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2016年08月31日

天皇譲位問題(八月廿八日)



 今上陛下が、退位の希望をにおわせる発言をしたというニュースは、チェコでもかなり大々的に取り上げられていて、チェコテレビの、取り上げるニュースの数は少ない代わりに、専門家を呼んで深く掘り下げるタイプのニュース番組にも、自称専門家が出てきてあれこれ解説していたけれども、質問役のチェコテレビのアナウンサーの頓珍漢な質問とあいまって、おいおいおいといいたくなるような説明連発で正直聞いていられなかった。まあ、日本でも結構いい加減な言説が見られることを考えると、外国でここまでやれたというのはすごいことなのかもしれないけど。チェコの大統領選挙なんかを正確に伝えられる日本人はほとんどいないだろうし。

 それはともかく、今年の夏ひたすら『小右記』の訓読の見直しをしていて頭の中が部分的に平安時代になりかけていると、当時は上皇が存在するのは普通のことなので、状況が許せば譲位して上皇になるのもかまわないと思ってしまう。法律については特に詳しいわけでもないけれども、明治以後も大正天皇の摂政を皇太子だった昭和天皇が務めるなど、江戸時代以前の制度が復活した事例はあるわけだし、上皇、天皇、皇太子(皇太弟になるのかな)と三つの役職に人がいたほうが、個々の負担も減るだろう。
 現在復習中の永観二年には、円融天皇が退位して花山天皇が即位するわけだけれども、残念ながら『小右記』はこの年の前半の部分が欠けているため、円融天皇の退位の事情などはよくわからない。しかし、天元五年あたりから、御願寺として円融寺を創建したり、退位後のことを考えてなのか、後院の別当を定めたりはしている。そのようにして、朝廷内の代替わりへの意識を醸成していたと言ってもいいのかもしれない。

 永観二年に即位した花山天皇は、その二年後に藤原兼家の陰謀で退位させられたという話で有名である。ただ、いくら寵愛していた女御が亡くなったからと言って、在位中に後先考えずに出家の希望を漏らしてしまうあたり軽率さは否定できない。天元五年の『小右記』には、宮中での儀式の様子を、皇太子時代の花山天皇が隠れてのぞき見していたという記事が出てくるが、そんな奇矯な振る舞いをする人物として見られていたのだろう。後に実資の正妻となる婉子女王は、女御にはなったけれども入内しなかったという話もあり、貴族社会で忌避されていた面もあったのかもしれない。もちろんそこには有力な外戚がいなかったという事情もあるのだろうけど。
 かわいそうなのは、花山天皇に引き上げられて、地位はそれほど高くないながら当時の政局を主導していた藤原義懐と藤原惟成で、結局天皇の出家に合わせて出家してしまう。しかも出家による退位のせいで混乱を巻き起こしたというのに、仏道に専心するわけではなく、退位の十年後には、通っていた女性を巡って、時の内大臣藤原伊周と争いになり、伊周、道隆が流罪になり中関白家が没落する一因を引き起こしている。出家したんだから寺で念仏唱えていろよぐらいのことは考えても罰は当たらないだろう。

 もう一人、勝手に退位してしまった天皇としては江戸時代初期の後水尾天皇がいる。鎌倉時代以降天皇の退位、即位に関しては武家政権の意向が決定的だった時代に、江戸幕府による制約の強さに嫌気がさしたのか、抗議の意味を込めたのか、内密に譲位の儀式を行なってしまったらしい。その結果公家側も幕府側も大きな混乱に巻き込まれたらしい。いろいろ事情はあったのだろうけれども、周囲の人々にとっていい迷惑であったという点では花山天皇の例と大差ない。
 結局、譲位した相手が徳川家の血を引く明正天皇だったおかげか、長い交渉の末、幕府が譲位を無効にするという事態にはならなかったのだけど、奈良時代以来の女性天皇という前例を残すことになった。明正天皇が、確か、まだ十歳にもなっていなかったのに、突然、内親王の地位を与えてそのまま皇位に就かせたので、「俄の譲位」とか言われているのではなかったか。

 このときに比べれば、今は皇太子も存在するし、政府の側からの強要でもなければ、天皇の恣意での譲位でもないのだから、生前の退位があっても大きな混乱は起こらないだろう。大正時代のように皇太子を摂政にしたとしても、摂政として天皇の義務をこなす傍らで、皇太子としての義務もこなさなければならず、負担は大きくなる。その場合に皇太子の義務を弟宮に肩代わりさせるのであれば、最初から譲位を行なったほうがましであろう。

 法律関係がどうなるのかは、政府に任せて、今上陛下が上皇になられた場合には、ぜひ現在の京都御所を後院として滞在していただきたいと思う。そして、京都御所で、百官は無理にしても、律令時代の官職をある程度任命して、平安時代の儀式を再現するというプロジェクトは実施できないものだろうか。上皇に天皇の役で出御してもらってもいいし、出御のない略儀で儀式を行なってもいいのだから、平安時代の儀式書や、歴史学者の研究成果をもとに、年にいくつかずつ儀式を、実際に摂政、左大臣などを任命して再現(再演のほうがいいかな)していくというのは無理だろうか。
 実現したら、蔵人役はちょっと地位が高すぎるので、史なんかの四等官の下の下級官人の役に立候補しようかななどとしょうもないことを考えてしまう。実現はしないだろうけれども、自称平安至上主義者としてはそんな夢を見たくなるのである。
8月30日21時。


posted by olomoučan at 06:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年08月30日

新生? チェコ代表(八月廿七日)



 スポーツの話題が続いてあれだけれども、きゅうりの季節で取り上げたくなるできことがあまりないのだ。サマースクールの三年目は、何だか今更な感じがするし、ねたがないときにとっておきたいし。
 ということで、サッカーのチェコ代表である。EUROでの惨敗を受けて、監督のブルバがロシアに逃亡した跡を襲うことになったのは、ムラダー・ボレスラフを指揮していたカレル・ヤロリームだった。ボレスラフが、ヨーロッパリーグの予選で、予想通り敗退すると、八月初めに正式に代表の監督に就任した。
 そのヤロリームが初めて召集する代表が発表されているので、簡単にコメントしながら紹介する。チェフ、プラシル、リンベルスキー、フブニークが代表を引退した分だけ若返りしているはずなのだけど、大半は代表常連であんまり新味はない。

GK
トマーシュ・バツリーク (バーゼル 6/0)
トマーシュ・コウベク (スパルタ 2/0)
ヤロスラフ・ドロブニー (ブレーメン 7/0)

 ここ数年チェフの控えを務めてきたバツリークが一番手ということになるのだろうか。コウベクは今年のユーロにも帯同していたし、スパルタでもビチークを控えに追いやって、先発の座を獲得しているから将来が楽しみである。そして久しぶりにドイツで長期に亘って活躍しているドロブニーが復帰したのだけれども、チェフより上の世代なんだよなあ。

DF
テオドル・ゲブレセラシエ (ブレーメン 37/1)
パベル・カデジャーベク (ホッヘンハイム21/2)
ミハル・カドレツ (スパルタ 65/8)
ダニエル・プディル (シェフィールド 33/2)
マレク・スヒー (バーゼル27/1)
トマーシュ・カラス (フルハム 2/0)
フィリップ・ノバーク (ミッティラン 2/0)
ルカーシュ・ポコルニー (リベレツ 0/0)
ヤン・シーコラ (リベレツ 0/0)

 今年のユーロに召集された選手の中から、引退のプルゼニュ組と怪我のシボクを除いて全員召集されている。カドレツはベテランだけど、復帰したスパルタでのチャンピオンズ・リーグ、ヨーロッパ・リーグ予選での不安定なプレーを見ているとちょっと厳しいような気がする。身体能力から言うとカラスが一番なのだろうが、オロモウツからチェルシーに買われていって以来、レンタルでたらい回しにされているからなあ、期待されたほど伸びていないのが現実である。カラスとスヒーがディフェンス陣の真ん中で定着してくれる、としばらく楽になるのだけど、ベテラン偏重でカドレツを使うんだろうなあ。
 初召集のリベレツの二人は、ヨーロッパリーグの予選で、四戦負けなしのリベレツを支える選手なので期待が持てそう。シーコラは、キプロスのラルナカとの試合では中盤の選手として出場して、ハットトリックを決める活躍をしたので、ぜひとも前目で試してみてほしい。この二人を招集したことで、多少新生チェコ代表になったかなというところ。

MF
ボジェク・ドチカル (スパルタ 25/6)
ブラディミール・ダリダ (ヘルタ・ベルリン39/1)
ダビット・パベルカ (カシムパサ 10/0)
ラディスラフ・クレイチー (ボローニャ 26/4)
ヨゼフ・シュラル (スパルタ 14/1)
イジー・スカラーク (ブライトン 11/0)
ヤン・コピツ (プルゼニュ 2/0)
マルティン・フリーデク (スパルタ 2/0)
ヤクプ・ラダ (ムラダー・ボレスラフ 2/0)

 スカラークまでが、今年の夏のユーロ出場者。それ以下の三人も、何度か召集されて有力候補に上がっていたので、あんまり新鮮味はない。それでもブルバの時代に代表に定着した若い選手が多いので、納得の人選ではある。ロシツキーの今後はまだ明らかになっていないけれども、今後はダリダを中心にしたチームになっていくのだろう。
 ただ怪我で辞退者が出そうなのが心配。ドチカルはスパルタのヨーロッパ・リーグのプレーオフを怪我かなんかで欠場したし、ラダも先週末の試合で怪我をしたというニュースがあった。辞退者が出た場合には、是非、オロモウツ育ちのホジャバ(プルゼニュ)、ポスピーシル(ヤブロネツ)、ナブラーティル(リベレツ)あたりを追加で召集してほしいところなんだけど、みんなあんまり活躍していないから無理かなあ。追加だとリベレツのブーフとか、ボレスラフのベテラン、マゲラあたりが候補になりそうである。

FW
トマーシュ・ネツィット (ブルザスポル 42/12)
ミラン・シュコダ (スラビア 11/4)
バーツラフ・カドレツ (ミッティラン 11/2)
マテイ・ビドラ (ダービー 17/5)

 ここが一番新味がないかな。シュコダ以外は、もう何年も攻撃の中心になることを期待され続けてきた選手ばかりだし。カドレツなんてボヘミアンズが産んだ最後の天才みたいなコピーがあったような気がするんだけど、現時点ではそのコピーに完全に負けている。ビドラは、所属チームにいいように使われているような感じがする。カラスと同じでレンタルでたらい回しにされている間に、チームの戦力として扱われにくくなっているような印象があった。でも、今回二部のチームだけどダービー・カウンティとかいうところに完全移籍することが決まったみたいなので今後に期待。
 個人的にはネツィットが、コレルのような存在になることを期待していたのだが、怪我やなんかがあって……。まあ期待した選手が、みんな期待したような存在になってくれていたら、監督も苦労しないのだろうけど。
 2000年代に入ってリーグ優勝から遠ざかっていたスラビア・プラハを率いて、リーグ連覇、チャンピオンズ・リーグ本戦出場を果たしたヤロリームが、チェコ代表をどのように立て直すのか、もしくは、ブルバの敷いた路線を発展させていくのか、楽しみに見守ることにしよう。アルメニアとの親善試合は負けてもいいから、ワールドカップの予選に向けていろいろな選手を試してくれないものだろうか。

 ちなみに、ボレスラフでヤロリームの後釜に座ったのは、オロモウツとも縁の深いレオシュ・カルボダで、この人、二部のチームの監督としては、チームを昇格させるなどいい仕事をしているのだけど、オロモウツも含めて一部チームの監督としては、それほど目立った成績は残せていないんじゃなかったかな。チームの成績というものにはめぐり合わせというものも大きいので、監督だけの功績、責任というわけではないのだろうけど。デビュー当時のコバーチとウルバーネクをひっぱたきながら指導して、アンダー世代の代表にまで育てたのがこの人である。A代表に定着して活躍したコバーチはともかくウルバーネクは誰も知らないだろうけどさ。
8月28日14時。


 怪我のドチカル、ラダの代役としては、オロモウツ育ちのホジャバが追加で招集された。そんなに調子が上がっていない感があるので、どうなのかなあ。8月29日追記。



2016年08月29日

プルゼニュ覚醒?(八月廿六日)



 サッカーのチャンピオンズリーグの予選のプレーオフで、チェコのプルゼニュは、ブルガリアのレドゴレツとかいうチームと対戦した。アウェーとホームの二試合を一言で表現すると、どちらも酷え試合だった。ただし、その意味は異なる。

 勝ち抜ければ四年ぶりぐらいに本戦進出となるこのプレーオフで、プルゼニュはまずブルガリアでの試合に臨んだ。今シーズンが始まって以来プルゼニュは気合の入らないしょうもない試合を続けているのだけど、このブルガリアの試合でも状況は変わらなかったらしい。残念ながらオリンピックの裏側で放送されなかったので全部は見ていないのだが、ニュースによれば、守備ではミスを連発して得点を献上し、攻撃では相手を崩すことが待ってくできておらず勝てそうな気配は全くない試合だったという。失点も二点で収まったのは御の字だったのかな。つまり初戦はプルゼニュのプレーがひでえ試合だったのだ。
 このままではいけないと考えたチームは、急遽新しい選手の獲得に向かう。ホームでの試合には間に合わないけれども、試合が始まる時点で、ズリーンのポズナル、ギリシャのチームからアルバニア代表の選手、スイスのシオンからゼマンという三人の選手の名前が挙がっていた。

 入ってくる選手がいれば出ていく選手が必要になるわけで、プルゼニュの初優勝以前から中心選手であり続けているダニエル・コラーシュと、一度ドイツに移籍した出戻りのライトラルが、出されるのではないかと噂されていた。試合後になると、かわいそうに忘れられていたホレンダも放出候補として加えられていた。
 ホームでの第二戦には、コラーシュもライトラルも出場しなかったのだが、今シーズン一度も見たことのなかった強いプルゼニュの片鱗を見ることができた。一番よかった時期の流れるようにつながる攻撃まではいかなかったけれども、おっと思わせる、期待を感じさせるプレーが多く、予選の三回戦で対戦したアルメニアのカラバフとの試合を見ていたときの絶望感はなかった。

 前半の早い時期にドゥリシュの得点で1対0。すぐに守備のミスから点を取られて同点に追いつかれてしまう。しかし、この得点につながるパスを出した選手は、明らかに手を使ってボールを処理しているのだ。審判はすぐ近くにいたというのに、テレビではスローで見ても、普通のスピードで見ても明らかなハンドだったのに、流されてしまった。これでプルゼニュはあと三点取らないと本戦に出場できないという状態になったのだが、選手たちはあきらめていなかった。
 後半に入って、相手をペナルティエリアに押し込んで、シュートがゴールポストに当たって跳ね返ってきたところを押し込んだバコシュのゴールは、オフサイドの判定で認められなかった。どう見てもオフサイドじゃなかったんだけどねえ。バコシュよりもちょっと前に出ていたコピツがシュートしたとしても、ぎりぎりオフサイドじゃない位置にいたはずである。こんな大事な試合で、何やってんだ審判と言いたくなる。
 その後、マテユーが二点目を決めるけれども、時はすでに遅しで、勝ち抜けはほぼ無理という状態だったのだけど、攻撃の手を緩めずに攻め続けていたら、ロスタイムに入ってカウンターから点を取られて、試合自体も引き分けに終わってしまった。でもいいのである。久しぶりに、本当に久しぶりにブルバが監督の頃の強かった、負けていて退場で人数が少なくなってもあきらめずに攻撃しつづけるプルゼニュの片鱗が見られたのだ。願わくはこの試合がきっかけとなって、調子を上げ、ヨーロッパリーグで勝ち続けんことを。

 得点が認められたかどうかで試合展開は変わるものだから、審判のミスだけのせいでプルゼニュが敗退したとは言わない。レドゴレツの一点目が認められていなくても、別な形で失点した可能性はあるわけだし、バコシュの得点が認められていたら、レドゴレツが攻勢に出て失点したかもしれないのだから。でも、初戦が一点差、もしくは引き分けだったら、審判のせいだと声をあげてしまっていただろうなあ。二戦目は審判がひでえ試合だったのだ。
 今シーズンからチェコリーグの審判のボスになったポーランド人が、ここまでチェコリーグで笛を吹いた審判を褒めていたけれども、チャンピオンズ・リーグのプレイオフでこんなミスをする審判がいることを考えると正しいのかもしれない。ちなみにこの試合の笛を吹いた審判はスペインの人だったかな。そのボスはイングランドリーグやポーランドリーグの審判と比べたら、これまでのところはチェコの審判のほうがはるかに正確に笛を吹いているとか言っていた。イングランドの審判って、そんなにひどいのかね。

 本当は、ヨーロッパリーグの予選プレイオフのリベレツ、スパルタの話も書こうと思っていたのだけど、長くなってしまったので、この二チームも勝ち抜けたということで終わりにしよう。スラビア? スラビアは予選の二回戦からここまで来ただけで御の字だったのだよ。これ以上期待しちゃあいけねえ。
8月26日23時。


 ズリーンのポズナルは、結局プルゼニュではなく、リベレツに向かいそうな状況である。8月28日。

チェコピルゼンハンドピック93/7 キング



 プルゼニュでは何も出てこず、プルゼンにしたら、プルゼントなんて誤植が出てきた。ドイツ語名のピルゼンにしたらこんなのが出てきたのだけど、ハンドピックってのは何なのだろう。

2016年08月28日

敗北宣言(四)(八月廿五日)



 三の続きである。

 深夜から朝にかけて行われることの多かった陸上競技は、マラソンを除いて見なかった。見なかったなのか、見られなかったなのかが問題なのだけど、どちらかと言えば見られなかっただろうか。やり投げとか見たかったし。

 女子やり投げでは、北京とロンドンで優勝したバルボラ・シュポターコバーの三連覇が期待されていたのだけど、三位に終わった。今シーズンここまで怪我などで調子が上がっていなかったようなので、よくぞここまでオリンピックに調子を合わせてきたというところか。二大会連続優勝の経験は伊達ではないことを証明してくれた。
 シュポターコバーもロンドンの後にコーチを変えたり、コーチなしで自分で練習メニューを組み立てて練習したり、試行錯誤を繰り返していた。子供が生まれてからは、男子選手たちのようにトレーニングキャンプや試合の出場で家をあけっぱなしというわけにもいかないようで、できる限り国内でトレーニングを積もうとしているのかな。この人にはぜひ女性版の鉄人ジェレズニーとなって、もうしばらく世界の女子やり投げ界に君臨してほしいものだ。それよりもダナ・ザートプコバーの後継者のほうが似合うかな。

 一方、鉄人ジェレズニーの弟子たちはというと、三人オリンピックに出場しただけでもすごいというのに、三人とも予選を突破して決勝にコマを進めた。一つの種目でチェコ人が三人決勝に進出するのは初めてのことだという(三人出場はロンドンで達成済み)。予選が終わったときには、そのうちの一人ビーテスラフ・ベセリーが、直訳すると「ジェレズニャークの果物だね」なんて言っていた。ジェレズニーの指導の賜物といったところだろうか。
 しかし、しかしである。決勝では、三人とも本領を発揮することができず、ペトル・フリドリフは三回投げて最下位で、上位八人に残れず、ベセリーとヤクプ・バドレイフは、八人には残ったものの順位を上げることができずに、七位と八位に終わった。ベセリーは世界選手権では優勝した経験があるとはいうもののオリンピックではメダルを取ったことがなかったし、その経験がシュポターコバーとの違いになっていたのかな。

 実はリオ・オリンピックが始まる前に、ロンドンオリンピックのやり投げでメダルを取った選手のドーピングが発覚して、ベセリーはリオでロンドンの銅メダルを授与されたらしい。こういう試合が終わって何年もたってからメダルを授与されるのって、選手としてはどんな気持ちなのだろうか。同じように今回アテネ・オリンピックの銅メダルを十二年ぶりに獲得した円盤投げのビェラ・ツェフロバーは感動で涙を流していたけれども、この人はすでに引退して久しい。現役選手の本音を聞いてみたいところである。
 見ている側としては、正直な話、実はあの時のオリンピックはこの人がメダリストでしたなんてことを言われても、ピンと来ないというか、どうでもいいというか、盛り上がりに欠けてしまう。ツール・ド・フランスのアームストロングの優勝剥奪の後は、どうなったのだったか。あれも当時はアームストロングが優勝だったけど実は優勝者はこの人ですとか言われても、今更過ぎてどうでもいいと思ってしまうよなあ。
 ドーピング問題も、難しい問題ではあるのだろうけど、ここらで抜本的な対策を打っておかないと取り返しのつかないことになるって、すでに取り返しのつかないことになっているのだろうか。その意味で、ドーピングは一度で永久追放というのも、運用の仕方も含めて検討したほうがいい時代に来ているのかもしれない。

 残りの陸上競技では、ヤクプ・ホルシャとパベル・マスラークの1500m走と400m走に期待していたのだけど、二人とも準決勝で敗退し決勝に進むこともできなかった。残念。どちらかが、レースの時間が遅すぎて寒かったと運営に不満を述べていたけれども、ヨーロッパで見ている側としても、向こうの時間の夕方から夜にかけてレースをやってほしかったと思う。
 ズザナ・ヘイノバーとデニサ・ロソロバーの二人が出場して期待された女子の400m障害は、ヘイノバーがメダルまであと一歩の四位。チェコ語で言う「ブランボロバー・メダイレ」つまりジャガイモメダルに終わった。この人も怪我で今シーズンはあまりレースに出られていなかったみたいである。

 ところで、今回のリオ・オリンピックは、ヘルシンキ・オリンピックでエミル・ザートペクが長距離三冠を獲得して60年目の大会だということで、チェコチームのテーマはザートペクで、公式のジャージなんかにもザートペクの絵が描かれていた。この絵は、ファンにサインを求められたときにザートペクが描いたザートペク夫妻のうちザートペク本人の部分をモチーフにしているらしい。天井からザートペクの足が生えていて動いているオブジェはやめてくれだったけれども、Tシャツやジャージなんかにあしらわれているこの絵には、不覚にもちょっとほしいと思ってしまった。
 それなのに、と言うのが正しいかどうかはわからないが、今回のリオ・オリンピックの陸上の長距離種目に出場した選手は、女子マラソンのエバ・ニーブルトバーしかいない。ニーブルトバーも生粋の陸上選手ではなく本職はノルディックスキーのクロスカントリーである。だから、ザートペクを生んだチェコの長距離界には、オリンピックに出られるレベルの選手が一人もいないというのが、ヘルシンキ60年目の現実なのだ。
 かつてチャースラフスカーを擁した体操も、今となっては見る影もないし、現在のところは世界レベルを維持しているやり投げや、十種競技が長距離の後を追わないように祈っておこう。
8月26日15時30分。




桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか




2016年08月27日

危険なオロモウツ旧市街?(八月廿四日)



 昨日うちのが帰ってくるなり、建物の壁が落ちてきてトラムが止まっていると言った。「えっ」と聞き返したら、旧市街のトラムの通っている通りに面した建物の一番上の部分が壊れて道路に落ちてきたのだという。

 具体的な場所は、ペカシュスカーだから、パン屋通りである。この通りは駅前から旧市街を通るトラムが走っているのだが、駅前からマサリク大統領の像のあるジシカ広場と接する辺りまでは、マサリク大通りで、共和国広場までが五月一日通り、共和国広場の出口からデニス通りなのだけど、途中でパン屋通りに名前が変わり、聖モジツ教会の脇ではさらに五月八日通りに名前が変わる。英雄広場を越えると今度はパラツキー通り、鉄道の線路を越えてリトベル通り、さらに進んで左に45度ぐらい折れる地点からは平和大通りと、交差点があっても名前の変わらないことの多いチェコでは珍しく、名前がころころ変わる通りである。パン屋通りなんて、百メートルちょっとぐらいしかないし。
 そのパン屋通りに共和国広場側から入って、右側の何軒めかの建物の前面の一番上の飾りとして付けられていた壁の部分が路上に落ちてきたらしい。幸いなことに、その時間帯に建物の下を歩いていた人はあまりいなかったようで、けが人が二人救急車で運ばれただけで済んだ。それでもかなりの量のレンガなどが落ちてきたようで、しばらくの間はトラムは運行を停止していた。現場を挟んで二台のトラムがお見合いをしているような写真も目にした。

 この通りのモジツ教会よりにコルナという社会主義時代の「デパート(のようなもの)」があって、その前がトラムの停留所なので、そっちで事故が起きていたら大変だっただろう。こっちの建物は、歴史的な建造物ではないので、その心配はないと思いたいところである。ただ、隣の建物の前で待つ人もいるから、とりあえずトラムの停留所周辺の建物は重点的にチェックしてほしいところだ。
 今回の事件の原因としては、トラムの走行による振動ではないかという説もあったが、最近改修工事が終わった建物らしく、その改修工事の際に不手際があったのではないかと言われている。けが人も、建物の中にいた人だという話もあったし。これが原因で、現在の旧市街を走るルートが外側に移設なんてことにならないといいのだが。

 さて、オロモウツで壁の上部が落ちてくるという事故が起こったのは、これが初めてではない。2011年には今回の現場から三百メートルほど離れた五月八日通りで、同じような事故が起き、このときには直下の歩道を歩いていた女性がなくなっている。警察では建物の改修に当たった人物に罪があるとして捜査をしていたようだが、結果はどうなったのだろうか。
 それから、翌2012年には、五月八日通りと英雄広場が接するところにあるSPEAという病院の建物の壁の上部が落下した。幸いにも人通りの多い、病院の入り口のある五月八日通り側ではなく、バス停があった関係か歩道が広く取られている英雄広場側だったので、巻き込まれた人はいなかった。ただ、落ちてきた壁の大きさでは、このときのものが最大で、もし誰かが下を通っていたら助からなかっただろうと言われている。

 この事故の後、旧市街を走る際にはトラムのスピードを落とすという対策が取られたようだ。トラムの走行のせいで建物が傷むという証拠はどこにもないが、こういう事故が起こったときに真っ先に犯人にされるのがトラムというものなのだろう。二年連続で、しかも百メートルも離れていない場所で同じような事故が起こったわけだし。ただし今ものろのろ運転を続けているのかどうかは、わからない。
 この二年連続の事故に、オロモウツ市では旧市街の建物の外壁の重点的な検査を行ったらしい。その結果、二回目の事故から四年の間何も起こらなかったというべきなのか、たった四年で再発したというべきなのか。滅多に起こることではないのだろうけれども、ここ数年で三回も同じ通りの建物で起こっているわけだし、街の中を歩いていて、上から落ちてくるものに対しては、どうしようもないので、徹底的な対策を取ってほしい。

 以前、冬の雪が積もったあと少し暖かくなったときに、飲みに出かけるために街の中をぼんやり歩いていたら、屋根の上から雪の塊がどさっと落ちて来て肝を冷やしたことがある。二、三歩脇を歩いていたら頭に直撃していたような場所に落ちて来て、一瞬言葉を失った。運がよかったというべきなのか、油断していた自分に怒りを感じるべきなのかよくわからなかった。
 昔のヨーロッパの都市では、下水などが発達していなかったため、歩いている通りによっては上から汚物が降って来るので、頭の上にも気を付けて歩かなければならなかったという話もあるけれども、現在でも完全に安心していてはいけないということか。気を付けていればどうにかなるというものではないだろうけど。

8月26日13時30分。



2016年08月26日

敗北宣言(三)(八月廿三日)



 ハンドボールに負け、チェコのテニス選手負けてしまった後、二週目に入っても連日敗戦を続け、唯一勝ったと思えるのは、こちらの時間で真夜中過ぎに始まる陸上競技を夜更かししてまで見るような愚行を避けられたことぐらいだ。見ようとしたとしても、途中で眠ってしまって気が付いたら朝だったというのが関の山だっただろう。それに、見なかったとは言え、翌朝起きてすぐ結果を知ろうとしたのだから、勝ったとも言い切れないのか。

 ともかく、あれこれ見てしまったので、個人的に注目していたチェコ人選手たちについて書いておく。
 最終日コンビチカ劇場のニュースを見損ねたのは、マウンテンバイクのレースを見ていたからだ。ロンドン・オリンピックの優勝者ヤロスラフ・クルハビーは、今シーズン怪我の影響もあって、余りいい成績を上げられていないようだったが(それでも世界選手権では二位に入っている)、成績がよくなかったのは四年前と同じだというので、連覇への期待はかなり高かった。
 レースは最初は出遅れた感があったが、すぐにロンドンでも優勝を争ったスイスのニノ・シュステルと先頭集団を形成し、そのうち二人で独走態勢に入った。このままロンドンのときのようにゴール前のスプリントでクルハビーが勝てればいいなあと思っていたら、残り二周でシュステルがスパートをかけてクルハビーは置いていかれてしまって二位に終わった。シュステルと二人で、二大会分の金と銀を分け合った形になる。

 このレースのもう一つの注目は昨年のロードレース世界選手権の優勝者スロバキアのペテル・サガンが出場したことだった。ジュニア世代ではマウンテンバイクの世界チャンピオンだったというサガンは、ツール・ド・フランスの後、一月ほどかけてマウンテンバイクの新しいテクニックなどの特訓を受けていたらしい。
 サガンは、スタート直後こそ、一気に先頭集団にジャンプアップしてさすがと思わせたものの、前輪のパンクで後退してしまった。タイヤ交換をして追い上げ始めてからも、またトラブルがあったらしい。運がなかったといえば、その通りなのだが、本職の選手たちに比べると荒っぽくて力技で障害物を乗り越えていっているようにも見えた。自転車に易しくない乗り方だったのかもしれない。

 前日の女子のレースでは、カテジナ・ナッシュが五位に入った。ノルディック・スキーの距離で冬季オリンピックにも出場したことがあってこれが五回目のオリンピックだと言っていたかな。個人の成績としては、今回の五位が最高だと言って喜んでいた。スキーのリレーでは三位だったか四位だったかに入ったことがあるという。
 このレースは、途中から、いや最後のほうだけしか見ていないので、どんな展開で五位に入ったのかはわからないのだが、終わった後のインタビューなんか聞いていると、東京オリンピックまで続けられそうな感じだった。超ベテランが活躍し続けるのはチェコの伝統でもある。NHLを見れば、ヤロミール・ヤーグルがまだまだ元気だし、今回のオリンピックには出場できなかったけど、バルセロナからロンドンまで連続出場していたシュテパーンカ・ヒルゲルトバーだってまだ現役を続けるみたいである。過去を振り返れば、やり投げのヤン・ジェレズニーも、その名のとおり40歳ぐらいまでは第一線で活躍していたはずだ。ナッシュは、三十台の半ばのはずだから、まだまだいけるだろう。
 ちなみにこの人の名字が、チェコ人女性なのに「オバー」で終わらないのは、アメリカ人と結婚してアメリカを拠点に競技活動をしているかららしい。チェコ人女性が外国人と結婚する場合、チェコ国内で結婚すると、外国語の名字にも「オバー」が付けられることになるが(最近は例外もある)、外国で結婚すると「オバー」が付かないらしい。

 このマウンテンバイクのレースのあとには、近代五種の馬術を見てしまった。近代五種というのもよくわからない競技なのだが、ロンドンオリンピックの優勝者ダビット・スボボダが二種目終えていい位置につけているというので、ついね。
 この競技は、出場者総当りの順位を決めるフェンシング、水泳、下の順位から始めるフェンシングの勝ち抜き戦(勝った分だけポイントがもらえる)経て、馬術の障害競技が行われる。普通の馬術と違うのは、自前の馬ではなく主催者が準備した馬を使うことで、しかも選手が自分たちで選ぶのではなく、抽選でどの馬に乗るのかが決められる。馬の数は出場選手数の半分で、二人の選手が同じ馬を使うことになる。
 もちろん、集められた馬の全てが同じレベルのあるわけはなく、馬の良し悪しが競技の結果に大きな影響を与える。いい馬が当たったからといって絶対に勝てるというわけではないが、悪い馬に当たったらぜったに勝てない。馬に関して最悪だったのが北京オリンピックだったらしく、スボボダも確かまったく言うことを聞かない馬が当たって、馬術での獲得ポイントがゼロだったはずだ。手に負えない馬が多すぎたという。それに対してロンドンは最高で、リオはロンドンほどではないけれども満足の行く馬が多かったと、スボボダが全てが終わった後語っていた。

 スボボダは残念ながら馬術で順位とタイムを落としてしまって、連覇を果たすことはできなかった。それでも、最後の陸上版バイアスロン、長距離走の途中で射撃をするというレースで順位を上げて九位に入った。ロンドンのあと怪我などで満足に競技ができない時期もあったことを考えると、この結果には十分満足していると言っていたスボボダの晴れがましい顔を見ていると、オリンピックの意義というものは、完全には死んでいないのだなあと思わされた。この人にも是非東京までがんばってほしい。
 ちなみにこの人には双子の弟がいて、トライアスロンの選手だったりする。兄弟二人してひとつの競技に満足できなかったらしい。

8月25日23時。


2016年08月25日

オリンピックの影で2(八月廿二日)



 昨日は、今回のオリンピックでチェコ選手のメダルが期待される最後の競技マウンテンバイクのレースを見て、その後ハンドボールの決勝を見てしまったせいで、いつも見ている七時のニュースを見損ねてしまった。その結果、こんなとんでもない事件が、世界に恥をさらすような事件がプラハで起こっていたことに気づかなかった。

 今日になって気づいたニュースによると、日曜日の昼下がり、観光客で賑わうプラハの旧市街広場で、機関銃のようなものを持った男たちが空に向かって銃撃を行い、その場にいた人たちはパニックに襲われて、逃げ惑うことになったらしい。機関銃は本物ではなく、銃撃も効果音か、モデルガンでも空包を使うかしたらしいが、たちの悪い冗談というにはやりすぎである。ただし、この事態を引き起こした連中にとっては冗談でも何でもなく、自分たちの主義主張を道行く人々に知らしめるための行動だったようだ。こんなことするような連中の話だから誰も聞かないとも言えそうだし、誰も聞かないから、こんなことをするしかなかったとも言えそうだ。
 首謀者は、チェスケー・ブデヨビツェにある南ボヘミア大学の准教授で蝶の研究を専門にしているらしいコンビチカ氏。ただし、この人物、最近は学者や教育者としてよりも、反イスラムの活動家として名を馳せており、その活動に対しては所属大学からも批判を受けている。これまで何度も反イスラムの移民反対、難民受け入れ反対のデモを組織したり、反イスラムを扇動するパンフレットを作成したりして、半非合法組織のネオナチ政党労働者党や日系人政治家のオカムラ氏とも協力関係を築き上げているようである。

 そのコンビチカ氏と信者たちは、イスラム教徒の振りをしてターバンを巻いて顔を隠した連中と、迷彩服を着て付け髭をつけた連中に分かれて、軍用っぽい車両(車体にハマーと書かれているようである)と共に旧市街広場に乗り付け、イスラム教のシャイフのような服を着て帽子をかぶったコンビチカ氏が、車の上からイスラム教のテロリストたちが叫びそうな言葉を叫ぶと、機関銃を持っていた連中が、銃撃を開始。
 驚いた人々が逃げ惑う中、車の上では、イスラム国の黒い旗のようなものが振られていた。そしてどこから連れてきたのかラクダの上のコンビチカ氏に向かって、土下座を繰り返すシーンもあったようだ。最後に、イスラム国が処刑と称するものを行うときに囚人に着せるのと同じオレンジ色の服を着せられた人物を、車から引きずり降ろして「処刑」しようとしたところで、警察が介入してお仕舞。

 コンビチカ氏たちは、この出来事を路上演劇であると主張している。イスラム国が、トルコを越えて、バルカン半島を越えてチェコにまでやってきた場合に、起こりうる状況を旧市街広場に集まった人々に見せるためのイベントだったのだという。ネット上に上げられたビデオには、関係者の女性の服装をとがめる(ふりをする)男性の映像も写っていたから、イスラム的な服装を強要されるぞと言いたかったのだろう。
 その結果として、集まった人々の間にパニックを引き起こし、近くにあるレストランやホテルに逃げ込む人もいたらしい。けが人が出たという情報もあるが、大きなものではなかったらしく救急車の出動はなかった。それでも近くのお店のガラスが割ら、テーブルが倒されるなどの被害を引き起こしている。これを以て、コンビチカ氏はイベントは成功だったと述べているけれども、正気を疑うほかない発言である。正気を疑われて誰もまともに相手にしてくれなくなったから、こんな狂気の行動に及んだのだろうか。
 外国人観光客もたくさんいたはずだから、言葉がわからない中で、チェコ人たちよりも大きな恐怖に震えていたに違いない。泣き出してしまった老齢の外国人女性もいたらしいし。そんな中、イスラエルから来ている観光客たちは、銃撃音が聞こえた瞬間に、地面に付せるという、イスラエルで訓練された行動を見せていたのだとか。それはともかく、これでまた一つ、プラハの悪名が高まったことになる。

 プラハ市役所では、別人の名前で旧市街広場でイベントを行うことが届け出られていたので、コンビチカ氏の反イスラム教徒のイベントだということは見抜けず、許可しないわけにはいかなかったとコメントしている。いや、でもコンビチカ氏に近い人物の名前だっただろうから、事前に警官を配備しておくぐらいのことはできたんじゃなかろうか。一介の役人にそこまで求めるのは無理な話か。プラハの市長は担当の役人の責任だと批判しているけれども。
 警察が事前にこの「イベント」に使う予定の小道具のチェックをしたという話もある。ただ正直に何をするつもりか警察に話したとは思えないので、事前に禁止するのは無理だったかもしれないが、最初のイスラム教徒風の演説を始めた時点で、介入していればここまで大きな騒ぎにはならなかっただろうに。

 いずれにしても、チェコ史に残る汚点になったとは言えそうである。最終日で競技が少なかったとは言え、オリンピック期間中の出来事で、世界的にはそれほど目立たなかったのがチェコにとっては不幸中の幸いではあった。それでも、アメリカのニューヨークタイムズだったか、ワシントンポストだったかに掲載され、読者の声としては、アメリカでやっていたら銃を持った市民に銃殺されているだろうなんてものが多かったらしい。25日はドイツのメルケル首相がプラハに来るらしいけれども、コンビチカ劇場がまた炸裂するのかねえ。
8月23日23時。


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2016年08月24日

チェコ料理(八月廿一日)



 何を書こうか考えていて、書けそうだけれども、どうも踏み切れないテーマがある。考えがうまくまとまっていないからなのか、落ちが付きそうにないからなのか、自分でもよくわからないけれども、無理やり書き始めてしまうと、迷走してしまってとんでもないところに着地して、書き直しなくなることさえある。
 だからと、言い訳から始めたのは、書き始めて短時間で書き上げられそうなネタがないので、特に考える必要もないことを書くことにしたからに他ならない。すでにこの部分からして迷走しているなあ。それはともかく、チェコの、チェコで、オロモウツで飲むべきビールについては、書いてきたが食べ物についてはあまり書いていないことを思い出したので、ちょこっとまとめておく。

 スマジェニー・シールと、ブランボラーク、オンドラーシュについてはすでに書いたようなので改めては書かないが、ブランボラークについては、ジャガイモのパンケーキという料理が『美味しんぼ』の最初のほうに登場していたのを思い出した。古びたドイツ料理店が舞台の話だった記憶はあるのだが、チェコで初めてブランボラークを見たときには、まったく結びつかなかった。だから、ジャガイモのパンケーキも、ポテトパンケーキもブランボラークの和名としては認めない。ブランボラークはブランボラークなのだ。知人の誰かだったが、ブランボラークは新しいジャガイモで作るよりも、ちょっと古くなってしおれたようなもので作ったほうが美味しいんだなんて言っていたけど、本当かどうかは知らない。

 グラーシュも、『マスター・キートン』の最後のほうでキートンの恩師がウィーンのレストランでよく食べていた料理として「グヤーシュのクネーデル添え」とかいう名前で登場している。当時はこの料理がハンガリー起源のものだと知らなかったので、グラーシュとクネドリーキの間違いじゃないのかなどと思ったものだ。
 グラーシュの中でも、チェコ語で「セゲディンスキー」という形容詞のつくやつは、ちょっと変わっている。多分ハンガリーの都市セゲド風グラーシュという意味だろうが、本当にセゲドで作られているのかどうかは知らない。ザワークラウトとパプリカがふんだんに使われていて、酸味が利いているから、好き嫌いが分かれる味かな。キャベツを酸っぱいクリームで煮込んだようなものもあったかもしれない。クネドリーキと一緒に食べるのは普通のグラーシュと同じ。個人的には好きな料理だったのだけど、一度酸っぱすぎて食べられないのが出てきて以来、あんまり食べなくなった。

 ザワークラウトを使う料理として、もう一つゼルナー・ポレーフカ、略してゼルニャチカを挙げておこう。ときどきゼレナーと間違えてしまうのだけど、緑のスープではなく、キャベツのスープである。セゲディンスキー・グラーシュと同じでパプリカを大量に使ったオレンジ色のものから、白いものまでレストランによって、家庭によってバリエーションがあるようだけど、酸っぱすぎなければ大抵は美味しい。
 うちでは、冬になるとパプリカ入りのものを大鍋で作って、何日かかけて食べることが多い。レストランで食べるときには、白いのが出てくることが多いかな。ブ・ラーイにもあったような気はするけど、あそこではたまねぎのスープ、ツィブラチカを注文することが多かった。
 酸っぱいスープといえば、知り合いがどこかのレストランで食べていたキノコの入ったスープが酸っぱくて大変そうだった。見かねたチェコ人たちが、それはチェコの伝統料理だけどチェコ人にとっても普通ではないスープだから、無理して全部食べる必要はないと言うぐらいだった。名前は何だったかなちょっと覚えていない。これが酸っぱかったのもザワークラウトのせいだったのだろうか。自分で食べていないからよくわからん。

 初めてサマースクールに来たときに、勧められて食べたのが、ニンニクのスープ、チェスネチカだった。ニンニクが強烈に効いているのと、クルトンを入れるのは、どこでも同じようだけど、このスープも地方差が大きいらしい。ハナー地方のニンニクスープは、生卵がそこに沈められているのが特徴で、食べようと思ってかき混ぜたら卵の黄身が浮かんできてびっくりした。
 ニンニクは、一時期中国産の廉価で味も香りもあまりないものが幅をきかせてチェコ産のものが手に入りにくくなっていたのだが、最近はどうなのだろうか。以前ニンニクの生産をやめた農家なんてのもニュースになっていた。その後はチェコ産のニンニクを求める声が高まっていたから、チェコのニンニク生産が増えていることを祈ろう。ニンニクはブランボラークにも使うし、チェコ料理には欠かせないのだ。魚を焼く時に塗るのはどうかとは思うけど。

 こうして思いつくチェコで食べた料理を挙げていくと、チェコでしか食べられないものはほとんどないと言ってよさそうだ。ハプスブルク家の支配のもとにあったこの地域では、料理もいろいろな形で伝播して、地域差はあるものの全体としては同じような料理が作られるようになったと言えるのかな。ウィーンでは、モラビアの農村から出稼ぎに出た若い女性が女中や子守として仕事をしていたので、チェコ語の言葉がウィーンのドイツ語に取り込まれたという話もあるから、料理もそうなのだろう。どっちからどっちに流れたのかはともかくとして。
8月23日14時30分。



 スビーチコバーとか、クリスマスの鯉のフライとかは、自分で食べないのでここに書くのはやめておく。8月23日追記。


一度は味わってみたいチェコの郷土料理【電子書籍】[ All About編集部 ]




 こんなのが出てきた。パラチンキかあ。
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2016年08月23日

オリンピックの影で1(八月廿日)



 オリンピックの影でまったく目立たないまま、オロモウツ周辺で行なわれた自転車レース、チェック・サイクリング・トゥールが、始まって終わっていた。昨年は最終ステージのオロモウツ近郊の村ドラニの周回コースから、中継が行なわれていてついつい見てしまったのだが、今年はテレビのスポーツニュースですら扱われていなかった(と思う)。
 日本のチームも出ているし、結果が気になるので、公式ページで確認することにした。あまり情報の出てこないページだが、大会開催期間中ぐらいは毎日更新して、公式の結果も出されているだろう。日本のメディアでもまったく注目されていないようなので、結果だけ書きとめておく。

 八月十一日の木曜日に行なわれた第一ステージは、チームタイムトライアルだった。例年オロモウツの北にあるウニチョフという町で行なわれているチームタイムトライアルが、今年はオロモウツ地方を離れて、フリーデク・ミーステクで行なわれたようだ。ある意味地域振興も兼ねているのだろうから、毎年同じコースというわけにもいかないのか。
 この17キロ強のステージを制したのは、キャノンデール。総合首位の選手として黄色いジャージを身にまとうのは、オランダ人のセバスティアン・ランゲベルドという選手らしい。さすがはUCIのワールドツアーチームというところか。
 二位に入ったのは、ポーランドのプロコンチネンタルチームのCCCスプランディ・ポルコビツェ。三位にチェコチームのクライン・コンスタンティア(?)で、もう一つのワールドツアーチームのランプレ・メリダは、15秒差の四位に終わっている。ただし三位との差は0.04秒なので、誤差の範囲としか言えない。
 日本のアイサン・レーシング・チームは、残念ながら1分19秒差の十九位。最下位の廿位がこれもヨーロッパ外から参戦のアメリカチーム、ノボ・ノルディスクだから、遠くから遠征してきた疲れがあったのだろうか。

 二日目は、オロモウツからプロスチェヨフを経て、北に向かい丘陵地帯を抜けて、ボウゾフを通ってリトベルを超えてウニチョフにゴールする177kmのコース。それほど高い山があるわけではないけど、コースの最初の三分の二は常に登るか下るかしているコースである。リトベルから先は、ウニチョフの周回コースも含めて平坦なので、集団でゴールすることになりそうだ。
 勝ったのはランプレ・メリダのモドロで、二位がキャノンデールのウィッペルト。チェコ人最上位は六位に入ったチェコチームのウィルプール・アウトルのカニュコフスキー。完走135人中、126位までがどうタイム扱いなので、集団から遅れた選手はほとんどいなかったようだ。キャノンデールのウィッペルトがボーナスタイムの分リードして総合首位に立った。
 アイサンチームではアヤベ選手とコモリ選手が、30位と31位に入っているが、8分遅れでゴールしたハラダ選手が‐20というペナルティをもらっているようだ。何があったのだろう。二日間の総合順位では90位から94位に同タイムで五人の選手が並んである。

 三日目はオロモウツを離れて北のイェセニーク周辺を走るので、二日目よりはきつい山登りのあるコースになっている。スタート地点はオロモウツからプラハに向かう急行電車が停車することもあるモヘルニツェで、シュンペルク、ハヌショビツェを経てイェセニークまで北上し、そこから南下してシュテルンベルクにゴールする。187キロだから、最長ステージということになる。シュテルンベルクの近くの自動車やバイクのヒルクライムレースに使われるコースが、終盤の勝負ポイントということになるのかな。
 この日の優勝者は、ランプレ・メリダのウリッシで、二位のポーランドのベルバ・アクティブジェット所属のチェコ人カレル・フニークに29秒の差をつけてゴールしている。二日目まで首位のキャノンデールチームは、ランゲベルドがフニークと同タイムの四位に入ったのが最高だった。総合でもウリッシが首位、ランゲベルドが二位、フニークが四位となっている。
 アイサンチームは、5分33秒差の44位に入ったハヤカワ選手が最高順位で、アヤベ選手は残念ながらリタイヤしてしまったようだ。ハヤカワ選手は総合でも、前日の91位から6分50秒差の50位に順位を上げている。

 最終日はオロモウツに戻ってオロモウツをスタート、シュテルンベルクを経てドラニに向かい、ドラニの周囲を八回周回する157キロのコースである。
 この日は、二日目と同じく集団ゴールとなり上位31人が同タイムでゴールしている。勝ったのはベルギーのワロニエ(?)チームのプランカールト(?)で二位がキャノンデールのウィッペルト。総合上位の選手は集団内でゴールして、総合の順位に大きな変動はなかったようだ。ということで総合優勝は、ランプレ・メリダのウリッシ、二位はキャノンデールのランゲベルド、チェコ人最上位はフニークの四位という結果に終わった。
 アイサンチームの最終日はナカネ選手の19位が最高の成績で、総合ではハヤカワ選手が43位に入っている。チームの順位としては18チーム中16位という結果だったようだ。あれ、当初の予定では20チームのはずだったのだけど、出場を辞退するチームが出たのか。
 アイサンチームがどの程度の成績を目標に出場したのかは知らないが、成績だけを見るとあんまり目立っていないので、来年以降の継続参戦と、いつの日にか日本人選手が上位入賞を果たすことを願っておこう。

 レースが終わって一週間、普通ならレースの様子をまとめたレポート番組が放送される頃なのだが、チェコテレビのスポーツ部門がオリンピックに全力を注いでいるので、しばらくは放送されそうにない。遠く日本からの参加だから、アイサンチームにもスポットが当たって、参戦の経緯とか苦労話なんかもレポートしてくれるのではないかと期待している。放送されるよね。

8月21日23時。


 チーム名や選手名のカタカナ表記はあまり当てにしないでほしい。日本選手もカタカナにしたのは、漢字表記を調べる余裕がなかったからである。公式のけっかはこちらから。8月22日追記。

2016年08月22日

チェコ人テロリスト?(八月十九日)



 今月の初めだっただろうか。チェコで初めてテロリストだと認定されたグループの裁判が始まったというニュースが流れた。これはアナーキストのグループで、貨物列車の襲撃を計画して、武器などの入手を進めていたときに逮捕されたらしい。

 このグループの具体的な政治目標などは明らかにされていないし、具体的にどんな貨物列車を狙ったのかもはっきりしない。アナーキストということで政府を転覆させて、無政府状態を作り出そうとしたのだと考えると、テメリンの原子力発電所あたりに向かう核燃料を積んだ貨物列車ではなかったかと想像をたくましくしたくなる。
 検察側はテロ行為の計画および未遂ということで、起訴したようだが、被告側は無罪を主張している。その理由は、この計画はグループ内にもぐりこんだ警察のスパイが計画したもので、本来のメンバーは、警察が自分たちに何をさせたいのかを見極めるためにその計画に従う振りをしただけだというのである。警察のスパイを発見したらリンチというのが、左翼テロ組織の不文律だと思っていたのだが、チェコの組織は優しいなあ。日本でリンチされたのは、公安の人間じゃなくて、公安に脅されてスパイになっていた、いわゆる公安の犬だったっけ。いや疑いだけでやられたのかな。

 それはともかく、警察側は警察の人間が組織に入り込んだときには、貨物列車襲撃の計画はすでに動き始めており、武器や火薬の調達が始まった時点で逮捕に踏み切ったのだという。潜入捜査に際して、法律に違反するようなことは何もしていないというが、これは汚職事件のような盗聴などの違法すれすれの行為が必要な事件の捜査では決まり文句みたいなものである。
 グループ側と警察側のどちらの証言でも、警察からのスパイを通じて武器の調達を図ったということのようである。うーん、新入りにやらせるなよ。いや、武器を調達できそうな人間とコンタクトをしていたら警察のスパイに突き当たったということだろうか。

 そもそもこの事件、どこまで重大なものとして受け止められているのかわからない。起訴されたグループ数人のうち、一人を除いては保釈が認められていて裁判で刑が確定するまでは収監されないみたいだが、本当に国に対する脅威だと認められていたら、全員保釈なんてさせないだろうに。
ことだ。実際には、それほど脅威だとは認められていないということなのだろうか。
 歴史的な経緯を見れば、左翼テロの全盛期だった戦後の冷戦の時代に、チェコは、チェコスロバキアは、西側で左翼テロを支援していたソ連の影響下にあったのだから、国内で左翼テロが起こるはずがなく、右翼はそもそもテロを起こす前に思想的な問題で秘密警察に逮捕されるか、亡命するかしていたはずだから、右翼テロも起こりえなかったのだろう。アラブ諸国に対しても、医学生を受け入れるなどの支援をしていたから、アラブの民族テロリストに狙われることもなかっただろうし、久しぶりのテロ未遂になるのだろう。今後起こりかねないイスラム国の影響を受けたテロや、 反イスラムの右翼によるテロ対策の準備としては、このぐらいがちょうどよかったのかもしれない。

 ところで、「ス・トホ・ベン」というアナーキスト的芸術家?のグループがある。歩行者用の信号の人形の形を変えるなどという罪もないいたずらをしていたグループなのだが、プラハ城の屋根に登って掲揚されていたチェコの国旗を盗むという事件を起こした。ミロシュ・ゼマン大統領に対する抗議として、国旗の代わりに大きなトランクスを掲揚して逃げ出したらしい。今の大統領にはチェコの国旗よりも男性用の下着が似合うという意味だろうか。
 プラハ城でも改修が進められており、その工事用の足場を使って屋根まで登って降りたのに、警備にとがめられることもなかったということで、プラハ城の警備は大丈夫なのかという意味でも世間の注目を集めた。結局プラハ城の警備主任が辞職する騒ぎになったのだったかな。

 このグループも何かの理由をつけて逮捕されて裁判沙汰になっているのだけど、裁判でプラハ城の、いや大統領側から盗んだ国旗を返却するように求められて、「プラハ城に掲揚されていた国旗は国民の財産であるから、すでに細かく切り分けて国民に還元したので返却はできない」とかなんとか答えていた。
 うーん、こいつらのほうが、テロ認定された連中より手ごわそうである。こんなテロもどきで経験を積んで、本物のテロリストが国内で活動を始めたときには、しっかりと対策をとってくれることを願っておこう。

 そういえば、クラウス大統領が地方を視察していて、集まった人たちと交流していたときに、警備員が傍にいたにも関らず、近づいた男にモデルガンで撃たれるなんて事件もあったなあ。今年の一月にはイスラム国に参加しようとしたチェコ人がトルコの空港で捕まって、強制送還されたという事件も起こっている。情報が公開されたのは最近だけど。どれもこれも今後に向けての教訓にはなっていると信じよう。
8月21日12時。




posted by olomoučan at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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