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2016年03月23日

映画『トルハーク』が日本語で撮影された場合の考察(「トルハーク」三度)


 今回、我々チェコ語学習者有志の手によって上映会を実施することになったこの映画の内容については、池同志の書いたレポートを読んでもらうとして、主人公だと思われる映画監督の撮影方法を、一言で言えば、「言葉通り」と言うことになる。もう少しわかりやすく言うと、脚本に書かれていることを、そのまま映像にしてしまうのである。
 例としては、ミュージカルの舞台となる村の周りに広がる森の中の様子を描いたシーンを挙げておけば十分だろう。恐らく脚本のト書きには、「鳥たちは踊り歌い、蝶たちが舞い踊る」とでも書かれているのだと思うが、珍妙なコスチュームを身にまとった俳優たちが、これまた珍妙な歌を歌いながら踊るのである。それは、貴族風の男性が渋い声で歌う「虫をして生かしめよ」という歌詞とあわせて、シュールとしか言いようのないシーンを作り出している。
 そして、「蛇はどこだ?」という監督の台詞と、手も足も動かせないように気を付けの状態でコスチュームに包まれ、撮影現場に向かおうと四苦八苦している蛇役の俳優の姿に唖然とさせられる。それにしても、脚本には一体何と書いたあったのだろうか。因みに日本人ならこの場面の蛇役の俳優の姿に、ツチノコを思い起こしてしまうのは仕方のないことだと思う。

 さて、本稿で取り上げたいのは、言葉通りに撮影されたあるシーンである。それは、ミュージカルの主人公ティハーチェク氏の姉である郵便局員が、職場の窓から、外に銃を片手に立っている森林管理官を見つめているシーンなのだが、撮影自体はつつがなく終わる。しかし、その後、郵便局員の手が窓枠から離れなくなるという騒動が起こるのだ。脚本に、比喩的な表現で、「彼女は窓から離れられなくなった」とか、「窓に貼り付いてしまった」と書かれているところを、言葉に忠実に、女優の手に接着剤を付けてくっ付けてしまったらしい。そんなことをしても、しなくても、映画内映画の映像的には何の違いもないのにもかかわらずである。
 ここで考えてみたいのは、いや、考えてみたからと言って何がわかると言うわけでも、何かいいことがあるというわけでもないのだが、このシーンが日本語で書かれていたらどうなるだろうかということである。つまり脚本が日本語で比喩的に表現されていた場合、この監督が撮影するこのシーンがどうなるのか少し考えてみたいのだ。

 このような、誰かに見とれてしまう場合に、使われる表現はいくつかあるが、無難なところから始めるとすると、「男から目が離せなくなった」からだろうか。これを『トルハーク』の監督が映像化したとしたら、考えられるのは、女性の顔を離れないように男に押し付けることだろう。しかし、郵便局の中と外という位置関係と、チェコの建築物は壁が厚いことを考えると、こういうシーンの撮影は難しそうである。
 次に考えられるのは、「男に目を奪われてしまった」という表現である。この場合、スプラッタなシーンになってしまうのだが、男が女性の目をえぐり取ることになる。もちろん、実際に目をえぐるのではなく、特撮技術を使うことになるだろうが、これではコメディーがホラーになってしまう。この監督のことだから、ホラーな画面もコメディーになってしまうのだろうし、実際に金欠で森に幽霊の出てくるシーンの撮影が出来なくなった際には、既存の映画の幽霊の出てくるシーンを切り出してつないで代用するという荒業に出て、反応に困る映像を作り出してしまうのだが、ここでは関係がない。とまれ、この方法でも、建物の中と外という壁は越えられそうにない。
 三つ目は、「男に目が釘付けになってしまった」という表現だが、これもこのままでは血の飛び散るシーンが出来上がってしまうので、「目」から少し離れて、「男に見とれてその場に釘付けになってしまった」にしてみよう。これでも、足を釘で床に打ち付けるという残酷なシーンになる可能性もあるが、靴だけを打ち付けることでも言葉の意味を十分に満たすことが出来るのである。しかも、撮影中は問題なく、結果として何の変哲もないシーンが出来上がるのに、終わった瞬間に問題が起こるという点でもチェコ語版と同じにすることができる。
 そして、「目」から離れてしまえば、他にも例えば、「その場でカチカチに固まってしまった」や、「その場に凍り付いてしまった」など、いかにして映像化するかはともかく、いろいろな表現が候補に挙がってくる。『トルハーク』は、見て楽しむだけでなく、こんな楽しみ方もできるのである。皆さんも、いろいろなシーンで脚本にどんなことが書かれているのが想像しながら見てほしい。



 これもわけあって、一年ほど前に他人のふりをして書いた文章。収まりがついていない気がするけれども、投稿してしまう。今回の見直しで、脚本には「彼女は窓から離れられなくなった」というようなことが書いてあり、同時にそのシーンに使うものとして糊(ボンドでも可)が挙げられていたため、この二つの要素をくっつけて、手を接着剤で窓にくっつけるという展開になったことが判明した。3月23日追記。

2016年03月04日

「僕」と「私」(昔書いたもの)


 言うまでもないことだが、日本語には自分で自分のことを指す時に使う言葉が山ほどある。その中で、男性が使うものとして、現在でも全国的に使われているものは、「俺」「僕」「私(わたし)」「私(わたくし)」の四つぐらいだろうか。いや、正確に言えば、私自身が使ってきたものがこの四つなのである。
 子供の頃は、乱暴だとか、下品だとか、よくわからない理由で、「俺」を使うのは、親に禁止されており、「私」は女の子っぽいという印象もあって、「僕」ばかりを使っていたような記憶がある。それが、中学生になるぐらいから、小説や漫画などの影響で「俺」も親に隠れて使うようになり、高校生ぐらいから、公の丁寧に話さなければならない場では「わたし」「わたくし」を使うことを覚えて、現在に到るわけである。

 普段は、現在日本語で話すのは仕事上必要な時だけなので、大抵は「私」しか使わないのだが、たまに友人や同僚と飲みに出かけた時などには、状況に応じて「僕」「俺」も使い分けている。特に乱暴な口調で話す時に「俺」を使うのである。
 海外に出て長いとは言え、言語形成は日本で行ったのだから、この感覚は、多少の違いはあっても、普通の日本人と変わらないものだと思っていた。ところが、最近立て続けに(と言っても二年ほどの差はあるが)二件「僕」の使用を否定する意見に出会ったのである。

 一人は毎年春にオロモウツに来てくださる方で、東京出身で年齢は70歳ぐらいの方である。その方が「僕」なんて気取った言葉は使えないと仰るのである。東京でも下町のほうのご出身で、「僕」を使うのは、山手の方のいいとこの坊ちゃんたちで気取っているというイメージがあるらしい。考えてみれば、この「いいとこの坊ちゃんが使う言葉」というイメージが、田舎に伝わって、上品な言葉で子供に使わせるにふさわしいということになったのかもしれない。田舎の教育委員会とかPTAとかで学校での方言使用禁止の一環として、「僕」使用推奨運動とかいうのもあったんじゃないかという気がしてきた。
 そして、もう一人が、最近、発掘したエッセー集を読んだ小谷野敦氏である。氏の本は日本にいた頃から読んでみたいとは思いつつ題名に萎縮して読む決心がつかなかったのだが、たまたまダンボールを開けてみたら出てきた『軟弱者の言い分』(これぐらいら萎縮せずにすむ)を読んで、そのことを後悔してしまった。読書欲が昂進する仕事の忙しい時期とは言え、久しぶりに(でもないか)時間を忘れて読みふけってしまった。
 しかし、この本、十年以上前の本なのである。高校生ぐらいの頃は、十年以上前の本などというと古すぎるような気がしてあまり読む気にならなかったものだが、十年前と言われても最近のような気がするのは、年をとってしまった証拠だろうか。いや、当時は初出とか、文庫化とか認識していなかったので、十年以上前に書かれた本を新しいと思って嬉々として読んでいたんじゃないかという気もする。

 閑話休題。
 小谷野敦氏の「僕」嫌いは、面白い。面白いのだが、今一つピンと来ない。この文章で、氏は、「僕」と「私」を比べて、「私」を選ぶ理由を語っているのだが、その一つは「僕」は子供の言葉で「私」は大人の言葉であるというものである。個人的には、「僕」と「私」の境界線は、大体私的領域と公的領域の境界線に重なると考えているのだが、公と私の判別がつかないのが子供だと考えれば、「僕」は子供の使う言葉と言ってもいいのかもしれない。では、「俺」はどうなんだというのが知りたくなるのだが、氏のエッセイには、あろうことか「俺」が出てこないのである。それがどうもピンと来ない理由なのではないかと思う。尤も氏が「私」を選ん理由の一つが男女平等主義だということだから、僕以上に男の言葉としてのイメージの強い「俺」は使わないのであろうが、氏の抱いている「俺」についての感情も読んでみたいものである。
 むしろ、氏が引用している上野千鶴子氏の「僕」に対する感覚のほうがわかるような気がした。「僕を使う男は軟弱な感じがする」とは、確かにどうでもいいことではあるけど、当たっているような気がする。一時期芥川賞作品ぐらいは読まなきゃと思って片っ端から読んでいたことがあるのだが、三田誠広あたりの「僕」が語り手の小説を読んで、俺よりも僕を頻繁に使っていた当時の自分は確かに軟弱者で、今風に言えばへたれだったなあと思う。人間としての本質があのころから変わったわけでもないし、人間的に成長したなんてこともないのだが、外国語嫌いを克服し、曲がりなりにも外国で暮らせているのだから、多少はたくましくなったと思いたいところではある。

 ところで、昔のことを思い出してみると、小説や漫画の登場人物の影響で使ってみたけど、似合わないのですぐにやめてしまったものもいくつかある。中学生の時だっただろうか、SF系の小説で出てきた「俺」と「僕」の中間ぐらいの印象のある「おいら」を使ってみたところ、友人に大笑いされ、自分でも似合わないことを自覚したのですぐにやめることになったし、大学時代に知り合いが使っていた「おれっち」や、漫画や小説で使われていた「あちき」とか「あっし」なんかは、実際に人前で使ってみる前に、誰もいないところで口に出してみた瞬間に、後悔してしまったのだった。使ってみたいと思うのと、実際に使えるのとは別物なのである。その一方で、「わし」とか「わい」のような言葉にはまったく食指が動かなかった。これは関西っぽい感じが合わなかったのだと思う。

 今は使えないが、いずれは使ってみたいというものもある。以前の職場の上司が使っていた「小生」、これは今の自分ではまだ似合わないような気がして使えない。もう少し年を取って貫禄がついてから(無理かなあ)、「小生はですねえ」などと言ってみたいものである。それから、「それがし」も、いつか、ふさわしい機会を得て使ってみたい。そのふさわしい機会が思い浮かばないのが、困りものなのであるが。ただ、同じく古めかしい感じのする「拙者」は、本来謙称でありながら、どこか尊大な感じがするせいか使いたいという気にはならない。
 また、これは話し言葉ではなく書くときに使う言葉だろうが、平安時代の古記録にしばしば使われる「下官」も使いたいものである。戦前の軍人あたりなら「小官」とでも言いそうなところだが、平安時代至上主義者としてはやはり「下官」なのである。



 ハードディスクの中のファイルを確認していたら、出てきた。一応けりがついているようなので、一部修正して投稿。どうでもいいちゃあどうでもいい話だけど、このブログの記事なんてそんなのばっかだしね。
 小谷野敦氏の本は、記事内で取り上げたものは出てこなかったので、一番読みたいと思ったこれ。馬琴には興味はあるんだけどなかなか手が出せないんだよなあ。江戸期の日本語ってわかりにくいし。3月3日追記。


馬琴綺伝 [ 小谷野敦 ]


2016年02月01日

チェコ映画「トルハーク」に於ける爆発を利用した施肥法の蓋然性について(昔書いたもの)


 この映画は、チェコ映画の最高傑作でありながら、そのあまりにチェコ的な内容のため国外では、特に日本では、ほとんど知られていないというのが実情であろう。そのため、まずこの映画について簡単に説明を加えておきたいと思う。

 簡単に言えば、映画撮影の様子を描いたコメディーである。若い脚本家の書いたシリアスな脚本をもとに、頭のねじが何本か抜けているような映画監督が、ミュージカル映画を撮影するのだ。映画は冒頭のキャスティングのシーンから始まり、有名な俳優たちが次々に階段を下りてきて一つだけ台詞を言うシーンや、犬が跳ね回ってボクシングの真似事をするコミカルなシーンを挟みながら、次々に配役が決まっていく。ちなみに、この映画の中で映画を撮影するという構造は、1980年代に文学の世界で流行った「物語の入れ子型構造」とか「シアター・イン・シアター」などの文学理論と通じる面があるので、文学理論の勉強にも役に立つ映画なのである。
 一方、映画内のミュージカル映画は、上から下まで白ずくめの農業技師ティハーチェク氏が、新しい農業技術を伝えるために舞台となる村を訪れるところから始まる。村を紹介するために、突如として小学校の子供たちをはじめ、村人たちが歌を歌い始める辺りがミュージカルということになるのだろうが、そのストーリーは正直理解不能である。しかし、それで構わないのだ。なぜなら、撮影シーンとミュージカル内のシーンが入れ替わり立ち替わり現れるため、そもそも最初からわかり難いし、湯水のごとく無駄に予算を使う監督のせいで、資金不足に陥り、プロデューサーも資金集めを拒否したため、途中でシナリオの大幅な改変を余儀なくされることになるからである。
 もともと結婚を拒否していたはずの男寡の森林管理官を結婚させるために、存在していなかったティハーチェク氏の姉を、出会いの場を設定するために郵便配達員として登場させ、ティハーチェク氏と結婚させるために、小学校の先生は貴族のように振舞うプラハの肉屋と別れさせる(肉屋というのも実は設定の変更だったのかもしれない)。森林管理官は、三人の娘のために、花婿を狩る。そのうち、一人は文字通り鉄砲で打ち落とすのである。そして全部で五組の合同結婚式で映画内映画はハッピーエンドを迎えることになる。
 映画本体の方は、野外映画館に於ける公開初日に出演者と関係者の舞台挨拶が終わった後、映画の上映が始まる。途中までは順調だったのだが、嵐に襲われ、観客は雨に濡れ、強風でスクリーンはびりびりにやぶれ、上映が終わる頃にはスクリーンの役割を果たさなくなってしまう。映画監督は、「最後が最後が」と残念そうに叫ぶのだが、観客たちにとっては嵐もまた映画の仕掛けの一つだと思われたようで、「最後の嵐もあの人たちが呼んだのかなあ」などと満足げな感想を漏らしながら野外映画館を出て帰途につくのである。

 さて、この映画では、二つの爆発シーンが重要な役割を果たしている。一つは、村内の不満分子でティハーチェク氏を敵視する人物が火薬を盗み出して村の広場の建物を爆破するという、映画内映画の山場の一つとなるシーンを撮影する場面である。爆発物の準備が整った後、取材を受けて上機嫌になっていた監督が、撮影用のカメラの準備が整っていない状態で、取材陣に撮影の方法を説明するために、爆弾のスイッチを入れる合図をして見せる。当然のように、カメラが回らないままに、爆破のスイッチが押され、この撮影のために建てられた(ということになっている)広場の建物が次々に爆破され、なぜか小学校の先生と生徒たちが出てきて歌を歌いだす。この事件のせいで、深刻な予算不足に陥り、最終的にこの爆発シーンはカットされることになり、上述の通り、シナリオは大幅に改変され、ストーリーはさらに混迷を極めていくのである。
 もう一つは、映画内映画の主人公であるティハーチェク氏が、新しい農法、具体的には肥料のまき方を指導するシーンである。爆発物を畑に等間隔で置いていき、その上に山のような肥料(牛糞に藁が混ざったもの)を積んでいく。そして、人びとが十分に離れたところで、爆破スイッチを入れる。轟音と共に肥料が一面に飛び散り、一部は見学していた小学生にかかる。実験は大成功ということで華麗に頭を下げるティハーチェク氏は、人々の喝采を浴びる。

 これまで私は、このシーンは社会主義時代の農業政策に対する風刺、もしくはカリカチュアだと思っていた。農業体験など自宅の猫の額のような小さな庭で野菜を何度か育てたことがあるに過ぎない私には、こんな肥料のまき方が実際に役に立つとは思えなかったのだ。だから、これは馬鹿馬鹿しいことを国民に押し付ける共産党政権に対する隠れた批判なのだろうと考えていた。当時は検閲というものもあったらしいが、いかに検閲官の目をかいくぐって政府批判をするかが、文学や演劇などに携わる人たちにとっての腕の見せ所であったのは、戦前戦後の日本を考えれば想像に難くない。
 ところが、先日、日本の国語教育の歴史についての授業のレポートを書くために必要だったので、昭和30年代に出版された中学生向けの国語の教科書を読んでいたところ、中谷宇吉郎氏の文章が目に入ってきた。中谷氏は、北海道大学の教授で雪の研究で有名な人である。北海道は雪が多く、雪をかぶった畑では何もできないので、春になったらできるだけ早い時期に雪を融かしてしまうことが、農家にとっては非常に重要である。しかし、降り積もった雪は白く太陽の光を反射してしまうので、日が当たっても融けにくい。そこで、雪に黒い土をかぶせて融けやすくするのだが、人の手で一か所一か所、土をかけていくのは労力がかかり過ぎる。
 この問題を解決するために中谷氏たちのグループが思いついた方法が、ティハーチェク氏の肥料のまき方と同じなのである。爆発物の上に肥料ではなく、黒い土を積んで、爆発させることで土をある程度均等にまくという方法で、畑の雪が解けるのを早めようというのである。実験の結果、かなり有望なデータを取ることができ、今後は農作業の実態を考えながら実際にどのようにこの方法を活用していくのか、研究が必要だということで中谷氏の文章は終る。
 考えてみれば、北海道とチェコは雪が多いと言う点では同じである。同じようなことを考えた人はチェコにもいたかもしれない。ばら撒くのが土であれ、肥料であれ、爆発物の使い方は大差ないだろうことと、知る人ぞ知る『腹ハラ時計』によれば、肥料から爆弾が作れるらしいことを考え合わせると、『トルハーク』の中に出てきたこの農法は、実際に使われていたのではないかと思われてくるのである。そして、そのように考えると、映画を見終わった観客たちの満足そうにもらす感想が一層生きてくる。すなわち、他が全てありえることだからこそ、嵐さえも映画の一部だと観衆は感じることができたのではないだろうか。そして、ある観客のもらす「我々、チェコ人ってのは、こういうのがうまいんだよね(意訳)」という言葉も、爆発物による施肥法も対象にしているのではないかと思われるのである。そうなると、監督の「最後が最後が」という言葉も、不満の表れなどではなく、実は「終わりよければすべてよし」という、世界中どこにでもありそうなことわざそのままに、最後まで計算通りだったという、してやったりの言葉だったのかもしれない。




 事情があって他人の振りをして書いた文章だが、これ以上に「トルハーク」についてかけるとも思えないので、同じ映画関係の次に載せておく。もう一本「トルハーク」関係の文章があるのだが、そちらは後悔するかどうか検討中である。また、
 『チェコ語の隙間』には、もっとちゃんとした「トルハーク」論があるので、興味のある方は読まれたい。「トルハーク」がきっかけでチェコ語の勉強を始めて、「トルハーク」が理解できるようになる人がいたら、私は幸せである。1月31日追記。



チェコ語の隙間 [ 黒田竜之助 ]



2016年01月20日

チェコ語のtiは、「チ」か「ティ」か(昔書いたもの)



 チェコ語を知らない人のために説明しておくと、このチェコ語のtiの発音は、日本語の「チ」とも「ティ」とも違っていて、あえて言えばこの二つの中間にある音である。そのため、チェコ語学習者は固有名詞を日本語に音写する時に、どちらの表記を使うのかで悩むことになる。悩まないという人もいるかもしれないが、一度はしっかり考えておく必要のある問題である。この問題を通して、チェコ語と日本語の音韻体系、表記体系の全体を見つめなおすことは、正しい発音を身に付けるためにも有用なはずである。
 ここで、先に結論から言ってしまえば、表記に関しては、どちらでもかまわないと思う。個人個人が自分の考えに基づいて正しいと思うほうを使えば、それで何の問題もないというのが、四捨五入すれば廿年になんなんとする日本語とチェコ語のあわいでの苦闘の果てに得た結論である。
 では、筆者個人が現在どちらを使っているかというと、原則として「ティ」である。それにはいくつかの理由があるのだが、その一つは、日本のチェコ語関係者のほとんどが「チ」の表記を使っており、それを当然とする風潮に対する危惧からである。日本語での表記が「チ」で固定化されてしまうと、発音も固定化され、実際にチェコ語で話す時にも、日本語の「チ」で発音するようになってしまうのを恐れているのである。それを防ぐためには、表記はゆれていた方がいい。
 日本人が外国語の言葉を発音する時に、カタカナの表記に引かれて発音してしまうというのは、よく知られた事実である。「チ」と「ティ」の問題なら、「チーム」を例に挙げておけば充分であろう。「ティ」という表記の一般的でなかった時代に日本語に入ったこの言葉は、直音化されて「チーム」と表記されるようになり、一般にはカタカナ通りに「チーム」と発音されてきた。その後、1980年代に、より英語の発音に近い「ティーム」を使おうと考えた人々が現れて、一時はかなりの勢力を誇ったが、結局は日本語の表記として根付いていた「チーム」に引き戻されて、現在では「ティーム」を使う人はほとんどいない。そして、語学の専門家ではない多くの日本人は、日本語でのカタカナ表記につられて外国語で話す時にも、「チーム」と発音してしまうのである。
 次に、考えなければいけないのは、チェコ語には「ティ」「チ」に相当するtyとčiという音があるという点である。つまりtiをどう表記するかという問題は、tiとtyの二つの音の間で考えるのではなく、čiも加えた三つの間で考えなければならないのである。よく使われるtiとtyは発音が違うのだからtiは「チ」と書くべきだというのでは、半分しか理由になっていない。tiとčiの発音の違いを無視しているのだから。
 ならば、tiの発音が「チ」と「ティ」のどちらに近いかで決めればいいと言う人もいるかもしれないが、その判定が難しい。同じtiでも言葉によって微妙に違って聞こえることもあるし、人によっても違うこともある。自分自身が発音する時はどうかというと、舌の位置は「チ」に近く、使い方は「ティ」に近い。発音自体は「ティ」に近いのではないかと思うが、これは「チ」と発音したくないという筆者の意識が働いている面もあるので参考にはならない。
 もう少し、考察の対象を広げてみよう。tiと子音を同じくする音節には、ťa、ťu、tě、ťoがある。このうち、ťa、ťu、ťoは、「テャ」「テュ」「テョ」と表記すれば、チェコ語の発音とほぼ同じになる。つまり、「テ」にヤ行の仮名を書き添えているわけだから、奈良時代以前に消えてしまったヤ行の「イ・エ」が残っていれば話は簡単だったのだ。しかし、今更それは無理な話だだから、「テュィ」「テュェ」とでも書くのがいいのかもしれないが、これでは、煩雑に過ぎるし、ぱっと見ただけでは読めそうにない。それに、ドイツ語での発音の違いを意識するあまり、ゲーテを「ギョエテ」と表記してしまった独文学者たちの二の舞になりかねない。
 話を戻すと、ここで考えなければならないのは、těも含めて、「テャ・ティ・テュ・テ・テョ」と書くのか、「テャ・チ・テュ・チェ・テョ」と書くのかということなのである。どうだろうか。このように並べてみると、前者のほうがよさそうに見えないだろうか。ただし「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」という表記を選ぶ人もいて、それはそれで見識である。
 さらに厄介なのは、濁音のďa、di、ďu、dě、ďoの場合である。「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」という表記を使う人も多いようだが、チェコ語を生業としている方ならともかく、日本語稼業の人間としては、このような日本語の表記体系から外れるものを使うわけにはいかないのである。歴史的仮名遣いで文章を書く場合であれば考慮に値すると思うが、そんな機会はないだろう。とまれ、ここでも「デャ・ディ・デュ・デ・デョ」「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」のどちらを選ぶかという問題になるわけである。
 さて、ここまで書いておいて何だが、この問題はどちらの表記を使っても問題はないのだと改めて言っておきたい。駄目なのはこちらでなければならないと断定する意見である。筆者個人の表記法についていっておけば、ゆれている、否、意図的にゆれたままにしてある。プロステヨフとプロスチェヨフ、ブデヨビツェとブジェヨビツェ、ディビショフとジビショフ、ティシュノフとチシュノフ、該当する固有名詞は他にもいろいろあるわけだが、いつでも前者の表記を選ぶというわけではないのである。
 クロイツィグルをクルージガー、シャファージョバーをサファロワと表記して恥じない一部のマスコミ連中には何も言う気にならないが、チェコが好きでチェコ語を勉強している人たちには、以上のようなことを考えた上で自分なりの表記をしてほしいと切に思う。先生に言われたからという安易な理由でではなく、自分で考えて選ぶことは、今後のチェコ語の学習に必ず役に立つはずである。



 去年、今年と同じように毎日書こうと考えた計画の一環として書き始めたいくつかの記事の中で、珍しくけりをつけることのできたもの。一つ前の記事と関連しそうなので、一緒に投稿することにした。1月19日追記。



 お世話になった辞書を発見。こちらの大学書林版より、もともとの京産大版のほうがよく使ったけれども、どちらもチェコの我が家の床の上に転がっている。1月19日追記。


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