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2021年01月27日

シグマ久しぶりに勝った(正月廿四日)



 ハンドボールの世界選手権で、開催国のエジプトが準々決勝進出を決めた。スロベニアとの直接対決で勝ったほうが進出、引き分けの場合はエジプトの進出が決まるという状況での試合は、例によって前半だけ見た。スロベニアの守備が堅く、エジプトは点を取るのに苦労していて、前半終了と同時の得点で12−8とスロベニアの4点リードになったし、エジプトの夢もここで終わりかと思った。
 それが、後半エジプトが攻撃を立て直すことに成功したのか、スロベニアの守備が疲労で機能しなくなったのか、ライブスコアで確認するとエジプトが逆転していた。最後はスロベニアが同点に追いついて引き分けに終わったけれども、エジプトの準々決勝進出が決まった。ちょっと心配なのは、ハンドボールの試合でありがちな、過度にホームチームよりの笛が吹かれなかったかである。前半は多少エジプトよりの印象だったけど、問題にするほどではなかったと思う。

 と、前置きはこのぐらいにして本題に入ろう。一ヶ月ほど前に、サッカーのシグマ・オロモウツが引き分けばかり、しかも先制して同点に追いつかれて1−1で終わる試合を5試合続けているという話を書いたが、幸いにも、というのも変な話だが、冬休み前の最終戦、ヤブロネツとの試合で1−3で負けて、引き分けの連続は終了した。この試合でも先制して、1点しか取れないと言うのは継続されたわけだけど。

 冬休みの間は、暖かいキプロスだったかマルタだったかで、キャンプを行って、集まったチェコとスロバキアのチームで行われた大会で優勝したんじゃなかったかな。それで、シーズン開幕当初の好調さ、一時は3位だか4位だかにつけていたを取り戻すんじゃないかと期待したのだけど、冬休み開けの最初の試合の相手は、チェコ最強チームのスラビアだった。
 それが、プラハのエデンで行われたこの試合も、シグマは先制に成功する。そして、同点に追いつかれて逆転され、最終的にヤブロネツとの試合と同じスコア、1−3で負けた。上位チーム相手にも1点は取れることを評価するべきなのか、下位チーム相手でも1点しか取れないことを嘆くべきなのか。スラビアはここまで6失点しかしていないから、点を取れたのはほめてもいいのだろうけど、失点が多いのが問題なのか。

 そして、今週末はオロモウツで、最下位に沈むオパバと対戦した。昨シーズン末から、繰り返し武漢風邪の感染に悩まされているオパバは、現在も監督のコバーチとコーチが感染中でベンチから指揮を取れないという状況に陥っており、久しぶりの勝利を挙げるにはこの上ない対戦相手だった。コバーチはオロモウツ育ちだから、成績悪化で解任はされほしくないのだけど、ここまで1勝しか挙げられておらずいつまで持つか心配である。
 試合のほうは、いつも通りシグマが先制した。その後追いつかれるのがいつものパターンなのだけど、今回はすぐに2点目を追加することに成功。後半が始まって1点差につめよられたものの、また連続で2点とって、4−1で勝利を収めた。オパバ相手でも失点してしまうところが、今のシグマのディフェンスなのだろう。これで次の試合も同じスコアとなると嬉しいのだけどねえ。

 これで順位も6位、例年ならモラビア最高位でもおかしくないのだが、今年はスロバーツコが4位につけている。開幕当初は勝ったり負けたり引き分けたりで、真ん中辺りの順位にいたと思うのだが、12月半ばに下位に低迷するブルノに試合終了直前に逆転負けを食らって以来、5連勝でここまで順位を挙げてきた。同じ5連続でもシグマの引き分けとは大きな違いである。若くしてドイツに買われていって泣かず飛ばずだったクリメントが復活しつつあるのがうらやましい。
 この週末で第16節まで終了したから、シーズンも後半に入ったなんて思ったら、今年は中国のせいで1部リーグのチームが二つ増えて18チームになっているのだった。シグマにはスロバーツコのしたでもいいから、バニークやブルノよりは上で終わってほしい。迷惑自称ファンの多いこの2チームには降格してもらったほうがありがたいのだけど、バニークは金持ちオーナーがついたから無理だろうなあ。ファンの迷惑行動で勝ち点を減点するシステムがあっても悪くないと思うんだけどなあ。
2021年1月25日17時30分










2020年12月21日

シグマ・オロモウツまたまた引き分け(十二月十八日)



 犬システムで危険度が4どころか5に足を踏み入れたということで、規制の再強化が行われて、レストランなどの飲食店の営業が禁止された。その一方で、クリスマス商戦真っ只中の一般の商店の営業は継続し、クリスマスマーケットも閉鎖されていないので、例年よりははるかに少ないとはいえ、町中を歩く人の数は木曜日とそれほど変わっていなかった。人出のない死んだ街を歩くのもあまり気持ちのいいものではないので、このぐらいがちょうどいい。例年のクリスマス時の人手にはうんざりさせられるし、今更東京の人ごみの中には戻れそうもない。

 うちに戻ってテレビをつけたら、サッカーの試合が始まるところだった。バニーク・オストラバとシグマ・オロモウツの試合で、場所はオストラバのビートコビツェのスタジアム。当然無観客での試合なのだが、スーパーマーケットなどが、人数制限があるとはいえ営業を許可されていることを考えると、一人当たりの占有面積を大きくした上で、子供連れの家族限定で入場を許可するとかしてもいいような気がする。
 試合のほうは前半しか見ていないのだけど、なかなかいい試合だった。バニークの超ベテランキーパー、ラシュトゥーフカの活躍がなければ、オロモウツが2−0で勝っていてもおかしくなかったのだが、前半は0−0で終わった。これでここまで続いていた1−1での引き分けにはならないのではないかと期待したのだが、結果を見ればまたまた1−1で引き分け。しかも先制して追いつかれるというところまで同じ結果が、これで五試合連続ということになった。

 昨年は、シグマ・オロモウツ設立百周年とカレル・ブリュックネルの八十歳の誕生日を祝うという記念すべきシーズンだったのだが、肝心のチームの成績のほうはあまり振るわなかった。昨シーズンはリーグが不完了扱いで最終順位はつかなかったが、三十節終えた時点での順位は十一位。百周年を祝うには、前年よりも下だし、十分とはいえない結果に終わっていた。
 今シーズンも、監督は代わらなかったし、国外に移籍した選手もいたしで、あまり期待できないかなと思っていたら、開幕当初は快調だった。第一節でリベレツに勝ち、第二節ではスパルタに完敗したものの、ボヘミアンズ、ブルノ、ズリーン相手に三連勝し、プルゼニュとは引き分けに持ち込んだ。その結果、リーグが中断に追い込まれた六節終了時点では、四勝一分一敗という成績で、全勝のスパルタと、五勝一分のスラビアについで、プルゼニュと共に三位に位置していたのである。

 再開後は、スロバーツコと0−0の引き分けの後、カルビナーに3−0で勝利したところまでは、中断前のいい流れが続いている印象だったのだが、次のパルドゥビツェとの試合の後半の最後から歯車が狂い始めた。試合はオロモウツが後半に入って62分に先制した。その後、守りに入ってしまったのか、90+5分に失点してそのまま試合終了。
 ブルノと共に昇格したパルドゥビツェは、ホームスタジアムの改修工事中ということで、ホームの試合をプラハのボヘミアンズのスタジアムに間借りして開催している。この試合もドリーチェクというボヘミアンズのホームで開催されたのだが、パルドゥビツェは、スラビアとも引き分けるなど、このホームで負けなしなのである。

 次の十節は、ホームでのプシーブラムとの試合。昨シーズンはリーグが完了しなかったおかげで降格を免れたけれども、今年も降格候補の一つで、下位に低迷しているから、今年のオロモウツなら問題なく勝てるだろうと思っていたら、前半に先制したのに追加点が取れず、終了間際の88分に失点して、またも1−1の引き分け。
 次の十一節テプリツェでの試合は、開始早々の前半3分に先制。後半に入って57分に失点してそのまま1−1の引き分け。終了直前の同点でなかったのだけが救いである。十二節はホームでチェスケー・ブデヨビツェとの試合。またも前半に先制して、後半77分に同点に追いつかれた。この四試合連続、先制した後、追加点が取れずに同点に追いつかれるという展開に、監督のラータルが選手たちを強く批判して向かえたのがバニークとの試合だったのだけど……。

 これでシグマは、五試合連続1−1での引き分けとなった。ここまで十三試合で引き分けが半分を超える七試合、そのうち五試合が1−1。次は年内最後の試合が火曜日にオロモウツで行われる。相手は最近好調で順位を三位にまで上げているヤブロネツ。この試合も1−1だったら、笑うしかない。
2020年12月19日24時。












2019年11月25日

ホテルとサッカーの話(十一月廿三日)



 金曜日の夜、何かのイベントの一環でNHホテルで夕食をとって帰って来たうちのが、帰ってくるなり、「スラビアのバスが停まっていた」と言う。ホテルの中にも「スラビアは二階」という表示がなされていたらしい。今日土曜日の夕方にすぐ近くのアンドル・スタジアムで、シグマ・オロモウツとの試合が行なわれるのだ。前日にオロモウツに入ったチームが、一番近いホテルのNHホテルに宿泊するのは当然といえば当然なのかもしれない。

 実はスタジアムのNHホテルとは反対側にも、スタジアムの客席の建物に接する形で、ゴールという名前のホテルが入っているのだが、スラビアにとっては、オロモウツには珍しい大手チェーンのホテルを選ぶほうが自然なのだろう。以前オロモウツでサッカーの代表が試合をしたときも、確か、両チームともこのホテルに滞在していたし、卓球のチェコオープンの会場も隣接するスポーツクラブだから、選手たちや関係者はこのホテルを利用しているようである。
 トラムやバスなどの公共交通機関を使うと、交通の便はよくないが、街のはずれのほうにあって駐車場も大きいから、車や貸し切りバスで移動する場合には便利な場所にある。旧市街からも歩いて10分ほどでつくから、荷物がなければ観光にも問題はない。だからスポーツイベントの関係者や、団体旅行の宿泊先として選ばれることも多いようである。

 個人的には、オロモウツに住んでいるから当然ではあるけど、レストラン以外は利用したことはない。ただ、知人が利用して、ロビーで話しこんだ際に、忘れてしまったマフラーを取りに戻ったら、受付の人が親切な対応をしてくれたことがある。一度だけ観光ガイドを仕事としてやったときの団体客が泊まっていたのもここだった。このホテルのイベント会場で行なわれる学会に出席するために日本から来たという人とお酒を飲みに行ったこともある。
 ヨーロッパ各地にあるホテルだけに、よその町で利用したことのある人にとっては、買って知ったるホテルで安心して利用できるという面もあるのかもしれない。最近オロモウツに来る日本人の中に利用する人が増えている印象もある。このホテルができたころには、こんな大きなホテルオロモウツでやっていけるのかと心配したものだが、オロモウツを訪れる人の数自体が大きく増えているのだろう。このホテルができてからも新しいホテルがいくつか開業している。

 サッカーの試合のほうは、残念ながらテレビでの中継はなかったのだが、シグマが頑張って0−0で引き分け。これでスラビアは開幕以来17試合で負けなし、14勝に引き分けが3つである。失点がたったの3というのも信じられない数字である。そんなスラビア相手に、最近点が取れないオロモウツが得点など挙げられるわけがなく、前半の最後のほうでスラビアのマソプストが退場になって、後半は一人多い状態だったにもかかわらず引き分けにおわった。今年も上位争いはできそうもない。
 創立百周年で、ブリュックネルが80歳になる年なんだからと、開幕前は期待したし、開幕直後はそんな悪くなかったと思うのだけど、ここしばらく勝てない試合が続いている。順位もずるずると下がって現在10位、久しぶりに昇格してきたチェスケー・ブデヨビツェにも抜かれてしまった。このまえ直接対決でも完敗だったしなあ。
2019年11月24日22時。












2019年09月14日

プリマベシ邸(九月十二日)



 ジャパンナレッジに収録されている『日本大百科全書』は、絶えず新項目の追加や、既存の記事の改定が行われていて、定期的に更新情報が掲載される。いつも見るわけではないのだけど、今月たまたま八月の更新分を知らせるページを開いてみたら、画像追加のところにクリムトが上がっていて、追加された画像のキャプションに、「メーダ・プリマベージの肖像」と作品名が書かれていた。

 森雅裕の影響でクリムトに興味を持って以来、展覧会に出かけたり画集を買ったり、果てはウィーンの分離派会館に出かけたりしてきたが、絵は見てもその題名までは、特に人物画の場合には誰が描かれているのかまでは、あまり意識していなかった。この少女の絵も見たことはあると思うのだが、それが、「プリマベージ」の名を持っているとは思いもしなかった。
 オロモウツの観光名所の一つ、ジャーマン・セセッション様式の傑作プリマベシ邸を建てたプリマベシの人たちが、ウィーン分離派のクリムトと親交があって、邸内にクリムトのデザインしたものがあったなんて話は聞いていたけれども、絵を依頼したなんて話も聞いていたかもしれないけど、こんな有名な作品にプリマベシが出てくるとは思いもしなかった。クリムトファンであり、オロモウツの観光地としてはプリマベシ邸を一番推しているのに、不覚もいいところである。

 これまで、あちこちでプリマベシ邸のことには触れてきたけれども、断片的であまり詳しく書いていないので、ここらで一つまとめておこうと思う。参考になるようなプリマベシ邸のHPも公開されているし。以前は中に入っていたレストランのページしかなくて、建物そのものについての情報はあまりなかったのだけど、邸宅の歴史や、プリマベシ一族の歴史なんかについてもかなり詳しく知ることができるようになっている。ありがたいことである。
 最初に自分が誤解していたことを告白しなければならないのだが、プリマベシ家はイタリアからモラビアに移ってきた医者だと思い込んでいた。実際には、プリマベシ家はイタリアでは洗濯業を営んでおり、オロモウツに移ってきてからはさまざまな産業に手を出したようだが、中心となるのは製糖業と銀行業で、医者を稼業にしていたのは、第一次世界大戦後にオロモウツを離れてウィーンに移ることを決めたプリマベシ家が邸宅を手放した後に、買い取ったチェコ人たちだった。その結果、1926年から1992年までの66年間にわたって病院、サナトリウムとして使用されることになる。

 プリマベシ邸の歴史は1905年にまでさかのぼる。この年にオットー・プリマベシが、現在邸宅の建っているところにあった二軒のルネサンス様式の家を買い取り、新しい邸宅の建設を始めたのである。オットーはモラビアに拠点を移してから5代目の当主で、ウィーンにも事業と生活の拠点を有していたようで、ウィーンの女優だったオイゲニアを妻として迎えている。このオイゲニア・プリマベシもクリムトの絵のモデルになっている。芸名としてはメーダという名前を使っていたというから、二枚の絵はどちらともメーダ・プリマベシを描いたと言ってもいい。
 ちなみにオイゲニア・プリマベシを描いた作品は日本の豊田市美術館に収蔵されているようだ。おまけに現在クリムト展開催中というのは偶然というか何と言うか。チェコの近代建築の父でもあるオットー・ワーグネルの作品、家具もあるというから目の付け所が、さすがチェコに工場を建てたトヨタである。ってのは誤解かな。
 クリムトを初めとするウィーンの芸術家達のパトロンでもあったオットーの邸宅は、設計も内装もウィーンの芸術家たちの手になるもので、完成したのは翌年の1906年である。以後第一次世界大戦が終わりオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊する1918年まで、プリマベシ家のオロモウツにおける本邸となる。建築から10年ちょっとしかプリマベシ家の人々はこの邸宅を利用できなかったのである。

 2000年ごろは、病院時代の名残だったのか、空気が汚くて汚れていただけなのかは知らないが、建物の外壁は黒く、すでに国有化される前の持ち主であるポスピーシル家の手に返還されて改修が始まっていると聞いていたから、それが本来の色だったのだと思っていた。あるとき、久しぶりに前を通って、聖ミハル教会の近くの奥まったところにあるので、要がなければ通らないのだが、色が明るいクリーム色に変わっていてびっくりした。そのときはこれから黒く塗るのだろうと考えたのだが、いつまでたってもそのまま。実はこちらの色が本来の色だったのだ。
 個人的には黒も、怪しい魔法使いかなんかが住んでいるような感じもして結構気に入っていた。世紀末ウィーンの退廃を感じさせる分離派とつながりのあったプリマベシだしさ。でも、プリマベシ家が銀行業をも営むようなモラビアの経済界の大物だったことを考えると、さわやかに明るい今の色のほうがいいのかなあ。

 以前入っていたレストランが閉店した後、新しいレストランはまだ入っていないので、敷地の中にも入りにくくなったが、オロモウツの市庁舎に入っているインフォメーションセンターによって、毎週月曜日と火曜日の午後に二回ずつ、プリマベシ邸の案内つき見学が始まっているようである。以前EU全体でやっている文化財の日か何かに特別に中に入ることができて、一階の部分は見せてもらったことがあるのだけど、もう一度見てみたいと思っていたのだ。問題はいつ時間が取れるかである。
2019年9月12日24時。





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2019年09月07日

シグマオロモウツ創立百周年記念試合続報(九月五日)



 いよいよ明々後日になった、とは言っても自分で見に行くつもりはないけど、百周年記念試合に出場する選手がほぼ確定したようだ。一応紹介しておこう。まずは2004年のヨーロッパ選手権に出場した選手たちを中心としたブリュックネル率いる代表チームから、順不同で名前を挙げる。

 ヤン・コレル(Jan Koller)
 ダビット・ロセフナル(David Rozehnal)※
 トマーシュ・ウイファルシ(Tomáš Ujfaluši)※
 トマーシュ・ヒュプシュマン(Tomáš Hübschman)
 マレク・ハインツ(Marek Heinz)※
 マルティン・イラーネク(Martin Jiránek)
 ズデニェク・グリゲラ(Zdeněk Grygera)
 シュテパーン・バホウシェク(Štěpán Vachoušek)
 レネー・ボルフ(René Bolf)
 ブラディミール・シュミツル(Vladimír Šmicer)
 ヤロミール・ブラジェク(Jaromír Blažek)
 ブラティスラフ・ロクベンツ(Vratislav Lokvenc)
 カレル・ポボルスキー(Karel Poborský)
 ロマン・ティーツェ(Roman Týce)
 パベル・マレシュ(Pavel Mareš)
 マレク・ヤンクロフスキ(Marek Jankulovski)
 ヤン・ポラーク(Jan Polák)
 ラドスラフ・コバーチ( Radoslav Kováč)※

 何とも懐かしい名前が並んだものである。表記は微妙に違うかもしれないけど、日本でも知られた名前もいくつかあるんじゃないかな。全員知っているという人もいるかもしれない。とは言え、いまだにプロとして現役を続けているのは、ヤブロネツで中心選手として活躍しているヒュプシュマンと、外国からブルノに帰って来た後、監督やチームともめて同じ二部のプロスチェヨフに移籍したポラークの二人だけだから、時の流れというのは速いものである。
 この中で、コバーチだけはヨーロッパ選手権には出場していないが、当時から代表に呼ばれていたし、2002年のU21のヨーロッパ選手権でブリュックネルの指揮の元優勝したときの中心選手だから代表側で呼ばれたのだろう。元の数が少ないから、数人来られないだけで数が足りなくなりそうだし、これだけの数で90分もつか不安である。ちなみに名前の後の※はオロモウツ育ちの選手であることを示している。

 現時点で来られないのが確定しているのが、ペトル・チェフとアントニーン・キンスキーのキーパー二人に、トマーシュ・ガラーセクとラロスラフ・プラシルの計4人。まだ可能性が残っているのが、パベル・ネドビェット、トマーシュ・ロシツキー、ミラン・バロシュの三人。バロシュはバニークから移籍するしないでもめていたのが、残留で決まったから何とかなるかな。ネドビェッとはユベントスで急がしそうだし、ロシツキーはスパルタの成績が上がらないから、週末もシグマとの試合で勝つべき試合を引き分けに持ち込まれていたし、難しいかな。


 ペトル・ウリチニー率いるシグマ・オロモウツ側は選手数も多いし、全く知らない選手、名前しか知らない選手もいるので、ちょっと分類して名前を挙げる。

@シグマでの活躍を見たことのある選手
 マルティン・バニアク(Martin Vaniak)
 ズデニェク・ズラーマル(Zdeněk Zlámal)
 トマーシュ・ロバーシク(Tomáš Lovásik)
 トマーシュ・ヤノトカ(Tomáš Janotka)
 マルティン・フデツ(Martin Hudec)
 アレシュ・シュケルレ(Aleš Škerle)
 ロマン・フブニーク(Roman Hubník)
 ミハル・フブニーク(Michal Hubník)
 ラディスラフ・オノフレイ(Ladislav Onofrej)
 ヨゼフ・ムハ(Josef Mucha)
 ラドスラフ・ラータル(Radoslav Látal)
 ミハル・オルドシュ(Michal Ordoš)
 スタニスラフ・ブルチェク(Stanislav Vlček)
 ルボミール・ライテル(Lubomír Reiter)
 ダニエル・ロッシ(Daniel Rossi)
 メリーニョ(Melinho)
 ダビット・コビリーク(David Kobylík)
 オルドジフ・マハラ(Oldřich Machala)
 ダルコ・シュシュカフチェビチ(Darko Šuškavčevič)

 こちらがテレビであれ見たことのある選手たちなので、2000年ごろよりも後にシグマでプレーした選手ということになる。現役なのはスコットランドにいるらしいズラーマルと、最近出場していないけどプルゼニュのロマン・フブニークの二人だろうか。最近シグマを巣立った現役の選手を呼ぶまでもなく人数は確保できたということなのだろう。代表の試合のある時期の開催なので、さすがにスロバキア代表監督のハパルは参加できないようだ。

Aシグマにいたことは知っている選手
 ミロスラフ・バラネク(Miroslav Baranek)
 レオシュ・カリボダ(Leoš Kalvoda)

 カテゴリーを作ったはいいけど二人だけ。カリボダは選手としてではなく、監督としてなら見たことがある。代表側のウイファルシもぎりぎりでシグマでのプレーは見ていないと思う。同じくハインツも一度目のチェコ復帰のオストラバでの活躍の方が、二度目にオロモウツに戻ってきたときの印象よりはるかに大きい。

B知らなかった選手
 ルボシュ・プシクリル(Luboš Přibyl)
 イジー・ビート(Jiří Vít)
 ミハル・コバーシュ(Michal Kovář)
 マルティン・コトゥーレク(Martin Kotůlek)
 トマーシュ・ランダ(Tomáš Randa)
 カレル・ラダ(Karel Rada)
 パトリック・シーグル(Patrik Siegl)
 ヤン・マロシ(Jan Maroši)
 ラデク・ドルラーク(Radek Drulák)
 イジー・バルツァーレク(Jiří Balcárek)
 ロマン・セドラーチェク(Roman Sedláček)
 ラデク・オンデルカ(Radek Onderka)
 ブラディスラフ・ラウダ(Vladislav Lauda,)
 ロベルト・ツァハ(Robert Caha)
 イジー・ナブラーティル(Jiří Navrátil)
 ラデク・シンデラーシュ(Radek Šindelář)
 ペトル・ムラーゼク(Petr Mrázek,)
 ラディスラフ・クチェルニャーク(Ladislav Kučerňák)
 アレクサンデル・ボキイ(Alexander Bokij)
 スタニスラフ・スクシーチェク(Stanislav Skříček)
 イジー・マリーク(Jiří Malík)
 ミラン・ケルブル( Milan Kerbr)

 中には他のチームの選手としてのイメージが強くて、シグマでプレーした選手であることに気づけていない場合もあるかもしれない。それに名字の中に、シグマ育ちの選手と同じものがいくつかあるので、親子二代でシグマでプレーした選手という場合もありそうだ。.

 さて、大晦日のスパルタとスラビアのOB戦は、毎年チェコテレビで放送されるのだが、このシグマ・オロモウツ創立百周年記念試合は、テレビで見られるのだろうか。
2019年9月5日24時。










2019年08月26日

創立百周年記念試合(八月廿四日)



 金曜日、珍しくオロモウツの試合がチェコテレビで放送されたので、チャンネルを合わせたら、いつもの青いユニフォームではなかった。白地に左胸に丸エンブレムがついていて、襟の辺りは黒く紐もついているようである。何でと考えて思い出したのが、今年シグマ・オロモウツが創立百周年を迎えるという話だった。
 創立百周年を記念して、かつてのユニフォームをモチーフにして現在の素材を使って復刻したらしい。もとになっているのは、残念ながら創立当時のものではなく、第二次世界大戦後の1954年に着用されたものだという。現在のごてごてとスポンサー名の入ったユニフォームと違って、すっきりしていてちょっとほしいと思ってしまった。

 興味のある方はこちらのページを。左からファルタ、イェメルカ、ホウスカというオロモウツ育ちの中心選手がモデルを務めている。ファンショップで買うこともできるみたいだけど、ほぼ1000コルナ。うーん、熱心な段というわけでもないからなあ。
 このレトロ・ユニフォームが金曜日のテプリツェとの試合で採用されて、チームは前半、後半とも、開始直後に得点を決めて2−0で勝利した。ビデオ審判がテプリツェのハンドを見逃さずにゴールを取り消してくれたおかげでもあるのだけど、縁起がいいといえば言えるのかな。しばらくこのユニフォームでプレーしてくれないかな。

 ところで、創立百周年を記念した最大のイベントが、「Zápas století」と銘打って九月八日に行なわれる記念試合である。これはオロモウツだけではなく、チェコ代表にとっても伝説の監督であるカレル・ブリュックネル率いる2004年のヨーロッパ選手権の代表を中心とした元代表チームと、オロモウツの伝説的監督、チーム状態が悪くなると呼ばれていたペトル・ジョン・ウリチニー率いるオロモウツで活躍した選手たちを集めたチームの対戦となる。

 現時点で出場がアナウンスされている元代表選手は、ヤン・コレル、ブラディミール・シュミツルの二人に、オロモウツ育ちのマレク・ハインツ、トマーシュ・ウイファルシ、ダビット・ロゼフナルの5人。オロモウツ育ちの3人はオロモウツチームでも出場するだろうから、まだまだ数が足りていない。大物ではネドビェットとかチェフとかも、都合がつけばという話にはなっているらしいので、もしかしたら来るかも知れない。その辺は、自らも運営にかかわっているというロゼフナルの交渉次第かな。
 バニークで現役を続けているバロシュとか、運営にかかわっているヤンクロフスキ、ズリーンのGMのグリゲラ、スパルタのGMのロシツキーなんかは、国内にいるんだし、都合つけてくれないかなあ。チェスケー・ブデヨビツェのオーナーを務めていたこともあるポボルスキーも国内にいるはずだよなあ。

 シグマ・オロモウツの伝説的選手では、まずマルティン・バニアクの名前が挙がっている。チャロデイ=魔術師と呼ばれたこのキーパーはシュートを止めるだけなら、世界有数の選手だったのだけど、古いタイプのゴールキーパーで足元の技術がいまいちで代表には定着できなかった。それでもギリシャとモストを経て移籍したスラビアでは、チャンピオンズリーグの予選で大活躍してチームを本選出場に導いたのだった。あのときはバニアクがいなかったら予選でボロ負けしていたはずである。引退後もオロモウツに住んでいるのか、何度か見かけたことがある。
 次に名前の挙がっているオルドジフ・マハラは、2000年ごろまでは現役だったような記憶がある。外国からオロモウツに戻ってきたんだったかな。確か、次のミハル・コバーシュもそうだけどディフェンスの選手じゃなかったかな。
 最後の二人はブラジル人のメリーニョとダニエル・ロッシ。シグマ・オロモウツのスロバキア以外の外国選手でもっとも成功した二人だといっていい。育成に定評のあるオロモウツでありながら若手選手があまり出てこなかったころ中盤を支えた二人で、当時の監督がウリチニーだったと思う。メリーニョがインタビューでウリチニーのあだ名のジョンの由来については聞いてはいけないといわれて、聞きに行こうと答えていたのを覚えている。由来自体は知ることができなかったけど。でもブラジルからわざわざ来るのかなあ。

 こちらも数はまだまだという感じだが、スパルタで仕事をしているはずのコバーチとかバラーネク、スラビアのブルチェク、ズノイモで監督をしているクチェラとコーチのムハなどなど、引退してコーチや監督なんかでサッカー界に残っている人は多いから数は集まるかな。そういえば今の監督ラータルもオロモウツで活躍してドイツに移籍したんだった。現役も呼ぶならさらに選択肢は広がるし。

 シグマ・オロモウツのホームページでは100年間のベストイレブンを選ぶ企画をやっていて、候補となる選手たちの名前が挙がっているのだけど、さすがに知らない選手が多い。このリストの中からどれだけの選手が集まるんだろう。ちょっと楽しみである。
 もし、オロモウツの近くに住んでいてこの試合、スタジアムで見たいという場合にはこのページから。八月上旬の時点で、すでに6割のチケットが売れているといっていたから、お早めに。
2019年8月24日24時。












2019年07月01日

生産者直売市場(六月廿九日)



 チェコ語で「ファルマーシュスキー・トルフ」だから、カタカナでファーマーズ・マーケットなんて言い方をしてもいいのかもしれないけど、外国に暮らしていると日本語に対して、特に外来語の使用に対して保守的になるところがあるようで、書いてみても口にしてみても、どうにもこうにも落ち着かない。自分が日本にいた時代に定着していなかった言葉は使いにくいのである。

 題名に関する言い訳はこのくらいにしておいて、オロモウツで生産者直売市場というと、昔からトルジュニツェという文字通り市場という名前の場所がある。ただ、以前はベトナム系の人たちの服や履物を売る簡易店舗が並んでいるだけで、特に農家の人が野菜を売ったりなんてことはしていなかったと思うのだが、最近は少なくとも毎週土曜日の朝は、多くの地元の農家の人たちが、自分たちが作った農作物の販売をしている。この前、元代表監督のブリュックネルの姿を見たのもここで、買い物に来る人の数も多く、近くの駐車場に停める場所を探すのも大変なぐらいである。
 その市場で、直売市みたいなのが始まったのが、いつなのかも、以前何もなかったと思っていたころから行なわれていたのかもわからないが、うちのが利用し始めたきっかけは、十年ほど前にプラハからチェコ各地に広まった生産者直売市場の流行が、オロモウツにもやってきて、確か4月ごろから10月ごろまで、毎週土曜日にホルニー広場で行なわれるようになったことである。確か何度か買い物をした農家の人に、トルジュニツェにも店を出していることを教えられたんだったかな。

 そのホルニー広場の生産者直売市場が今年は行われていない。名目上は市庁舎の改修工事のために場所が取れないということになっているようだが、ホルニー広場全体が工事の対象になっているわけでもないので、多少場所を移したり、規模を縮小、もしくはドルニー広場を使うなどすれば、いくらでも対応可能、開催可能なはずなのに不思議な話である。
 もともとホルニー広場の生産者直売市場は、農産物だけでなく食品や木工製品などの生産者も出店することが許されており、下手すると、いつも同じようなものしか並ばないクリスマスや、イースターのときのマーケットよりもいろいろなものが売られていて評判がよかった。しかし、残念ながら、よかったと過去形にしなければならないのである。

 これは、プラハなど他の町でも問題になっていたことではあるが、本来はチェコの農家の人が生産したものを販売するためのもので、そういう人たちにしか出店が許されていなかったのに、いつの間にか、業者、農家から生産物を仕入れた業者が出店するできるようになっていた。そのため、品物について聞いても、全く答えられないお店が増え、ひどいところになると輸入品を店頭に並べていたというから、何のための生産者直売市場なのか意味不明である。
 こういう、制度が本来の目的からはなれて骨抜きにされていく裏に考えられることとしては、担当の役人が、流通を商社や大手スーパーなどに握られて苦しむ農家を支援するという本来の目的を忘れて、儲ける方向に走ったとか、販売業者が担当者に「依頼」して出店できるように制度を変えさせたとかいうことが考えられる。

 オロモウツでは、昨年の地方選挙の結果、新たにANOを中心とする市政府が誕生しているが、この市政府は今年ホルニー広場で生産者直売市場が開催されないことに対して責任を負うべきなのは確かだとしても、生産者直売市場がその当初の目的から外れて輸入品さえ販売されるような場になってしまっていたことの責任は、昨年までの市政府にある。その昨年までの市政府は社会民主党が中心となったもので、市長を務めていたのは今話題の文化大臣スタニェク氏なのである。
 スタニェク市長自信がこの件に度の程度かかわっていたのかは不明だけれども、スタニェク市政があまり評判がよくなかった理由の一端がこんなところにも現れているのである、なんていうと言い過ぎだろうか。
2019年6月30日24時。












2019年04月16日

オロモウツ観光案内順路最終回(四月十四日)



承前
 同じ道を戻るのも癪なので、さらに進むと、ムリーンスキー川がオロモウツの要塞都市から離れる場所、正確には逆に来たから流れてきて要塞に突き当たって、堀の役割を始める場所で、道路に出る。ムリーンスキー川では、カヌーだかカヤックだかの練習をしている人をたまに見かけるのだが、この前知人を案内していたときは、ちょうどその話をしていたのがここで、いやあこんなところでなんて反応が返ってきたところで、パドルを使って下流から颯爽と上ってきた人がいて、笑ってしまった。

 この道路はかつての城塞都市とその外側を分けているのだが、こちら側の面だけは水堀がなかったようで、がけの下にいくつか防御用のだったと思われる建物や、その残骸が残っている。その最初が今では野外映画館になっているところで、岩の上の街よりは低く、周囲よりは高く外側に突き出した砲台があったと思われる場所を利用している。その隣には、蹄鉄の形をした大きな建物があって、兵舎だったのかなと思っていたが、実はパンを焼くための建物だったという。
 道路に出て一つ目の曲がり角を左に入る。ホテル・ブ・ラーイのある通りで、まっすぐ進むと急な上り坂になって共和国広場に出る。ここは坂の下の交差点を右に曲がろう。崖下に設置されていた防御設備の残骸を利用して住居にしているような建物があったり、美術館の脇の建物が建っていないスペースのおかげで、下から旧市街の内側が見られたりするのが、この辺りを歩く理由である。歩道もなくて、車が通ることもあるからちょっと注意が必要なんだけどね。

 旧市街のほうに上っていく細い道がさらに二本あるから、左に曲がってもいいのだが、もう少し真っ直ぐ行ったところにある交差点を左折すると、特に登ることなく旧市街に戻れる。そこにそびえているのが聖モジツ教会である。ここも現在改修中で足場が組まれているけど、塔には登れるかもしれない。パイプオルガンに興味のある人は、教会の中に入ってもいい。
 ホルニー広場に戻ってもいいけど、せっかくなので最後の噴水を見ていこう。トラム通りを進んで、ガレリエ・モリツの先まで行ったところにあるのが、メルキュールの噴水である。トラム通りを挟んで反対側には、啓蒙主義の時代に各地に建設された「民族の家」のオロモウツ版もあるけど、プロスチェヨフのとは違って特に重要な建築物というわけではない。

 ここからは民族の家の脇の細い通りを抜けて旧市街の外のほうに向かう。トラムの線路の先、右手に複雑な形をした教会の建物が見えてくる。このあまり目立たない教会はもともとは15世紀半ばに建設されたらしい、聖母マリア何とか教会である。聖母マリアを記念した教会はあれこれあってオロモウツだけでも四つはあるのだけど、何とかの部分が日本語にしにくいものが多くていけない。
 教会の脇を抜けて、再び要塞都市の外側の境界をなす通りに出る。正面から右手に見える巨大なのっぺらぼうな建物は、実は五角形をしていて、頂点が外側に突き出すように建てられている。見た目から普段は兵舎か何かとして機能していたのではないかと思うが、同時に要塞都市を守る設備の一つとなっていたのだろう。いくつか並んでいたうちの一つだけが生き残ったのだと見ておく。

 建物を見終わったら左に進む。旧市街の周囲を囲んでいたと思われる城壁の一部が修復されている。内側に入って見たいと思うのだけど、何かの会社の施設が入っているようで、古いものが残っているのは壁だけのようだ。こちら側の城壁も、要塞都市の指定が解除された跡に破壊されて、ここだけしか残っていない。こちら側だけでも全面残っていたらなあと残念な気持ちになる。
 もう少し進むと、右手の奥にちょっと毛色の違う教会が見えてくる。柱が何本も建っているのは神殿ぽいけど、上に大きな緑色の丸屋根があって金色の十字架が載せられていることから教会だということがわかり、その隣の塔の天辺の金の酒盃からカトリックではなく、プロテスタントでもフス派の流れを汲む宗派の教会だということがわかる。建築としてはチェコの近代建築のいわゆる「チェスカー・モデルナ」に属するのかな。

 教会の先の駐車場になっているところを右に入れば、サッカーのシグマ・オロモウツの本拠地となっているアンドル・スタジアム、ハンドボールの女子チーム、ゾラ・オロモウツの体育館、それにバスケットやバレーボールに使われるパラツキー大学の体育館、卓球のチェコオープンの行われるスポーツセンターなんかがあって、まっすぐ行くと、アイスホッケーチームが使っているスケート場がある。近くにはテニスコートや室内プールもあるし、この辺りはオロモウツのスポーツの中心なのである。サッカーファンがいたら、シグマのファンショップに足を向けてもいいかもしれない。アイスホッケーはあるかどうかわからないし、他のマイナースポーツにはそんなものないけどね。

 右ではなく左に折れると、この通りはかつての水堀だったトラム通りにつながる。最初に突き当たる大きな交差点が、英雄広場である。歩道が広くなっているとはいえ、現在はあまり広場という感じがしないのだが、トラムが走っていなかったころには広場らしかったのかもしれない。オロモウツの市内交通の要衝で、トラムの停留所だけではなくバスの停留所もある。バス停は同じ英雄広場という名前の停留所がいくつかあって、それぞれかなり離れたところにあるから、初めて利用するときにはどこにあるのか確認しておかなければならない。
 この英雄広場で向きを変えて、リーグル通りを通ってホルニー広場に戻ろう。これで、オロモウツ一周観光名所めぐりのお仕舞いである。どのぐらい薀蓄たれるかにもよるけど、二時間もあれば歩き通せるのではないかと思う。もちろん教会やら博物館やらに入ればその分時間は伸びる。ということで、オロモウツにきて時間が十分にあるようだったら、このコースを試してみてほしい。
2019年4月14日23時。
 









2019年04月15日

オロモウツ観光案内順路4(四月十三日)



承前
 コンビクトを出たら右に曲がって坂を下りていく。左手に飲み屋があるけど、ここは去年、従業員が客を置き去りにして鍵をかけて帰ってしまうという事件の起こった店なのでお勧めはしない。トラム通りに出る前に教会の壁にうがたれたトンネルに入ってもいいし、トラム通りに出てもいいのだが、共和国広場に入るかはいらないかのあたりで、前方の建物の上に塔も高くそびえる聖バーツラフ大聖堂の威容が見えてくる。ここが写真栄えのする場所、その2である。トラムの電線がなければなあというのは、口には出さないことにしよう。
 トラム通りに出たところで、正面に見える白い建物を見上げるのを忘れてはいけない。これはオロモウツの美術館なのだが、建物の上のほうにブロンズ製のように見える人形がぶら下がっている。普段はぶら下がっているだけだが、タイミングがいいと左右に体を揺らしながら動く様子が見られ、チェコ語で罵詈雑言を発するのが聞ける。ただし、現代芸術が好きな人ならともかく、そうではない人はわざわざ時間を合わせてみるほどのものではないと、現代芸術音痴の立場から断言しておく。悪趣味な悪ふざけにしか見えない。

 トリトンの噴水を見たら、トラム通りではなく、その右隣の細い通りに入っていこう。通りの突き当たりに見えているのが大司教宮殿である。通りの途中にはゼザネー・ピボを飲むべき聖バーツラフ醸造所の飲み屋もあるから、立ち寄って一杯飲むのも悪くない。個人的には観光案内が終わってから戻ってくるほうを勧めるけど。
 通りを歩いていると左手前方に開けた空間が現れ、右手前方には緑色の建物が現れる。ここは本来広い大司教広場と呼ばれる、大司教が宮殿を出る際などに式典が行われたりもして場所らしいのだが、マリア・テレジアが緑色の武器庫を建ててしまったために、大司教にとっては何とも使い勝手の悪い広場になってしまったのだという。パラツキー大学に興味がある人は、緑の武器庫、現大学図書館の入り口から中庭を抜けて建物の反対側に出る。中庭にはまたまた現代芸術の作品が転がっていることもあるが、興味のない人は無視するのが吉である。

 図書館の建物を出て、目の前に三つ四つ並んでいるのがパラツキー大学の建物である。右手前方の入り口から中に入ると、中庭の壁に大学創立400周年を記念して作られた日時計があるのが見える。正確にはウィーンの革命騒ぎで100年ほど閉鎖されていたから、創立してから400年、そのうち機能していたのは300年なんだけど。それでも古いといえば古いか。
 その建物を出て再び通りの奥のほうに進むと二つ目の三つ目の建物の間に通路がある。この通路の先にも公園と街をつなぐ階段がある。ここからそのまま降りてもいいのだけど、階段の手前で左右に折れてパラツキー大学の建物裏の庭園を見に行くのも悪くない。庭園としては何の変哲もないものだけど、こんな場所にというのがなかなか悪くないのだよ。時間帯によっては入り口が閉まっているので注意しよう。

 階段を下りて左に曲がって城下公園を出ると、目の前の建物の上に再び聖バーツラフ大聖堂の威容が飛び込んでくる。距離が近い分だけ、こちらのほうが共和国広場から見るより迫力がある。写真を撮るのは全体が収まるように撮るのが難しそうであるって、写真撮らない人間のコメントなので、信じてはいけない。
 そのまままっすぐ歩いてトラム通りに出ると、ホテルパラーツの前の三叉路なのだが、このあたりにかつて街に出入りする門があって云々という話は、どこかに書いた。とりあえず、記念碑として作られた模型のミニチュア振りを確認しておいてほしいところである。

 ここから一筆にならないのが悔しいけど、トラム通りを上って街中に戻り、最初の角を右に曲がる。突き当たりにあるのがバーツラフ広場である。バーツラフ三世が暗殺されたとされるこの広場には巨大な聖バーツラフ大聖堂があり、隣に小ぢんまりとした聖アナ教会があって、その二つをつないでいる建物についているドアが、いわゆるプシェミスル宮殿への入り口である。聖アナ教会の後から左手奥にある大きな建物は、現在は大司教座の博物館になっている。この位置関係を押さえた上で、広場を出ることにする。ちなみにモーツァルトが滞在したのは大司教博物館の建物で、中に入っているカフェはアマデウスと名づけられている。
 仕方がないので同じ道を通って、ホテル・パラーツの前まで戻る。トラムの通っていない左側の道に入ると、ちなみに名前はコメンスキー通りなのだが、前方に見えるケバイ建物がオロモウツ唯一のロシア正教の教会である。宗教好きはコメンスキー通りを最後まで歩いて、モラバ川を越えてそこまで足を伸ばそう。橋の上からは軍の病院になっている昔の修道院の建物もきれいに見えるしさ。

 興味のない人はムリーンスキー川の手前の建物が途切れたところで左に折れて、公園のようになっているところに入る。そして、先ほどバーツラフ広場といういわば内側から見た建物群を、今回は外側から見上げるのである。そうすると、さまざまな様式の建物が複雑につながっていて、どこに切れ目があるのかもわからない複合体になっているのが理解できてしまう。こんなのが、キリスト教世界のお城だったのである。
 切りは悪いけれども、編集上の都合でここでもう一回休憩。
2019年4月13日23時。




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2019年04月14日

オロモウツ観光案内順路3(四月十二日)



承前
 階段を下りたら、左手前方に見える幼稚園の建物の脇を通って、ムリーンスカー川を渡って、堀の外側に展開されていた砲台の置かれた出丸のようなものが残っているところに向かってもいい。その一番奥にはパラツキー大学の科学啓蒙施設もあって、自然科学だけでなくオロモウツの歴史についても、見て感じて体験することで理解することができる。去年の夏にこの施設で、要塞都市時代のオロモウツは、水堀に囲まれていたため湿気が多く、病気が多発する町として軍人達に恐れられていたなんてことを知ったのである。

 とまれ、今回のお散歩ではそこまで時間もないので、階段を下りたらすぐに左に向かって、崖下に添うように走っている道をたどる。街の建物を見上げながら歩いていると、オロモウツのこのあたりは、丘というよりは岩の上に建設された街で、水堀の内側には城壁を建設する必要がなかったことがわかる。こんな岩の上の町を守れるような城壁を建てるのも難しかっただろうしね。
 この城下公園と、岩の上の街を行き来するのに何箇所か階段があって、どこから上ってもそれぞれに趣深いのだが、今回は最初に見えてくる、一番崩壊度の高い階段を上ろう。こわれているのは上の建物で、階段自体は問題なく登れるから、そこは心配する必要はない。階段を上って更に道なりに坂道を登っていると、市庁舎の塔が見えてくる。一番高いところまで行くと、細い通りの上に塔がそびえているように見えるところがあるが、ここがオロモウツで写真を撮るならここという場所のひとつである。

 ちょっとした広場になっているところを右に曲がると、巨大な聖ミハル教会の建物が見えてくる。ここがオロモウツ市内では一番高いところになるのかな。ミハル教会に入って奥の棟の地下の水溜りを見に行ってもいいし、棟に登ることもできる。教会の入り口の前の小さな像の置かれた広場が、誰も広場だと認識していないが、モラビアを代表する貴族家の名前を取ってなづけられたジェロティーン広場である。
 城下公園から階段を上ってこのあたりまで、あちこち細い通りに迷い込むのも散歩の醍醐味である。オロモウツは小さい街なので、変な路地裏に入り込んでしまっても適当に歩いていたら知っている場所に出るものである。観光名所なんか無視して、意図的に道に迷うのも楽しいのだが、残念ながらオロモウツではすぐに知っているところに出てしまう。

 このジェロティーン広場からまっすぐ進むと、左手に礼拝堂が見えてくる。ヤン・サルカンドルという拷問死したことで列聖された人物を記念して建てられたものなので、礼拝堂の地下には中世以来の拷問道具が展示されている。サルカンドルがどの拷問を食らったのかはかかれていなかったと思う。キリスト教徒の人がいたら、ここにもヨハネ・パウロ二世が来たんだということを強調しておこう。

 宗教嫌いの人、もしくは建築愛好家は、ジェロティーン広場のところで右に折れる。突き当りまで行くと公園に下りる階段がある。階段は白い塔のような建物の中に入っているのだが、出入りを管理するために階段にはこの手の施設が付属していたのだろう。以前は暗い、汚い、臭いと三拍子そろった階段で、上り下りするのが怖いぐらいだったのだが、改修工事を受けてからはきれいに維持されていて、重要な散歩コースの一部となっている。
 階段の左手のクリーム色の外壁の建物は、オロモウツのジャーマンセセッション様式の建物としては最高傑作だといわれるプリマベシ邸である。アールヌーボーという言葉のほうが一般的なんだろうけど、使いたくないのである。ただしセセッションはセセッションでもウィーン風のセセッションらしい。絵画のセセッション、つまり分離派で、ウィーンの分離派と言えばクリムトである。プリマベシ一族とクリムトの間に親交があったのは故なしとはしないのである。この建物についてはすでにあれこれ書いたので繰り返さないが、残念なのはレストランが閉鎖中だということである。運がよければ敷地への入り口のドアが開いていて、中の様子を見ることができる。

 プリマベシ邸の前の通りを進むと、右手にピンク色の派手な、そして巨大な建物がある。これがオロモウツを拠点のひとつにしていたイエズス会の学寮が置かれていたコンビクトという建物で、同時に我がチェコ語を鍛え上げてくれたパラツキー大学の発祥の地でもある。イエズス会の学寮が発展して大学として認められたのが、現在のパラツキー大学なのである。ただし、パラツキーの名が冠されるようになったのhビロード革命後のことである。
 建物の真ん中あたりに入り口があるので、大学関係者じゃなくてもそ知らぬふりで入っていこう。レストランも入っているから普通の人も出入りしてかまわないことになっているのだ。中庭の一番奥の兵のところまで行って、もしくは階段を下りて更に外側に出てもいいけど、とにかく下の公園を見下ろそう。旧ユーゴスラビアの兵士たちの遺骨を納めた納骨堂のギリシャ神殿のミニチュアのような姿が見えるはずだ。最近上部の改修工事も始まったので、今年の夏までには建設当初の厳かな姿を取り戻すはずである。すぐに落書きで埋め尽くされるかもしれないけど。
 ヨーロッパの政教分離の実態に興味のある人がいたら建物の中に入ろう。入り口から入ったら左手、中庭から戻ってきたら右手の入り口から中に入る。こちらは受付があるのでわりと夜遅くまで開いているはずだ。それはともかく廊下の一番奥に扉がある。あいていたら中に入って、あいていなかったら手前の階段を二階に上がって、廊下の突き当りを右に曲がる。ガラス張りになっていて中がのぞける場所が二つある。見ての通り、礼拝堂である。国費で運営される国立大学にキリスト教の礼拝堂がある。これを日本の政教分離にうるさい人々はどう評価するのだろうか。ヨーロッパの伝統を感じて云々なんてのんきなことをぬかしやがりそうな気がするんだけどなあ。

 またまたしゃべりつかれたので、コンビクトの中のレストランか、中庭のベンチで一休みと言うことにしようか。
2019年4月12日23時。





イエズス会の歴史










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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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