2016年01月29日
すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
もう何年か前の話だが、ピルスナー・ウルクエルが、とてつもないテレビのコマーシャルを流していたことがある。かくして歴史は作られたとかいうテーマで制作されたコマーシャルらしいが、簡単に言うと近代チェコにおける重要な出来事の裏側には、常にピルスナー・ウルクエルの存在があったという内容で、ものすごく完成度が高く、チェコだからそういうことがあったかもしれないねえと思わされるのである。歴史の読み替えと言う意味では、程度は違うが半村良の『産霊山秘録』を初めて読んだときのような、感動に身を震わせてしまった。
例えば、国民劇場であるが、全国的な募金活動で資金を集めて建設したものの、すぐに焼失し、再度募金活動を行って再建したと言う話を知っている人は多いだろう。それがいかになされたかと言うと、このコマーシャルによれば、次の通りである。
消火活動を終えて疲れきった男たちにピルスナー・ウルクエルがふるまわれる。せっかく建設した国民劇場の焼失に意気消沈した男の目にも、一杯目のビールを一気に飲み干して力が戻り、もう一杯と注文してしまう。それを聞いた消防士のリーダーが、手にしたジョッキを一気にあおって、「もう一杯」とつぶやく、その瞬間に彼は気づくのである。一回で駄目だったのならもう一度やればいいだけのだと。そして周囲に「みんな、もう一回だ。もう一回やるぞ」と声をかける。かくして二度目の募金活動が始まり、国民劇場は再建されるのである。チェコ語では、ビールを「もう一杯」と言うときと、何かを「もう一回」しようと言うときに使う表現が同じなため、こんな話が出来上がるのである。いや、でも何だかありえそうだと思ってしまうのは、私だけではあるまい。
また、難聴に苦しめられていたスメタナが、いかにして『我が祖国』を書き上げたのかというコマーシャルは、スメタナが作曲の依頼の手紙を受け取るところから始まる。最初はあまりいい顔をしないのだが、そのとき書斎に日が射して、机の上に置かれたビールに日が当たる。召使が気を利かせてカーテンを閉めようとするのをスメタナは止める。光りをうけたグラスについた水滴が、白い紙に影を落とし、その影を音符に見立ててたどっていき、五線譜に落とし込むことで、ブルタバ(モルダウ)の冒頭部の美しいメロディーが生まれ、作曲の楽しみを取り戻したスメタナは、『我が祖国』を書き上げることになるのである。ところで、スメタナはビール好きだったのだろうか。
他にも、今ではフォルクスワーゲンの傘下に入ってしまったシュコダ自動車の前身であるラウリン・クレメント社でエンジン付自転車、つまりオートバイの発想が生まれたのも、アルフォンス・ムハが「スラブ叙事詩」を描き上げたのも、ピルスナー・ウルクエルのおかげだと言うのである。手前味噌といえば手前味噌なのだが、非常に楽しい手前味噌で、チェコ人はビールが好きだから、こういうこともあったかもしれないと思えてしまうところが素晴らしい。
このシリーズは、私の知る限り五本のコマーシャルしか存在していないのだが、最後に最高傑作を、文章でどこまでそのすごさが伝わるかはわからないが、紹介しよう。
時は啓蒙主義の時代、民族の覚醒を訴え、チェコ語の復興を唱える人たちが、すべてチェコ語で書かれた新聞を発行する。チェコ語復興運動の中心人物であったユングマンが、新聞を片手に街を行く人々にチェコ語の新聞を買うように声をかけるのだが、誰も反応しない。当時の都市部においては、チェコ語よりもドイツ語のほうが幅をきかせており、チェコ系の人であってもドイツ語を使って生活していたため、チェコ語の新聞を購入する意味を見いだせなかったのである。
結局、一部も売れることなく終わり、失望と疲労にさいなまれたユングマンは、肩を落として仲間たちと近くの飲み屋に入る。出てくるのはもちろんジョッキになみなみと注がれたピルスナー・ウルクエルである。その黄金の輝き、泡の清らかなまでの白さに感動したユングマンは、ジョッキをつかむと、そのまま立ち上がり、とうとうとピルスナー・ウルクエルの美しさをたたえる演説を始めてしまう。それを聞いていた別の男が、負けじと自分の言葉でビール賛歌を唱え始め、次はまた別の男が、さらに別の男が、と次々にビール礼賛の言葉が飛び交うようになり、かくしてチェコ語のビールをほめたたえる表現は豊かになり、ひいてはそれがチェコ語の復興につながったのだというお話なのである。
そして、ユングマンが一杯目を飲み干し、二杯目が届けられた瞬間に、口から洩れたお礼の言葉は、チェコ語の「ジェクイ」ではなく、ドイツ語の「ダンケ」だった。それまでチェコ語のビール議論でやかましかった店内を、一瞬の静寂が覆い、やがて大爆笑が起こる。チェコ語の復興を主導したユングマンでさえ、名字からわかるようにドイツ系であり、日常的に使っていたのはドイツ語で、だからこそとっさにドイツ語の「ダンケ」が出てしまったということなのである。
初めて見たときには、「ダンケ」が聞き取れなくて、爆笑の理由がわからなかったのだが、それでもすごいと思ったし、「ダンケ」の意味を説明してもらって、さらなる感動に震えたのである。当時のチェコの都市部の言語状況については、知識としては知っていたが、実感をもって理解できたのはこのコマーシャルのおかげである。
ここしばらくこのシリーズの新作は出ていないだが、次は何がテーマになるのか楽しみにしながら首を長くして待ちたいと思う。
1月27日21時30分
この瓶は500mlだと思ったのだけど、330mlだった。回収できないからこっちで見かけるとのは瓶のタイプが違うのだろうか。1月28日追記。
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