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2016年08月21日

チェキアいづこ――aneb kde je Czechia nemoje?(八月十八日)



 リオ・オリンピックの喧騒の影で、ひっそりとチェキアという略称の国連への登録が認められたというニュースが流れた。数か月前にあれだけ熱心に議論が繰り広げられていたので、その議論の結果を受けて、登録するしないを国会で審議するのかと思っていたら、こっそり申請していたらしい。いや、申請したというニュースで、議論が巻き起こったのだっただろうか。
 当時Czechiaの採用を主張する理由の一つとして、挙げられたのが、オリンピックなどのスポーツイベントに使うには、Czech republicは長すぎるというものだった。だから、オリンピックのチェコ代表のウェアにCzech republicと大きく記され、胸の部分のエンブレムにCzech teamと書かれているのを見たとき、Czechiaは採用されなかったんだなと安心したのだけど、そういうわけではなかったようだ。

 結局、英語での略称としてCzechiaを導入したい人たちがいて、スポーツはそのだしに使われてしまっただけなのだろう。だから、その手の人たちにとって、実際にスポーツの世界で使われるかどうかはどうでもよく、議論を重ねた(少なくともふりはした)というアリバイもあるので、チェコ人全体がどのように考えているかも、些末事に過ぎないのだ。
 オリンピックのチェコ代表の公式Tシャツ(そんなものがあるのかどうかは不明だが、関係者がよく着ている)の白地に一文字づつ色を変えてCzech republicと書かれているのも、なかなか見栄えが良くて、評判も悪くないようだから、スポーツ選手にとっても、デザイナーにとってもCzechiaという略称は必須のものではなかったらしい。そういえばあの時も、スポーツ選手で声高にCzechiaの採用を叫んでいる人はいなかったかな。

 しかし、そもそもスポーツの世界で英語の略称を使う必要があるのだろうか。日本も何の疑問もなく選手たちのウェアにはJapanの文字が入れられているけれども、英語である必要はあるのだろうか。なんてことを考えながら、ハンドボールを見ていたら、スウェーデンの選手たちのユニフォームには、Swedenなどとは書かれておらず、Sverigeとか何とか書かれていた。どうもスウェーデン語のスウェーデンらしい。
 自転車競技で活躍したポーランドの選手たちのユニフォーム(?)にも、Polslaとか何とか書かれていて、同じ西スラブでも、Poloskoというチェコ語の表記とは違うんだという感想を抱いたが、よく考えたらこれも英語ではなく、ポーランド語である。冬のスポーツだと、フィンランドのアイスホッケー代表もフィンランド語の国名を使っていたような気がする。
 独立したての新しい国で存在を世界に知らしめるとか、国名を変更したばかりで周知の必要があるとか、そんな理由でもない限り、英語を使う必要はないのだ。だからこそ、新しく決めた英語の略称を周知するために、今回チェコはCzechiaを使うべきたっだはずなのだけど、結局、政治家たちの話題作り、もしくは、重要なテーマから国民の関心をそらすための手だったのかね。

 それはともかく、せっかく世界中から、さまざまな言葉を使う人々が集まっているのだから、選手たちのユニフォームが言葉のささやかな展示会であってもおかしくはないように思う。スウェーデンのユニフォームの胸のところにSWEと入れてあったように、国を識別するためのコードがあれば、間違えられることはないだろうし、本当に異文化に対する寛容性を子供の頃から育てたいのであれば、オリンピックは最高の機会である。言葉は文化であり、その国の自称を知ろうとすることは、その第一歩となるだろう。IOCもあれだけあこぎな方法で集金しているのだから、それをオリンピック参加国の自国語での名称の一覧を作って、世界中の小学生に配布するぐらいのことはしても罰は当たらないだろうに。
 日本だって、「にほん」なのか「にっぽん」なのかという問題はあるとはいえ、スポーツの応援のときには、みんな「にっぽん、にっぽん」と叫んでいるのだから、Japanじゃなくて、Nipponを使ってもいいんじゃないのかねえ。日本の存在を知らない人がオリンピックを見ているとは思えないし、外国人の日本初心者は「にっぽん」と言い、上級者になると「にほん」も仕えるなんてのの入り口にはなりそうだしさ。

 それから、日本代表を、何とかジャパン、かんとかジャパンと呼ぶのもやめてもらいたいものだ。あの手の気恥ずかしくなるような愛称をつけたところで、実力が上がったり人気が出たりするものでもあるまいに。チェコにいるから耳で聞く機会はないのだけど、ネット上の記事などで目にするとなんともいたたまれない気分になってしまう。選手たちが満足しているのならいいのだけれども、マスコミに踊らされているんじゃないかと思われてしまう。
 誰か、大和言葉でよさそうなの考えてくれないかな。大和言葉だと柔らかすぎて、命の取り合いはしないスポーツだとは言え、戦いには向かないか。それに戦前の復活だとか言い出す連中が出そうだなあ。

 ちなみにチェコのサッカー代表は、「チェコのライオン」と呼ばれることがあるらしいのけれども、同じ名称の映画の賞と重なるためか滅多に使われず、U21代表が、「ルビーチャタ」(ライオンの子供たち)と呼ばれている。
8月20日23時。


 迷走した挙句に、とってつけたような終り方。うーん。8月20日追記。

posted by olomoučan at 06:15| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2016年08月20日

天元五年三月三月の実資〈下〉(八月十七日)



承前
 十四日は立后から少し離れて、石清水神社の毎年行われる臨時祭。祭使発遣の儀式の際に、天皇の御座を最初に掃部寮が準備した南の第三間から第五間に移しているのは、誤りだったのだろうか。割注に冬の祭は第三間を用いると書いてあるから、実資あたりの指摘で改めたということか。この年は天候も不順なのか、雨が降り始めて酒宴が途中で終わっている。そのせいかどうか大納言藤原為光が祭使に宣命を渡すのを忘れるという失態を犯している。この人、いろいろやらかしてくれる楽しい人だったはずなので、頻繁に登場してくれることを願おう。
 東宮、皇太子がこの儀式をひそかに見物していたというのが末尾にあるのだけど、非難なのだろうか。よくわかららん。
 十五日はまた中宮関係のあれこれの決定をするのだが、よくわからない官名のようなものが出て来て、「屎遠侍者」とか読めんし。藤原氏の氏寺である奈良の興福寺からお祝いの僧たちが、褒美の禄をもらいにやってきている。

 十六日は東宮に管弦の遊びに招待されたみたいだけど、調子が悪いと言って断っている。夜になって参内しするときにも「相扶」なんて言葉を使っているから、体調が悪いのは仮病ではなかったようだ。
 十七日は特記することはなく、十八日には今年初めて、清水寺への参拝が実現している。灯明を来られなかった月の分も奉っていて、割注に「五个月」とあるのは、今月分を入れて五か月分なのか、今月分を入れずに五か月分なのか気になる。天元四年の冬の『小右記』が現存しないのが困りものである。未の時に沐浴をしているのは、参拝前の禊ということだろうか。

 十九日には、延引していた春の季の御読経の日時や参加する僧について左大臣が奏上している。そのついでなのか、天皇の口から、近年、賀茂祭使の供奉の者たちが、禁制を破って豪奢な衣装を身にまとうことがままあるのは検非違使が怠慢だからだ。怠慢な検非違使はやめさせろと、左大臣に指示が出ている。殿上人でも禁制を破るものがいたら出仕させないなんてことも言っているので、よほど目に余る状況だったのか、四月に行われる賀茂の祭を前に、釘を刺しておく必要があったものと見える。
 廿日から廿二日は、記事が短く、廿一日に仁寿殿での不動明王を本尊とした修法が始まる以外は、特別なことはない。廿二日なんて、天皇に呼ばれたのに「病を称して参らず」って、仮病だったのだろうか。

 廿三日には、中宮職の仕事が始まっている。最初は印鑑の話。この頃から役所は判子がないと始まらなかったということか。いつものように行われた酒宴に中宮大夫の藤原済時は出てこず、「便所において」実資と相談していろいろ細かなことを決めたらしいのだが、この「便所」がどこだったのかが非常に気になる。廿四日にも中宮が内裏に戻ることに関して細かいことを決めている。

 廿五日に季の御読経が始まる。そのついでなのか内供奉の僧についてと、阿闍梨の任命についての話が出てくる。興味深いのは、かつて中国大陸から日本にやってきた人たち、時期から言うと宋の人たちが困窮して餓死したものもいるので、希望する者は本国に帰らせようという話にっていることである。金を与えたいけれども陸奥の国が献上してこないから与えられないというあたり、律令体制のゆるみとみていいのだろうか。この辺のことは天皇の命令で太政大臣の頼忠が決めることになる。

 翌廿六日には、頼忠のところに出かけて、内供奉の僧の件や、宋の人たちの帰国などについて頼忠が意見を出している。宋の人たちが日本に来て三年になると言っているので、天元二年に日本に来たということになるのか。確認できる資料を探してみよう。金を送ってこない陸奥国には督促の使を派遣することになるようだ。
 この日の夜は、「洞院西大道西辺」火事が起こって、実資は内裏の物忌にこもっていたのに、二三人連れ合って見物に出かけている。意外と物見高いというべきなのか、火事の被害を確認に出かけたのか。「密々」なんて書いているから、こっそり抜け出したのだろう。
 この日の冒頭には「室町に詣づ」とあるのだが、なぜ「参る」ではなく、「詣づ」が使われているのだろうか。

 廿七日は季の御読経の一環として論議が行われている。一番から五番目までの問う役と答える役が記録されているのだが、二番だけ欠けている。書き落としなのか、出仕しない僧がいて行われなかったのか。先日からの阿闍梨と内供奉の僧について決定が出ている。
 廿八日は実資個人の物忌である。自宅の門を閉じてどこにも行かなかったようだ。季の御読経の終わりについては伝聞の形で記している。この日の記事では、百足が耳に入ってしばらくして取り出したというのが、重要かもしれない。長さが一寸ほどってことは、三センチぐらい。「人多く奇と為す」というほど大きくはない。耳に入ったのが、「人多く奇と為す」なのかな。ちなみに『小右記』のどこかの記事で百足が耳に入るのは吉兆だから、無理に引っ張り出したりするもんじゃないとかいう記述があったような気がする。
 廿九日は大したことは起こっておらず、阿闍梨と内供奉の僧について天皇の命令が下されたことを頼忠に報告しているぐらいである。

8月17日23時。


 『御堂』は外つ国にいて、自力で復習しようとは思えないよなあ。『小右記』でよかった。8月19日追記。

御堂関白記全註釈(寛弘5年) [ 山中裕 ]


2016年08月19日

天元五年三月三月の実資〈上〉(八月十六日)



 一日には日食が起こっている。旧暦であることを考えると日食が新月の一日に起こるのは暦どおりなのだろう。遵子立后の準備は順調に進んでいるようである。「室町」というのは、室町通に面していたらしい小野宮のことかと思っていたのだが、史料編纂所の小記録データベースで検索をかけると、小野宮と書かれている部分が頻出するので、室町とは別物のようである。「室町」に注として「実資姉」との記述がある部分があったことを考えると、実資の姉に当たる人が、実の姉なのか、養父実頼の娘なのかはわからないが、住んでいたようである。

 二日は頼忠の邸宅で新造された寝殿で仏事が行なわれている。ただ、この邸宅がどこなのかが問題である。事典などに頼忠の邸宅として上げられることの多い三条第だが、実は五月一日の記事に、「三条家」を「御領」とするという記述があるので、それ以前は、頼忠のものではなかったようだ。どこに住んでいたのだろう。遵子の里邸となっている四条の邸宅とは別に、天元四年に内裏が火災にあった後に天皇の滞在した頼忠の邸宅が四条第と呼ばれているようだが、これだろうか。
 遵子立后の件では良峰美子を通じて人に知られないようにひそかに準備しろというような天皇の意向が漏らされる。大ぴっらでにできないのは頼忠もやりにくかっただろうとは思う。ただ九条流の右大臣兼家との争いもあって、慎重な対応が必要だったということか。この時期、左大臣は頻出するけど、右大臣はほとんど出てこない。

 三月三日は本来ならば御灯とよばれる北斗七星に灯火を捧げる儀式が行われるのだが、世間に穢れが満ち溢れているので中止。その代りに禊が行われている。立后の件について天皇と直接話しているが、内容は良峰美子から伝えられたことと大差はない。
 また御願寺である円融寺への行幸について、天皇が積極的に決めさせようとしているのが注目に値する。円融天皇は天元五年の翌々年、永観二年に譲位して花山天皇に位を譲っているが、このころから準備に入っていると考えてもいいのかもしれない。
 季の御読経や仁王会など仏事や、祭りなどの神事の計画を進めているのは、世間に平穏を取り戻すためのようだ。もちろん天皇は発案をするだけで、実務は関白太政大臣の頼忠に任せてしまうのだけど。

 四日にちらっと話の出た直物は五日に左大臣の主導で行われている。ここに上げられている任官のうちどこまでが直物で、どこからがついでの任官なのかはっきりしないが、さまざまな人たちが任官している。国司として遠国に赴く人たちが、京官で兼任してもいいものと、してはいけないものがあったり、前例があるから認めようなんて判断があったりして、こういうのを集めて分析したら面白い結果が出るかもしれない。自分ではやりたくないけど。天皇からお前が決めろと言われた頼忠が、判断が難しいものに関しては、「勅定有るべし」と天皇の決定に従う様子を見せているのも、天皇と関白の関係を考える上では興味深い。よくわからないところも多いのだけど。
 五日から三日間の予定で始まった仁王経を読む儀式は、三日に出てきた仁王会のことだろうか。五月に臨時の仁王会が行われているので、この三月五日の儀式は、定例の仁王会で、三日に出てきたのは五月の臨時の仁王会のことかもしれない。
 この日は、頼忠の邸宅での御読経が終わっている。そして、ついに遵子の立后に関して、日時を決めようという話になり、実資が行ったり来たりして、感謝の言葉を頼忠が漏らすなどした挙句に、今月十一日行われることが決まる。日時を天皇と頼忠たちの都合で決めるのではなく、陰陽師の加茂光栄に勘申させるのが平安時代である。

 六日から十日までは、立后の準備である。これまでも準備してきたのだろうが、ひそかにやっていたのでそれほど進まなかったのだろう。この期間、記事が短いのも、忙しくて日記を書いている暇がなかったのか。それとも決定した細かいことを日記に書き写す気になれなかったのか。
 また、中宮遵子の里邸となるのが、頼忠の所有する四条殿で、その掃除なんかも事前準備として行われている。頼忠が時々物忌なんかで出かけていたけれども、あまり使われていなかったのかもしれない。十一日に内裏で立后の儀式があるというのに、前日十日の夜中に遵子が内裏を退出して四条殿に向かうのも儀式の意味を考えると面白い。立后の後、遵子が再び内裏に戻ってくるのは、ほぼ二か月後の五月七日のことである。

 十一日の立后の儀式の内容は、細かに書いても仕方がないのだけど、注目は儀式の合間に行われた中宮職の官人の決め方である。いわゆる四等官のうち、下の二つ大進、少進、大属、少属は頼忠が独断で決めて、実資が書類に書き込んでいるが、上の二つ大夫と亮に関しては、決定はせず、大夫は天皇に決めてくれるよう奏上し、亮は実資を任じることを推薦している。天皇からは大夫もお前が決めろという返事があって、頼忠はそれに対して、藤原済時と源保光の二人を推薦して、天皇に決めてくれるよう再度奏上する。もう一度、お前が決めろ、陛下が決めてくださいのやり取りがあって、天皇が藤原済時を大夫に任じることを最終的に決定する。このお互いに相手に決めさせようとする決定の進めかたが、この時期の頼忠と天皇の間では普通であるようだ。
 宮中での儀式が終わった後、実資をはじめとする官人は、中宮のもとに向かう。中宮に使える女官が決定されるが、遵子の姉つまり頼忠の娘や、頼忠の甥の藤原佐理の妻という小野宮関係の二人が並んでいる。

 立后の当日十一日も、官人たちがお祝いを言うために中宮遵子のもとに集まっていたが、翌十二日は勧学院の学生が来ている。お祝いに訪れた官人や女官、学生達にまで褒美としての禄を与えなければならないし、十三日にもいろいろな下級の官人たちに禄を与えているし、なまなかな家では娘を立后させるなんてことはできなかったのだなあ。小野宮流というとそんなに金持ちのイメージがわかないのだが、資産家ではあるのだ。
8月17日17時。



小右記(1(寛和元年春夏・正暦元年秋冬) [ 藤原実資 ]



 最近サボっているので、前田家本の影印版。こんなものが出版されるなんていい時代になったものである。8月18日追記。

2016年08月18日

敗北宣言(二)(八月十五日)



 我らがチェコ代表は、複数のメダルが期待されたカヌーのスラローム競技とボート競技で、それぞれ銅メダルを一つしか取れないという期待はずれに終わったのだが、その分をテニスで取り返した。ベルディフとプリーシュコバーが出場を辞退し、シングルスのロソルとダブルスのシュテパーネク・ロソル組が初戦で敗退し、調子がよさそうだったシャファージョバーが女子シングルスの試合を体調不良で棄権したとき、今回はテニスでメダルを取るのは無理かなと思ったのだけど、最終的には女子シングルスのクビトバー、女子ダブルスのシャファージョバー・ストリーツォバー組、混合ダブルスのフラデツカー・シュテパーネク組が三位決定戦に勝って、銅メダルを獲得してしまった。

 女子ダブルスの三位決定戦はチェコ人対決だったのだが、実は負けたフラバーチコバー・フラデツカー組は、決勝まで後一歩だったのだ。準決勝のスイスチームとの試合の第二セットでマッチポイントを取ったところで、スイスチームのヒンギソバー(チェコスロバキア出身だからこれでいいよね)が、フラバーチコバーの右目にボールをぶち当てやがったのだ。簡単な治療は受けたようだが、十五分以上は右目が何も見えず、片目でプレーしているような状態だったという。これではまともにプレーできるわけもなく、精神的なショックから立ち直る前にポイントを重ねられて、結局逆転負けを喫してしまった。
 ダブルスではよくあることだという話だけど、もう少し中断の時間を長く取って目が見えるようになるまで待つぐらいの配慮があってもよかっただろうに。三位決定戦後の診察で、骨折までしていることが判明し、手術を受けることになったようだ。スポーツ新聞には試合後のボクサーのように目の下が腫れ上がった写真が掲載されていた。踏んだり蹴ったりとはこのことである。

 チェコがメダルを取ったのはいいのだけど、テニスの運営はひどかった。普通はボールボーイはテニスをプレーしている子供たちが務めることが多いのだが、この大会では、最初はテニスを見たこともないんじゃないかという子供たちが右往左往して選手の邪魔になっていた。途中で大人に変わってからも、タオルを渡すのに手間取ったり、ボールを拾えなかったり、求められてもいないに選手にボールを投げたり、事前の教育をしたとは思えないありさまだった。ネットの両脇のボールボーイは、方膝をついてしゃがんでいるものだが、ネットの両側に立っているのを見たときには目を疑った。最後には多少改善はされたけど、主審の脇にいたボールボーイは最後まで突っ立ったままだった。
 混合ダブルスの試合が午前一時過ぎまでかかったりした時間の問題は、フラデツカーが女子ダブルスにでていてそれが終わるまでは始められなかったという事情があるから、仕方がない面もあるけれども、もう少し時間に余裕を持った試合の予定を立てることはできたはずである。
 さらにひどかったのは観客で、うるさいのはデビスカップなどでもあることだから許そう。でも観客が少なく空席が多かったせいか、プレー中にもかかわらず、よりいい席を求めて動き回る観客が最後の最後までいなくならなかったのは許されるべきではない。審判が何度注意をしても効果があったようには見えず、ブラジルでこんな大きなテニスの大会を開催したのは大間違いだったのだと言わざるをえない。

 そもそも、テニスやサッカー(男)のような、プロの興行が世界中で行われ、オリンピックよりも権威のある世界大会が存在するスポーツはわざわざオリンピックの種目にする必要はないのだ。その意味でゴルフが採用されたのも愚行だとしか言えない。ラグビーや自転車のロードレースも要らない。IOCには、最初から人気のスポーツを集めてオリンピックの価値を上げて金儲けにつなげる努力よりも、マイナーなスポーツの振興に力を入れてほしいものである。それがオリンピックの存在意義というものではなかったのか。

 今回のテニスのチェコ代表は、全部で七人出場したうち、五人が銅メダルを獲得した。予想以上の活躍に、ついつい深夜までテレビに見入ってしまったのは仕方がないのだ。日本選手の活躍よりもチェコ選手の活躍に目が行ってしまうのも、チェコに住んでチェコテレビを見ているから仕方がないのだ。ということで、今回はチェコのテニス代表に負けてしまったことにする。

 最近昔の草創期の近代オリンピックでは芸術種目というものが行なわれていたことを知った。詩、作曲、彫刻なんて部門で、作品の優劣を競っていたらしい。チェコスロバキア代表は芸術種目でメダルを取ったことがあるそうである。日本はどうなのかな。 
8月16日17時。




2016年08月17日

敗北宣言(一)(八月十四日)



 いきなりで何のことかわからないかもしれないが、何に負けたかというと、オリンピックに負けてしまったのだ。現在の金まみれのオリンピックなんか、開催の意義を失っているのだから、やめてしまえと広言していながら、先週の土曜日に本格的な競技が始まって以来、ついついテレビの前に座ってしまう。開会式を無視したときには、あんまり見ずにすむかなと思ったのだけど、そもそもこの手のスポーツイベントの開幕と終幕のセレモニーは嫌いなので、見ないのだった。

 ハンドボールが最初の中継の一つだったのがいけなかった。女子のノルウェーとブラジルの試合は、ブラジルが開催地の意地を見せて善戦はしても、最後はノルウェーが勝つんだろうと思いつつ見ていたら、ブラジルが勝ってしまった。そうなんだよ。日本のハンドボールがヨーロッパに追いつこうとあがきながら引き離されている間に、南米やアフリカのレベルが上がって、昔はヨーロッパ以外でもやっていますよというアリバイ作りに数あわせとしてオリンピックや世界選手権に参加していたこれらのチームのレベルが上がって、いつの間にかヨーロッパの強豪チームとも互角以上の試合を展開できるようになっているのだよ。
 ブラジルチームの選手の多くが、ヨーロッパのチームで活躍しているらしいのも、ヨーロッパのチームと互角以上に戦える理由になっているのだろう。日本もハンドボールのプロ化とか、やっていたけど、それより外国でプレーできる選手を増やしたほうがいいような気がする。でも、難しいんだろうなあ。

 試合を見ていて驚いたことが二つ。一つは、キーパーを引っ込めてフィールドプレーヤーを増やすシーンが連発していたことだ。以前はキーパーの代わりであることを示すために、ユニフォームの上から背番号の部分に穴のあいたTシャツを着て、試合の終盤、どうしても点が必要なときにだけなされていたプレーだが、試合の序盤から、退場者が出たときに攻撃の人数が減らないように、Tシャツなんかなしで普通のフィールドプレーヤーと同じように交代していた。そして攻撃が失敗すると、無人のゴールに長ロングシュートを決められるというシーンが何度も発生していた。試合の終盤でキーパーなしでプレーしているときに、こんな事態が起こると、もう絶望ものなのだけど、序盤だから選手たちもそこまでショックを受けているようではなかった。いや最初からそのリスクを覚悟でのプレー選択だということなのだろう。
 どうも、最近ルールが改正されてキーパーも、普通のフィールドプレーヤーと同じように自由に交代できることになったために、退場者が出て一人少ないときや、六人のフィールドプレーヤーでは攻撃が手詰まりになったときに、頻繁に使われるようになったらしい。このプレーのおかげでゴールキーパの得点が増えそうなのは楽しくていいかな。別の試合では、超ロングシュートが無情にもぎりぎりで外れるシーンや、必死で戻ってきたキーパーがやっとのことでボールを弾き出すシーンがあったし。

 もう一つの驚きは、ゴールポストが、赤白ではなく、緑と白に塗り分けられていたことである。いいのかこれ。ルールでは赤と白と決まっていたんじゃなかったか。一体に今回のオリンピックは緑色が目に刺さる。目に優しい緑色ではなく、無駄に存在を主張する緑色で、何でここまで緑にこだわるのかと思っていたら、今回のオリンピックは環境に配慮したエコロジーなオリンピックを目指しているのだという。
 けっである。オコの沙汰である。環境が大切なのだったら、オリンピックのような大規模なイベントなど、最初から開催するべきではないのだ。そうか、オリンピックで緑色を使えばエコロジーだという発想なのか。これって何年か前に話題になった中国の緑化政策と同じじゃないか。岩山に緑のペンキを塗って緑化完了とのたまった中国のお役人のメンタリティと、リオ・オリンピック、ひいてはアイデアを認めたIOCの関係者のメンタリティは同じレベルであるようだ。

 その後ハンドボールの中継は、テレビではあんまりないのだけど、チェコテレビがネット上で八つのチャンネルを用意して中継しているものの中で、放送されることがある。気づかなければよかったのだけど、気づいてしまった。全試合中継してくれれば、どうせ次も見られるからと考えて、見ない試合もあるのだろうが、一部の試合しか中継しないせいで、ハンドボールの中継があって、自宅にいるときにはついつい見てしまう。
 そんなネット中継で、ついにカタールの試合を見てしまった。驚いたのは普通に強かったこと。これなら普通にプレーしていれば、アジアレベルだったら敵なしだろうに、何で中東の笛なんか必要なんだろうか。
 それよりも気になったのは、「イッチ」で終わる名前の選手が多かったことで、カタール代表というよりは、旧ユーゴスラビア代表という感じだった。解説なしの中継だったので、誰がどこの出身で、いつカタールに身売りしたのかってな情報は聞けなかったが、普段はヨーロッパで生活、プレーして代表のときだけカタール人になるということなのだろう。世界に散らばる中国出身の卓球選手もそうだけど、そこまでやるかという思いは消せない。

 そんな周辺のことにこだわりさえしなければ、やはりハンドボールの試合を見るのは楽しい。凡戦でも、サッカーの凡戦を見るよりははるかに楽しい。だから、オリンピックに負けたのではなく、ハンドボールに負けたのだということにして、自分を納得させることにする。
8月16日0時。



2016年08月16日

いんちきチェコ語講座(八月十三日) いやらしいEの問題



 師匠の話では、古代スラブ語に端を発するというから、チェコ語だけでなく他のスラブ系の言葉でも問題になるのかもしれないが、格変化の際に語幹のEが消えたり、現れたりするというのも、チェコ語を使うときの悩みの種のひとつになる。Eの前後に有声子音、無声子音があると、発音まで変化してしまうし、最初の頃はやめてくれと思ったものだ。いや、今でも時々思うけど。
 まずは、消えるEから始めよう。Eが消えるのは、名詞の単数一格がE+子音で終わっている場合である。ただし、この形で終わっている名詞のすべてでEが脱落するわけではないのが、困り者なのである。何かのルールがあるのかないのか、よくわからない。自分なりのルールで使ってうまく行くこともあれば、うまく行かないこともある。

 間違えたら失礼になる人名だが、女性の名前は原則としてaで終り、苗字はováで終わるので、問題になるのは男性の名前及び名字である。典型的なチェコの名前でE+子音で終わるものを考えると、Karel、Pavel、Marcel、Danielあたりが思い浮かぶ。このうち前者二つは格変化をすると語幹からEが消えて、二格はKarla、Pavlaになるが、後者二つはEが残ってMarcela、Danielaになる。男の名前の二格は女性の名前じゃないか。ということは、女性の名前と関連付けて覚えれば、人名についてはEが落ちる落ちないの区別ができそうだ。Radekは、Radka、つまり「ラトカ」と発音が変わるし、ヨゼフに対応するのは、ヨゼファもヨスファもないので気をつける必要はあるけど。
 最初に例に挙げたのがelで終わる名前ばかりになったので、これで続けると、名字でelで終わるものとしてすぐに思い浮かぶのが、ハベル大統領のHavelである。これは二格でHavlaになる。プラハの飛行場は、バーツラフ・ハベル空港に改称されたが、チェコ語では後から二格でかけるので、letiště Václava Havlaになるのである。

 地名だとどうだろう。オロモウツの近くのリトベルは、二格にするとLitovleになる。ということはelで終わるものは、Eが落ちることが多いのかというと、そうも言い切れない。動詞から派生した名詞で人を表すものの中には、telで終わるものがかなりある。これらは、učitel(先生)、ředitel(社長)などEが落ちない。他のtelで終わる名詞に枠を広げていくと、kostel(教会)、hotel(ホテル)、postel(ベッド)など、Eが落ちないものが次々出てきた。だからtelで終わる名詞は、Eは脱落しないというのを、個人的にはルールにして使っているのだけど、例外を発見してしまった。pytel(袋)とkotel(ボイラー)は二格でpytle(袋)とkotleになるのだった。人を表すtelの場合にはEは落ちないというルールにしておこう。

 現時点で、確実だと思われるルールを一つ。日本人はチェコ語でJaponecだが、このecで終わる民族を表す言葉は、Eが落ちると断言しておく。Japonecが二格でJaponceになり、Němec(ドイツ人)はNemce、Slovinec(スロベニア人)はSlovinceになる。世界中の民族名について確認したわけではないが、これまでのところecで終わる民族名でEが落ちないものは見たことがない。
 他のecで終わる名詞は、kupec(商人)とkopec(丘)は、落ちてkupce(商人)とkopceになる。また、jezdec(バイクを運転する人)とchodec(歩く人)は、それぞれjezdceとchodceで、「イェストツェ」「ホトツェ」とEが落ちるせいで、無声化して読むことになる。ここからecで終わる名詞の場合には、Eが落ちると断言したいのだけど、pecの場合には、Eが落ちないのである。それでも、民族名だけでなく人を表すecで終わる名詞の場合には、落ちるとは言えそうだ。

 では、子音+e+子音という三文字でできている名詞の場合にはEが落ちないという仮説を立ててみよう。let(飛行)、led(氷)は、どちらもEが落ちないので行けるかと思ったら、この二つと一格の読み方がほとんど同じで、カタカナで書くと「レット」になるretの二格はrtuになるのだった。それ以前に二格がpsaになるpes(犬)を忘れてはいけなかった。うーん、だめ。

 つらつらと例を挙げつつ書いてきて、ちょっと絶望的な気分になる。部分的に適用できるルールは発見できても、日本語の「は」と「が」の使い分けと同じで、100パーセント割り切れそうな、それに基づいて使えば間違いが起こらないというルールはなさそうだ。以前、師匠に質問したときには、いい質問だと言って、嬉々としてあれこれ図まで描いてまで説明してくれた。古代スラブ語の母音と子音の並び方にはいくつかのパターンがあって、その中のこのパターンのときには落ちて、このパターンのときには落ちないという説明だったのだが、さっぱりわからなかった。こんなEがあるかないかを間違えたくないというだけの理由で古代スラブ語なんかに手は出せない。いや、古代スラブ語を勉強するぐらいだったら、間違ってもいいやと思いながら師匠の説明を聞いている振りをしていた。
 Eの前後に来る子音を元に厳密に分類したり、名詞の種類や音節の数で分類したりしたら、もしかしたらルールが見えてくるのかもしれない。でも、チェコ語の教科書にさえ、覚えるべきルールとして書かれていないと言うことは、師匠の古代スラブ語を基にしたのと同じぐらい実用的ではない説明になるのだろう。

 最後に簡単にEが出てくる場合に触れておく。これはAで終わる女性名詞か、Oで終わる中性名詞の複数二格で起こる問題である。この二つの種類の名詞の複数二格は、語末の母音がなくなる。単数の一格の末尾の母音を取り去ったときに、語末に複数の子音が残ることがある。例えばdivadlo(劇場)は、末尾のoを取ってしまうと、divadlになるが、dlは言いにくいのか、Eを入れて、複数二格はdivadelになるのである。
 注意したほうがいいものとしては、studentka(学生)とkamarádka(友達)を例に挙げておこう。この二つの言葉、単数一格では、どちらも「ストゥデントカ」「カマラートカ」と語末を無声子音で読む。しかし、複数二格にするとstudentek、kamarádekとなって、片方は無声、もう一方は有声になってしまう。Eを入れることができるようになってからも、単数一格が「カマラートカ」と無声だから、つづりのことを考えないで複数二格を「カマラーテク」と言ってしまったことが何度もある。
 日本人の場合、男性の単数一格はJaponecで、女性はJaponkaである。女性の複数二格はJaponkではなく、 Japonekになる。そうなるとJaponecの間違いじゃないかと誤解してしまいかねないのである。いや、誤解したことがある。

 言葉というものが、変化していくものであることを考えると、この手の発音と表記のずれというものは、発音しやすい方向に向かっているはずだ。日本の音便なんかも同じである。だから、Eを落とすか落とさないか、入れるか入れないか、悩んだ場合には両方発音してみて、発音しやすいバージョンを選ぶというのもいいだろう。試行錯誤しているうちにチェコ人の感じる発音のしやすさというものを理解できるようになるかもしれない。
8月15日21時。



 いやあ、迷走した。迷走して迷走して、抹消してしまおうかとさえ思ったのだが、やはり恥をさらして今後の糧にする。読む人にはいい迷惑だろうけど。8月15日追記。

2016年08月15日

いんちきチェコ語講座(八月十二日) 有声子音と無声子音のややこしい関係(三)



 残ったのは以下の三つの組み合わせである。
 Ch /  F /  ×
 H  /  V /  Ř

 この中で一番厄介なのは、発音のときと同じで、HとChの組み合わせである。原則はこれまで見てきた他の有声、無声の組み合わせと同じはずなのだが、原則通りに行かないものがかなりある。
 Chが無声子音として、前に来る有声子音を無性化するのは原則から外れる例はないと思う。obchod(店)は「オプホット」だし、předcházet(先立つ)は「プシェットハーゼット」で、rozchod(離婚)は「ロスホット」と読む(促音は表記しなくてもいいかも)。bもdもzも、後にあるchのせいで無声化しているのである。

 問題はHである。チェコの別れの挨拶は、「ナスフレダノウ」だと言うのはチェコ語を勉強したことのない人の中にも、知っている人も多いだろう。チェコ語で書くと、na shledanou。前置詞のna の後に来るshは、無声+有声の組み合わせで、後にlがあるから、全体を有声で読まなければならないはずである。しかし、省略形の「ナスフレ」も含めて、有声音で発音するチェコ人は見たことがない。
 だからと言って、この組合せが絶対に無声化するかと言うと、そんなこともなく、shora(上から)は、「ズホラ」と発音される。でもね、一文字違いのテニスの40-40のときに使われるshodaは「スホダ」なのか「スホダ」なのか、注意して聞いてもよくわからない。shrnout(要約する)は、「ズフルノウト」と有声で発音されているが、shánět(手に入れる)は「スハーニェット」で無声化するような気がする。だからHの前に無声音がある場合には、大半はSだと思うが、念のために発音の確認をしたほうがいい。

 ただしHの問題はこれで終わりではない。本来ならば絶対に有声音になるはずの、有声+Hでも、無声で発音されているのではないかと疑ってしまう例があるのだ。ラグビーの反則で、日本ではノッコン、スローフォワードと呼ばれるものが、チェコ語では両方まとめてpředhozになるのだが、テレビのアナウンサーや、解説者の話を聞いていると、どうも「プシェットホス」と言っているように聞こえる。原則に従えば、「プシェッドホス」と読まれるはずなのだが。
 こういうややこしさも、チェコ語の発音の中で一番厄介なのがHとChだと言う所以である。これに比べたら、発音が多少難しいだけのŘも、似た音を区別して発音する必要のあるRとLも、可愛いものである。HとChに関しては、完全にできなくても当然、ある程度できれば万々歳ぐらいの気持ちで取り組むのがよさそうだ。

 次はFとVである。この二つのうち、チェコ語ではなぜかFが使われる単語は少なく、F+有声の組み合わせも、有声+Fの組み合わせも、聞いたことがない。無理やり捜せば出てくるのかもしれないが、そんな滅多に使わない言葉の発音を覚えてもしかたがない。有声子音と一緒に出てきたときに考えればいいだけの話である。
 それに対して有声子音のVのほうは、Fの分もあるんじゃないかと言いたくなるぐらいたくさん出てくる。V+無声、無声+Vのうち、前者は原則通り、つまり後に来る無声子音の影響を受けて全体を無声で読む。včera(昨日)は「フチェラ」で、všechno(すべて)は「フシェフノ」になる。子音が三つ並んだ場合でも、例えば、vzpomenout(思い出す)のvzpは最後のpの影響で全体が無声化して「フスポメノウト」と発音される。
 しかし、無声+Vは、原則どおりには行かない。Vは有声で発音するが、前の無声子音を有声化することはないのである。だからtvůj(お前の)は原則に従えば「ドブーイ」となるはずだが、tは無声音のままで「トブーイ」と発音しなければならない。ただし、ポーランド語ではVは前に来る無声子音の影響を受けて無声化するらしく、ポーランドとの国境地帯、シレジア地方のチェコ人たちの方言では、この言葉は「トフーイ」と発音される。初めて聞いたときには豆腐と関係があるのかなどと頓珍漢なことが頭に思い浮かんだ。女性形の「トフォイェ」とか、二格の「トフェーホ」とか、発音するのがつらいような気もするんだけど。

 最後のŘは、無声子音が後にある場合だけでなく、前にある場合でも、無声化するという特徴を持つ。だからBřeclavは「ブジェツラフ」で、Přerovは「プシェロフ」になるのである。
 さて、Ř+無声という組合せがあっただろうかとしばし考えて、職業を表す名詞の女性形がいくつもあることに気づいた。lékař(医者)やkuchař(調理師)などのようにŘで終わる男性の職業を表す言葉は多い。それにkaをつけると女性形になるのだけど、kの影響で、「レーカシュカ」「クハシュカ」と無声で発音されることになる。複数二格はEが入って、「レーカジェク」「クハジェク」と有声に戻るのだけど。
 Řは発音自体は大変だけど、対応する無声子音を表すアルファベットがないおかげで、発音が無声になっても、耳で聞いてつづりを間違う心配はない。いや、あるのだった。日本人はŘをジャ行、シャ行の音で聞き取ってしまうために、Ž、Šと混同してしまうことがある。男はチェコ語でmužだから職業の男性形がž終わっても不思議はないと思うんだけど……。

 この有声、無声の問題は、それぞれの子音の発音を覚えるだけではなく、格変化にも気を配らないとならないので、特に勉強し始めのころは大変である。そのうちに発音とつづりが頭の中で一致して、格変化にもある程度は対応できるようになるのだけど、対応できるようになったつもりでも、間違えることはなくならないのである。はあ。
8月13日23時。


2016年08月14日

いんちきチェコ語講座(八月十一日) 有声子音と無声子音のややこしい関係(二)


 念のために、有声子音と無声子音の対応表もどきを改めて掲げておく。

 K S Š T Ť P  C  Č  / Ch /  F /  ×
 G Z Ž D Ď B  ×  ×  /  H  /  V /  Ř

 無声子音と有声子音が連続する場合、原則として後の子音の属性が優先される。つまり、無声+有声の場合には、全体が有声になり、有声+無声の場合には、全体が無声子音の連続として発音されるのである。気を付けなければならないのは、無声+有声が語末にある場合には、語末の有声子音が無声化するルールに基づいて、全体が無声化することである。ただし、この原則が完全に適用できるのは、最初の/までの八組の対応である。

 ややこしいので、細かく例を挙げよう。KとGの場合には、チェコ語の疑問詞の中にkdで始まるものが多いのに気付いている人も多いだろう。kdo(誰)、kdy(いつ)、kde(どこ)、いずれも後にくるDのせいで有声化して「グド」「グディ」「グデ」と読むのである。同じKで始まる疑問詞でも母音が間に入った kudy(どこを通って)は、「クディ」と読む。ちなみにスロバキア語ではこの連濁をきらったのかDの代わりにTが使われていて誰は「クト」になる。Gの後に無声子音が来る例は思いつかない。

 Sが有声子音のせいで有声化するものとしては、sběrač(集めるもの)がある。考えてみたら、「スビェ」なんて発音はしにくいから、発音がしやすいように「ズビェ」になったのかもしれない。反対にZが無声になるのは、zpátky(元に)を上げておけば問題なかろう。これも「ズパ」は言いにくいなからあ。
 ちなみに、日本語ができるチェコ人が、日本語の「ですが」を発音するときに、「す」の母音Uを省略してしまい、さらにチェコ語の発音ルールを適用して、「でずが」と言うことがある。ローマ字で書くと、desugaがdesgaになって、gのせいでsが「ズ」と読まれてしまうのだ。かなり上手な人でも、気を抜くとやってしまうらしいので、日本語のできる知り合いがいたら確認してみよう。外国語の発音が難しいのは日本人にとってだけではないことがわかって、チェコ語の勉強が少し楽になるかもしれない。
 Šの後に有声子音がくる言葉は思い浮かばないが、Žの無声化としては、プラハから作られた形容詞pražskýがある。žは後に来るsとkが無声子音であるために無声化して、「プラシュスキー」と読まれるのである。

 Tはもう、fotbal(サッカー)を上げるしかない。これ、「フォトバル」と読んではいけない。tの後にbがあるので、「フォドバル」と読むのが正しい。svatba(結婚)のtba部分も同じで「スバドバ」である。Dの後に無声子音が来る例は、dcera(娘)があるのだけど、最初のDを発音しているのかどうか、日本人の耳には聞き取れない。それから形容詞のnadšený(熱狂的な)の場合には、dšeで「トシェ」ではなく「ッチェ」と発音しているようでもある。こういう文章を書いていると自分の耳の悪さが恨めしくなるなあ。
 Ť +有声、Ď+無声の組み合わせは、あるかもしれないけど思い浮かばない。まあ原則はハーチェクなしと同じである。

 Pが有声化するのは、見たことも聞いたこともないが、Bが後に来る無声子音で無声化するのは、結構よくあって、「オプサフ」と読むobsah(内容)を挙げておけば十分だろう。それから格変化した場合の例も思いついた。obec(村などの自治体)は、一格では「オベツ」と有声で読まれるが、格変化をしてobceとなると、無声化して「オプツェ」と読まれることになる。Bが後に来る無声子音のせいで無声化するのは、ハプスブルクもそうだから、ドイツ語にも見られる特徴なのかもしれない。あれ、でも、チェコ語で書いたらHabsburkだ。ということは、bsbという子音の連続が有声子音で終わっているから、規則に従えば、「ハブズブルク」と読むはずだぞ。外来語だから気にしなくてもいいの、か、な。

 Cが有声化する例はないと書きかけて、leckdoを思い出した。ただこの言葉、lecが接頭辞として強く意識されるせいか、「レズグド」ではなく、「レツグド」と読む人もいるようである。lecと言えば、昔、Lecjaksという名字をどう読むのかで悩んだなあ。これはlecを分けて読む感じで「レツヤクス」だったかな。cjaで「チャ」と読んでよさそうな気もするのだけど。
 Čが有声化するのは、昔なかなか覚えられなかった言葉léčba(治療)がある。「レージュバ」と言えなくて、「レーチュバ」と言っていたんだよなあ。ビール通の友人に指摘されるまでは。

 ハプスブルクやプラシュスキーの例からもわかる通り、有声、無声がまじりあって三つ以上連続する場合も原則は、同じである。一番後にある子音、別な言い方をすると、母音か有声でも無声でもない子音の前にある子音が有声か無声かで、全体の読み方が決まるのである。

 簡単にまとめておくと、有声子音が、無声化するほうが子音単独の場合なども含めて多いので、覚えやすいはずだ。無声子音が有声化するのは、後に有声子音が来たときだけなので、そんな単語が出てきたときには、つづり、意味と合わせて発音も意識して覚えることが大切なのだろう。最近流行りのぺちゃくちゃ喋れればいいや的な語学学習では、チェコ語は身につけられないのである。

 例外的な発音のルールのあるHとCh、FとV、Řについては、有声と無声が一緒に出てくる例としては挙げなかった。次回はこの五つの子音の発音のルールについて説明をして、今回の発音シリーズの終わりにする。
8月11日23時。



2016年08月13日

いんちきチェコ語講座(八月十日) 有声子音と無声子音のややこしい関係(一)



 カ行、サ行などが無声音で、ガ行、ザ行などが有声音だと言われると、それなら日本語にもあるので、あまり問題がないような気がする。ただ日本語にはない問題として、有声子音が無声で発音されたり、無声子音が有声で発音されたりすることがある。無声が有声化すること自体は、日本語にも連濁という現象があるので、それほど大きな抵抗はないのだけど、連濁が起こる規準と位置が違う。
 例によってチェコ人たちは、明白なルールがあるというのだが、例外も多い。下に無声子音と、有声子音の対応表みたいなものを作ってみた。×は発音は存在するが対応するアルファベットがないことを示す。末尾の三つの組み合わせは、それぞれ例外的な使い方をするので/で分けておく。

 K S Š T Ť P  C  Č  / Ch /  F  /  ×
 G Z Ž D Ď B  ×  ×  / H  /  V  /  Ř

 まず、これらの子音の後に、母音が来る場合と、この表にない子音、たとえばM、Nなどが来る場合には、それぞれの子音をそのまま発音すればいい。だからzáda(背中)は「ザーダ」になるし、 zmrzlina(アイスクリーム)は「ズムルズリナ」になる。

 それから、語末に来た場合には、無声子音は無声のままだが、有声子音は無声子音で発音する。これに関しては例外はない。だから、hradは「フラッド」ではなく、Chebも「ヘブ」ではないのだ。この問題は日本語でも語末に濁音が来る場合に、末尾の母音が発音されなくなって、濁音なのか清音なのかわからなくなることがあるのを思い出せは、他の言葉でも起こりうるということは理解できるだろう。バッグとバック、ベッドとベット、間違えてしまったことのある人は多いはずだ。
 ただし、この二つのルールに関しては、これだけで終わりではない。チェコ語の名詞には各変化がある。つまり母音が付いたり落ちたりするのだ。だから、各変化をして母音が付くと、語末の子音が再び有声化して、例えば二格なら、「フラドゥ(hradu)」、「ヘブ(Chebu)」になってしまう。このことは、チェコ語の学習には単語のつづりを覚えることが欠かせないことを示している。耳で聞いただけでは、有声子音で書くのか無声子音で書くのか理解できないのだから。

 この語末の無声化を覚えると、チェコ語に入った外来語の中で、日本語ではグで終わるものが、すべてクで終わるのが理解できると思う。ミーティングはミーティンク、トレーニングはトレーニンクになってしまうのである。おそらく、チェコ語に入ってきた当初は、Gで表記されていたはずだが、現在では表記も発音にあわせてKになっているのではないだろうか。二格以降も、派生語を作るときもKのまま格変化させるはずである。
 英語teamは、日本語でもチームと書くか、ティームと書くかで問題になるが、チェコ語では、かつては、外来語であることを意識させるためかteamと書いていたはずである。それが、いつの間にか発音に合わせてtýmと書かれるようになっているし、外来語に対しては発音にあわせた表記を求める圧力がないわけではないようだ。だから、本来のチェコ語の語彙でも、というわけには、格変化もあるから、いかないのだろう。それなら表記に合わせてteamを「テアム」と読むようにしてくれれば、笑えるからよかったのに……。

 話を戻そう。この問題で忘れてはいけないのが、女性名詞と中性名詞の複数二格である。格変化というと語末に母音を付け加えたり、語末の母音を変えたりするというイメージが強いが、この二つの場合には、母音が落ちるのである。žena(女性)の複数二格はženであり、 město(町)はměstになる。この二つは、最後の母音の前が有声子音ではないので、問題はないのだが、chyba(間違い)はchybとなり語末は「ブ」ではなく「プ」と発音され、 zádaはzadとなるのである。本当にチェコ語が聞いて理解できるようになるためには、「ヒプ」と聞いて、語末のプがPとは限らず、Bかも知れないことに思い至れるようにならないといけないのだ。
 こう書くと死ぬほど大変そうだけど、よく使う単語に関しては、そのうちに慣れてしまうからあんまり問題はない。あんまり使わない単語の場合には、多少勘違いをしてしまったとしても、笑い話で済むし、勘違いできるところまで語彙が増えたことを喜んでもいいぐらいだ。単語知らなきゃ勘違いもできないんだから。

 次は子音が連続する場合である。無声子音が連続する場合には、すべて無声で発音するからこれは問題ない。pták(鳥)のptもstudentka(女学生)のstもtkもすべて無声で発音すればいい。有声子音が連続するときのルールは、有声子音が単独の時と同じである。だから後ろに母音のあるdvěře(ドア)のdvと BřeclavのBřは、どちらも有声で読むし、後ろにrがあるzdraví(健康)も「ズドラビー」と読むのである。それに対してzájezdのように語末にある場合には、「ザーイェスト」と無声で読む。格変化に気を付けなければならないのも同じで、女性名詞単数一格のmzda(給料)は、「ムズダ」と読むが、複数二格はmezdとなって(eについてはいづれ)、「メスト」と読むことになる。

 滅多にないけれども、有声子音ばかり、無声子音ばかりが三つ連続する場合も、同じルールを適用すればいいだけだ。例としては、有声子音が連続するvzduch(空気)と無声子音が連続するpstruh(マス)を上げておこう。

 ここまでは、上に掲げたすべての有声子音、無声子音に適用できるルールである。それで、最後の問題が、有声子音と無声子音が一緒になっている場合なのだが、長くなったので、またまた分割させてもらうことにする。

8月11日15時30分。






2016年08月12日

オリンピックメモ



 もうやめてしまえと言いながらついつい見てしまうオリンピックだが、チェコに住む日本人として嬉しいことがあったので、忘れないうちに書いておく。

 ここまでで一番感動させてくれたのは、カヌー競技のスラロームの日本代表羽根田選手である。もちろん、メダルを取ったからなんて理由で感動するほど素直な人間ではない。メダルなんざどうでもいいのだ。

 スロバキアでトレーニングを積み、ブラチスラバのコメンスキー大学を卒業したらしい羽根田選手について、解説のロンドンオリンピックの優勝者バブジネツ・フラディーレクが、「こいついいやつなんだよ」とか、「スロバキア語ができるからあれこれ話せて楽しいんだぜ」なんてことを言っていたので、おっと思ったのだ。
 そしたら、銅メダルを取ってしまって、チェコテレビで、羽根田選手が、流暢なスロバキア語でインタビューを受けて、スロバキアとスロバキア人に感謝の言葉を捧げていたのだ。ブラチスラバで学んだというだけあって、聞き取りやすいスロバキア語だったし。
 こういうのを見ると、オリンピックというのもまだまだ捨てたもんじゃないなと思う。

 スロバキアの選手が二位に入ったから、半分スロバキア選手みたいな羽根田選手の三位と合わせてスロバキアでは大騒ぎになったんじゃないだろうか。スロバキアのテレビが見られなくなったのが残念だ。
 結果を見ると、ほんのちょっとの差で四位になったのがチェコ人の選手だから、スロバキア人選手、スロバキア語ができる日本人選手、チェコ人選手の順番で並んでいるのだ。モラビアっぽい立ち位置に、親近感が湧くなあ。

 ついさっき柔道でチェコ人選手のルカーシュ・クルパーレクが優勝した。チェコとしてはこっちのほうが大騒ぎなのだろうけれども、個人的には羽根田選手のスロバキア語が現時点では一番のニュースである。
8月12日0時。


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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