新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2024年02月19日
iPadで『将門記』を読む
思い返してみれば、軍記物語は、『平家物語』を部分的に読んだことがあるぐらいである。それで、『太平記』に行く前に、時代はさかのぼるけれども、古い軍記物語を、一つ二つ読んでおくことにした。『平家』は、光瀬版を通読したので理解はしやすいだろうけど、長すぎるので、先ずは、あれこれ伝説に彩られた平将門の反乱を描いた『将門記』を選んだ。昔荒俣宏の『帝都物語』を読んで以来、読んでみたいと思っていたからちょうどいい。いや、これも以前手を出したけど途中でやめた作品のような気もする。
宿願を果たしたというほど重いものでもないけれども、実際に読んでみての感想は、正直、期待外れだった。欠けている部分があるせいか、こちらが平将門の乱について細部まで知らないせいか、最初から最後まで、視点が定まらないというか、全体的にぼやけた印象が消えなかった。部分部分には興味深いエピソードがあるのだけど、それらが全体として結びついていないのである。
軍記物というと、血沸き肉躍るじゃないけど、手に汗握るような合戦の描写を期待するのが、『将門記』にはそんな場面はほとんどない。将門自身の描かれ方も、英雄なのか敵役なのかどっちつかずのところがあって、読書の醍醐味である感情移入もしづらい。これなら、『将門記』そのものを読むよりは、『将門記』を題材にして後世作られた作品を読むほうがはるかにいい。
考えてみれば、『将門記』は初期の軍記物語で、まだ文学的な完成度があまり高くないということなのかもしれない。その後、『保元物語』などを経てジャンルとしての軍記物語が成熟していく過程で、全体の構成も、合戦の描写についても完成度が高まって行き、その頂点の一つとして『平家物語』があると考えるのがよさそうだ。ならば、もう古い軍記物語を読むのはやめて、『太平記』に行くまでである。『平家』は、一度江戸まで行った後の二周目に読もう。軍記物の大作を二作連続でというのはさすがに食傷しそうだし。
最後につけたしとして書いておくとすれば、この前の『徒然草』あたりから顕著になった原文と、現代語訳、頭注が分量の関係でずれてしまって同じページにないという問題に苦しめられたことだろうか。いちいちページを行きつ戻りつして確認する気にもなれなかったし、頭注を確認してみたら、別の前の注を参照するようにと書かれていてげんなりしたこともある。この辺が、めくるだけでいい紙の書籍のほうが優れているところだろう。