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2016年08月27日

危険なオロモウツ旧市街?(八月廿四日)



 昨日うちのが帰ってくるなり、建物の壁が落ちてきてトラムが止まっていると言った。「えっ」と聞き返したら、旧市街のトラムの通っている通りに面した建物の一番上の部分が壊れて道路に落ちてきたのだという。

 具体的な場所は、ペカシュスカーだから、パン屋通りである。この通りは駅前から旧市街を通るトラムが走っているのだが、駅前からマサリク大統領の像のあるジシカ広場と接する辺りまでは、マサリク大通りで、共和国広場までが五月一日通り、共和国広場の出口からデニス通りなのだけど、途中でパン屋通りに名前が変わり、聖モジツ教会の脇ではさらに五月八日通りに名前が変わる。英雄広場を越えると今度はパラツキー通り、鉄道の線路を越えてリトベル通り、さらに進んで左に45度ぐらい折れる地点からは平和大通りと、交差点があっても名前の変わらないことの多いチェコでは珍しく、名前がころころ変わる通りである。パン屋通りなんて、百メートルちょっとぐらいしかないし。
 そのパン屋通りに共和国広場側から入って、右側の何軒めかの建物の前面の一番上の飾りとして付けられていた壁の部分が路上に落ちてきたらしい。幸いなことに、その時間帯に建物の下を歩いていた人はあまりいなかったようで、けが人が二人救急車で運ばれただけで済んだ。それでもかなりの量のレンガなどが落ちてきたようで、しばらくの間はトラムは運行を停止していた。現場を挟んで二台のトラムがお見合いをしているような写真も目にした。

 この通りのモジツ教会よりにコルナという社会主義時代の「デパート(のようなもの)」があって、その前がトラムの停留所なので、そっちで事故が起きていたら大変だっただろう。こっちの建物は、歴史的な建造物ではないので、その心配はないと思いたいところである。ただ、隣の建物の前で待つ人もいるから、とりあえずトラムの停留所周辺の建物は重点的にチェックしてほしいところだ。
 今回の事件の原因としては、トラムの走行による振動ではないかという説もあったが、最近改修工事が終わった建物らしく、その改修工事の際に不手際があったのではないかと言われている。けが人も、建物の中にいた人だという話もあったし。これが原因で、現在の旧市街を走るルートが外側に移設なんてことにならないといいのだが。

 さて、オロモウツで壁の上部が落ちてくるという事故が起こったのは、これが初めてではない。2011年には今回の現場から三百メートルほど離れた五月八日通りで、同じような事故が起き、このときには直下の歩道を歩いていた女性がなくなっている。警察では建物の改修に当たった人物に罪があるとして捜査をしていたようだが、結果はどうなったのだろうか。
 それから、翌2012年には、五月八日通りと英雄広場が接するところにあるSPEAという病院の建物の壁の上部が落下した。幸いにも人通りの多い、病院の入り口のある五月八日通り側ではなく、バス停があった関係か歩道が広く取られている英雄広場側だったので、巻き込まれた人はいなかった。ただ、落ちてきた壁の大きさでは、このときのものが最大で、もし誰かが下を通っていたら助からなかっただろうと言われている。

 この事故の後、旧市街を走る際にはトラムのスピードを落とすという対策が取られたようだ。トラムの走行のせいで建物が傷むという証拠はどこにもないが、こういう事故が起こったときに真っ先に犯人にされるのがトラムというものなのだろう。二年連続で、しかも百メートルも離れていない場所で同じような事故が起こったわけだし。ただし今ものろのろ運転を続けているのかどうかは、わからない。
 この二年連続の事故に、オロモウツ市では旧市街の建物の外壁の重点的な検査を行ったらしい。その結果、二回目の事故から四年の間何も起こらなかったというべきなのか、たった四年で再発したというべきなのか。滅多に起こることではないのだろうけれども、ここ数年で三回も同じ通りの建物で起こっているわけだし、街の中を歩いていて、上から落ちてくるものに対しては、どうしようもないので、徹底的な対策を取ってほしい。

 以前、冬の雪が積もったあと少し暖かくなったときに、飲みに出かけるために街の中をぼんやり歩いていたら、屋根の上から雪の塊がどさっと落ちて来て肝を冷やしたことがある。二、三歩脇を歩いていたら頭に直撃していたような場所に落ちて来て、一瞬言葉を失った。運がよかったというべきなのか、油断していた自分に怒りを感じるべきなのかよくわからなかった。
 昔のヨーロッパの都市では、下水などが発達していなかったため、歩いている通りによっては上から汚物が降って来るので、頭の上にも気を付けて歩かなければならなかったという話もあるけれども、現在でも完全に安心していてはいけないということか。気を付けていればどうにかなるというものではないだろうけど。

8月26日13時30分。



2016年08月02日

オロモウツスーパー事情4(七月卅日)



 最後に、マクロという特別なスーパーについても触れておこう。オロモウツから東に向かった ビストロバニとベルカー・ビストジツェの間にあるこのスーパーは、レストランなど飲食店向けの業者用スーパーなので利用したことはないのだが、利用するための条件は飲食店を経営していることではないらしい。
 プラハに住んで通訳として生計を立てている知人が、オロモウツからプラハに帰る途中で、マクロによってマグロの切り身を買ってうちで焼いて食べたら美味しかったなんてことを自慢していたことがある。こいつはフリーの通訳で、あちこちの企業と契約をして仕事をしているのであって、断じてレストランの経営者でも喫茶店のオーナーでもない。
 事情を尋ねてみたら、フリーの通訳として活動するためには、個人事業者登録のようなことをしなければならないのだが、その個人事業者登録があれば、飲食業のものでなくても、マクロで買い物ができるのだという。普通のスーパーのように品物を持って現金かカードでお支払いというわけではなく、企業間での取引のように、納品書とか請求書とかそんなものを形だけ発行して、購入するという形をとる。その際に個人事業者としての登録番号のようなものが必要になるのだとか。
 お前も通訳で登録しろよと言われたのだが、結構ややこしい手続きが必要そうだったし、通訳として仕事をする際の労働許可は、会社がやってくれて自分で取る必要がないことはわかっていたので、特別なスーパーで買い物をするためにだけ、登録する気にはならなかった。チェコ人と比べると外国人が登録するのは手間が多いし、登録して仕事をすると毎月自分がした仕事の請求書を出して、それを保管しておいて税金の申告が必要になるなんて面倒も桁違いに増えてしまうのだ。

 以上あれこれ、オロモウツにある行ったことのあるスーパーを中心に、よたを飛ばしてきたのだが、チェコの人の中には、配達される広告を見比べて、少しでも安いものを買うためにスーパーのはしごをする人もいるようなので、行動原理は日本の主婦達と大きな違いはないのかもしれない。実際にはそこまで大きな値段の違いはないし、特価品なんかは数量限定のことが多いので、確実に買えるとは限らないのだけど。
 確かオロモウツに来たばかりのころは、師匠がロフリークの価格でスーパーが争っているとか言っていた。当時はロフリーク一本一コルナを超えるかどうか、というのが安いところと高いところの違いだったのだが、今はいくらぐらいになっているのだろう。滅多に食べなくなったから意識の外だなあ。

 以前は、スーパーによって品揃えが大きく違い、同じチェーンでも店舗によってあるところとないところがあったりしたので、特定の物を買うために、特定の店に行く必要があったが、最近はそんな特別な商品もなくなったため、特定のスーパーの特定の店舗にしか行かなくなった。。
 例えば、野菜、果物に関しては、どこのスーパーでも品物の種類が増え質が上がった。この前は、テスコでシメジとナメコを見つけてびっくりしたし。それに、野菜は最近はスーパーで買うよりも、春から秋にかけて毎週土曜日にホルニー広場で開催されている農場市場(変な訳だけど、原則として野菜なら農家の人が自分たちで育てたものを売ることになっている)で購入することが増えた。農家の人と顔見知りになって、あれこれ試しに育てたものをお金は要らないからと言ってもらって帰ってくることもある。ミズナとか日本の野菜も手に入らないわけではない。
 特定のスーパーでしか手に入らなかったキッコーマンの醤油も、日本の食材を扱っているお店ができてそっちで買うようになったし、全体的にスーパーよりも、個々の専門店での買い物のほうが増えている。コーヒー豆を専門の焙煎店で買うようになったのが、その最初の一つだったかもしれない。

 最近使うスーパーは、自動車で出かけたときの帰り道に当たるビラと、うちから自動車で行きやすく、ついでに大きな電気屋や家具屋なんかにも行きやすいツェントルム・ハナーの中のテスコぐらいになった。この二つのスーパーでは会員登録してあって、定期的に割引のクーポンが送られてきたり、特定の商品が会員向けの価格で販売されたりするのも、わざわざよそのスーパーに行かない理由の一つになっているのかもしれない。歩いて行くなら、ビラとシャントフカの中のアルベルトが同じぐらいのところにあるのだけど、ビラのほうを選んでしまうし。
 週末になると、オロモウツに限らず、市内はほとんど人の影がなく、死んだ町のようになるのに、郊外のショッピングセンターには、いやになるぐらい人がいるという状況は、現在でもあまり変わっていない。子供連れも多いので遊園地に出かけるような感覚なのかもしれない。以前は、毎週のように買い物に出かけていたので、ショッピングセンターの人ごみの中に行くたびに、お前ら他に娯楽はないのかと叫びたくなるような苛立ちを感じていたのだが、最近は滅多に行かなくなったので、どうでもよくなった。人間というのは勝手なものである。
7月31日23時。



 こんなどうでもいい話題で四回も使うとは……。サマースクール以来、一つのテーマで長く書く続き物を許容することにしたのも原因の一つだなあ。次も続き者になりそうである。二回で終わると思うけど。8月2日追記。

2016年08月01日

オロモウツスーパー事情3(七月廿九日)



 前回の最後にちらっと出てきたリードルだが、実は今住んでいるところから一番近いところにあるのがこのスーパーである。カテゴリーとしてはプラスと同じディスカウントスーパーになるのだろうか。店内に商品陳列のための棚はほとんどなく、大半の商品は大きなダンボールに入って床の上に置かれている。ほしいと思うものはほとんどないので、滅多に行かない。断水したときに廉価なペットボトル入りの水を買いに行くことがあるぐらいだろうか。
 思い返してみると、以前一つだけこのスーパーで買っていたものがあった。オランダ語を勉強してオランダ関係に強い友人がこのスーパーのゴーダチーズを勧めてくれたのだ。当時チェコで手に入ったオランダのチーズの中では最高のものだったらしい。ただ、グランモラビアの直営のチーズ店でイタリアのチーズだけではなく、ゴーダなどのオランダのチーズも手に入るようになって、リードルに行く理由がなくなった。いや友人に勧められたゴーダをリードルで見かけなくなったののほうが先だったかもしれない。
 よくわからないことに、このスーパー、チェコの消費者が選ぶ一番いいスーパーに毎年のように選ばれている。商品が安いからだというのは十分以上にわかっているのだが、物価が高いはずのドイツで生産されたチェコのビールよりも安いビールを飲みたいと思う人はいるのだろうか。どう考えても美味しいとは思えない。ピルスナー・ウルクエルなどの普通のチェコのビールもないわけではないのだけど。一体に、チェコでよく知られている会社の製品よりも、ポーランドなどの見たことも聞いたこともないような会社の商品が多い。ポーランドだから駄目だと言うつもりはないが、ポーランド産のウォッカならともかく、チョコレートなんかには食指は動かない。

 同じような印象が残ったのが、ペニー・マーケットである。以前知人の家に行ったときに、近くにあるというので帰りに夕食と翌日の朝食になるようなものを買おうと思って行ったら、文字通り何もなくて、商品はたくさんあったのだけど、目的に適うものが何もなくて、もう一軒別のスーパーに行く破目になった。それ以来、一度も足を運んでいない。

 オロモウツの市域の外、フシスコという村にオリンピアというショッピングセンターがある。グローブス、ツェントルム・ハナーに次ぐオロモウツ近辺で三番目の郊外型のショッピングセンターだが建物の敷地の広さと出店している店舗の多さでは一番かもしれない。そのオリンピアの一番奥に入っていたスーパーがヒペル・ノバだった。現在では同じ系列だったアルベルトに名前が変更されているのかな。当時は店舗の大きさによってヒペル・ノバとアルベルトという名前を使い分けていたのだが、現在では名前は同じにしてで、スーパーマーケットとハイパーマーケットというカテゴリー分けをしているらしい。ハイパーのほうが大きくて、扱っている商品も幅も広いということになる。
 アルベルトは、駅すぐ前にある改装して新しくなったホテルの裏側にもあるので、よその町に用があって電車で出かけて戻ってきた後、帰り道に買い物をするのによく使った。それに旧市街の外れ、モラビア劇場の裏にあった独立系のスーパーがいつの間にかアルベルトに変わっていたし、社会主義時代に建設された団地の中で見かけることもあって、店舗の数ではオロモウツで一番多いかもしれない。ちゃんと数えていないし、知らない、使ったことのないスーパーもあるはずだけど。

 このアルベルトで一番の問題は、格変化である。チェコ語の名詞には男性、女性、中性の区別がある。これは男性名詞で問題ない。問題は男性名詞の中に生きているもの活動体と、生きていないもの不活動体の区別があることだ。つまり、アルベルトをスーパーだと考えれば、当然生きていない不活動体の名詞として使うことになるはずなのだが、同時にアルベルトというのは人名でもあるので活動体としても理解できてしまうのである。
 実際にチェコ人が使うのを観察してみると、活動体と不活動体が混ざったような使い方をしているようである。「jdu do Alberta」になるし。昔、師匠に質問して説明してもらった記憶はあるのだが、活動体的に使う部分と不活動体的に使う部分の境目がはっきり思い出せない。だから、正しく話す必要があるときには、師匠に教わったもう一つの方法を使うようにしている。スーパーマーケット・アルベルトとまとめて使えば、スーパーマーケットだけを格変化させればいいらしいのだ。ちょっと長すぎて毎回使うのは辛いかな。だからというわけでもないけど、最近行っていないなあ。

 チェコ国内に展開している大手のスーパーのチェーンの中で、オロモウツで見かけないのはインテル・シュパーぐらいだろうか。日本の西日本に展開していたコンビニチェーンのスパーとほとんど同じ木のマークの入ったロゴを見かけたときにはびっくりした。ウヘルスケー・フラディシュテかどこかで行ってみたら、コンビニではなく大きなスーパーだった。これもドイツ系だったかなあ、バイアスロンだったかノルディックスキーだったかのテレビ中継で、スポンサーとして会場のあちこちに看板が置かれていたのを見たんじゃなかったかな。

 自分でも意外なことに、もう少し続く。
7月30日12時。


2016年07月31日

オロモウツスーパー事情2(七月廿八日)



 オロモウツからプロスチェヨフに向かう高速道路の入り口の近くにツェントルム・ハナーという大きなショッピングセンターがあって、その中にフランス資本のスーパーマーケット、カルフールが入っているということを知ったのは、旧市街の英雄広場の近くに住んでいたころだっただろうか。品揃えが好みに合ったので、特によそのスーパーで特別な物を補給する必要のない限り毎週出かけていた。
 十六番のバスのうち半分ぐらいがツェントルム・ハナーまで行くので、英雄広場から直行で行けたのだが、住宅街、もしくは団地の中を蛇行するように走る路線で停留所も多く、たいした距離でもないのに三十分以上かかっただろうか。それでトラムを利用することが多かった。バスよりも本数が多かったし、英雄広場から十分ほどで着くトラムの四番と七番の終点から数分歩けばよかったし。ただ、行くときは荷物もないので問題なかったが、大きな買い物をした後にえっちらおっちらトラムの停留所まで歩くのは結構辛かった。帰りはタイミングがよければバスを使うこともあったのだけど、本数が少ないので合わないことのほうが多かったし。

 そのカルフールが世界的な販売戦略の転換とか何とかで、アジア市場を重視することになり、イギリス資本のテスコとの間で店舗の交換協定が結ばれた。チェコなどのカルフールの店舗はテスコになり、台湾などのテスコの店舗はカルフールになった。幸いなことに品揃えは大きく変わらず、今でも大きな買い物をするときには、自動車でテスコに出かける。
 変わったことといえば、テスコ・クラブという会員サービスが始まって、購入額に応じてポイントがたまり割引券がもらえるようになったことと、電化製品や衣料品など扱う品目が次第に増えてきたことだろうか。テスコ・モビルなんて携帯電話のサービスや金貸業も始めたみたいだけど、利用している人はいるのだろうか。セルフのレジを導入したのもここだったかな。

 トラムの停留所からテスコに向かう途中には、コープのスーパーもある。ほとんど利用したことはないのだが、以前酪農業者が、スーパーマーケットのチェーンの買い取り価格の低さに腹を立てて、直接消費者に販売する方法として編み出した牛乳の自動販売機がこの店の前に置かれていたので、テスコでの買い物のついでに寄ることがあった。チェコで牛乳というと賞味期限の長いパックに入ったLL牛乳のことが多いのだが、自動販売機では生の牛乳を買うことができた。一時は大ブームになってあちこちに、それこそ雨後のたけのこのように設置されていたのだけど、最近は下火かな。
 コープというスーパーが日本の生協や農協なんかと同じような組織なのかどうかはわからない。わからないのは、このチェーンは都市部よりも田舎の小さな町に強く店舗も多いのだけど、同じコープでもイェドノタとかマリナとか違う名前になっているお店があることである。直営店のフランチャイズの違いとか、店舗の大きさで名前が違うとか、ルールがあるのかもしれない。

 ツェントルム・ハナーは拡大を続けて、通りを挟んだ奥に、家具屋や電気製品店などが立ち並ぶエリアが追加された。以前ここにあった服のOPプロスチェヨフの直営店と、確かスロバキアの靴のお店にはお世話になったのだけど、残念ながらどちらも閉店してしまって今では存在しない。このエリアの最奥部には、何をトチ狂ったのかアクアパークまで建設されてしまった。かなりの予算をつぎ込んだ建築物らしいが、どのぐらい客を集めているのかは知らない。バスの停留所はあるけれども、バスの本数は少ないし、買い物に行く時間が午前中のせいなのか、車を停めてアクアパークに向かう人も滅多に見ない。

 オロモウツのスーパーマーケットで最初に野菜・果物部門に力を入れたのは、駅の近くにあるドイツ系のカウフランドだっただろうか。グレープフルーツの変種の緑色の柑橘類スウィーティを初めて見つけたのも、大根や、甘いジャガイモ、つまりサツマイモを初めて買ったのもここだった。タマネギとかニンジンのような普通の野菜や果物は特に質がいいとかいうことはなかったようだが、他では見かけない物を売っていることが多かった。
 そもそも、駅から近いけれども表通りからは引っ込んだところにあって見つけにくい店の存在を知ったのは、師匠の家に招待されたときに、娘さんがクリスマスプレゼントのリクエストの手紙に、「ほしいのはカウフランドで売ってるこれとこれ、包装紙はレジのところにある○○模様のやつにしてね」なんてことを書いたというのを笑い話のように聞かされたときのことだ。師匠の家のすぐ近くだというので帰り道に寄ってみたら、いろいろ面白い商品を発見してしまったのだ。
 カウフランドはオロモウツの南の郊外に巨大な集配センターを建設してモラビアの物流の拠点としているけれども、店舗は駅前の一軒しかない。カウフランドグループにはリードルというスーパーも属しているから、そっちと共用なのかもしれない。
 とまれ、終わらないので次回に続く。
7月29日22時。



2016年07月30日

オロモウツスーパー事情(七月廿七日)



 オロモウツで生活を始めたころ、一番よく使っていたのは社会主義的建築の典型だったプリオールの地下にあったデルビタというスーパーマーケットだった。旧市街の中心ホルニー広場のすぐ近くという立地のよさから、いつ行っても買い物客で混雑していた。
 デルビタは確かベルギーの会社で、オオカミのような動物がシンボルマークになっていた。サマースクールのときだったかどうかは覚えていないが、知人に勧められて会員カードを作ってポイントを貯めていたところ、赤字経営だったらしく、いつの間にかチェコから撤退してしまった。旧市街を取り巻く住宅街の中にあったもう一軒の大きな店舗も含めて、オーストリア系のビラというスーパーのチェーンに売却されてしまったのだ。

 そのビラの店舗の中では、サマースクールの一年目に学校から寮への帰り道にあるサッカー場の入り口近くにあるスロバンスキー・ドゥームの店舗をよく使った。このビラの近くには、飛べなくなったソ連製の旅客機が停めてあったので、飛行機のそばのビラなんて呼ばれていた。確か飛行機の中にはバーが入っているような看板が出ていたが、残念ながら営業中のところに行き合わせたことは一度もない。その飛行機も数年前にボヘミアのどこかの町の博物館に引き取られていって、今では見ることはできない。
 ビラはデルビタの店舗を引き受ける前から、市街の南の端ポベル地区のスラボニーンにも近い住宅街の外れに大きな店舗を構えていて、そちらのことビッグ・ビラなんて呼んでいたかな。最近はこっちのビラを使うことが多い。うちから一番近いスーパーというわけではないのだけど。
 一年ぐらい前だっただろうか。行きつけのシェルのガソリンスタンドの売店がビラになってしまっていたのにはびっくりした。店舗を増やしたいビラとスタンドの売店の効率化を図りたかったシェルの思惑が一致したのだろう。ただ、ガソリンスタンドの店舗は、スーパーというより日本のコンビニに近いといったほうがいいかも知れない。
 以前から、理解できないのがガソリンスタンドの売店でビールなどのアルコールが売られていることなのだが、ビラになっても当然状況は変わっていない。チェコでも飲酒運転が問題になっているのだから、車を運転する人がアルコールを購入できる機会はできる限り減らすべきだろうに、法律で禁止なんてことにはなりそうもない。国会内の食堂で格安でアルコールを提供させるのがチェコの国会議員だからなあ。

 サッカースタジアムの北側の客席が完成してその下にプラスというスーパーがオープンしたのは一年目のサマースクールの後半だったかだろうか。宿舎の近くに新しいスーパーが開店するというので行ってみたら、買いたいものがほとんどなくてがっかりしたのを覚えている。何でも普通のスーパーではなく、ディスカウントというタイプで安い代わりに品揃えに難があるのだという。日本のディスカウントショップがスーパーになったようなものと考えればいいのかな。

 二年目のサマースクールでは、宿舎がネジェジーンだったので、一番近くにあるグローブスにも行くようになった。特に週末は、街中まで出るよりは楽だったし、街中のデルビタは土曜の午前中までしか営業をしていなかった。グローブスはデルビタやビラと比べると巨大な平屋建ての建物で、一般のスーパーで買えるものに加えて、園芸用品、家具、電気製品まで取り扱っていた。サマースクールのときには食品ぐらいしか買うものがなかったから、入り口から食品売り場に直行していたけど、オロモウツで生活するようになってからすぐ、ハロゲンの卓上ランプがほしいという知人に付き合って買い物に行った記憶がある。
 グローブスは、大きな駐車場つきの郊外型ショッピングセンターとしてはオロモウツで最初の一つだが、トラムのネジェジーンの一つ手前の停留所からもそれほど遠くないし、街の中心の英雄広場からバスの27番に乗れば終点がグローブスなので、車を買う前にもときどき出かけていた。スパゲッティだったか何だったか、愛用していた食材の中にここでしか買えない物があって、定期的に補給に出かけていた。その後グローブスでも扱わなくなったので、最近はまったく行かなくなってしまった。
 その後グローブスに接してオロモウツ・シティというショッピングセンターが建てられてお店の数は増えたけれども、郊外のショッピングセンターの出店傾向はどこでもほとんど同じなので、わざわざ出かける理由にはならないのである。最後に行ったときには、経営がうまくいっていないのかお店が入っていないところも多かったし、売りに出ているなんて情報もあったなあ。

 こんなテーマで分割することになるとは思わなかったけど、長くなったので以下次号。
7月28日22時。


2016年07月11日

チェック・サイクリング・トゥール(七月八日)



 ツール・ド・フランスもそろそろピレネーの山岳地帯に入って、本当の意味で盛り上がり始めているが、かつて、チェコで、いや当時のチェコスロバキアで、ツール・ド・フランス風の、自転車のステージレースと言うと、「ザーボット・ミール」をおいて他にはなかったらしい。この極めて社会主義的なレースの名前は、英語では「ピース・レース」のようだが、これは使いたくないので、日本語に訳して「平和レース」「平和カップ」、うーん、どちらも納得できない。しかたがないので、チェコ語をカタカナにして使用することにする。

 第二次世界大戦後の1948年に、チェコスロバキアとポーランドの日刊紙の主催で始まったこのレースは、プラハ−ワルシャワという両国の首都を結ぶルートを走っていた。途中から東ドイツがレースの運営に参加するようになり、多少の例外はあるが、三国の首都を結んで走る二週間ほどのステージレースとして定着した。ツール・ド・フランスにならって、毎年コースが変更されたようで、ザーボット・ミールが通過するというのは、その町の人々にとっては一大イベントだったという。
 旧東側諸国で行なわれていたレースなので、参加者はみな共産圏の選手かと思っていたら、実はそんなことはなく、優勝者だけを見ても、既に1950年代から、デンマーク、イギリス、フランスなどの選手も並んでいるから、本当の意味で国際色の豊かなレースだったようだ。ただし、プラハの春以後の正常化の時代になると、西側の優勝者は消える。ちなみに1986年には、四月末にチェルノブイリの原子力発電所で事故が起こった直後の五月初めに、ウクライナのキエフからのスタートを、ろくな情報もないまま強要されたらしい。
 1993年以降は、チェコの単独の開催に変更されたが、ドイツやポーランド、時にベルギーなどがコースに組み込まれることも合ったようである。ただ次第に資金面で行き詰るようになり2005年に中止になり、2006年に一度だけ復活したものの以後は一度も開催されていない。2013年からは、23歳以下の若手選手を対象としたステージレースとして「ザーボット・ミールU23」の名前で、オロモウツ地方の北部イェセニークを中心に開催されているが、昔日の面影はない。

 ザーボット・ミールの直接の後継というわけではないが、2010年からオロモウツを中心に、チェコ最大のステージレースとして八月に開催されているのが、チェック・サイクリング・トゥールである。最初はあまり目立たない形でスタートしたのは、オロモウツハーフマラソンと同じで、レースが終わった後にその存在を知った。
 それが、昨年はカテゴリーが上がったのか、UCIワールドチームのクイックステップが参加することになり、最終日は現地から生中継が行なわれた。クイックステップは、オーナーがチェコ人で、シュティバルやバコチというチェコ人の有力選手を揃えている縁で、招待を受けたらしい。レオポルト・ケーニックが移籍したチーム・スカイや、クロイツィグルが所属するティンコフとも交渉したらしいけれども、今後の検討と言うことで招待を受けてもらうことはできなかったらしい。まあチェコの片隅で始まったばかりのステージレースに、一チームとはいえ、トップカテゴリーのチームを招待できたのだから、大成功と言ってもいいだろう。
 出場しないチームに所属するチェコ人の有力選手を集めたチェコのナショナルチームも組織され、ケーニックも、ツール・ド・フランスの疲れを押して出場していた。一番印象的だったのは、ケーニックのお父さんが、自宅のあるチェスカー・トシェボバーから、オロモウツ近くのドラニまで自転車で自走してきたという話だったけど。

 そのチェック・サイクリング・トゥールが、今年も八月十一日から十四日までの予定で開催される。去年の時点では、今年はオロモウツ地方を離れてフリーデク・ミーステクで第一ステージが開幕するという話もあったのだけど、その後情報が出てこないのでよくわからない。あまり更新されていないホームページで確認したらUCIのヨーロッパツアーの2.1というカテゴリーになるらしいけど、そう言われてもよくわからん。
 参加チームは、UCIワールドチームでは、去年のクイックステップに加えて、イタリアのランプレ・メリダが決定しているようだ。スカイとティンコフとも交渉中というニュースが三月ごろに聞こえてきたのだが、その後どうなったのだろうか。チェコ選手権で優勝したクロイツィグルは、ツール・ド・フランスに加えて、ブエルタにも出ると言っていたから難しそうだ。ケーニックは、オリンピックが終わってすぐになるのか。
 それから日本のアイサンチームの参加も決定しているようだ。どうも自動車部品メーカーであるアイサンのチェコ法人がチェック・サイクリング・トゥールとザーボット・ミールU23のスポンサーになったのが縁らしい。これがきっかけで、日本チームの参加が増えたりは、しないだろうなあ。
7月9日19時。


2016年06月30日

今シーズンのオロモウツ(六月廿七日)


 サッカーのユーロのチェコ代表について記す前に、オロモウツのスポーツチームの成績について簡単にまとめておく。こんなの日本語で書く人ないだろうし。

 以前、落ちそうだという話を書いたサッカーのシグマ・オロモウツは、先月半ばに行われた最終戦でテプリツェに大勝したものの、一つ上にいたプシーブラムがヤブロネツと引き分けたため、一年でまた二部へと転落してしまった。勝ち試合で無駄に大量点を取ってしまうのは、降格するチームにはよくあることかもしれない。
 二部にいたBチームも、Aチームの成績が上がらないのに合わせて低空飛行で最下位、結局一緒に降格することになった。Aチームが降格する以上、同じカテゴリーにBチームが参戦することは許されないだろうから、どんな成績でも降格することにはなっただろうけれども、残念な成績であったことには変わりない。
 二度目の降格が決定した結果、監督は交代しないようだが、一度目の降格の際には残ってくれた主力選手の多くが移籍することになりそうだ。数年前は代表に呼ばれるんじゃないかと期待していたナブラーティルとU21代表シェフチークのリベレツ移籍が決まったし、元得点王オルドシュは、ドイツの四部リーグのチームと交渉をしているらしい。何とかまた一年で一部に復帰してほしいと思うのだが、難しいかなあ。
 以前は、オロモウツの駅の裏側の地区ホリツェのチームが二部にいて、上位争いをしていたこともあるので、もしかしたらオロモウツのチームが二つ一部に参戦するというプラハ以外ではありえないことも起こるかもしれないと期待していたのだけど、ホリツェのチームが資金難か何かで成績を落として、二部からも姿を消して数年になる。

 アイスホッケーのHCオロモウツのほうは五位でプレーオフに進出したが、プレーオフの初戦準々決勝でプルゼニュに一勝しかできずに敗退してしまった。そのプルゼニュは準決勝でスパルタに負けてしまったのが残念。オロモウツは最終的な順位としては五位という扱いになるのかな。
 サッカーのシグマとは違って、オーナーがどうなるか以外は特に問題は抱えていないので、一部リーグに定着して、アイスホッケーチームのある町としてのオロモウツ復活と考えてもよさそうだ。アイスホッケーは試合を見に行っても、小さな黒いパックが見えなくてわけが分からなくなるに決まっているので、応援しに行ったことはないけど、いつかは優勝してほしいものだ。アイスホッケーはサッカーと比べるとシーズンごとの上下の浮き沈みが激しいので、不可能ではないと思うんだよなあ。

 ハンドボールは、男子のチームはオロモウツではなく、近くのビールの町リトベルにタトラン・リトベルというチームがある。一部リーグに昇格して二年目で、まだ上位のチームには差を付けられているが、今シーズンは上位のチームとも結構いい試合をしていたので、来年以降が楽しみである。昨シーズンは十一位決定戦で勝って、何とか残留を決めたのに対して、今シーズンはリーグ戦は十一位に終わったのに、順位決定戦で、優勢だと思われていたコプシブニツェとブルノを次々と破って九位に進出したのは見事だった。
 ちょっと心配なのは、来年九月開始のシーズンからチェコとスロバキアが共同でインテルリーガというリーグ戦を始めると言っていることだ。男子でも十年以上前に一時期実施されたことがあるし、女子のリーグでは今でも行われているのだが、チーム数は両国合わせて14とか16で行われていたはずだ。そうすると、チェコ側のチーム数が現在の一部リーグの12から減らされるのは必然で、リトベルはインテルリーガではなく、二部リーグに回されることになりそうだ。ハンドボールの二部の試合がテレビで放送されるなんてことはあり得ないから、今年の九月からのシーズンでリトベルの試合が一試合でも放送されることを祈ろう。ハンドボールリーグの上位の安定ぶりを考えると、リトベルが来シーズン上位八位以内に割って入るのは至難の業だろうし。

 もう一つ、オロモウツ地方のハンドボールチームとしては、フラニツェのセメント・フラニツェがある。ベテランを中心としたチーム編成で、リーグ戦の終盤は疲れのせいで勝てそうな相手に負けることもあったが、日程に余裕のあったプレイオフでは、本領を発揮して三位の座を獲得した。ここから上に上がるのは、ベテランが多いことを考えると難しいだろう。いつかはオロモウツ地方から優勝チームが出てほしいのだけど。

 女子のハンドボールでは、オロモウツのゾラ・オロモウツが、長らくチェコのトップチームの一つであり続け、毎年スラビア・プラハやズリーンなんかと優勝争いをしていたのだが、近年モストとオストラバのポルバの台頭を受けて、成績が下降気味である。
 今シーズンもインテルリーガ全体で八位、チェコ側では五位の成績に終わってしまった。一つ上のズリーンと、上位四チームを対象としたチェコ側のプレイオフ進出をめぐって熾烈な争いをしていたようだが、結局勝ち点一の差で、残留をめぐる争い、いわゆるプレイアウト参戦を余儀なくされた。そこでは、安定し戦いぶりでピーセクとベセリーに連勝して、五位を確定させたけれども、かつての強かった時代を知っている者としては、寂しさを隠し切れない。オロモウツに一部チームの存在しない男子よりはましなんだけど……。

 他にもバレーやバスケットなどで、オロモウツのチームがチェコの一部リーグで活躍しているようだが、いかんせん、自分のやったことのないマイナースポーツの結果を追いかけるほどのマニアではないので、オロモウツのチームがどんな成績を残したのかは把握できていない。ただ、バレー、バスケットでは、オロモウツよりも近くのプロスチェヨフのチームのほうが成績がいいということだけは言える。
 自分がやったことのあるスポーツと言えば、ラグビーなのだけど、オロモウツのラグビーチームは、残念ながらチェコ国内の二部リーグに埋没してしまっている。一部に上がったら試合を見に行こうと、ここ何年も考え続けているのだけど、いまだに実現していない。
6月28日18時。


2016年06月28日

オロモウツハーフマラソン(六月廿五日)


 本日、オロモウツ市内を舞台にハーフマラソンが行われた。これは毎年六月末の土曜日に開催されているもので、今年で七回目を数えるらしい。今年は運悪く猛暑に襲われ、日中の最高気温は35度近くまで上がり、スタートの午後七時の時点でも、29度ぐらいだった。そんな猛暑の中、走りぬいた参加者たちには、称賛の言葉しかない。
 さて、かつてのチェコスロバキアで、一番有名であったマラソンは、スロバキア東部のコシツェという町で行われていたもので、日本からも宗兄弟のどちらかが出場して、一位か二位に入ったことがあるらしい。チェコ側では特に大きなマラソンの大会は開かれていなかったようである。そのせいか、ヘルシンキオリンピックで、長距離三冠に輝いたザートペクを生んだ国なのだが、それ以後はマラソンも含めた長距離の世界的な選手は輩出していない。
 一体に、チェコの陸上競技というのは、ジェレズニー以降世界的な選手を輩出し続けているやり投げを除けば、突然一人か二人の世界的な選手が登場して、世界選手権やオリンピックでメダルを獲得するという形をとることが多い。人口自体が少なく、競技人口も少ないチェコではすべての競技に、才能あふれる子供が向かうというのは難しいのだろう。ただ、恵まれない環境の中からでも登場してくる才能は、世界に出ても圧倒的な存在であることがある。それが、陸上ではないけれどもスピードスケートのマルティナ・サーブリーコバーであり、かつての長距離のザートペクだったのだ。

 ビロード革命後、そのザートペクがチェコの陸上の長距離選手の低迷を嘆き、それを解消するために設立に尽力したのが、プラハで毎年春に行われるハーフマラソンだった。ハーフマラソンの運営が軌道に乗り定着すると、今度はフルマラソンも行われるようになった。フルマラソンが定着するころになると、チェコでも健康のためのジョギングブームが巻き起こり、いわゆる市民ランナーの数が急増し、普段の練習の集大成として出場できるレースの増加が求められた。プラハ一箇所では、旧市街を走る関係上、出場者を際限なく増やすことはできないのだ。
 そんな流れの中で最初に誕生したものの一つが、オロモウツのハーフマラソンだった。どこまで本当かはわからないが、オロモウツの陸上関係者がお酒を飲んでいるときに、酔った勢いで開催することを決めたとか、半年で実施にこぎつけられるかどうかに、一杯のビールを賭けたという話も聞こえてきた。それを信じてしまうぐらいには、第一回目の開催は急な出来事だった。

 第一回目のレースは、10kmほどのコースを二周する周回コースで行われ、うちから歩いて一分もかからないところを通っている大通りもコースとして使われていた。遠くまで出かけて応援する気はなかったが、本当に目と鼻の先なので、どんなものなのか確認がてら応援に行くことにした。
 アフリカからの招待選手たちが、とんでもないスピードで駆け抜けて行き、完走を目標に自分たちのペースで着実に走るランナーたちに拍手をしていたら、集団の中から、大きな身振りでこちらに手を振ってくる男がいた。誰だよと思ってみたら、サマースクールで知り合ったイタリア人のアレッサンドロだった。出場するという話は聞いていなかったので、嬉しい驚きだった。こういうイベントは、知り合いが出ていたほうが応援しがいがある。
 アレッサンドロには、以前もプラハのマラソンのリレーの部(つまり駅伝)に、チームを組んで出ないかと誘われたこともあるので走っていることは知っていたが、いつの間に出場の申し込みをしていたのだろうか。こちとら出場者を募集していることすら知らなかったというのに。出る気があれば情報が入ってきたのかもしれないけど。
 周回コースだと、トップの選手がゴールする前には周回遅れが発生するので、それが問題になったのか、四回目ぐらいからコースが変更になって、うちの近くの大通りは通らなくなってしまった。それでも、せいぜい五分も歩けばコースの折り返し点が置かれている公園に着くのだ。ということで、毎年沿道の観客をやっている。

 これまでは、一回目のアレッサンドロのように、応援していたら知り合いを発見するというパターンだったが、今年は知人が二人出場することがわかっていた。猛暑だったので無事にゴールまで走りきれることを祈りながら、応援することにした。
 一人は、去年も出ていて一時間二十分弱でゴールしたといっていたので、招待選手以外の中では、結構最初のほうにくるだろうと思って探すのだが、なかなか姿が見えない。一時間三十分とかかれた幟のようなものを背中につけたペースメーカーが登場しても、見えてこないので、見過ごしたのかと思っていたら、朦朧とした表情で走る知人の姿が見えてきた。名前を呼んでも、がんばれと言ってみても何の反応もなかった。去年は余裕の表情で走り抜けていったから、暑さにやられたということなのだろう。
 もう一人は、目標が二時間二十分と言っていたのだが、二時間三十分のペースメーカーの後ろの集団に埋没して現れた。事前に聞いていたのとシャツの色が違っていたこともあって、見落としそうになってしまった。向こうがこっちに気づいて声を出して手を振ってくれなかったら、気づけなかっただろう。スピードはそれほど出していなかったが、飄々と暑さなどものともせずに、軽々と走っていった。
 知人二人は幸い無事にゴールしたようだが、今年は救急車のサイレンが例年以上に鳴り響いていたような気がする。前半のオーバーペースがたたったのか、よたよたと不自然な走り方をしていた人もいたし。来年はこんな猛暑ではなく、肌寒いぐらいのマラソン日和になることを祈っておこう。
6月26日23時30分。


 これまでも、日本の実業団の選手が走ったことがあるみたいだが、今年も一人女子選手が招待選手として走っていたようである。ゼッケンには「た」で始まる名前が書いてあったと思うのだけど、読み取れなかった。一位の選手からはかなり話されていたけど五位ぐらいで通過していった。6月27日追記。

2016年06月05日

世界遺産になれなかった天文時計(六月二日)



 先日、ブルノからオロモウツに遊びに来た人と話していたら、オロモウツに来たのはモラビアの世界産巡りの一環だと言っていた。日本人ってやっぱりこういうの好きだよな。そう言う自分自身も日本人の例に漏れず、嫌いじゃないんだけど。
 世界遺産に指定されると、観光地としてのステータスが一段も二段も上がって、観光客を集めやすくはなるだろう。観光会社の側としても、ツアーを組むのにとりあえず世界遺産を入れておけば、参加者を集めやすいし、文句も出にくいという面もあるはずだ。世界遺産だから、よくわからないけどすごいと思っておけばいいという面では、観光客にとっても安心である。
 オロモウツの世界遺産聖三位一体の碑は、来た見た感動したと言えるようなものではなく、あまり一般受けするとは言えない。正直な話、これだけを見るためにオロモウツに来たのだとしたら、がっかりする人のほうが多いと思う。この手の、世界遺産に指定されたそのものよりも、歴史的、文化的な背景が重視されて選ばれたものは、どうしても見る人を選んでしまう。背景を説明されたとしても、中世の黒死病の流行の終結を感謝して建てたものとか言われて、即座に理解してすごいと思える人はどのぐらいいるのだろうか。

 ところで、話によると、当初オロモウツとしては、天文時計を擁する市庁舎も含めて、世界遺産にしようとしていたらしい。ただ、天文時計の装飾が、第二次世界大戦後の修復の際に、キリスト教的なものから、当時の主流であった社会主義的レアリズムに作り変えられてしまったことが嫌われたらしい。建築当初のオリジナルの形をとどめていないというのがいけなかったのだろう。
 ただ、社会主義時代の遺物も、歴史的な意味を考えると、世界遺産指定の対象にしてもいいのではないかとは思う。指定されたものはあるのだろうか。昔、オストラバに行ったときに、ビートコビツェの超巨大工場が、世界遺産に指定されるかもしれないという話を聞いたのだが、その後指定されたという話は聞かないから、うまく行かなかったのか、単なる冗談だったのか。ビートコビツェの廃工場は、現在では、一風変わったコンサートやフェスティバルの会場として活用されているようである。高校生ぐらいの子供たちが学校単位のチームで参加する科学的な知識を問うクイズ番組の舞台にもなっていたかな。

 話をオロモウツの天文時計に戻すと、毎日正午に仕掛の人形が動き音楽が奏でられる。以前、毎正時に動くと書いてしまったが、正午以外に動く人形は鐘の音にあわせてハンマーを振り落とす鍛冶師の人形だけだったような気がしてきた。だから、確実に見ようと思ったら正午に行ったほうがいい。
 ただ、プラハの天文時計もそうらしいけれども、天文時計に仕組まれた仕掛が動くなどという謳い文句から期待してしまうほどのものではない。出てくる人形が社会主義的に、労働者一覧みたいなのは愛嬌だとしても、音楽が終わって最後に真ん中にある金色っぽい鶏が羽のようなものを動かすと同時に鳴き声をあげて、一連の動きが終わると、集まった観光客達の間には何ともいえない微妙な雰囲気が漂う。えっ、何、これで終わりなの? と言うところだろうか。

 今年の初めに日本から来た方を案内したときには、人形の動きと最後の鶏はともかく、カリヨンの澄んだ音が美しいと褒めていただいた。ついつい見た目で判断してしまっていたが、耳で評価することもできるのかと目からうろこが落ちた思いがした。自称オロモウツ人としては、天文時計を自慢したいんだけど、どう自慢すればいいのかわからないというジレンマ(ちょっと大げさ)から脱出できるかもしれない。
 そして、天文時計の周囲を飾る社会主義的なモザイクも、最初見たときは何だこれと思ったが、目になじむにつれて、色合いの軟らかさもあって、これはこれで悪くないような気がしてきた。モチーフも、下のほうの工員と研究所の職員は、まあ、あれだけど、各月の農事暦みたいなのが周囲を囲んでいるし。上部にはハナー地方の民俗行事王様騎行が描かれているし。ちなみにこの行事は、南モラビアのスロバーツコ地方、特にブルチノフという村で行われるものが有名であるが、スロバーツコ地方はもちろんハナー地方でもいくつかの村で行われているらしい。以前、主役の王様役の子供の家庭の金銭的負担が大きくて成り手がいないという話を聞いたこともあるので、どのぐらいの頻度で行われているかはわからないけど。

 オロモウツの人間としては、オロモウツのよさは、世界遺産の有無で変わるものではないし、オロモウツのよさは世界遺産なんかなくてもわかる人にはわかると言いたい。むしろ、世界遺産という言葉に引かれてオロモウツにやってきて、がっかりして帰っていく人がいるのではないかと不安になる。いや、そもそも多くの人にオロモウツに来てほしいと思っているのだろうか、私は。

6月3日23時30分。


 構想を練らずに書き始めたらこうなった。うーん。6月4日追記。

ヨーロッパポストカード モノクロ インテリア おしゃれはがき 海外 写真 プラハ天文時計 No.020




 けっ、プラハの天文時計しかありゃがらねえ。

2016年06月03日

オロモウツレストランめぐり2(五月卅一日)


 前回はよく行く、もしくは直近に出かけたレストランを紹介したが、今回は最近行っていない、場合によっては行ったことのないレストランを紹介しよう。
 まずは、日本のガイドブックのオロモウツのところには必ずと言っていいほど紹介されているモラフスカー・レスタウラツェから。ホルニー広場の劇場の隣にある建物に入っていて、名前からするとモラビアの伝統的な料理が食べられるようである。おそらく日本以外の国の観光ガイドにも紹介されているのだろう。夏場など店の前に設置されたザフラートカの部分にもたくさんのお客さんが入っていることが多い。
 ただ、このお店、オロモウツに長く住んでいながら一度も行ったことがないのである。地元の人間が観光客の行くようなレストランにいけるかというある意味で無意味なプライドのせいなのだけど、こちらに来たばかりのころは、値段がオロモウツとしてはかなり高いと聞いて二の足を踏んでしまったのだった。今更なので、よほどのことがない限り行くことはないと思う。チェコ人でも、オロモウツに来た記念に一度行ってみるという人もいるから、試してみる価値はなくはないと思うのだけど。

 モラフスカーと劇場を挟んで反対側、一時自転車屋になっていたところににあるのが、カフェ・オペラである。ここは以前一度イタリア人の友人に誘われて行ったことがある。店内は結構奥行きがあって広く、中庭にはザフラートカもあったような気がする。そのイタリア人は、ここのピザは美味しいんだと言いながら、マリガリータとかいうピザを食べていた。こっちは昼食後だったので、コーヒーを飲んだだけでピザは試していないけれども、イタリア人が認めるぐらいだから、それなりには美味しいのだろう。ちなみに、こっちは英語ができないし、向こうは日本語ができないから、チェコ語で話したのである。日本人とイタリア人がチェコ語でしゃべるのは、チェコにいるんだから当然だよね。

 カフェ・オペラからアリオンの噴水を越えた先の建物の地下にあったのが、キキリキというレストランで、現在は地上に出て、ホルニー広場からドラーパルのほうに向かう通りに移転している。キキリキというのは、チェコ人の耳に聞こえる鶏の鳴き声なだから、鶏肉料理しか出さないこの店の名前としては、ふさわしいのかもしれない。
 オロモウツには「ウ・コホウタ」という名前の店もあって、コホウトはオンドリという意味なので、ここも鶏肉料理のお店かと思ったら違っていた。キキリキは最近全然行っていないのだが、以前は、地下の薄暗いところにあるにもかかわらず、日本から来た人たちにも好評だった。

 キキリキの前の通りをそのまま進むと、ゲモから、トリニティに名前が変わったホテルのレストランがあるが、この手のちょっと高級っぽいホテルのレストランはどこも感じが似ているので、宿泊でもしていない限りあえて食事にだけ行く必要はないだろう。ここで道を渡って、大通りに出る前の昔の城壁の内側にある通り入っていくと、城壁の中にキャプテン・モルガンというレストランがある。ここは、以前は国際学生証ISICを提示すると、ピザを二枚頼んでも一枚の値段で済むという学生向けのサービスをしていた。チェコのポータルサイトセズナムの地図で確認をすると、このレストランは表示されないので、なくなってしまったのかもしれない。

 さて、一度、ホルニー広場に戻ってドルニー広場を抜け、ČSOBという銀行の脇の通りに入って、左に曲がれる一つ目の角を曲がると、オロモウツでもあまり知られていない広場、ブラジェイ広場に出る。広場の一番奥、城下の公園に降りられる階段の脇に、ミハルスキー・ビーパットというレストランがある。
 昔、今から二十年以上前にチェコを旅行してオロモウツに滞在していたときに、たまたま同じホテルになった日本人観光客と一緒に入ったことがある。料理は結構おいしかったと思うのだけど、この店で一番覚えているのは、たまにはアルコール抜きの夕食にしようと思って、ビールではなく、ノンアルコールのピトという名前のビールもどきを飲んだら、ビールが飲みたくてたまらなくなって、結局いつも以上に飲んでしまったことだ。最近は全然行っていないのだが、知り合いが日本からのお客さんを連れて行ったら、喜ばれたと言っていた。一度試してみようとは思うのだけど、ちょっと行きにくいところにあって、お店選びの際に失念してしまうのである。

 観光と食事を一緒にするのなら、ジャーマンセセッションの傑作プリマベシ邸の中に入っている同名のレストランがお勧めだったのだけど、最近たまたま前を通ったら、入り口のドアに閉店したことが書かれていた。長期間かかった改修工事の後、最初は確か魚介料理の専門店として開店したんじゃなかったかな。でも、オロモウツで魚というのには、かなり無理があったように思う。その後、イタリア関連でリトベルの近くでパルマ風のチーズを作っている会社が経営権を取得して営業していたのだけどうまくいかなかったようだ。最初に行った魚料理の時代よりは、最近行ったときのほうがいい感じになっていたのだけど。
 ちなみにこのチーズはグラン・モラビアという名前で生産販売されているが、製法はイタリアのパルマ周辺で作られているものと同じらしい。ただパルマチーズ(イタリア語っぽいカタカナ表現は使いたくない)は、EUの原産地に基づく商標に認定されているため、モラビアで作ったチーズは、パルマの名前を冠することは許されていないらしい。ただ、イタリアにも大量に輸出されているため、製品にはイタリア語の表示が多く、輸入品かと思ってしまう。このチーズ会社はチェコ各地に、自社製品だけでなく輸入したチーズを販売する直営店を開いて、チェコにひそかなチーズブームを引き起こしている。

6月1日14時30分。



 ないだろうと思って検索したら、出てきた。しかし18kg単位で売るか。業者向けなのかな。ちなみにチェコで生産してイタリアでパックしたものという可能性もある。6月2日追記。


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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