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2016年08月25日
オリンピックの影で2(八月廿二日)
昨日は、今回のオリンピックでチェコ選手のメダルが期待される最後の競技マウンテンバイクのレースを見て、その後ハンドボールの決勝を見てしまったせいで、いつも見ている七時のニュースを見損ねてしまった。その結果、こんなとんでもない事件が、世界に恥をさらすような事件がプラハで起こっていたことに気づかなかった。
今日になって気づいたニュースによると、日曜日の昼下がり、観光客で賑わうプラハの旧市街広場で、機関銃のようなものを持った男たちが空に向かって銃撃を行い、その場にいた人たちはパニックに襲われて、逃げ惑うことになったらしい。機関銃は本物ではなく、銃撃も効果音か、モデルガンでも空包を使うかしたらしいが、たちの悪い冗談というにはやりすぎである。ただし、この事態を引き起こした連中にとっては冗談でも何でもなく、自分たちの主義主張を道行く人々に知らしめるための行動だったようだ。こんなことするような連中の話だから誰も聞かないとも言えそうだし、誰も聞かないから、こんなことをするしかなかったとも言えそうだ。
首謀者は、チェスケー・ブデヨビツェにある南ボヘミア大学の准教授で蝶の研究を専門にしているらしいコンビチカ氏。ただし、この人物、最近は学者や教育者としてよりも、反イスラムの活動家として名を馳せており、その活動に対しては所属大学からも批判を受けている。これまで何度も反イスラムの移民反対、難民受け入れ反対のデモを組織したり、反イスラムを扇動するパンフレットを作成したりして、半非合法組織のネオナチ政党労働者党や日系人政治家のオカムラ氏とも協力関係を築き上げているようである。
そのコンビチカ氏と信者たちは、イスラム教徒の振りをしてターバンを巻いて顔を隠した連中と、迷彩服を着て付け髭をつけた連中に分かれて、軍用っぽい車両(車体にハマーと書かれているようである)と共に旧市街広場に乗り付け、イスラム教のシャイフのような服を着て帽子をかぶったコンビチカ氏が、車の上からイスラム教のテロリストたちが叫びそうな言葉を叫ぶと、機関銃を持っていた連中が、銃撃を開始。
驚いた人々が逃げ惑う中、車の上では、イスラム国の黒い旗のようなものが振られていた。そしてどこから連れてきたのかラクダの上のコンビチカ氏に向かって、土下座を繰り返すシーンもあったようだ。最後に、イスラム国が処刑と称するものを行うときに囚人に着せるのと同じオレンジ色の服を着せられた人物を、車から引きずり降ろして「処刑」しようとしたところで、警察が介入してお仕舞。
コンビチカ氏たちは、この出来事を路上演劇であると主張している。イスラム国が、トルコを越えて、バルカン半島を越えてチェコにまでやってきた場合に、起こりうる状況を旧市街広場に集まった人々に見せるためのイベントだったのだという。ネット上に上げられたビデオには、関係者の女性の服装をとがめる(ふりをする)男性の映像も写っていたから、イスラム的な服装を強要されるぞと言いたかったのだろう。
その結果として、集まった人々の間にパニックを引き起こし、近くにあるレストランやホテルに逃げ込む人もいたらしい。けが人が出たという情報もあるが、大きなものではなかったらしく救急車の出動はなかった。それでも近くのお店のガラスが割ら、テーブルが倒されるなどの被害を引き起こしている。これを以て、コンビチカ氏はイベントは成功だったと述べているけれども、正気を疑うほかない発言である。正気を疑われて誰もまともに相手にしてくれなくなったから、こんな狂気の行動に及んだのだろうか。
外国人観光客もたくさんいたはずだから、言葉がわからない中で、チェコ人たちよりも大きな恐怖に震えていたに違いない。泣き出してしまった老齢の外国人女性もいたらしいし。そんな中、イスラエルから来ている観光客たちは、銃撃音が聞こえた瞬間に、地面に付せるという、イスラエルで訓練された行動を見せていたのだとか。それはともかく、これでまた一つ、プラハの悪名が高まったことになる。
プラハ市役所では、別人の名前で旧市街広場でイベントを行うことが届け出られていたので、コンビチカ氏の反イスラム教徒のイベントだということは見抜けず、許可しないわけにはいかなかったとコメントしている。いや、でもコンビチカ氏に近い人物の名前だっただろうから、事前に警官を配備しておくぐらいのことはできたんじゃなかろうか。一介の役人にそこまで求めるのは無理な話か。プラハの市長は担当の役人の責任だと批判しているけれども。
警察が事前にこの「イベント」に使う予定の小道具のチェックをしたという話もある。ただ正直に何をするつもりか警察に話したとは思えないので、事前に禁止するのは無理だったかもしれないが、最初のイスラム教徒風の演説を始めた時点で、介入していればここまで大きな騒ぎにはならなかっただろうに。
いずれにしても、チェコ史に残る汚点になったとは言えそうである。最終日で競技が少なかったとは言え、オリンピック期間中の出来事で、世界的にはそれほど目立たなかったのがチェコにとっては不幸中の幸いではあった。それでも、アメリカのニューヨークタイムズだったか、ワシントンポストだったかに掲載され、読者の声としては、アメリカでやっていたら銃を持った市民に銃殺されているだろうなんてものが多かったらしい。25日はドイツのメルケル首相がプラハに来るらしいけれども、コンビチカ劇場がまた炸裂するのかねえ。
8月23日23時。