくつもあることがあったし、クリスマスならではと言えなくもないお酒であるプンチを販売する店の数が多すぎて、しかもその多くが意味不明な形容詞をつけていて興ざめだった。フランスのとかスウェーデンのとか言われても、本当にその国で飲まれているプンチなのか確証はない。そもそも他の国でもプンチなんて飲むのか?
今年は、屋外での飲酒が禁止されているので、プンチの出店も出ないだろうと思っていたら、出店ではなくて、ホルニー広場の近くの店が持ち帰り用の窓口でプンチの販売を始めていた。うちのは子供向けのアルコール分の入っていないプンチじゃないかと言うのだけど、チェコ人がそれで満足するかなあ。その場で飲むのではなくうちに持って帰ってから飲む用に販売しているという名目で酒入りを売っているんじゃないかと疑ってしまう。
ホルニー広場にはすでにクリスマスツリーとなる木が運ばれてきて立てられているが、今年は例年と違って飾りの点灯式は行われないらしい。経済的にはクリスマスマーケットが盛大に行われ、たくさんの買い物客で賑わうほうがいいのだろうけど、今年は無理そうだ。一週間でも二週間でもクリスマス前に、すべてのお店の営業が再開されることを望むだけである。オンラインでの買い物が増えているとは言っても、すべてを補えるわけではないし、コストの問題でオンラインショップには手を出していないところも多いはずだしさ。
クリスマスと大晦日の夜中の花火を禁止することができたら、政府の規制を高く評価してもいいかな。気がついたら花火で新年が来たことに気づくなんてのは避けたいし。それから、はた迷惑な屋外の公共の場での飲酒、喫煙は通年で禁止してくれないものだろうか。アルコールの臭いと煙草の煙の充満した広場を歩くのは苦痛でしかないし。
2020年11月28日20時。
2020年11月29日
形容詞のまとめ(十一月廿六日)
昨日の記事で形容詞について基本的なこと(だけじゃないかもしれないけど)は、ほぼ書いてしまったので、まとめのための記事のリストを作っておこう。ちょっと疲れがたまっていて、頭を使いたくないというのも、手抜きに走る理由である。
1形容詞の話
形容詞についての基本的な情報。硬変化と軟変化の形容詞。硬変化の形容詞が1格で取る語尾が名詞の性と単複によって変わることなどを記した。男性名詞の活動体の複数に付く場合に起こる子音交代についてもある程度丁寧に説明した。
2形容詞格変化単数
形容詞の格変化のうち、単数の名詞に付く場合を説明したもの。硬変化だけでなく軟変化も一緒に取り上げた。三性まとめて表にする能力はないので、硬変化については、男性、女性、中性、それぞれ別々に表のようなものにして、解説を加えている。軟変化は男性だけ表にし、女性と中性は言葉での説明で済ませた。
3形容詞格変化複数
今度は複数である。硬変化については、男性の場合の表と、女性と中性をまとめた表の二つを掲げた。三性共通の形が多いので、三つに分けることはしなかった。軟変化は7格すべて三性共通のため一つの表にまとめてある。短語尾形についても簡単に書いてあるじゃないか。昨日書いたことと同じようなことも書かれている。まあ仕方がないか。
4形容詞短語尾形
形容詞の短語尾形について改めて少し詳しく書いておいた。以前簡単に書いたのと大差はないといわれればそれまでだけど、短語尾形についてはそれほど書くことがないのだと言い訳しておく。
5形容詞比較級最上級1
形容詞比較級最上級2
形容詞を使う場合に避けて通れない比較級と最上級の作り方の話である。子音交代を起すものや、例外的な特別な形になるものまで取り上げてある。特別な形になるものは、頻繁に使うものが多いので頑張って覚えるしかない。個人的にはこの記事では、枕の部分が一番気に入っている。
6形容詞を副詞にする方法1
形容詞を副詞にする方法2
副詞のまとめにも入れるけれども、ここにもおいておこう。形容詞を副詞にする、日本語的に言えば連用形にする方法をまとめたものである。ある程度規則的に作れるけれども、例外が多いのは比較級、最上級の場合と同じ。また二つの形容詞をつないで一つにする方法についても最後に触れておいた。
7地名と形容詞の関係
コメンスキーの名字から、地名から作られる形容詞について考えたもの。ここではチェコの地名から作られる形容詞について解説してある。形容詞の作り方の説明その一である。
8形容詞と地名の関係2日本
では、日本の地名からはどのようにして形容詞が作られるかについて説明したもの。勝手に子音交代を起してくれるから、ルールを知らないと形容詞を聞いてももとになる地名がわからないなんてことが起こりかねないのである。
9形容詞の作り方1
名詞から作られた形容詞について、その作られ方をいくつか説明した。
10形容詞の作り方2
形容詞の作り方3
こちらは動詞がもとになって作られた形容詞の話である。いくつかの作られ方があって、それぞれ意味が違う。また動詞の中でも不完了態の動詞からしか作れないものもある。
11所有形容詞@
所有形容詞A
所有形容詞B
チェコ語の形容詞の中には、人を意味する名詞から作られる所有形容詞というものが存在する。その作り方と、格変化を説明したもの。所有形容詞の格変化は、形容詞の硬変化と名詞の格変化が混ざったようなものなので、格変化表には所有形容詞と名詞を組み合わせて使用した。
12所有形容詞C
ここでは実際の使い方を実例を挙げて紹介した。大事なのは人を表す言葉が、例えば姓名などのように二つ以上の単語からできている場合には、所有形容詞は使用できず、二格にして名詞の後ろに置かなければならないことである。また形容詞型の名詞からは、所有形容詞は作れない。
13 チェコ語の疑問詞3
チェコ語の疑問詞4
チェコ語の疑問詞8
チェコ語で使われる疑問詞のうち、形容詞型のものを取り上げた。
14チェコ語の疑問詞10
形容詞と組み合わせて使う疑問詞「jak」の使い方について書かれたもの。
番外 チームの異名の不思議
サッカーチームの選手たちの呼ばれ方に形容詞がしばしば登場することが書かれているので、ここに一緒に並べておく。
以上が形容詞について書いた記事のすべてかな。関係代名詞の「který」については、形容詞型ではあるけれども、省略した。
2020年11月27日20時。
2020年11月28日
形容詞短語尾形(十一月廿五日)
動詞の受身のところでちょっとだけふれて放置してしまった形容詞の短語尾系である。実は一部を除いてそれほど使うものではなく、書けることもそれほど多くはないのだけど、形容詞についてまとめようと思ったら、触れないわけにはいかない。ものによっては動詞の受身形なのか、形容詞の短語尾形と解釈するべきなのかわからないものもあるのだけど、原則として動詞「být」とともに述語として使用するという点ではどちらも同じだから、あまり気にしなくてもいい。
形容詞の短語尾形は、硬変化の形容詞の語尾の長母音を取り去って、主語の性、単複に合わせて、動詞の受身形と同じ短母音の語尾をつけてやるだけである。さらにわかりやすく言えば、副詞とされる「rád」と同じ語尾と言ったほうがいいかもしれない。考えてみれば「rád」も副詞の癖に、主語に合わせて形を変えなければならないという不思議な言葉である。
念のために繰り返しておけば、単数が主語の場合には、男性であれば語尾なし、女性は「a」、中性は「o」をつけ、複数の場合は、男性活動体は「i」、不活動体と女性は「y」、中性は「a」をつけることになる。文にせずに、形容詞の短語尾形だけを使うときには、中性単数の「o」をつけた形を使う。
この短語尾形で一番よく使う形容詞は、「hotový」だろうか。「できあがった/完成した」という意味の形容詞なのだが、作業が終わったときに、「hotovo」と独り言のように言ってしまうことも多い。また、「もうできた?」なとと質問するときにも、中性単数の形を使って、「Už je hotovo?」だけではなく、動詞「mít」を使って「Už máš hotovo?」と言うこともある。
もちろん、主語を据えて、「Večeře je už hotova(夕食はもうできたよ)」と言っても間違いではないはずなのだが、この形容詞の短形というのは、どうして古い印象を与えてしまうので、「Večeře je už hotová」と形容詞の長母音の語尾を使ったほうが、少なくとも教科書で学んでチェコ語を勉強した人間には、自然に感じられる。さらに言えば、動詞の受身形を使いたくなる。たとえば「Večeře je už připravena」とか、「Večeři máme už uvařenou」とかである。
以前、チェコ語を勉強し始めの頃、チェコ人の知り合いに、「Já sú zvědav」と言われてわけがわからなかったことがある。当時はまだそれほどチェコ語に詳しくなかったから、「sú」が「jsem」のモラビアの方言であることも、「zvědav」が形容詞の短語尾形であることもわからなかったのだ。ちなみに「zvědavý」は、「知りたくてたまらない/好奇心にあふれる」という意味である。
翌日だったかに、師匠に質問したら、「zvědav」は、「zvědavý」の古い文語的な、書き言葉的形なので、方言であるつまりは口語的表現である「sú」と一緒に使うのはちょっとなあという説明が帰ってきた。師匠は、チェコ語を勉強している外国人に、こんな形もあるよと教えるために、文語的な短語尾形を使ったんじゃないのかなんて推測していたけど、ならば「sú」を使ったのは方言を教えるつもりだったのだろうか。
たまに使われているのに気づくものとしては、健康、病気に関する形容詞があって、「健康な」という形容詞「zdravý」が短語尾形では「zdráv」と長母音が出てくる。命令形を使った「Buďte zdráv」なんてのを、耳にすることがある。一方「病気の」という意味の「nemocný」は「nemocen」となる。語尾のない男性単数では出没母音の「e」が出るのだが、語尾をつけると消えてしまうので、女性単数は「nemocna」という形になる。
形容詞の短語尾形にはこのぐらいしか書くことがないのである。形容詞に関してはこれで終わりかな。形容詞から名詞、動詞を作る方法というのもあるけど、これはまた機会を改めることにする。
2020年11月26日23時。
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2020年11月27日
阿呆はANOのみにあらず(十一月廿四日)
十月下旬に、就任して一月ほどだったプリムラ厚生大臣が、辞任に追い込まれたのは、営業が禁止されているはずのレストランで、ANOの副党首だったファルティーネク氏と会合を持ったことが原因だった。レストランなどの飲食店の閉鎖を決定した人間が、自らルールを破るとはどういうことだという批判が、野党だけではなく、与党内からも巻き起こったのだった。
もう一方の主役であるファルティーネク氏も、あちこちから批判を受けて、下院のANOの会派の長と、ANOの副党首の役職を辞任したんだったかな。辞めたのは前者だけだったかもしれないが、プリムラ氏とは違ってあっさり辞任していた。ただ、その後、逃げるように外国に休暇に出かけ、一般の国民に外出の制限を科したばかりだっただけに、バビシュ首相からも批判されていた。
これで終わっていれば、ANOの政治家、政治家以外でもANOの選んだ大臣は、国民の事を無視して好き勝手なことをしているという結論になって、反バビシュの野党勢力にとっては、万々歳だったのだろうけれども、ここは流石のチェコである。そんな簡単でつまらない結論で終わることはありえないのである。
まず、ANOに続いて、政治家というものが如何に自分を特別視し、国民に対する規制がおこなれていても自分はその対象にならないと考えているという事実を明らかにしたのは、TOP09の実質的なリーダーであるカロウセク氏だった。二週間ほど前のことになるが、プラハの持ち帰り用の窓口だけで営業していたレストランの中に入っていって、店主と談笑しながらビールを飲んでいたらしい。
カロウセク氏は長年の友人の経営するレストランに昼食を買いに来たついでに、店の中に入れてもらって話をしながらビールを飲んだだけだとか語っていたと記憶するが、この時期は仕事と買い物以外で外出することが禁じられており、週末などに会いにいっていいのも家族だけという制限がついていたはずだから、この言い訳は通用しない。結局開き直ったような謝罪のコメントをして幕引きとしていた。
実は、最初にカロウセク氏が政府の規制に違反するような行動を取ったというニュースを見たときには、意図的に、バビシュ政権を批判するために敢えてやったのかと期待したのだが、そんなことはなかった。この人も口ではえらそうなことを言うけれども、結局つまらない既成の政治家の一人に過ぎなかったのである。カロウセク氏とバビシュ首相は、ことあるごとに対立して犬猿の仲とは言われるが、いわゆる同属嫌悪という奴で、本質的には似ているのではないかと見ている。カロウセク氏のほうが政治家としては洗練されているけれども、それがいいことで有権者の支持につながるとは限らない。
続いて愚行をさらしたのは、カロウセク氏の場合と違って、自らSNSでさらしたのは、キリスト教民主同盟の党首でオロモウツで反バビシュの旗を振り続けているユレチカ氏である。明らかに自宅ではない、飲み屋かどこかで誇らしげにビールに口をつけようとする自分の写真をSNSに掲載したらしいのである。これも抗議のために意図的にやったというものではなく、問題にされていることがわかるとすぐに謝罪のコメントを出していた。
プリムラ氏や、カロウセク氏のようにマスコミにすっぱ抜かれたというのならまだわかるけれども、これでは、自分がバイト中にアホなことをやるさまをSNSで公開する日本のアホ学生と同じレベルではないか。キリスト教民主同盟、こんなのが党首で大丈夫か? この人オロモウツ地方の地方議会の選挙でも当選しているはずなんだけど、心の底からやめてほしいと思う。
ANOとバビシュ首相がどんなに駄目っぷりを示しても、批判する層は急進化するものの、一定の支持を得続けている理由のひとつが、この既存の政党の政治家たちの体たらくにあるのである。バビシュ首相から反バビシュのメディアだとして批判されることもあるチェコテレビですら、プリムラ厚生大臣には辞任を求めておいて、自分たちは自らを罰するのに謝罪しかしなかったなんて皮肉を言われていた。
だから、ANOの次は海賊党だと確信しているのだが、ANOの劣化が予想以上に早いのでどうなることやらである。来年の下院の総選挙で、市長連合ことSTAN党と選挙協力をすると言い出したのも、期待よりは不安のほうが大きい。
2020年11月25日11時。