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2016年05月31日

ファウナ、フローラ(五月廿八日)



 おそらく外国語を勉強した人は皆苦労したし、今も苦労しているだろうと思われるのが、動植物の名前である。問題のひとつは、日本語における名称を知らないものがあることだ。日本で目にすることのできるものなら、たいていは日本語の名前は知っていると言いたいところだけれども、動物学者でも植物学者でもない身としては、そんなことは言えない。
 名前自体は知っているのだ。日本にないものでも名前自体は知っているものもある。問題は、名前を聞いても、実際にどの植物、どの動物を指すのかわからないものがあるということだ。椎、楠、たぶ、樫、樅、楢、どれも木の名前であることは知っているけれども、どの木か見分けろといわれたら、見分けられる自信はない。アヤメ、ショウブ、カキツバタを見て、それがどれかを見分けられる人なら問題はないのだろうが、チェコ語の「コサテツ」の日本語名がどれなのか悩んでしまう。

 チェコで動植物を見て日本のものと同じなのか悩むことも多い。一般に、ブラベツは雀と訳されるけど、日本のものと同じなのか確証はない。以前、チェコ語のチャープをコウノトリだといったら、日本のコウノトリとチェコのコウノトリは、別種らしいと言い出した人がいた。チェコには日本のコウノトリはおらず、日本にもチェコのコウノトリはいないのだから、これはどちらもコウノトリで処理しておけばいいと考えている。チェコの人がよくタヌキだというチェコ語のイェゼベツは、実は日本のアナグマで、日本にはどちらもいるし、最近はチェコにもタヌキが生息しているらしいから、区別したほうがよさそうだ。ただ日本国内でもタヌキとアナグマとムジナの呼称には混乱があるらしいからややこしい。

 最近悩むようになったのが、タカとハヤブサの違いである。日本語のタカは、チェコ語の「ソコル」だと思っていたのだが、もう一つ「イェストシャープ」という鳥とどちらだかわからなくなってきた。それは、テニスのデビスカップなどで、判定に不満がある選手が異議を申し立てたときに、確認のために使うホークアイシステムが、チェコ語で、「イェストシャービー・オコ」と呼ばれていて、「ソコル」から派生した言葉は使われていないせいだ。日本語でタカと言うと、「鵜の目鷹の目」なんて言葉もあるぐらいだから、目のいいものとしてのイメージがある。そうすると、タカはチェコ語で「イェストシャープ」なのだろうか。
 しかし、実際に遠くから見て、ハヤブサとタカの区別がつく人はそんなにいないだろうし、日本人ならワシやタカの仲間で、小さめのものはとりあえずタカと呼び、ハヤブサを使うのは本当に種類を区別する必要があるときだけという使い分けをしている人が多いだろう。日本語のハヤブサには、バイクの名前に使われたように、「速い」というイメージがある。だから「速い」というイメージが必要なときだけハヤブサと訳して、そうでない場合には、生物学的な区別は無視して、とりあえずどちらもタカと訳すことにしている。チェコ語の「ソコル」に、ハヤブサ的なイメージがあるのかどうかは、よくわからない。

 チェコ語を使うときに、困ることのひとつが、タカのような同種の動物、植物を一まとめにして示す言葉がしばしば欠如していることである。日本語だと、ミツバチでもアシナガバチでもスズメバチでも、とりあえずハチと言って済ませることが多いが、チェコ語ではハチに当たる言葉がないので、フチェラ、ボサ、スルシェンの中から選んで使わなければならない。カラスもそうだ。ハシブトガラス、ハシボソガラス、ミヤマガラスなんて種類があるということは知っているが、普通はあの手の黒い鳥はまとめてカラスで済ます。でもチェコ語には、カラスっぽいブラーナ、ハブラン、クルカベツをまとめて言う言葉は存在しない。
 かつて、チェコの十種競技の選手が、日本で大会に出たときのエピソードとして、「ありがとう」と言う代わりに、「クロコダイル」と言ってしまったという冗談を聞いたことがある。日本人にはちっとも面白くないのだが、チェコ人には結構受けていた。チェコ語でワニの一種であるアリゲーターを「アリガートル」というので、「ありがとう」という表現を使うためのヒントとして「アリガートル」という言葉を覚えていたのに、ワニの一種であるクロコダイルと混同して間違えたということらしい。説明されても笑えるかどうか微妙なところだけど、チェコ語にはワニにあたる言葉もないのである。

 それから反対に、必要以上に分類されていて困ることもある。動物の場合には、オス、メス、子供でそれぞれ別の言葉を使うし、家畜の場合にはさらに細かい分類をされることもある。ただ、オスとメスのどちらの言葉を、一般的に使うかは決まっていることが多いので、一々確認しなければらないと言うわけではない。犬ならペスとフェナのうちオスのペスを使うし、猫ならコチカとコツォウルのうちメスのコチカを使うと言う具合にである。
 さて、そこで問題、夏目漱石の『吾輩は猫である』の場合には、コチカとコツォウルのどちらを使うのだろうか。一般的にネコと考えればコチカだけど、あの吾輩がオスかメスかを考えるとコツォウルのほうがいいような気もする。

 題名に使った「ファウナ」と「フローラ」の使い方は、多分正しくない。でも、動植物の名前の使い方に問題があることを人に言うときには、「ファウナとフローラは難しいんだよ」なんて言ってしまう。何となく専門家の発言っぽく聞こえて、説得力がありそうでしょ。
5月29日22時。


 うーん、最初の入りがいまいちだなあ。5月30日追記。
タグ:動物 植物 名称

2016年05月30日

チェコマイナースポーツ(五月廿七日)



 現在オロモウツ地方の北部、温泉町のイェセニークの近辺でオリエンテーリングのヨーロッパ選手権が行われている。オリエンテーリングというと地図とコンパスを持って山の中を歩いてコントロールポイントを回るレクレーションの一種だと思っていただけに、初めてチェコテレビのスポーツチャンネルで、地図を片手にコンパスは持たずに走り回る姿を見たときには、ちょっと驚いてしまった。
 ルートが一つではないクロスカントリーのレースと考えればいいのかもと思ったが、クロカンのレースにしては過酷な登りがあったり道なき道を走ることもあるし、時には山の中ではなく平地の林の中や、街中を舞台にして開催されることもある。スタート=ゴール地点以外は、一般の人の侵入が制限されないから、しばしば歩いている人の脇を走って追い抜いたり、人の座っているベンチの前を走りすぎたりする。
 昨年のオリエンテーリングのチェコ選手権は、うちのの実家のある町で行われ、市街地と周囲の森の中を組み合わせたコースが設定されていた。うちの中から前の道路を走っていく選手を見ることも出来た。そのとき、男女のメインレースはチェコテレビで実況中継されたのだが、前日に時間をかけて設置した中継用のカメラのケーブルが夜の間に切断されるという事件があって、金銭的な損害もそうだけれど、代わりのケーブルを確保するのが大変だったと言っていた。もちろん、チェコ中から集まったオリエンテーリング関係者がそんなことをするわけはないので、地元の心ない人間のいたずらに決まっている。

 走るオリエンテーリングだけでなく、チャンネルをチェコテレビスポーツに合わせていると日本にいるときには、想像もしなかったスポーツが放送されることがある。その筆頭が「ノヘイバル」と呼ばれるスポーツで、簡単に言えばテニスコートでサッカーボールと足を使ってするテニスということになる。日本のサッカーテニスみたいなものと言えると言おうとして、中学時代に遊びでやっていたサッカーテニスはノヘイバルとは違ったような気がしてきた。
 シングルスとダブルスがあるのはテニスと同じなのだけど、三対三の試合もある。チェコとスロバキアだけでしかやっていないのかと思っていたら、ルーマニアやハンガリー、スイスなどでも行われているらしい。ヨーロッパ選手権だけではなく世界選手権も行われているから、多分ヨーロッパ外でも行われているのだろう。チェコのノヘイバル協会のホームページで確認したら、日本の近くでは韓国とオーストラリアが、国際ノヘイバル協会のメンバーになっているようである。英語での公式名称は「フットネット」みたいだけど、聞いたことないなあ。
 日本ではサッカー選手が練習の前にウォーミングアップがてらの遊びでやっているところしか想像できないが、チェコでは国内リーグも存在して、シングルスから三対三までを組み合わせた団体戦で試合が行われている。一番よくテレビに出てきて印象に残っているのは、ブルノの近くにあるモドジツェという町のチームである。

 最近は見かけることも少なくなったが、サッカーボールを使ったスポーツとしては、チェコ語で「コロバー」、日本では多分サイクルサッカーと呼ばれるものがある。2000年代の初頭だったかに、サイクルサッカーのアジア選手権にチェコチームがオープン参加したとかいうニュースを読んだ記憶があるので、日本でも行われているのだとは思う。二対二で行うスポーツで、ポスピーシル兄弟というのが、歴代最強のチームらしい。
 チェコ語で「クラソイーズダ」というスポーツは、フィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングの自転車版らしい。見たことがないのでよくわからないけど、ここの写真をみると、何となく想像はつきそうな気がする。一人一台の自転車で何人かで演技するものもあれば、二人組みで一台の自転車を使うものもあるようである。採点する前に、転倒などの減点で勝負が決まってしまうこともありそうだ。
 この二つをあわせて室内自転車競技という部門を持っているスポーツクラブもあるようだけど、体育館で自転車を使おうという発想は、冬が厳しく室内競技の需要が高かったチェコならではなのかもしれない。いや、チェコ発祥の競技かどうかは知らないんだけど。

 個人的には、「ナーロドニー・ハーゼナー」と呼ばれる、チェコ風のハンドボールが気になるのだが、スポーツチャンネルでも放送されることはない。「ナーロドニー」という「民族の」という意味の形容詞がついているところからみると、チェコとスロバキア限定のスポーツなのだろう。ヨーロッパ大会、世界大会があれば放送されるのだろうけど……。たまにニュースで見るぐらいでは、普通のハンドボールとどこが違うのか理解できない。
 以前、俳優のイバン・トロヤンが、何かの賞の表彰式のときに、新しいスポーツとして、細長い木の板を頭の上に載せて、その板をぶつけ合って対戦相手の板を落とすというものを紹介していたけれども、これは表彰式用の冗談だったようだ。

5月28日18時36分。




2016年05月29日

半村良(五月廿六日)



 この希代の物語作家の名前を知ったのは、中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。どのようにして知ったのかにも確証が持てない。
 一つの可能性は、NHKのドラマで見た「下町探偵局」の原作者として、半村良を知ったというもので、もう一つは当時あれこれ読み漁っていたSF小説のあとがきや解説で言及されていたのを読んだという可能性だ。特に栗本薫が『グイン・サーガ』を百巻書くと言い出したきっかけが、半村良が『太陽の世界』を八十一巻で構想しているのに対抗してだという話を読んだのは覚えている。しかし、どうして、その時に『太陽の世界』に手を出さなかったのかは今でも謎である。

下町探偵局PART1【電子書籍】[ 半村 良 ]




 それから角川映画の「戦国自衛隊」がテレビで放映されて、同級生たちの間で話題になっていたのも、このころだったかもしれない。当時はいっぱしの左翼気取りだったから、自衛隊という言葉だけで見る気になれず、当然原作を読むこともなかった。自分のあのころの愚かさを考えると、『太陽の世界』や『戦国自衛隊』を読んだところで、後に大学生になってから読んだときほどの感動を得られたかどうかは怪しいのだが、残念な気持ちを抑えることはできない。


新装版 戦国自衛隊【電子書籍】[ 半村 良 ]





 大学に入って知識の量も幅も深さも高校時代とは段違いになり、交友関係も大きく広がったことで、自らの井の中の蛙っぷりを思い知らされた結果、SFファンとしての偏狭さが次第に薄れていき、思想的にも左翼からは離れることになる。大学の自治会だったか学生会だったかの言っていることが、あまりにばかばかしくて、政治的な論争に興味が持てなくなったのである。思想的には、その後、平安至上主義者を自称して、京都の街を更地にして平安京を再建しようと半分冗談で主張したり、奈良の平城京址で発見された長屋王の邸宅の上に建てられたデパートを破壊せよと叫んだり、うん、やっぱりこのころも愚かである点については大差なかった。
 現在では穏健派の民族主義者を自称しているのだけど、穏健派というところで鼻で笑われてしまう。どうも過激な英語排斥論者、もしくは日本語、チェコ語至上論者だとみなされているらしい。これでもずいぶん穏健になったつもりなんだけどねえ。
 とまれ、SFファン特有の偏狭さから開放されたことで、読書の幅も広がった。高校時代までは、なぜか読んでいなかった田中芳樹の『銀河英雄伝説』も、眉村卓や筒井康隆のジュブナイル小説も、それこそ手当たり次第に読み進めていった。その濫読の一環として、半村良に手が伸びるのはいわば時間の問題だった。


産霊山秘録【電子書籍】[ 半村良 ]




 確か最初に読んだのは『産霊山秘録』だった。いや、これ、多分高校のときに読んでいたら理解できていなかったわ。本能寺の変という日本の歴史上、最大の謎の一つを、「ヒ」の民という太古には皇室の上にあり、皇室を守るために忍びとして活動している集団を設定することで解いてみせるのには、フィクションであることは重々承知でありえたかもしれないと感動してしまった。柳田民俗学が扱いきれなかった農民以外の人々に焦点を当てて一世を風靡し始めていた網野義彦の歴史学につながるものを感じ、それがすでに70年代の初めに書かれていたことに驚愕した。
 正直な話、中盤から後半にかけては、豊臣秀頼生存説とか、鼠小僧伝説とか、いろいろなものを取り込みすぎて、ちょっと迷走してしまった感もあり、面白さは最初の部分を読んだときに期待したほどではない。それでも、高校時代に読み漁ったいわゆる純文学系統の作家の作品よりははるかに面白かったし、学ぶ点も多かったのだけど。この特異な存在を設定することで、歴史そのものではなく、その読み方を変えてしまおうというのは、刺激的だった。
 そして、初期作品の『石の血脈』から、『黄金伝説』『英雄伝説』などの70年代の作品を経て、80年代の『岬一郎の抵抗』、90年代の終わりに書かれた『飛雲城伝説』に至るまで、本屋、古本屋を回る時間をつぎ込んで、手を尽くして買い漁り読み漁ったのだった。


石の血脈【電子書籍】[ 半村 良 ]




 不満は一つ。作品が終わってしまうことだった。いや、正確に言うと物語が始まり、広がっていく部分は、読むのをやめられないぐらいに面白く、これからどこまで面白くなっていくのだろうと大きな期待を抱かせるのだが、物語を終わらせるために話をたたみにかかる部分に入ると、前半で期待したほどの面白さではないことが気になり始めることだ。初読ではそこまで強く感じないのだけれど、繰り返し読んでいくうちに、気になるようになっていく。特にそれは、執筆が長期中断し、中断後に何とか完結させた作品において顕著である。
 関が原で戦いに負けた主人公が出雲の阿国の子供を連れて真田幸村の娘と共に旅をする『慶長太平記』も、戦後の焼け野原における戦災孤児たちの奮闘を描いた『晴れた空』も、古代地球に不時着して埋もれていた宇宙船に乗って選ばれた地球人たちが宇宙に向かう『虚空像王の秘法』も、未完となった『飛雲城伝説』も、前半を読んでいるときの幸福感は、後半に入って終わりに近づくに連れて薄れていってしまう。


晴れた空(上)【電子書籍】[ 半村良 ]





 これは、おそらく半村良本人の言葉を借りれば、終わることを拒否する物語という伝奇小説そのもの抱える問題なのだろう。その意味では、神々との戦いが始まってこれからというところで終わった『戸隠伝説』や、物語を広げては閉じ、広げては閉じを繰り返しながら18巻まで書かれ中断してしまった『太陽の世界』あたりのほうが、完結してしまった小説よりも幸せな小説だといえるのかもしれない。
5月27日14時30分。



戸隠伝説 [ 半村良 ]


posted by olomoučan at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年05月28日

チェコのテニス不調(五月廿五日)


 今年に入って、チェコのテニス選手たちの調子が上がらない。始まったばかりの全仏オープンでも、上位進出が期待されていたカロリーナ・プリースコバーが初戦で格下相手に逆転負けを喫してしまったし、ペトラ・クビトバーも敗戦一歩手前まで追い詰められてしまっていた。

 去年の今頃は、上の相手にはなかなか勝てないけれども、格下の相手に負けなしを続けて、安定した成績を残しランキングを上げていたトマーシュ・ベルディフが、今年はころころ格下の相手に負けてしまって、ランキングはまだそれほど下がっていないけど、ポイントをかなり減らしている。このまま行くとトップ10から何年かぶりに陥落してしまいそうである。現在開催中の全仏では、初戦を楽に突破したから、せめて去年と同じぐらいまでは勝ち進んでほしいところである。
 この人、以前は同じチェコのテニス選手のルツィエ・シャファージョバーと、おしどりカップルでいい感じだったんだけど、いつの間にか別れてしまって、去年別の女性と結婚してしまった。トップ選手同士というのは難しかったのかなあ。

 そのシャファージョバーが不調なのは仕方がない。昨年の九月に、感染症で病院に入院してしまって、一か月後ぐらいに復帰はしたが、今年の初めにまた体調を崩して入院ししばらく欠場を余儀なくされて、現在回復の途上にあるのだ。たしか二月の初めにフェドカップの試合があったときには、病院から応援のメッセージを送っていたはずだ。その後、復帰してからもダブルスでは結果が出るものの、シングルスでは初戦負けが続いた。そして、プラハで行われた大会で優勝して復活を遂げたと思ったら、翌週の試合では一回戦を勝ち抜いた後、二回戦を食中毒で欠場してしまった。
 昨年の全仏で準優勝してランキングを上げてようやくトップ10に入って、本来の才能が開花したと思われていたところなのに、何とも間が悪いというか、運がないというか、昨年の九月以降、不運に付きまとわれているのである。その結果ランキングも二けたに戻ってしまった。そういえば去年のロシアとのフェドカップの決勝も、欠場していたなあ。去年準優勝した全仏で完全復活と行けばいいのだけど。

 現役のチェコ人選手で唯一グランドスラムの優勝経験のあるペトラ・クビトバーは、以前からむらのある選手だったのだが、今年に入ってコーチを変えたせいなのかなんなのか、いいときと悪いときの差が大きくなってしまったような気がする。以前から信じられないような強さを発揮して勝った試合の次の試合で別人のような試合をすることも多かったのだが、最近は同じ試合の中でも別人になってしまう。全仏の一回戦も、楽勝パターンだった二セット目の途中で、悪いほうにスイッチが入ってしまって、最後は何とか勝ったけど、がけっぷちまで追いつめられていた。
 クビトバーはいいときは本当に誰にも負けなさそうな強さを発揮するのだが、悪いときは本当に信じられないぐらいの崩れ方をして負けてしまう。自滅負けという言葉が、このクビトバー以上に似合う選手はいないんじゃないかな。久しぶりにトップ10から落ちて迎えたこの全仏で勝ち進んで、10位以内に復帰してもらいたい。つい何ヶ月か前にはトップ10に3人のチェコ人選手がいたのに、現在0というのは寂しすぎる。

 チェコのフェドカップの代表は、ここ数年クビトバーとシャファージョバーが中心となってきた。不思議なことにクビトバーの調子が沈んでいるときには、シャファージョバーが大活躍し、シャファージョバーが勝てないときには、クビトバーがいいほうにスイッチが入ることが多い。二人とも不調ということがないおかげで、最強チームの名をほしいままにしているのである。昨年から欠場しているシャファージョバーの穴を埋めて活躍し始めたのが、ランキングのトップ10にも入っていたカロリーナ・プリーシュコバーである。
 なのだけど、今回の全仏では、一回戦でクビトバーばりの自滅で負けてしまった。二セット目の途中までは負けることは、まったく想像もできないできだったのだけど。このプリーシュコバーは、ランキングのトップ10に入った去年でも、四大大会では、好成績を残せておらず、それ以外の大会で勝利を積み重ねてポイントを稼いでいたらしい。それが今年に入って小さめの大会でも去年ほどの結果が残せず、ランキングも落としてしまった。フェドカップでの戦いぶりを見ていると、もっといい成績を残してもおかしくないと思うんだけど、現時点ではチーム戦だけで発揮できる強さなのかもしれない。

 チーム戦で無類の強さというか、ランキング以上の強さを見せるのが、ベルディフと共にデビスカップのチェコ代表を背負ってきたラデク・シュテパーネクである。この天性のエンターテイナー、もしくは道化師は、試合に負けた場合でも観客を十分に楽しませられることを、今年の全仏でも証明した。ミスも多いが、対戦相手にとっても、観客にとっても予想外のプレーを連発して相手をかく乱するのは、やはりベテランの経験なのかな。
 デビスカップでは、スイスとの対戦で、怪我で足を引きずりながらフルセット戦い抜いて観客からは喝采を浴びたのに、フェデラーに大げさに痛がって芝居じゃないのかなんて批判されたこともあったし、セルビアだったかなとの対戦では、五セット目が延々終らず、十二時ぐらいまで試合を続けてデビスカップ最長試合の記録を作ったこともあった。一応ランキングトップ10に入ったこともある選手だけど、その事実は忘れられても、印象的な試合振りは少なくともチェコ人の記憶には残り続けるはずだ。具体的には書かないけど、私生活もあれだし。すでに超ベテランの域に入って、怪我で欠場することも増えていて、今後もあまり好成績は期待できそうもないが、もうしばらくシュテパーネクのプレーを見られるというだけで満足するべきなのだろう。

 テニスは自分でプレーしたこともないし、特に熱心に追いかけているスポーツではないので、プレースタイルだとか何とかには、触れられないし、顔と名前が一致して多少文章にできるのは、毎年テレビで放送されるデビスカップとフェドカップで活躍して印象に残っているこの五人だけなのだ。願わくは、みな不調を脱し、今年も優勝せんことを。
5月26日23時。


 こんな記事を書いたら三回戦でクビトバーもシャファージョバーも負けてしまった。もう一人のストリーツォバーが負けるのはある程度予想通りだったのだけど、三人とも1-2で、二セット目だけ取れたという同じパターンで負けてしまった。クビトバーなんて、一セット目と三セット目を0-6で負けてたから、またミス続出だったんだろうなあ。これでチェコ人の勝ち残りはベルディフだけになってしまった。なんか嫌な予感が……。5月27日追記。


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 おー、なんかベルディフ、若いぞ。それに着ている物がいいぞ。今回のあの白黒模様の珍妙なウェアは、悪名高かったシュテパーネクのデビスカップの時のやつよりひどいと思う。

2016年05月27日

スラフコフ・ウ・ブルナ、あるいはアウステルリッツ(五月廿四日)


 アウステルリッツの三帝会戦。高校の世界史で習ったこの言葉を覚えている人も多いだろう。ドイツ語でアウステルリッツと呼ばれる町が、チェコ語のスラフコフである。ただし、スラフコフという名前の町は、ここだけではないので、正式にはブルノのそばのスラフコフということで、スラフコフ・ウ・ブルナと呼ばれている。
 この小さな町には、バロック様式で建てられた小さな城館があって、本来はドイツ騎士団がルネサンス様式で建てたものが後に改築されたらしい。ドイツ騎士団というと、ドイツから東方のバルト海沿岸に領地を持っていたというイメージが強いが、チェコ各地に足跡を残しており、いまだに、お城などの資産返還の裁判を起こし続けている。宗教関係者が財産に拘泥するなんて恥ずかしくないのかと思うのは日本人だからだろうか。

 騎士団と言えば、テンプル騎士団と関係のある町が、南モラビアのチェイコビツェである。スロバーツコと呼ばれる民族色豊かなワイン造りの地方にある町の例にもれず、この町でもワインの生産が盛んで、テンプル騎士団との関係を売り物にして、ワインを生産している業者もあるようだ。

 さて、このスラフコフにも、サマースクールの遠足の一環として出かけたのだが、小さなお城を大人数で見学するのが大変だったのを覚えている。アウステルリッツの戦いの前には、ロシア皇帝アレクサンデル一世とオーストリア皇帝のフランツ一世が、この城に滞在し、会戦が終わった後にはフランス皇帝のナポレオンも滞在したのだという。確か、ナポレオンが宿泊した部屋というのが再現されていたような気がする。
 モラビアには、お城がたくさん残っていて、見学できるところも多いのだが、正直な話、特に特徴のあるお城でもない限り、どこに何があったかを覚えているのは難しい。スラフコフでも、一番印象に残ったのは、実は、遠足に出かけたのが土曜日だったため、昼食をとるために、営業中のレストランを探すのが大変だったことだ。今では、おそらくスラフコフでも改善されているだろうが、2000年代の初頭は、オロモウツでも土日に営業しているレストランを探すのは大変だったのだ。

 スラフコフに行く理由は、街やお城だけではない。スラフコフまで行くならば、実際に戦場となった近くの丘にある慰霊のための記念碑モヒラ・ミールにも足をのばしたほうがいい。記念碑の下の部分は中に入れるようになっていて、四隅の角に立って、壁に向かって小さい声で話すと、対角の隅まで声が聞こえると言われている。行ったときに実際に試してみたけど、いまいちよくわからなかった。人の数が多すぎて雑音に紛れてしまったのだと思う。
 その後、案内のおじちゃんが、あちこちの丘を指さしながら、あそこにはナポレオンの本陣があって、こっちに移動してなどと、アウステルリッツの戦いの様子を、解説してくれたが、正直よくわからなかった。今もそうだけど、チェコ語で軍事用語を使って軍隊の話をされても、理解が及ばなかったのだ。チェコ人が聞けば、目の前に戦いが蘇るような説明だったのだろうけど。「チェトニツケー・フモレスキ」の中のアラジムの言葉によれば、地元の人たちは代々この戦いについて語り継いできたらしいから、このおじちゃんの説明も、学問的な調査の結果ではなく、語り継がれてきたものだったのかもしれない。

 毎年、戦いが行われた時期には、酔狂な人たちがチェコはもちろんヨーロッパ各地から集まって、戦いの再現を行っている。十二月初めの大抵は雪の降る寒い日に、当時の服を着て当時の武器を持って、それぞれの軍が動いたように移動し模擬戦闘を行うのだ。もちろん、実際の軍人と同じだけの数が集まるわけではないが、終わった後や、休憩中に寒さに震えながら熱いお茶を手に持って飲んでいる参加者の姿を見ていると、戦闘で死んだ兵士も多かっただろうが、寒さで死んでいったのも多かったのだろうと実感を持って納得できる(例えば2005年)。

 このアウステルリッツの戦いを中心とする一連のナポレオン戦争で、モラビアまで従軍した兵士たちの中には、帰国できずにモラビアの地に根を下ろした人たちも多かったらしい。フランス語がチェコ語風になまってしまって原型をとどめない名字(具体的な名字は失念してしまった)や、フランツォウス(=フランス人)、シュパニェル(=スペイン人)などの名字が存在するのはその名残だという話である。
 ちなみに、ナポレオンが最初に本陣を置いたジュラーンという丘の上には、それぞれの軍隊がどこに配置されていたかを示す地図が上面に彫り込まれた記念碑があり、その記念碑の設置された土地は、大戦間期以来フランス領(ってほどではないか)ということになっているらしい。
5月25日18時。


 アウステルリッツで検索したらこんなのが出てきた。名作と言われても困るよね。5月26日追記。


油絵 フランソワ・ジェラールの名作_アウステルリッツの戦い


2016年05月26日

英語ができない(五月廿三日)



 英語で話そうと思って口を開いても、最初の一単語、二単語以外は、英語ではなくてチェコ語が口から出てくるようになっているのに気づいたのは、いつのことだっただろうか。チェコ語の勉強を始めてチェコに来て以来、英語に頼ってしまわないように、できる限りチェコ語で済ませようと、どうしても必要なとき意外は英語は使わないようにしていた。でも、廿年以上前に初めてチェコを旅行した時と同じぐらいの英語のレベルは維持できているだろうと何の根拠もなく考えていた。だから、自分の口から英語の言葉が出てこないことに気づいたのは、結構大きなショックだった。

 英語ができないと正直に言うと、なぜか謙遜しているのだと思われることが多い。どうもチェコ語なんてとてつもなく難しい言葉ができるのだから、英語のような簡単な言葉ができるのは当然だと考える人が多いようだ。ちょっと待ってほしい。誰が英語が簡単でチェコ語が難しいなんて決めたのだろうか。私には、チェコ語のほうが英語よりも簡単に思われてならない。しかし、そう言うと、冗談だろうと思われてしまう。
 現在の世界で英語が世界共通語のようになってしまったのは、英語が優れた言語であるからでも、簡単な言語であるからでもない。英語を使用する人の数が多く、母語ではなくても教育を受けて理解できる人の数が多いからに過ぎない。いや、ぶっちゃけて言えば、世界最大の強国アメリカで使われている言葉だからに他ならない。
 ということは、このまま中国が勢力を拡大し、アメリカを駆逐して世界の覇権を握ったら、現在の英語の位置に中国語が立つことになるのか。それは嫌だなあ。でも、近代以前の東アジア圏で、中国語、正確には書かれた中国語=漢文が共通語として使われていた時代に戻ると考えれば、現在の中国語ではなく、漢文を世界共通語にするというのには、ちょっと惹かれる。公式の文書はすべて四六駢儷体で書けとか言われたら、頑張って勉強しようという気になれそうだけど、現代の中国語には何の魅力も感じない。

 あれは十年以上前、チェコがシェンゲン領域に入る前のことだった。夏の観光シーズンにブルノからブジェツラフに向かう電車に乗っていると、国境でのパスポートのコントロールが長引かないように、走っている電車の中で、チェコとオーストリアの警察官がパスポートのチェックを始めた。最初にチェコ人が来たときには、「ブジェツラフまでしか行かないんだけど」とチェコ語で言えばよかったので問題なかった。その後、オーストリアの警察官に、「パスポートお願いします」とか何とか英語で言われたときには、英語で答えようとは思った。いや英語で答えているつもりだったのだ。
 「アイ」で始めたのに「ド・ブジェツラビ」と言ってしまったことに気づく間もなく、苦笑を浮かべたオーストリアの警察官に「ブジェツラフ?」と確認の質問をされて、「イエス」の代わりに「アノ」と言ってしまったときに、英語で話していたはずが、いつの間にかチェコ語になっていることに気づいた。オーストリアのおまわりさん笑ってたしなあ。他にも「アイ・アム・ズ・ヤポンスカ」とか、「ウィズ・カマラーデム」とか言ってしまって頭を抱えたのも、確か同じ時期だった。
 それで、英語で話さなければいけないときには、時間はかかってしまうが、まず頭の中で文を考えてから口に出すようにすればいいのではないかと考えて、実行しているのだが、まったくうまく行っていない。二年前に仕事の関係でハンガリーに行ったときには、飛行場でタクシーに乗ったのだが、「このホテルまで行きたい」というのを、すでに飛行機の中で考えて準備しておいたにもかかわらず、口から出てきたのは、「アイ・ウォント・イェット・ド・トホト・ホテル」だった。考えた英語の文をカタカナで紙に書いておいて読むようにすればよかったのかもしれない。所用自体は幸いほぼ日本語で済むようなものだったのだが、帰りの飛行機で隣にチェコ人が座ってくれたときには、地獄から天国に戻ってきたような気がしたのだった。

 多分、私の頭の中には、日本語と外国語という二つの回路しかないのだろう。そして現在では外国語=チェコ語になっている。だから、英語で話そうとしても、英語モードではなく外国語モードにしかならず、英語で話すつもりでもチェコ語が出てきてしまうのだ。英語の単語などの知識は頭の中に残っているんだけどねえ。それで、時々、英語ができないことが誇りだなんていってしまうのだが、それは半分本気で、半分は負け惜しみである。
 英語ではなくチェコ語という外国語を使えるようになったことは、心のそこから誇りに思う。かつての英語の授業せいで陥っていた外国語アレルギーから抜け出せたのは、自分でも信じられない思いがすることがある。英語ができることが正義であるかのようになってしまった現代社会において、積極的に英語を使いたいとはまったく思えないのだが、中学時代から十年近くにわたって勉強を続け、特に受験の時期には死ぬ思いで勉強した英語が使えなくなっていることを残念だと思う気持ちがあるのもまた否定できない。英語はできるけれども、自分の信念に基づいて使わないというのが理想なのだ。現実には、使えないから使わないというちょっと情けない状態になっている。だからといって今更勉強する気にもなれないのだけど。

 語学には、この言葉は易しくて、この言葉は難しいなんて差は存在しない。あるのは好き嫌いの好みと、相性ぐらいのものだ。個人的には、日本人にはチェコ語のほうが英語よりも相性がいいと思うけれども、英語のほうが合うという人もいれば、フランス語やドイツ語と相性がいいという人もいるはずだ。だからこそ、黒田龍之助師(著書を通じてこちらが一方的に語学の師匠だと認定させてもらっているのでこう書く)は、いろいろな言葉を勉強することを勧めるのだろう。でも、不肖の自称弟子には、いくつもの言葉を勉強するなんてことはできそうもない。今後も日本語とチェコ語だけを後生大事に抱え込んで生きていこう。チェコで生活している日本人なのだから、それでいいのだ。恐らく。
5月24日23時30分。


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2016年05月25日

アイスホッケー(五月廿二日)



 中学校のころだっただろうか。見るのは楽しいけれども自分では絶対にしたくないスポーツという話で友人達と盛り上がったことがある。そのとき、圧倒的に票を集めたのが、ラグビーとアイスホッケーだった。どちらも激しく体をぶつけ合うことが許されており、時に血が流れる大怪我をすることがあるのが、敬遠される理由だった。アイスホッケーにいたっては、乱闘も試合の一部というような印象もあったし、日本ではどちらもマイナーなスポーツで、日本リーグは存在していたけれども、テレビでの中継もあまりなく、ルールなどがよくわかっていなかったというのも、恐ろしいスポーツだという偏見を助長していたのかもしれない。
 その後、ラグビーは、テレビドラマの影響で一躍人気スポーツになり、高校時代にタックル禁止とはいえ授業で体験したけど、やはりあれは見るスポーツだという印象は変わらない。アイスホッケーは、スケート自体がなじみがないこともあって、自分ではしたことはないが、高校時代の先輩が大学に入って、なぜかアイスホッケー部に入って苦労していた。スポーツそのものよりも、首都圏であっても使える設備が少なく練習場の確保と、その使用料で大変だと会うたびに愚痴っていた。
 アメリカのNHLのチェコ人選手の存在や、長野オリンピックでのチェコ代表の優勝などもあって、日本でもチェコのアイスホッケーの認知度は上がっているに違いない。ただ、あのよくわからないルールと、テレビ画面で見るパックが小さすぎてどこにあるのかわからなくなるのは何とかしてほしいと思っている人も多いのではなかろうか。実際に行ったことはないけど、スタジアムの客席からも見えないに違いない。

 以前、どこかの冬季オリンピックの際に、日本人の知り合いから前日のアイスホッケーの試合について、「第三ピリオドで終わっちゃったんだよね。勝ち目ないと思って諦めたのかな」なんてことを言われた。そのときはアイスホッケーのことは、ほとんど知らなかったから、そういうこともあるんだなあと思って済ませていたのだが、後日その人から、アイスホッケーはバスケットとは違って、第三ピリオドまでしかなかったみたいだと教えられた。お互い、まだまだチェコ語がつたなかったから、日本語でもよくわかっていないスポーツの場合には、テレビで中継を見ても、何が起こっているのかさっぱりわからないという状態だったのだ。

 その後、アイスホッケーは、サッカーと共にチェコで最も人気のあるスポーツなので、テレビで中継される機会も多く、特にチェコテレビがスポーツ専門チャンネルを開局してからは、見る機会が増えた。その結果、ある程度はルールなんかも、何となくわかるようになってきたのだが、わからないのはチェコテレビのアイスホッケー担当のアナウンサーと解説者の目のよさだ。猛烈なスピードで打ち出されたシュートが、いろんなところに当たってゴールに入った場合でも、スローの再生を見る前から、ほぼ正確に、どの経路、つまりは誰の何に当たってゴールしたのかを正確に言い当てるのである。アナウンサーが間違えた場合には、解説者が訂正してしまうのもすごい。スローでの再生を見てその説明が正しかったかどうか答え合わせをするのだが、大抵は正解なのである。こっちはスローで見てもよくわからないことがあるというのに。

 プラハで世界選手権が行われたときには、試合後のインタビューを担当した元ホッケー選手の解説者が、スウェーデンの選手に流暢なスウェーデン語でインタビューを始めるのを見て、いい意味で開いた口がふさがらなかった。その解説者は現役時代にスウェーデンリーグでプレーしていたということなのだけれども、英語が世界言語として幅をきかせ始めた現代社会で、安易に英語に頼りきりにならずに、さまざまな言葉を使って中継をする姿勢は素晴らしい。
 だからというわけでもないが、チェコテレビのアイスホッケーの中継は、世界でも最高のレベルにある。代表チームが強くて人気のあるスポーツだから、こうなのか、こうだから代表チームが強いのかはわからないけれども、このレベルに到達するまでには先人達のたゆまぬ努力があったはずだ。

 さて、ロシアで開催されていたアイスホッケーの世界選手権が、カナダの優勝で閉幕した。今回はチェコ代表が調子がよかったので、最初のグループリーグが終わるぐらいから、チェコ優勝の文章が書けるのではないかと思いつつ、構想を練っていたのだが、準々決勝でアメリカに、審判の誤審のせいで負けてしまって、構想倒れになってしまった。審判が微妙なオフサイドを見逃したせいで、同点に追いつかれて、延長戦の後のサッカーのPK戦みたいなのの末に負けてしまったらしい。近年世界選手権やオリンピックで不甲斐ない戦いを繰り返してきたチェコ代表が、久しぶりにいい感じだっただけに残念ではある。
 アイスホッケーの世界選手権は、毎年五月に、北米のNHLのプレーオフもたけなわの時期に行われている。そのため、プレーオフで勝ち進んでいるチームの選手は出場できないし、NHLのオーナーの意向で出場が許可されないこともある。だからといって世界選手権の価値が落ちるわけでもない。何年かに一回はアメリカでワールドカップなんて大会を開いたりもするけど、アメリカとヨーロッパではリンクの広さも含めて、ルールが結構違うらしいし、オリンピックも含めて、すべて同じように価値のある大会だということでよさそうだ。

 十年ほど前までは、世界選手権にはアジア枠というのがあって、その枠で日本がほとんど毎年出場していたのだが、廃止されて以来、日本代表の姿を見ることはなくなってしまった。今後も厳しいだろうなあ。
5月23日23時30分。


2016年05月24日

氷の男たち(五月廿一日)



 四月になって気温が上がり、本格的な春が来たと思って喜んでいたら、突然寒さがぶり返して、最低気温が気温が氷点下に下がる日が数日続いた。そのとき「氷の男たち」と呼ばれる時期はこのあたりだったのかと思ったのだが、「氷の男たち」は四月ではなくて五月だった。

 チェコのカレンダーを見たことがある人は、それぞれの日に名前が書いてあることに気づいているだろう。特別な祝日など、名前の書かれていない日もあるけど、キリスト教の聖人の名前が並んでおり、チェコの人が、子供に名前をつけるときには、原則としてこのカレンダーにある名前の中から選ぶ。だから名前の由来になった聖人の日は、チェコ人にとって、もう一つの誕生日のような意味を持つ。「名前の日」なんて言われることもあるのかな。
 もちろん誕生日ほどのお祝いをするわけではないようだが、街中を歩いていると、花屋などの店先に、カレンダーの今日の名前が大きく書かれているのは、知り合いにその名前の人がいたら、プレゼントを買うようにということなのだろう。あれ、でも師匠は、誕生日とか名前の日のお祝いは、前日にするものだといっていたような気もする。そうすると、お店の入り口の看板に書いてあるのは、今日じゃなくて、明日かもしれない。

 カレンダーに並んでいる名前には、ヤンやマルティンなどのチェコ人によくある名前ももちろん多いが、一度も聴いたことのないような、うちのの言葉を借りれば、古めかしい名前も並んでいる。チェコ人の名前に関しては、一昔前は、アメリカの映画やテレビドラマ、場合によっては南米のテレノベラといわれるドラマの登場人物の名前から、カレンダーにない名前を選ぶ親が増えていたらしいが、最近はまた伝統的なチェコの名前を選ぶ親が増えているらしい。親の心理として子供には特別な名前を与えたいというのもあるはずだから、今後は古い半ば忘れられた名前の復権もありうるのではないかと期待している。

 チェコのカレンダーに、パンクラーツ、セルバーツ、ボニファーツという三人の男の名前が並んでいるのが五月十二、十三、十四の三日間である。この時期にその年最後の寒波が襲ってくることが多いことから、この三人のことを「氷の男たち」と言うようになったらしい。今年も、五月に気温が気温が急激に下がり、南モラビアのワイン農家の育てているブドウに大きな被害が出たのだが、それがちょうど「氷の男たち」の日か、その次の日だった。長年の経験に基づいた天気の予測というのも侮れないものである。
 この時期の変わりやすい天気のことを、チェコ語で「アプリロベー・ポチャシー」という。アプリルは英語のエイプリルから来ているのだろうから、「四月の天気」というところか。いや、五月の天気に四月というのも変なことを考えると「エイプリルフールみたいな天気」と訳すのがいいかも知れない。気温の変化と突然の雨に騙されたような気分になることも多いし。

 カレンダーに載せられた名前に関する天気の予測にかんしては、「聖マルティンは白い馬に乗ってやってくる」というのがある。最近フランスのボジョレヌーボーを真似て、聖マルティンのワインという新酒のワインの発売が解禁されるようになった聖マルティンの日、つまり十一月十一日には、毎年のように雪が降るということを示しているらしい。
 氷の男たちにしても、聖マルティンにしても、いわゆる民間伝承、俗信の類なので、当たることもあれば外れることもあるだろうから、どのぐらいの確率で当たるのか統計があるといいのにと思ってしまう。
5月23日9時



 またまた気取った文章を書こうとして沈没。うーん、分量的にはこれくらいでまとまるのが理想なのだけど、構成のほうが……。5月23日追記。
タグ: 言伝え 名前
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2016年05月23日

学校教育の思い出(五月廿日)



 以前は、文部省が定める指導要綱なんてものがあるのだから、日本中の学校で同じような教育が行われていて、差が有るとすれば、それは地域差ではなく、年代の違いだと思っていた。それが、最近、何人かの人と、話しているうちに、小学校から高校までの教育にも地域差というものが意外と大きいのではないかと気づいてしまった。考えてみれば、県単位で教育委員会があって、それぞれ独立して活動しているのだから、当然なのかもしれない。

 先日も、お酒を飲んでいたら中学校時代の話になり、毎年新学年が始まると体力測定が行われていたというところまでは話が一致したのだが、一緒に飲んでいた人の口から出てきた「シャトルラン」という言葉には思い当たるものがなかった。二十メートルのダッシュを少しずつスピードを上げながら繰り返して行って、どこまで耐えられるかで持久力をはかるというものらしい。我々のころは、持久力といえば、1500メートル走だったのだが、それだと距離が長すぎて手を抜く生徒が出てくるのに対する対策として導入されたのではないかと言っていた。うちの中学では、手を抜いて走ったら大学の附属中学みたいに3000メートル走らせるぞと脅すのが、手抜き対策だったのだけど。
 こちらよりもはるかに若い人だったので、世代の違いだろうと思っていたら、もう一人の人が、大学の教員養成課程で知ったけど、自分自身は中学時代に、シャトルランなんかしなかったと言い出した。二人とも同じぐらいの年齢だけれども、シャトルランを実際に体験した人は、東京近辺の出身で、もう一人の人は地方の出身だった。

 最近知った「ワープリレー」という目を疑うような競技も、東京の学校で発明されて導入されたという話だけど、それが全国各地に波及したかどうかは確認していないし。いや、地域限定のものであってほしいと切に願う。文部省がゆとり教育というものに血道をあげていた時代のあだ花だろうから、すでに廃止されているかもしれないのだけど。
 80年代に週五日制の導入の呼び水として導入されたゆとり教育が、円周率が「3」になってしまうとか、運動会の徒競走で手をつないで皆一緒にゴールするなど、いつの間にかいびつな展開を見せているのは小耳に挟んではいた。全体的に、競争というものを、子供たちへの負担だと考えて、教育の世界から排除しようとしているように見えた。自由競争というものを金科玉条とする市場経済を是としている日本社会で、競争を教育から排除してしまうのは、どうなのだろう。ただでさえ横並び好きだといわれている日本人なのに。
 それに、学校という温室の中で、管理された競争を体験しておくのは、人生において必要なことではなかろうか。学校でもほとんど競争を体験しないまま、いきなり社会の荒波の中に放り込まれてしまうのはかわいそうな気がする。かりに運動が苦手なら、別の自分の得意なことで実力を発揮すればいいと思うのだけど。誰にだって何か一つぐらいは、他人に負けたくないことがあるだろうし。温室の中で過保護にしてしまったのでは、たくましい大人にはなれそうもない。
 自分自身のことを思い返してみると、中学高校で競争の結果というものは、相対的なものでしかなく、自分が努力したからといって、必ず結果が出るものではないということに気づき、結果にそれほど拘泥しなくなったのは、いいことだったのか、よくないことだったのか。試験前の試験勉強などはほとんどせずに、試験の後に勉強するという変な奴だったからなあ。自分の苦手なポイントをつぶすという意味で、その勉強の仕方が間違っていたとは思わないが、今にして、やはりひねくれ者だったのだと思う。

 話を元に戻そう。その田舎出身の人とは、たまたま小学校に通った県が近かったせいか、小学校時代の思い出が共通していた。冬でも原則として半ズボンで、長ズボンをはくときには、親が連絡をしなければいけなかったとか、体育の時間は原則として裸足だったとか。小学校の体操着には長袖のジャージはなかったので、真冬でも短パンと半袖で裸足でグラウンドを走り回っていたのだ。そして冬場の恒例といえば縄跳びで、失敗して縄が足にピシッと当たったときの痛みは、今思い出しても涙が出そうになる。裸足のほうが健康にいいとか、そういう理由だったのだろうか。健康のために、乾布摩擦の時間とか目の体操とかいうのもあったなあ。あれもうちの地方限定かもしれない。

 高校時代に、体育が週に五回、つまり毎日あったと言ったら、田舎出身の人も驚いていた。でも東京近郊の人は、週一で、普通の体育とは別に柔道と剣道の授業があったと言っていたし、高校になると地域もあるだろうけど、学校ごとに特色が出てくるものなのかもしれない。
 体育の授業で水泳や陸上などをするときに、うちの高校では、早い人ほどたくさん泳いだり走ったりするようになっていたと言ったら、東京近辺の人の高校では反対に、タイムが悪いともう一度走らされることがあったという。水泳では、決められた距離を泳いだら、後は自由にしていてよかったとも言っていた。こっちは時間一杯、体力の限り泳がされて、ゲロ吐くこともあったというのに。先生は疲れきって体の力が抜けたときに、一番きれいなフォームで泳げるとか何とか言ってたけど、疲れれば疲れるほど、フォームが崩れてじたばたするような泳ぎになっていた記憶しかない。

 一緒に飲んだ二人が、体育大学関係の人だったので、体育の話題で終始したが、他の科目でも地域差というものがあるのかもしれない。さすがに算数なんかの理系科目では無理だろうけど、国語や社会などの文系科目の副読本とか、小学校の道徳なんかであれば、地域差があってもおかしくはなさそうである。
5月21日23時。



posted by olomoučan at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年05月22日

EURO2016チェコ代表(五月十九日)



 フランスで行われるサッカーのヨーロッパ選手権の代表候補二十八人が発表された(現時点ですでに三人減って二十五人になっている。三人はけが人が出たときの代替要員らしい)。今後オーストリアでの合宿と練習試合を経て、最終的な登録メンバー二十三人が決定されることになる。

 メンバーを眺めてみると、初めてチェコ代表を応援しながら見た2004年のヨーロッパ選手権に出ていた選手が三人もいる。キーパーのペトル・チェフとロシツキーは、すでに主力として活躍し、プラシルは期待の若手として一試合だけ先発で出場したんじゃなかったかな。
 ロシツキーはすでに2000年の大会に出場しているので、代表選手として十六年も活動を続けていることになる。ただし、2008年の大会には怪我で出場しておらず、チェフやプラシルと同じで四回目のヨーロッパ選手権である。プラシルは、ネドベド、ポボルスキーなどの最強世代が引退し、ロシツキーが怪我で欠場がちだった時期の代表を支えた功労者なのだが、プラシルが代表の中心となっていた時期の成績があまりよくなかったせいか、チェコでは過小評価されている嫌いがある。
 当時の代表選手は、すでにほとんど引退してしまっているが、チェコリーグのヤブロネツで頑張っているヒュプシュマン、ムラダー・ボレスラフで復活を目指すバロシュなど、少ないながらも現役を続けている選手もいるようだ。オロモウツ出身のDFロゼフナルも、出場しているかどうかは情報がないけど、ベルギーリーグにいるみたいだし。でも、こうして思い返して見ると当時のチェコ代表ってのは、長期にわたって代表で活躍した選手が多いという意味で、やはり特別だったのだなあ。

 次に特筆すべきグループは、2012年のロンドンオリンピック出場を目指して、2011年のU21ヨーロッパ選手権に出場した選手たちである。ドバリル監督に率いられて不思議なほど負けなかったこのチームは、本大会では準決勝で敗退し、オリンピック参加をかけた試合にも負けてしまったのだが、多くの選手が、その後A代表に呼ばれたという意味では、非常に成功したチームだったと言える。ただ、その後の成長が期待されたほどではないのが残念である。当時はしょうもない試合を続けていたA代表と試合したらU21が勝つんじゃないかというぐらいだったんだけどなあ。
 まずは、チームの守護神だったトマーシュ・バツリーク。このゴールキーパーは、チェフほど体格に恵まれているわけではないが、チェコでも二部のチームや下位のチームでプレーすることが多かったおかげか、劣勢の中でも冷静さを失わずに危うい守備陣を支えて失点は少なかった。
 DFからは、スラビアがチェコリーグで優勝してチャンピオンズリーグに出場したときの主力マレク・スヒーだけがA代表に定着できた。バツリークと同じスイスのチームで活躍しているので、バツリークが出るときには、スヒーも出るんじゃないかな。MFとしては、一度国外に挑戦してチェコに戻ってきたドチカルとマレチェク。本来はここにオロモウツ出身のホジャバにいてほしかったのだが、伸び悩んでいるからなあ。
 FWのトマーシュ・ネツィットは、U21の本戦は怪我で欠場していたかもしれないが、予選でペクハルト、コザークと共に、コレルの縮小版電信柱系FWとして活躍したのだった。この三人の中では、ペクハルトが一番若いころから期待されドイツに移籍したのに大成せず、コザークは活躍すると怪我に泣かされるという不運な選手生活を送っている。ネツィットも以前の大怪我から復帰したのだが、怪我前のプレーレベルには戻っていないように見える。
 このグループの中で、一番主力選手として出場しそうなのは、ロシツキーの状態次第なところはあるけど、今回の予選でも大活躍だったドチカルかなあ。バツリークはチェフが怪我でもしない限り控えだろうし、ネツィットはブルバ監督の選ぶ戦術次第かな。

 そして、昨年チェコで行われたU21のヨーロッパ選手権に出場した伸び盛りの選手たちがいる。筆頭は、SBのパベル・カデジャーベクだろう。本来は前目の選手だったのだがコンバートされてから一気に才能が開花して、今ではドイツで活躍している。同じくドイツにいるベテランのゲブレセラシエとどちらを使うかは監督も悩むことだろう。このどちらかが怪我したら、スパルタのザフステルが招集されることになりそうである。
 二番目はちょっと調子に波がありすぎるスパルタのラディスラフ・クレイチー。好調だったらレギュラー間違いなしだけど、調子を落としたら同じスパルタのシュラルにポジションを取られそうである。この二人のどちらかが怪我をした場合に備えて予備メンバーとしては、2011年のU21メンバーのコバジークが控えている。
 三番目のイジー・スカラークは、冬の移籍期間にイングランドの二部に移籍して、最近活躍を始めたようであるが、移籍したばかりの頃の代表選で見たときには、プレーが荒っぽくなっていて、心配だった。ブルバ監督が招集したということはその辺も解消されたということなのだろう。
 最後のコウベクは、三人目のキーパーということで、経験を積ませるために連れていくということになりそう。チェフとバツリークがいれば問題はないポジションだし。本当はこのグループの中心には、バーツラフ・カドレツがいるはずだったんだけど、ドイツ移籍後に出場機会を失って、現在デンマークでリハビリ中である。

 最初のグループと二つ目のグループの間に、三十歳前後のベテラン選手が、たくさん呼ばれていて、特にDFでは、トマーシュ・シボクとミハル・カドレツの二人はCBの第一候補で、控えにオロモウツ育ちのロマン・フブニークがいる。SBには、リンベルスキーと控えのダニエル・プディル、反対側で若いカデジャーベクとポジションを争うゲブレセラシエという具合に、DF陣は経験を重視してベテラン優先の選出をしたようだ。できれば、CB枠で若いバラーネクかブラベツを呼んで経験を積ませてほしかったところだけど。
 MFにはこのベテラン枠での選出がおらず、FWは、恐らくネツィットと先発を争うだろうチェコリーグ得点王のダビット・ラファタと、遅咲きでアンダー世代の代表経験もなく最近招集され始めたスラビアのミラン・シュコダ。シュコダは、なかなか才能を発揮できなかった選手で、スラビアでは一時期DFで出場させられていたこともある。その後、FWに戻ってゴールを量産し始めたから、DFの経験は無駄ではなかったようである。

 二つ目と三つ目のグループの間の二十五歳前後の比較的若手選手としては、何と言ってもダリダである。2012年のヨーロッパ選手権で、怪我のロシツキーに代わって鮮烈なデビューを果たしたダリダは、今大会でも、活躍してもらわないと困る選手である。これまでは、招集されいてもいなくても常に代表の中心にロシツキーがいたが、今後はダリダのチームに、世代交代することになりそうだ。間の世代がパッとしなかったので、間隔が空いてしまったけど。
 ヨゼフ・シュラルとダビット・パベルカはどちらもリベレツでの活躍が代表選出につながった。シュラルはクレイチー、パベルカはダリダ、プラシルあたりが怪我をした場合に出番がきそう。二人とも出場したら何かやらかしてくれそうな、期待感のある選手なので、ブルバ監督が上手に使ってくれることを期待しよう。

 最後に完全若手枠で、現U21代表FWのパトリック・シクが選ばれた。アヤックスにいるバーツラフ・チェルニーも候補に挙がったらしいけれども、トップチームでの出場機会が少ないことが嫌われ、チェコリーグ下位とはいえボヘミアンズでレギュラーとして活躍しているシクが優先されたらしい。今後の経験のために、最終的に代表から外れることになっても、チームに帯同させてほしいところだ。

 こうしてみると、超ベテランから若手までなかなかバラエティにあふれた選手たちで、ちょっとDFがベテランばかりなのが気になるけれども、前回の2012年よりも期待が持てそうな気がする。2006年のワールドカップと2008年のヨーロッパ選手権は、期待は大きかった分だけ落胆することになったが、今回はどうなるだろうか。
 忘れていたけれども、この二十五人の中から最終的には二人落選することになるのか。減らすとすればFWからな。
5月20日18時30分。



 ビドラは二大会連続で直前で代表落ちということになったらしい。同じくイングランドの二部に在籍しているプディルも同じような目にあっていたはずだから、やっぱりイングランドは鬼門なのかな。5月21日追記。
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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