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2016年11月30日

安倍総理大臣の日本語(十一月廿七日)



 ときどき、古典文学作品のテキストファイルを求めて利用することのある「やたがらすナビ」というサイトの「ブログの最新記事」と言うところに、「冥福・半紙」というタイトルの記事が上がっていたので、組み合わせの奇妙さについクリックしてみたところ、「冥福」は安倍首相の使った変な日本語で、「半紙」のほうは、書道用紙の変な製品名のことだった。
 安倍首相は、キューバの革命家カストロ氏の死を受けて「キューバ革命後の卓越した指導者であるフィデル・カストロ前議長の逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。本年9月に、私がキューバを訪問しお会いした際には、世界情勢について情熱を込めて語られる姿が印象的でした。日本政府を代表して、キューバ共和国政府および同国国民、ならびに御遺族の皆様に対し、ご冥福をお祈りします」という発言をしたらしい。ソースはNHKだから、省略などの改竄は入っていないものと考えてよかろう。

 上記の「やた管ブログ」では、「ご冥福をお祈りする」相手が違うだろうと指摘している。全くその通りで、これが日本語のままキューバに届くとも思えないが、翻訳する人も、その人が日本語の冥福の使い方をちゃんと知っていたら、面食らうに違いない。「カストロ氏の冥福を祈る」だったらいいのだけど。しかし、こういう首相の発言って事前にチェックが入るものじゃないのだろうか。
 それに、この冥福は本来仏教用語のはずだから、宗教を捨てたはずの共産主義者カストロ氏が、こんな言葉を贈られて喜ぶのかね。晩年にはローマ法王と面会して感激の言葉を漏らしていたような記憶もあるから、キリスト教に転んだのかな。
 個人的には、死を悼む決まり文句として、特に抵抗はないのだけど、以前、政教分離にうるさい人の書いた日本人の宗教観についての本を読んでいたら、テレビのニュースで「死者のご冥福をお祈りする」という表現が頻出するのにもクレームをつけていたから、今回も誰かがいちゃもんをつけるかもしれない。それはちょっと楽しみである。

 それ以前に、冒頭の「キューバ革命後の卓越した指導者」というのは、政治的に問題はないのだろうか。カストロ氏は、「革命後」ではなく、「キューバ革命の指導者」じゃないのか。それとも、この部分には、キューバ革命の指導者は、カストロではなくてゲバラだという首相の主張が隠れているのだろうか。いや、哀悼の意を表現すべきところで、外交問題になりかねないことは言わないだろうから、勘違いなのか、何なのか。

 安倍首相の発言には、少し注意すれば、事前に原稿のチェックをする人がいれば、ありえないような間違いが散見される。以前、聞いた演説では、補助動詞の「いただく」と「くださる」を間違えて使っていた。「選挙民の皆様が支援していただいた」だったか、「選挙民の皆様に支援してくださった」だったか、正確には覚えていないが、演説の間に何度も繰り返していた。一回目を聞いたときには聞き間違いだろうと思ったのだけど、どうもこれが正しいと思って使っているようだった。
 首相の演説なんだから、本人が全てを書くわけではなく、下原稿を書く人がいたり、首相の意向をまとめて原稿化したりする人がいるものではないのだろうか。そういう人は、日本語に堪能であるはずだから、このような不適切な言葉の使い方はせず、首相が使ってしまった場合には、指摘して改めさせるのが仕事じゃないのか。

 それとも、方言なのだろうか。方言なら許せるのだけど、安倍首相の方言というと山口方言ということになるのかな。山口方言といえば、昔知人から、「おはようございました」という人がいるという話を聞いたことがあるけれども、安倍首相も使うのだとすれば、聞いてみたい気はする。
 とまれ、日本を代表すべき首相の日本語がどこか怪しいというのは残念である。これは首相個人の責任というよりは、支えるべき周囲の問題なのだろう。つい政治家の言葉はどこか信用できないと思ってしまうのも、日本語の怪しさゆえなのかもしれない。

 チェコの政治家のチェコ語についてもコメントしたかったのだが、シュバルツェンベルク氏の言葉がわかりにくい以上のことは、こちらのチェコ語能力の問題で言えそうにない。
11月28日18時。


posted by olomoučan at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2016年11月29日

ハンドボール最優秀選手(十一月廿六日)



 西ボヘミアのヘプは、ワレンシュタイン将軍が暗殺された町として知られているが、チェコのハンドボール界に於いて重要な町でもある。この町のチームは、最高でも女子のチェコリーグ二部、スロバキアとの共同のリーグを一部とすれば、実質三部のチームなのだが、かつては、サッカーと同じで強豪だったのかもしれない。毎年、ヘプ市の名前を冠した国際大会が行なわれている。

 開催時期は年によって違うようだが、女子のチェコ代表チームの強化試合として行なわれている。外国の代表チームを三チーム招待して全四チーム、三日間で総当りのリーグ戦をやって順位を決めるというのが基本的なフォーマットである。四十三回目の開催となる今年は、十二月にスウェーデンで行なわれるヨーロッパ選手権に向けた準備の一環として、オーストリア、セルビア、そしてノルウェー代表のBチームを招待して行なわれた。
 チェコ代表は、木曜日にオーストリアに一点差で勝ち、金曜日にセルビアに二点差で逆転負けし、土曜日の最終戦でノルウェーBに追いつかれて引き分けに終わった。その結果得失点差でセルビアに次ぐ二位ということになった。土曜日の試合だけはチェコテレビで放送されていたので、久しぶりに女子代表の試合を見たのだが、顔と名前の一致する選手がほとんどいなかった。

 ちゃんと覚えているのは、ここ数年、攻撃の中心となっているルズモバー、サイドの昔スラビアにいたような記憶のあるクネドリーコバーぐらいである。クネドリーコバーは名字の覚えやすさがありがたい。それからオロモウツの博物館でハンドボール関係の展示があったときにオロモウツのハンドボールを語る際に欠かせない名前として取り上げられていたサルチャーコバーもいたか。
 若手を中心に顔には見おぼえがあっても、名前までは覚えていない選手が多かった。男子の代表の試合は放送されることが多いけど、最近女子の試合を見ていないからかもしれない。いや、女性の場合には名字の終わりにオバーが付く分、覚えにくいのだ。少し前まで、代表の常連だった三人の選手がいないことにあれっと思ったけれども、その名前も思い出せないし。

 この大会の期間中に、チェコのハンドボールの年間最優秀選手の発表と表彰が行なわれた。試合会場でではなくて、夜ヘプの文化会館(とやくしておく)で関係者を集めて、最優秀選手以外にも行くかの賞に選ばれた人が表彰を受けていた。
 女子の側で最優秀選手に選ばれたのは、ハンガリーのチームに移籍して、ハンドボール版のチャンピオンズリーグでも活躍しているらしいクネドリーコバー選手で、これが初めての受賞だという。ハンドボール版のチャンピオンズリーグ、それも女子となると、ほとんど情報が入ってこないから、どこまで活躍したのかはわからない。国外リーグの情報なんて、男子のものでも入ってこないからなあ。この点ではサッカーが異常なのだ。

 男子の最優秀選手は、ここ何年もイーハが取り続けていた賞らしいのだが、昨年のスペイン移籍以来故障が相次いで、クラブでも代表でもあまり試合に出られておらず、久しぶりにイーハ以外の受賞者が出るのは確実だった。昔、まだイーハがドイツに行く前に、オロモウツ出身でフランスで活躍していたユジーチェクが受賞したのが新聞の地方欄に載っていたのを覚えている。
 今年、初めて年間最優秀選手に選ばれたのはゴールキーパーのペトル・シュトフルだった。代表での貢献はもちろんのこと、ドイツのベルリンのチームのキャプテンとして活躍し、カタールで行なわれたクラブ世界選手権での二連覇に貢献したことが評価されたようだ。このクラブ世界選手権は、ちょっと調べたら、スーパーグローブという名前で、2010年からは毎年カタールのドーハに、各大陸のチャンピオンズリーグの優勝チームなど計8チームを集めて開催されているようだ。
 シュトフルのフクセ・ベルリンは、昨年の大会でシュトフルの大活躍もあって優勝し、今年も、こちらはシュトフル自身は、代表の試合も欠場することがあったぐらいなので、それほど活躍したわけではないが、優勝に貢献したようだ。優勝チームは翌年も出場できるのかな。これによって、シュトフルは、この大会に関してはイーハを超えたと言えるのだ。イーハのいたキールは一回しか優勝していないし。

 実は、投票で獲得したポイントは、スイスのザンクトガレンのズドラーハラと同じだったのだが、一位票の数でシュトフルが最優秀選手になったという次第らしい。ザンクトガレンのハンドボールチームはチェコ人が活躍してきたチームなので、応援したいのだけど、情報が入ってこないのは、他の国の場合と同じである。積極的に探せばいいのだけど、そこまでする気にもなれない。
 とまれ、最優秀選手を争ったシュトフルもズドラーハラも、新しいシーズンが始まってからは、少なくとも代表ではほとんど活躍できていない。イーハも、この二人もあまり戦力になっていない状態で、アイスランドと接戦を演じ、マケドニアに大勝できるようになったのは、チェコのハンドボールの選手層が確実に底上げされてきてる証拠である。このまま、このまま進んでいってほしい。

 ただ、女子の代表チームに関しては、見る機会か少なくて、監督のバシュニーが頑張っていいチームを作っているぐらいのことしかわからない。毎日チェックするチェコのスポーツ新聞のネット上の記事にも、ハンドボール女子代表についての記事はほとんどないし。
11月27日14時。



2016年11月28日

似非文語文(十一月廿五日)

 今日のは、いつも以上に読まなくてもいいと思う。うん。

 昨日書きし文章は、ただ仮名遣ひを変へたるに過ぎぬ。而るに大きなる時間と労力を用せり。ために費しし時間に比し短かりて内容も又た空疎なる物にて了んぬ。今日は文語にて書くを試してみむとす。然れど一度覚えたりし言葉の已に忘れしも多く、筆の進まぬこと昨日より甚だし。
 思ふに、丸谷才一翁の云はれし如く、我が国の学校教育に於ける文語の軽視は目に余る。英語なる外つ国の言葉など学びおる暇のあらば、古典学ぶべしとは云はねど、江戸の寺子屋が如く素読の繰り返しによりて、文語に慣るるは可能ならん。其れに際し江戸期の文章を選ぶべからざるは云ふを俟たぬ。
 なれど、親の文語読む能はざれば、子の読む能ふは難からむ。若くは師たるべきを学び舎に欠き、誰か教へむを惑ひけむ。国語なる教師の古文、漢文読みて躊躇はざる極めて希なり。如何にして童らを教へえむ。

 ここまでで限界。
 ここまででもかなり怪しい文語文であるけれども、これ以上書くとさらにぐちゃぐちゃになりそうである。現代日本語を歴史的仮名遣いで表記するのは、コンピューター上で書くのを除けば、それほど困難ではないが、文語で書くのは、三分の一ページしか書いていないが、かなり辛かった。

 問題の一つは、文語と言いつつ、普通に書いていると平安期の和文のようにはならず、漢文訓読に近い硬いものになっ
てしまうことだ。漢文訓読風の文体であれば、普段書いているものと大差ない。差はあるけれども、かしこまって偉そうという点では大差はない。これでは当初の目論見に反する。
 それを避けるために、訓読に使わないような助詞を使ったり、接続詞や副詞を加えようとするのだけど、とっさに使える語彙が圧倒的に少ない。そのため、時間のわりに全くと言っていいほどかけなかった。普段から古文では読みも書きもしていないのだから当然といえば当然である。ただ、もう少しましなことが書けると思っていただけに、残念である。訓読だけではなく、平安期の和文も読む訓練をし直すべきかなあ。
 二日続けてしょうもない文章になってしまった。でも、日本の学校教育において古文漢文が軽視されているのを危惧しているのは事実である。読書百遍意おのづから通ずというのは、基本も知らない外国語の場合には通じなくても、古文漢文の場合には通じるところがある。もともと同じ日本語なんだし、現在の下手をすれば外国語よりも難しいと敬遠されている状態は間違っているような気がする。

 南北に長い日本にはさまざまな方言があり、中には一度聞いただけではさっぱり理解できないものもある。それでも何度も聞いているうちに少しずつ理解できるようになる。個人的には体験はないけど、できるようにならなかったら、全国をまたにかけて転勤する人たちは大変である。大阪方言が何となくわかるのも、テレビで頻繁に聞こえてくるからに他ならないのだし。
 ということは、古文の難しさを喧伝するのではなくて、方言の一種、時間的な方言だと捉えて、最初は習うより慣れよで、意味はわからなくても声を出して読んだり、人が読むのを聞いてたりするだけでいいんじゃなかろうか。自分もそうしていたらもう少し古文が読めたかもしれないと思う。蒙昧だったガキのころは、未知の言葉である英語に無意味な憧れを抱いて、古文なんて過去の遺物に目を向ける気はなかったのだから、今の子供たちも同じか。

 かくて目的の果されぬままに了りぬ。
11月26日23時。



posted by olomoučan at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2016年11月27日

歴史的仮名遣ひ(十一月廿四日)



 牧水の短歌の表記を確認するついでに、「歴史的仮名遣い」で検索をかけてみたら、歴史的仮名遣ひを使用する人たちと、それを嫌ふ人たちの罵り合ひが目に入つてきた。個人的には歴史的仮名遣ひは好きなので、使ふなといふ意見には賛成しかねるのだが、わざわざコンピューター上で歴史的仮名遣ひを使ふ人たちにも、酔狂なといふ思ひを感ずるのを禁じえない。

 歴史的仮名遣ひで書かれたものを読むのは、高校大学で古文を学んだこともあつて、問題は全くない。読み始めはちよつと戸惑ふことはあるが、一度読み始めればすぐに現代仮名遣いと同じやうによめるやうになる。我が愛読の内田百閧フ最高傑作『ノラや』も、全編歴史的仮名遣ひで書かれてゐたが特に読むのに苦労した記憶はない。苦労したのは涙を抑えることであった。
 そもそも漢文の訓読自体が文語、つまりは歴史的仮名遣ひを使ふものであるから、漢文の訓読をやつてゐる人間が、読む段階で苦労してゐたのでは、話にならぬのである。問題は反対、書く場合である。

 丸谷才一氏は、歴史的仮名遣ひで書くことで知られた作家だが、氏の意見では歴史的仮名遣ひの方が、動詞の活用などに一貫性が出てくるため、現代仮名遣ひよりもはるかに日本語を表記するには向ひてゐるといふ。その意見に反対する気はない。
 現代仮名遣ひで、「かった」「こうた」と書くと別物に見える動詞「買う」の過去形の関東方言と関西方言も、歴史的仮名遣ひで「かつた」「かうた」と書くと途端に関連性が見えてきて、本来発音の問題ではなく表記の問題であつたであらうことが理解されるはづである。神戸と書いて「かうべ」「かんべ」と読むのも同様である。

 しかし、コンピューター上で歴史的仮名遣ひを使ふのは、今もやめればよかつたと思ふ位に厄介である。いはゆるIMEが歴史的仮名遣ひに対応してゐないため、歴史的仮名遣ひの部分は一々訂正していく必要があるのである。常に歴史的仮名遣ひを使用するといふのであれば、辞書に登録するといふ手もあらうが、膨大な手間がかかる点は同様である。
 それを避けやうと思へば、現代仮名遣ひで書くときよりも漢字の割合を増やし、送り仮名を原則よりも省略することになる。その結果出来上がるのは読みづらい文章である。百關謳カのやうに面白い文章が書けるのであれば、多少の読みづらさは気にならないのだが、我が文章でそれをやるとただでさへ少ない読者をさらに減らしてしまふことになる。

 それから、歴史的仮名遣ひで文章を書くとなれば、漢字も常用漢字に収録されてゐるやうな新字体ではなく、旧字体を使ふのがある意味当然であらう。しかし、ワープロソフト上で旧字体を使用するのに手間がかかる場合も多い。その点、かつて使つてゐたシャープのワープロ書院はよかつた。カーソルを当てた漢字をキーを一つ押すだけで、新字から旧字、旧字から新字に変える機能がついてゐたのだ。ワープロソフトで再現してくれないかと思ふのだが、需要がないのかな。
 そんな書院でも歴史的仮名遣ひに関しては、辞書にちまちまと登録していくしかなかつた。だから、現在ネット上で、いはゆる旧字旧仮名で文章を書いてゐる人々には、今後とも頑張つてほしいと思ふ。このやうな人々が増えれば、いつの日にか、歴史的仮名遣ひに対応した漢字変換ソフトが登場するかもしれない。歴史的仮名遣ひしか使へないのであれば、不要であるが、現代仮名遣ひも歴史的仮名遣ひも両方とも使へるのであれば、是非もなく手に入れたいと思ふ。

 今回例外的に、歴史的仮名遣ひを使つて見たが、やはり書きづらいものがある。書いてゐる間、しばしば自分が何を書いてゐるのか、わからなくなることがあり、その点はいつもと変はらないと言へなくもないけれども、調子が乗らない。次は漢文訓読風に古文で文章を書いて見やうか。
11月25日23時30分。


 旧字まで使ふ気力はなかつた。11月26日追記。
 「歴史的仮名遣ひ」を「現代仮名遣ひ」と誤っていた部分を修正。11月27日追記。

posted by olomoučan at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2016年11月26日

酒はしづかに(十一月廿三日)



 十月の後半から、よその町に住んでいる知り合いがオロモウツにやってくることが重なり、そうなると当然飲みに行くので、ここ一ヶ月ほどで五回という近年ではありえないペースでお酒を飲んでいる。昔は、チェコ語を勉強していたころは毎日のように飲み歩いていたし、酒量も多かったのだけど、医者に高血圧だと言われて薬を飲むようになって以来、回数も量も一気に減ってしまった。
 最近は知人がオロモウツに出てきたときぐらいしか飲みに行かないので、飲みに行く回数が少ないのは、友人知人が少ないということか。いや、オロモウツに来る友人が少ないということにしておこう。だからこそせっかく来てくれた場合には、一緒に飲みたいという気になるのだから。

 そういうお酒は、非常に楽しく、気の合う人と一緒に飲むお酒ほど美味しいものはないという話を思い知らせてくれる。「古詩十九首」あたりに、「楽しきは知己と共に飲むより楽しきはなし」とかなかったかな。ごろが悪いから、無理かなあ。(調べたら「楚辞」に「悲しきは生ながら別離するより悲しきはなく、楽しきは新たに相知るより楽しきはなし」とあった。となると酒好きの李白あたりが似たようなことを言っていないかな)
 それはともかく、楽しきお酒を飲んでいるとついつい二杯目に手が伸びてしまって、現時点では限界の三杯目を飲んでしまうことになる。普段は翌日に響くからと、一杯でやめるようにしているのだけど、楽しく大きな声で話していると喉が渇くのか、お酒が進んでしまう。今の楽しさと、次の日の苦しさを天秤にかけて、その瞬間の楽しさを選ぶのだ。ささいなことではあるけれども、大げさに言えば、その瞬間だけは刹那主義に生きているということになる。

 そんな中、ふとこれでいいのかと懐疑の念が頭をよぎることがある。何かを忘れているような、何か大切なことを忘れているような気がしてふと立ち止まる。
 
  白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

 人口に膾炙した牧水の短歌であるが、末尾の句が「べかりけり」となっていることが多いかもしれない。

 昔、まだ馬鹿みたいにお酒を飲んでいたころ、この短歌が似合うような爺さんになりたいと思っていた。それで、自宅で一人静かにお酒を飲んだりしていたのだけど、日に日に酒量が増えていくことに気づいて、このままではだめだと、自宅で飲むのはやめたのだった。それがもう二十年以上前の話である。
 チェコに来てからチェコ語の勉強をしていたころには、一人で飲み屋に出かけてビールを飲むことは多かったけれども、それは勉強のためであって、一人静かにお酒を味わうというイメージではなかった。チェコ語の勉強をやめてからは、一人で飲みに出かける機会なんか減ってしまったし、もう十年以上一人で飲み屋に入っていないのか。時間がたつのは早いものだ。
 そして、今では、いや今でも大勢でわいわい楽しく飲む酒はおいしいと思ってしまうので、牧水の境地にはほど遠い。そもそもチェコの主食である「液体のパン」、つまりビール自体がこの歌には似合わない。辛口の日本酒とか、牧水の故郷の九州のお酒、焼酎あたりでないと、この歌を受け止めきれないような気がする。

 さて、今日も日本の方がオロモウツに来たので、チェコ人を何人か引き連れて飲み屋に出かけた。そこでビール片手に、日本人二人でチェコのビールは美味しいけど、日本のビールはまずいと言っていたら、一緒に飲んだチェコ人に、チェコでチェコの料理と一緒に飲む場合には、日本のビールはまずいかもしれないけど、日本で和食を食べるならチェコのビールより日本のビールのほうがおいしいはずだと反論されてしまった。なるほど、そう来たか。
 ビールそのもののおいしさしか考えずに、食事との組み合わせを無視していたというわけだ。我々、日本人二人、深く反省してしまった。日本のビールがおいしいと思える料理はぱっと思いつかなかったけれども、探す努力すらしていなかったのだから。

 ということは、チェコでは牧水の境地になれないなんて嘆かないで、牧水の歌をもとにチェコにふさわしい酒の歌を作ってしまえばいいのだ。なんてことを思いついてしまった。
 冒頭の「白玉の」は、一般には「歯」にかかる枕詞的な理解のされ方をしているようだが、この歌を何度も読んでいると、「秋の夜」にも、「酒」にもかかっているような、すべてにつながっているような印象を持ってしまう。
 くそ暑い夏が終わった秋の夜の涼しさを、「白玉のように歯にしみとほる」と理解するのであれば、夏があまり暑くなく、秋というものに存在感のないチェコの場合には、「白玉のように歯にしみとほる」ものは、冬、冬の寒さであろう。当然酒は適度に冷やされたビールで、「歯にしみとほる」ほどおいしいのである。「歯にしみとほる」ほど冷たいビールは飲みたくないのでこう解釈しておく。

 チェコのくそ寒い冬、飲み屋の暖かい部屋の中で、さらに暖かくなるようにみんなで楽しく話しながら、おいしいビールを飲む、これがチェコのビールの飲み方である。いや冬のビールの正しい飲みかたである。ということで、
 
  白玉の歯にしみとほる冬の麦酒みなでさわきて飲むべかりけれ  ほくすい(偽)

 うーん、うーん。無駄な文学趣味はあっても歌才はないのだと再確認する。えっ、本歌取りだって? いやいやそんな高尚な物なんかではなくて、こんなのはただの剽窃というのだよ。

 この文章、途中までは、結構うまく落とせるかと思いつつ書いていたのだけど、いつものように恥をさらして終わってしまった。23日の楽しいお酒の代償である。23日の深夜に酔っぱらった頭で書き始め、24日にアルコールの残った頭で書き終えきれず、25日の夕方にアルコールの抜けきれない頭で書き上げようとしている。たったの三杯しか飲んでいないのに、弱くなっちまったぜい。
11月25日17時。


2016年11月25日

大統領選挙雑感(十一月廿二日)



 政治システムの外側から登場した候補者が、現在の政治を信じることができない、既存の政治家や、政党に絶望した人たちの受け皿となり、予想外の支持を集めて、前任者の指名した後継候補を破って当選したという点で、今回のアメリカ大統領選挙は、1990年代半ばの東京都知事選挙に重なる。あのときは、参議院議員の経験はあったとはいえ、プロの政治家とはいえなかった青島幸男が、前知事が指名しいくつもの政党が相乗りで推薦した候補を破って当選したのだった。
 都庁に長年に亘って君臨し、やりたい放題だった前知事と、都議会議員、都の役人たちに対する反感は非常に強く、政党臭を感じさせない候補として青島幸男氏が選ばれたようなところがあった。腐り果てた都政をぶち壊しにしてくれるという期待があった。青島氏が政治的に無能であったとしても、無能さであれこれ引っ掻き回せば、あちこちにほころびが出て、少しは風通しがよくなるだろうと……。

 結局、青島氏は、たしか都市博とかいう前知事が引退の花道に用意した巨大イベントは中止したものの、それ以外では議会や、役人たちに取り込まれてしまって、都民が青島氏を知事に選んでよかったと思えるようなことはほとんどなかったはずだ。当初高かった支持率は低下していき、再選を目指す選挙には出馬しなかった。期待が大きかった分だけ、裏切られたたという気持ちも大きくなってしまったのだろう。
 同じような当選のしかたをした90年代の大阪府知事の横山ノック氏については、大阪に住んでいなかったこともあって、どんな府政の運営をしたのかとか、どんな辞め方をしたのかなんて全く印象に残っていない。青島氏の場合には、東京都民ではなかったけれども東京都内の大学に通い、都内で仕事をしていたため、情報が入ってきやすかったのだ。

 さて、そうなると、大統領に当選したトランプ氏の課題は、公約をどこまで実現して、ちょっと大げさに言うと政治に対する絶望の果てにトランプ氏に希望を見出した人たちの期待にどこまで応えられるかにある。当選後、選挙期間中の過激な発言はやめ、比較的穏当な発言をしているようだけれども、あまりに既存の政治家たち、政治的な正しさというものに気を使っていると、支持者離れが起こりかねない。
 そして、トランプ氏に投票した人たちの中には、今回期待を裏切られたら、二度と投票なんかしないという人たちもいそうだ。そうなるとこれが、アメリカの政治を変える最後の機会になる。最後ではなくても、今後数十年はこんな機会は出てこないのではないだろうか。だから、不満はありつつも現状維持を支持していた人たちも、トランプ氏に期待を寄せ始めた結果が、現時点では予想外の支持率の高さということになりそうだ。こういうのは、落ちるのも早いから、トランプ氏のお手並み拝見といこう。

 翻って熱心な支持者はいるものの、支持率を落としているチェコの大統領ゼマン氏の今後も気になる。本人や周囲は次の大統領選挙にも出馬して再選する意欲満々のようだが、もううんざりだと考えているチェコ人も多い。
 チェコでも既存政党や、現在の政治への不満は大きく、選挙のたびにその不満の受け皿となるような新しい政党が登場して票を集めて議席を獲得してきた。その最初が緑の党である。緑の党が選挙後与党として大臣などを輩出し能力のなさを露呈して支持を失うと、VV党(公共の福祉党?)が次の選挙で躍進を遂げた。VV党が、旧態政党の権化である市民民主党が仕込んでおいた(とVV党の党首は主張していた)スパイによって崩壊を遂げると、現財務大臣のバビシュ氏率いるANOが台頭した。
 以前のポッと出政党の失敗を見てきたおかげか、現時点ではANOに崩壊の兆しも、支持を失う兆しも見えない。既存の政党はポリュリズムの権化だとして批判しているが、既存政党がだらしなく、支持を集められないから、既存政党を見放した層がANOに向かっているだけだということを理解したくないのだろう。ANOが支持を集めている理由の一つには、全員ではないが自党の大臣として国会議員でも党員でもない本物の専門家を就任させていることにある。政権与党でありながら政治家を拒否しているのである。

 この既存の政治家を忌避する現在の傾向から考えると、チェコでもクラウス氏、ゼマン氏のような政治の世界にどっぷりつかった職業政治家の大統領の時代は終わり、次回の大統領選挙では、アメリカのトランプ氏のような政治経験のない大統領が、ハベル大統領以来久しぶりに誕生するのではないかと期待してしまう。
 問題は、政治家以外に範囲を広げても、チェコ人の多くが納得するような候補者が存在しないことである。反共産主義の闘争のシンボルだったハベル大統領のような人がいればいいのだろうけれども、そんな人物は存在しない。財務大臣のバビシュ氏が立候補したら、アンチは非常に多いけれども、当選に一番近いんじゃないかと思ってしまうような、ある意味絶望的な状況なのである。

 次回の大統領選挙まで一年ちょっと、ゼマン氏に勝てるような非政治家の候補者が登場することと、どんなに間違っても自称日系人政治家のオカムラ氏が当選することのないことを強く祈念して終わりにする。
11月23日12時。


 ここまで書いた後、アンチの多すぎるバビシュ氏より防衛大臣のストロプニツキー氏のほうが、大統領の椅子に近いような気がしてきた。11月24日追記。
posted by olomoučan at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年11月24日

クリスマスマーケット(十一月廿一日)



 オロモウツでもチェコの大きな町の例にもれず、クリスマスが近づくと街の中心であるホルニー広場で、クリスマスのマーケットが開かれる。以前は、市庁舎の天文時計のある側にいくつか屋台というか、出店の小屋が立っている些細なものだったのだが、年を追うにつれて規模が大きくなり、現在では市庁舎の裏側はもちろん、隣のドルニー広場にまで領域を広げていて、用のない人間にとっては通り抜けるのが面倒な事態になっている。

 初めてクリスマスマーケットなるものに足を運んだときには、何かそこでしか売られていない特別な物があるのかと、大きな期待をしたものだが、実際に行ってみたら大したものはなくがっかりしたのを覚えている。最初のころは、常設のマーケットに出ているような、服とか靴とかを売っている出店ばかりだったのだ。
 近年は状況は多少はましになっている。クリスマスにしか使わないガラス製のデコレーションは、自分ではほしいとは思わないが、クリスマスならではだろうし、他にも何種類かのクリスマスツリー用の飾り付けが売られているお店が見られるようになった。
 しかし、冬物だからクリスマスマーケットにあって悪いとは言わないけれども、服や帽子を売る店、シーズンなのかもしれないがベーコンやサラミなどの燻製にして長持ちするようにした肉製品のお店なんかは、イースターのときのマーケットでも見られるような気がする。

 それから、もういいと思ってしまうのが、プンチというアルコールを飲ませる屋台である。今年はましだと信じたいが、数年前屋台の半分ぐらいがプンチを飲ませるものだったことがある。酒好きのチェコ人たちもさすがにこれには腹を立てて、市役所に抗議をしたらしい。その結果翌年からはプンチ屋台の数が減らされたというけれども、それでも多すぎるという印象はぬぐえない。
 ワインになりかけの炭酸ガス入りのお酒ブルチャークが秋口にしか飲まれないのと同様に、プンチというのは、チェコではクリスマスの時期にしか飲めないお酒である。もともとはインド起源で五つの材料が使われることから、サンスクリット語の5にちなんでこんな名前になったのだと、昔レストランのブ・ラーイのプンチのパンフレットに書かれていた。日本語だとフルーツパンチとか言うのかな。日本で飲んだことがないから、どう違うのかわからない。

 ただ、このプンチにさまざまな種類があるようで、使うお酒、果物などが違っているらしい。温めたお酒で、砂糖を使って甘ったるくなっているという点ではどれも同じである。マーケットを見て回っている人が体を冷やさないようにということだろうか。ウィーン風、スウェーデン風、フランス風などなど、どこがどう違うのか考えるのもうんざりしてしまう。基本的に甘ったるい酒も、温めた酒も嫌いなので、マーケットに登場した年以外は飲んでいないのである。
 信じられないのは、ノンアルコールの子供向けプンチもあることで、果物の変わりにお菓子のグミをいくつか放り込んであった。温かいうちはまだいいのだが、冷えてしまうとそのグミが固まってしまってゴムのようになってしまう。グミは色も結構どぎついので、飲み物の見た目の色も飲んで大丈夫かといいたくなるようなものになることが多い。

 おそらく、クリスマスマーケットという言葉に、過剰に期待してしまうのがいけないのだ。売り手にとっては、クリスマスプレゼントとして買ってもらえそうなものを並べるのが大事なのだろう。プレゼントなので、特にクリスマスのときだけのものである必要はない。そう考えるといろいろなイベントのあるとき出される屋台と品揃えに大差ないのも許せるような気がしてくる。
 うちが毎年このマーケットで購入しているのは、メドビナという蜂蜜から作ったお酒ぐらいである。同じ店で蜂蜜の蝋燭も買うか。メドビナはクリスマスのときにしか買えないというわけではないが、うちで愛飲しているのは、オロモウツではこの時期にしか手に入らない。最初に買ったのがクリスマスマーケットだったので、思い込んでいるだけかもしれないけど。
 他のものは、チェコ人と違って、借金してまでクリスマスプレゼントを買うほど命を懸けていないので、めったに買うことはない。今年は何かすごいものがあるかもと見物に出かけることはあるが、すごいものを発見したことはない。
 このマーケットは、毎年クリスマスの四週間前の週末、十一月の下旬に始まるので、この時期にオロモウツに滞在するのなら、何かを買うためというよりは、見物して雰囲気を楽しむぐらいの気持ちでクリスマスマーケットに出かけるのがいいのではないだろうか。何事も期待しすぎは、よくないのである。
11月22日23時。


2016年11月23日

政教分離(十一月廿日)



 ヨーロッパに来て思うのは(いや、チェコが典型的なヨーロッパかと言われると何ともいえないところはあるのだけど、少なくともEUの規準の範囲ないであれこれやっているはずだから、ヨーロッパと言ってもいいだろう)、日本の政教分離というものは、非常に厳密なものであったということだ。いや、正確には厳密さを求めてうるさい人が多かったということか。

 日本にいるときにも聞いたことはあったはずだが、チェコやドイツの政党名が気になった。もちろん、キリスト教民主同盟のことである。宗教団体の政治活動は、政党分離の原則でも禁止されているわけではなく、日本にも宗教政党と言える政党はある。しかし、日本では教団名をそのまま政党名に使用することは、政教分離の原則から禁止されているのではなかったか。だから創価学会は、公明党、オウム真理教は、真理党、そして最近の幸福の科学は、幸福実現党などと、教団名とは違う党名を使用することを求めらたのである。
 それが、ヨーロッパではのうのうと一宗教の名称であるキリスト教がそのまま政党名に使用されているのには、日本的な政教分離の考え方に慣れた目には違和感というか、これでいいのかという気持ちを抑えることはできなかった。現実にはKDUなどと略称で表記されることが多いとは言っても、ニュースなどではキリスト教的民主主義者などとキリスト教がそのまま使われている。日本の政教分離にうるさい人たちの話を聞いていると、このキリスト教民主同盟も政教分離の原則に反していると思うのだが、この点について批判した例は寡聞にして知らない。

 それから、昭和天皇の崩御の際に、葬儀を、具体的には大葬の礼というものを国葬として行なうのは政教分離の原則に違反するという批判があった。その結果、神道に基づいた皇室の私的行事の部分と、公的な国事行為の部分とに二分するというおこの沙汰としか言いようのない案が出てきたのだが、それでも首相を初めとする国家公務員が神道儀式に出席したといって批判する人たちがいた。
 チェコでは、ビロード革命後の最初のチェコスロバキア大統領にして、初代のチェコ大統領バーツラフ・ハベル氏が亡くなったとき、その功績を讃えて、国葬として葬儀が執り行われた。その葬儀は、大統領官邸ともなっているプラハ城内の聖ビート教会で行なわれた。もちろん、プラハの大司教などキリスト教関係者も登場していた。
 実際の葬儀がどこまでキリスト教の儀礼に基づいたものなのかは、正直わからないが、日本の天皇の場合に、神道儀礼によって葬儀が行なわれたのと軌を一にすると考えていいはずだ。しかし、当然のことながら教会で国葬が行われることを批判する人などいなかったし、そもそも問題だと感じた人もいなかったのではなかろうか。日本で昭和天皇の葬儀に異を唱えた人たちが、この事実に対してどんな反応を示すのか聞いてみたいところである。

 また、公共の建物の工事を始める際に、工事の安全を祈って行われる地鎮祭が、自治体の公金を使って宗教行事を行なうのは何事だと批判されることがある。裁判にまでなっているようだけれども、チェコでは、おそらく他のヨーロッパ諸国でも、自治体の公金でクリスマスツリーが街の中心となる場所に設置される。オロモウツでも、毎年近隣の森から適当なものを選んで切り出して、これも市が主催のクリスマスマーケットのシンボルとして設置し、飾り付けをした上で、聖ミクラーシュの日に点灯の儀式を行なう。
 これをキリスト教の儀式に公金をつぎ込んでなどと野暮なことを言う人はいないし、そもそもキリスト教と関係があると考えている人もいないのだろう。それは、日本の工事安全を願う地鎮祭が、近所の神社の神主さんを呼んで来てやってもらうものだとしても、神道の儀式だと考える人がほとんどいないのと同様である。
 神道的なものの痕跡をあげつらって、地鎮祭を批判するのであれば、キリスト教的なものの痕跡から、クリスマスをも批判するべきなのだ。日本だってクリスマスにかこつけて自治体がイベントを行なったり、建物のライトアップをしたりするところは少なくないはずだ。しかし、そんなイベントが政教分離の観点から批判されたという話は聞いたことがない。

 問題は、日本人の多くは生活に根ざした神道を宗教とみなさないことによって政教分離をないがしろにしていると主張している日本の政教分離にうるさい人たちが、キリスト教に起源を持つ商業化した儀式、イベントを宗教と関係があるとみなさない点にある。
 最近目にしたある本には、公共の電波であるテレビのニュースで神社のお祭を取り上げるのもよくないと書かれていた。そんなところまでぎちぎちに政教分離という原則で縛ってしまったら、生きづらい社会になるに違いない。そんな本でも、クリスマスのニュースを放送することについては批判されていないのだから、一方的と言うかなんというか。政教分離にうるさい人たちが、声が大きいわりには支持者を増やせない理由はこんなところにあるのだろう。日本にいるときには、どこがとは言えなかったけれども、どことなく胡散くささを感じていたのだ。
 こんなことを書くからと言って、クリスマスの行事を中止にしろとか、政教分離なんかやめてしまえとか過激なことを言うつもりはない。特定の宗教の布教につながらないような儀式であれば、政教分離、政教分離と目くじらを立てる必要はないのではないかと言いたいのだ。これに限らず、ヨーロッパでもチェコに暮らしていると、細かいところにこだわるのがバカらしくなってしまう。日本的な政教分離の目で見るとそんなバカなと言いたくなることがたくさんあるのだ。
11月21日23時。


 一応戯言に入れておく。チェコではキリスト教関係の宗教団体は、国費で運営されている。だから教会の神父さんなんかも、国から給料をもらう国家公務員とみなせるのである。11月22日追記。

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2016年11月22日

チェコにはまれなフェアプレー(十一月十九日)



 チェコの、しかもサッカー選手と言うと、ペナルティエリア内では、相手と接触しそうになると自分から倒れて大げさに痛がり、審判にPKを取るように訴え、反則をしても、両手を挙げて自分は何もしていないと必死で主張する。あるいは、ディフェンスの選手が手を挙げてオフサイドであることを主張し、少しでも相手の腕の近くに当たるとハンドだと叫ぶ。
 ゴールに向かうボールに手を突き出して止めた挙句に、自分は触っていないなどとこいていたバカもいたなあ。ボールのないところで相手にひじうちかまして退場を宣告されて、ショックを受けた振りをするなんてのも見苦しいことこの上ない。ハンドボールの選手なら粛々と判定を受け入れて退場するぞ。皮肉な笑みを浮かべることで、判定に賛成できないことを示すことはあるけれども。ハンドボールで審判に対する抗議で処罰されることが多いのは、ベンチの監督やコーチか。
 まあ、チェコに限らずサッカー選手というものは、多かれ少なかれこんなもので、自分たちの求める判定が出ないと、審判に詰め寄って暴言を吐いたりするのだから、サッカーの審判というのも大変な職業である。去年のワールドカップでは、ラグビー選手の中にもサッカーの悪影響を受けている選手がちらほら見られたが、それを許さない厳しさがラグビー界にはある。サッカーにも見習ってほしいものである。

 そんなサッカー界でも、たまに自ら反則を認めるなんてフェアプレイを見かけることがあるのだが、イフラバとズリーンの試合で、チェコには、チェコのサッカー界にはまれなフェアプレイが生まれた。主人公はイフラバのセンターバックのアントニーン・ロサである。
 イフラバが先制したものの同点に追いつかれて迎えた後半開始から10分ぐらいのこと、ズリーンのフナニーチェクが遠目から打ったシュートは、ペナルティエリア内にいた選手に当たってイフラバのゴールに飛び込んだ。スリーンの選手たちは勝ち越しゴールだと大喜びしていたのだが、審判はオフサイドの判定でゴールだと認めなかった。オフサイドの位置にいたズリーンの選手ディオプに当たったと判断したようだ。

 もちろん、当人のディオプを初め、ズリーンの選手たちは審判に抗議し、イフラバのキーパーにも、お前見てただろと証言を求めて拒否されるなど、ただならぬ様相を見せ始めた。そのとき、イフラバのロサが意を決したように審判の許に向かい、ボールが当たったのは自分だと証言することで、騒ぎを収めると同時に、ズリーンの得点を認めさせたのだった。
 その行動に感動したのか、ズリーンの選手たちが何人かロサに握手を求めていたが、ロサ本人は憮然とした表情で、手を取られるに任せていたのが印象的だった。本人の頭の中をどんな考えがよぎっていたものか。試合後の話では、ボールが自分に当たったのは、ビデオを見れば誰にでもわかってしまう。それなのに自分には当たっていないと主張するのは、おこの沙汰だというようなことを語っていた。

 イフラバは、今シーズン開幕以来勝ちに恵まれず、前節の13節で初めて勝ったのだ。引き分けが多い分、2勝のプシーブラムよりも勝ち点を稼いで、最下位には落ちていないが、このまま行けば、降格間違いなしの位置にいる。既に監督も交代して、現在は以前の代表監督のビーレクが務めている。監督が代わってからも急激に成績が向上したというわけでもないので、あせりもあるのだろう。ビーレクは、認めないで審判の判定に任せるべきだったのにとかなんとか言っていたらしい。
 あるイフラバの選手は、みんながみんなロサのようなフェアプレーをしてくれるなら問題はないのだけどといいつつ、イフラバとの試合でオフサイドの位置からゴールを決めた選手もそれを認めてくれていればなんていっていたけど、ボールが当たったのと違って、オフサイドは本人にはわからない場合もあるだろうに。

 対戦相手のズリーンはもちろんのこと、ロサにはあちこちからフェアプレー精神を褒め称える声が寄せられている。それはそのままチェコのサッカー界においてこのてのフェアプレーがほとんど存在しないことを示しているのだろう。嘘をついてでも勝ったほうがいい、気づかない審判が悪いという考えが蔓延しているのだ。
 ロサ本人は、称賛されていることに戸惑っている面もあるようで、自分にとってはあれは自分の存在にかかわる決断であって、ある意味当然の行為だから、フェアプレーとか言って褒められても、正直困るというようなコメントをしていた。うーん、爪の垢をせんじて飲ませてやりたい奴らが多すぎるなどというと、本人の気持ちに反することになるのか。
 これが原因でイフラバがシーズン終了後に降格するなんてことのないように祈っておこう。イタリアでプレーしたこともあるラブシッツが爆発すれば何とかなるはずである。
11月20日23時。 


 ズリーンの選手たち、あるいはチームの関係者は、まとめて「シェフツィ」と呼ばれていた。これは靴屋、いや正確には靴職人を指す言葉である。そう、ズリーンはかのバテャの靴工場の発祥の地なのである。それを記念?して、靴職人たちと呼ばれているのだろう。11月21日追記。

2016年11月21日

ホモウトフのホモウト(十一月十八日)



 オロモウツの市街地を離れて北に、ウニチョフなんかのほうに向かう道を何キロか行ったところにホモウトフという地区がある。オロモウツの中心地区とは直接接していないことからもわかるように、かつては独立した村だったのだが、1970年代のオロモウツ市域拡大の一環として、現在ではオロモウツの市街地とつながっているスラボニーンなどと共に、オロモウツに編入されたらしい。
 このホモウトフ地区に、モリツ、聖バーツラフ、リーグロフカに次ぐオロモウツ四つ目のミニ醸造所が誕生していることを知ったのは、チェルナー・ホラのビールを購入するのに使っていたピボテーカという店の運営するネットショップで、売られているビールの確認をしていたときのことだ。ペットボトル入りの1.5l以外は、飲み屋で生ビールを注ぐために使う機械につないで使うような20l、30lの樽と言うか、タンクと言うかに入ったものしかなかったので、買う気にはなれなかった。モリツのビールも買えるけど30lとかどうしろと言うのかね。

 だから、ホモウトのビールを試すためには、ホモウトフにまで出かける必要があるものと考えていた。交通の便がよくなくバスで出かけるしかないのだが、ビールを飲むためにバスに乗って出かけて、またバスに乗って帰ってくるというのも気が進まない。かと言って自転車で出かけたのでは、思うように飲めないし、無事に帰ってこられるかどうかもわからない。うちのの車で出かけて自分だけお酒を飲むのもなあ。そもそも酒飲んで車に乗るのが苦手なのだ。バスで行って歩いて帰ってくる? それもなあ、酔っ払ってホモウトフの近くにある砂利採取場の跡地にできた池に落ちてしまったら目も当てられない。
 そんなアホなことを考えながら、オロモウツ市内を歩いていたら、いくつかホモウトのビールの飲める店があることに気づいた。馬なのかな、デフォルメされた四足の動物をあしらったロゴは結構目立つのだが、ピボテーカで存在を知るまでは目に入ってこなかった。一度気づくと職場に向かう途中の店の前にもロゴのついた日よけのパラソルが置かれていたし。ただ、自分がわざわざ食事に出たり、飲みに行ったりする店ではなかったので、飲む機会はないだろうと考えていた。

 それが、先日日本からお客さんが来たときに、パラツキー大学の発祥の地というコンビクトと呼ばれる建物の中に入っているレストランに出かけたら、店の兄ちゃんに、ホモウトの何とかエールがあるよと言われて、思わず席に着く前に注文してしまった。エールだからチェコ発祥のピルスナータイプではないのだろうけど、細かい味の違いがわかるとは思えない。
 実際に飲んでみたら、昔よく飲んでいたチェルナー・ホラのクバサルを思い起こさせる濃厚な味で、かすかに甘みのようなものも感じられた。美味しかったけれども、一気にごくごく飲んでしまうようなものでもなかったので、ゆっくり飲んでいたら一杯だけしか飲めなかった。モリツや聖バーツラフのビールを飲んだときのような、飲んだぜーという満足感は感じられなかったから、ピルスナータイプのほうが向いているのかな。何度も飲んでいるうちに癖になりそうな気もしたけど。

 それからしばらくして、別件で昔ウ・カプチヌーというカプチン派の修道士をモチーフにしたレストランのあったところに新しくできたアメリカ風?のステーキやハンバーガーをメインにするレストランに出かける機会があった。そこでもホモウトのビールが飲めたのだが、その日は何とかエールはなく、普通の10度のビールを飲むことになった。
 その店で出していたのは、ホモウト以外は中国の手に落ちたロプコビッツとその眷属のビールだったから、一杯目に飲むものとしては他に考えられなかった。ピルスナー・ウルクエルですら、南アフリカのビールの傘下に入ったと思って飲むと味が一段下がった気がしたからなあ。ロプコビッツで中国資本と思うと……。チェルナー・ホラならまた違うのだろうけど。

 肝心のビールはと言うと、まあ普通のビールだった。後で試したロプコビッツよりはましだったけど、このビールを飲むために飲み屋やレストランを選ぼうという気にはなれない。多分、ホモウトを醸造している店まで行かないと真価は味わえないのだろう。オロモウツ市内の飲み屋で飲むとあまり美味しいと思えないリトベルのビールでも、工場見学の際に現地で試飲すると同じものとは思えないぐらい美味しいから。
 と言うことは、ホモウトフまで行かなければならないのか。うーん、10度好きのあいつを久しぶりに引っ張り出すかな。いや、この寒い中出かけるのは無理だから、来年の春になってからだな。
11月19日21時30分。


 カテゴリーはオロモウツでもよかったんだけどね。11月20日追記。
posted by olomoučan at 07:37| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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