2016年11月23日
政教分離(十一月廿日)
ヨーロッパに来て思うのは(いや、チェコが典型的なヨーロッパかと言われると何ともいえないところはあるのだけど、少なくともEUの規準の範囲ないであれこれやっているはずだから、ヨーロッパと言ってもいいだろう)、日本の政教分離というものは、非常に厳密なものであったということだ。いや、正確には厳密さを求めてうるさい人が多かったということか。
日本にいるときにも聞いたことはあったはずだが、チェコやドイツの政党名が気になった。もちろん、キリスト教民主同盟のことである。宗教団体の政治活動は、政党分離の原則でも禁止されているわけではなく、日本にも宗教政党と言える政党はある。しかし、日本では教団名をそのまま政党名に使用することは、政教分離の原則から禁止されているのではなかったか。だから創価学会は、公明党、オウム真理教は、真理党、そして最近の幸福の科学は、幸福実現党などと、教団名とは違う党名を使用することを求めらたのである。
それが、ヨーロッパではのうのうと一宗教の名称であるキリスト教がそのまま政党名に使用されているのには、日本的な政教分離の考え方に慣れた目には違和感というか、これでいいのかという気持ちを抑えることはできなかった。現実にはKDUなどと略称で表記されることが多いとは言っても、ニュースなどではキリスト教的民主主義者などとキリスト教がそのまま使われている。日本の政教分離にうるさい人たちの話を聞いていると、このキリスト教民主同盟も政教分離の原則に反していると思うのだが、この点について批判した例は寡聞にして知らない。
それから、昭和天皇の崩御の際に、葬儀を、具体的には大葬の礼というものを国葬として行なうのは政教分離の原則に違反するという批判があった。その結果、神道に基づいた皇室の私的行事の部分と、公的な国事行為の部分とに二分するというおこの沙汰としか言いようのない案が出てきたのだが、それでも首相を初めとする国家公務員が神道儀式に出席したといって批判する人たちがいた。
チェコでは、ビロード革命後の最初のチェコスロバキア大統領にして、初代のチェコ大統領バーツラフ・ハベル氏が亡くなったとき、その功績を讃えて、国葬として葬儀が執り行われた。その葬儀は、大統領官邸ともなっているプラハ城内の聖ビート教会で行なわれた。もちろん、プラハの大司教などキリスト教関係者も登場していた。
実際の葬儀がどこまでキリスト教の儀礼に基づいたものなのかは、正直わからないが、日本の天皇の場合に、神道儀礼によって葬儀が行なわれたのと軌を一にすると考えていいはずだ。しかし、当然のことながら教会で国葬が行われることを批判する人などいなかったし、そもそも問題だと感じた人もいなかったのではなかろうか。日本で昭和天皇の葬儀に異を唱えた人たちが、この事実に対してどんな反応を示すのか聞いてみたいところである。
また、公共の建物の工事を始める際に、工事の安全を祈って行われる地鎮祭が、自治体の公金を使って宗教行事を行なうのは何事だと批判されることがある。裁判にまでなっているようだけれども、チェコでは、おそらく他のヨーロッパ諸国でも、自治体の公金でクリスマスツリーが街の中心となる場所に設置される。オロモウツでも、毎年近隣の森から適当なものを選んで切り出して、これも市が主催のクリスマスマーケットのシンボルとして設置し、飾り付けをした上で、聖ミクラーシュの日に点灯の儀式を行なう。
これをキリスト教の儀式に公金をつぎ込んでなどと野暮なことを言う人はいないし、そもそもキリスト教と関係があると考えている人もいないのだろう。それは、日本の工事安全を願う地鎮祭が、近所の神社の神主さんを呼んで来てやってもらうものだとしても、神道の儀式だと考える人がほとんどいないのと同様である。
神道的なものの痕跡をあげつらって、地鎮祭を批判するのであれば、キリスト教的なものの痕跡から、クリスマスをも批判するべきなのだ。日本だってクリスマスにかこつけて自治体がイベントを行なったり、建物のライトアップをしたりするところは少なくないはずだ。しかし、そんなイベントが政教分離の観点から批判されたという話は聞いたことがない。
問題は、日本人の多くは生活に根ざした神道を宗教とみなさないことによって政教分離をないがしろにしていると主張している日本の政教分離にうるさい人たちが、キリスト教に起源を持つ商業化した儀式、イベントを宗教と関係があるとみなさない点にある。
最近目にしたある本には、公共の電波であるテレビのニュースで神社のお祭を取り上げるのもよくないと書かれていた。そんなところまでぎちぎちに政教分離という原則で縛ってしまったら、生きづらい社会になるに違いない。そんな本でも、クリスマスのニュースを放送することについては批判されていないのだから、一方的と言うかなんというか。政教分離にうるさい人たちが、声が大きいわりには支持者を増やせない理由はこんなところにあるのだろう。日本にいるときには、どこがとは言えなかったけれども、どことなく胡散くささを感じていたのだ。
こんなことを書くからと言って、クリスマスの行事を中止にしろとか、政教分離なんかやめてしまえとか過激なことを言うつもりはない。特定の宗教の布教につながらないような儀式であれば、政教分離、政教分離と目くじらを立てる必要はないのではないかと言いたいのだ。これに限らず、ヨーロッパでもチェコに暮らしていると、細かいところにこだわるのがバカらしくなってしまう。日本的な政教分離の目で見るとそんなバカなと言いたくなることがたくさんあるのだ。
11月21日23時。
一応戯言に入れておく。チェコではキリスト教関係の宗教団体は、国費で運営されている。だから教会の神父さんなんかも、国から給料をもらう国家公務員とみなせるのである。11月22日追記。
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