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2024年02月06日
iPadで『徒然草』を読む
続いて全集でも同じ巻に収録されている『徒然草』である。こちらは、『方丈記』が平安から鎌倉への転換期に書かれたのに対して、鎌倉、室町の転換期に書かれている。ただ、同時代の作品、もしくは『徒然草』のほうが古いんじゃないかと思い込んでいたことは、自戒も込めて書いておかねばなるまい。この誤解は、文章を読んで受ける印象から生まれたもので、文学史などで書誌的なことを学んでからも、大学の国語学の授業で、兼好の書く文章はいわゆる擬古文の傑作で、同時代の日本語よりもずっと古く感じられるのだという話を聞くまでは、完全に拭い去ることができず、しばしば頓珍漢な発言をしていた。
この『徒然草』も「つれづれなるままに、日くらし」で始まる冒頭部分が人口に膾炙しているわけだが、『徒然草』に関しては、これも大学の国語学の授業で先生が話してくれた、たしか九州地方の方言に、「とぜんなか」という言葉があるという話の方が印象に残っている。この方言は『徒然草』の「徒然」を音読みしたもので、意味からも『徒然草』の「つれづれ」とつながるという話に、先生はそこまで断言しなかったけど、『徒然草』から生まれた方言だと解釈して、九州の人間として嬉しくなったものである。
作品に関して言うと、まず、長い。いや、長いというより多い。上下巻合わせて約250にものぼる章段の中には、短いものもあれば長いものもあるのだけど、全体を通して通読するまでは、ここまで分量が多いとは思わなかった。興味の持てない内容の話が長かったときには、途中でやめて次の章段に行こうかと思うこともあったけど、せっかくなので最後まで頑張った。
その感想は、文章はともかく、内容に関しては、玉石混交というか、面白いものもあれば、まったく面白くない、よんでもよくわからないものもあるという至極当然なもので、国語の教科書に本文として引かれていて、読んだことのある章段は、やはり選ばれるだけのことはあって、『徒然草』の中でも傑出した章段なのだと思わされた。またこれかよと批判するのは簡単でも、『徒然草』や他の作品の中から、同等に内容的にも興味深く、文体の面でも優れた部分を探し出すのは至難の業である。少なくとも自分ではやりたくない。
通読して一番気に入ったのは、比較的短い第八八段の、小野道風が書写したという『和漢朗詠集』を家宝にしている或人の話。公任が撰集したものを、道風が書写したというのは、『朗詠集』ができるより前に道風は亡くなっているのだから、時代が合わないという指摘に対して、だからこそより貴重なんだと答える或人の考え方が何とも好ましい。それに対して兼好が賢しらなコメントをしていないもの素晴らしいところである。
確かに、兼好のコメントの中には、第五二段の「先達はあらまほしき事なり」のようになるほどと思わされるものもあるのだが、第一一段の「この木なからましかばと覚えしか」については、初めて読んだ高校のときから、「この文なからましかばよからまし」としか思えない。この手のコメントが、『朗詠集』の話に付け加えられなかったことは、幸せなことである。或人の発言を愚かなと断じるのは簡単だけど、裏を読みたくなるのが読者の性というものである。
それから、読んでいて特に驚いたのは、特に最初の方に、田中康夫ばりのプレーボーイ指南とでも言いたくなるような若い男性に向けたと思われる章段があることと、今なら女性蔑視と批判を浴びかねない記述がしばしばみられることである。兼好って女性不信の気があったのだろうか。たしか高師直あたりに恋文の代筆をさせられたという話もある兼好のことだから、動乱期に生きる女性の姿に、思うところがあったのかもしれない。
ということで、次は兼好の生きた時代を描いた『太平記』の予定。軍記物語は、いわゆる和漢混交文で、漢文の訓読文の伝統も継いでいるから、中世のものでも読みやすいはずである。
これもまた、一年以上前に書いて放置してあったものである。