アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年01月07日

オロモウツのホテル2(正月五日)









 悪い癖で、シリーズっぽいものを始めるだけ始めて、存在を忘れて続きを書いていないものがいくつもある、と思う。その一つがオロモウツのホテルについてである。その1では、ホテル・ブ・ラーイから始めて、トラムのウ・ドームの停留所のところまで来て終わったのだった。ということでその続き。
 ウ・ドームの停留所のところから緩やかに下る通りは、緩やかに右に曲がって液のほうに向かうトラム通りと、真っ直ぐロシア正教の教会のほうに向かうコメンスキー通りに分かれる。昔、オロモウツが要塞都市だった頃には、この二つの通りが分かれるところにしないに入るための3つの門のうちの一つが存在していたらしい。トラムの路線の改修工事の際にその遺構が発掘されたということで、記念碑が設置されるというから楽しみにしていたのだが、実際に設置されたのを見たら、期待はずれのちゃちさだった。交通の要所ではあるので、あまり大々的なものは建てられなかったというのはわかるのだけどね。

 その門の記念碑の向こう、トラム通りとコメンスキー通りにはさまれる形で建っているちょっといかつい建物がホテル・パラーツである。建物の記念碑側の一階には喫茶店が入っていて、夏場は建物の前に座席を並べてザフラートカみたいになっているのだけど、この辺りはまだ旧市街の車両進入禁止地帯にはなっていないので、交通量はかなり多く、個人的にはあまり利用したいとは思えない。
 以前はこの喫茶店の入っている側にホテルの入り口もあったと記憶するのだが、現在はトラム通り側に入り口がある。あまり目立たない感じなので、通り過ぎてしまうかもしれない。以前この建物が改修中に知り合いが泊まったときには、コメンスキー通りにあるという裏口を探すのが大変だった。素直に喫茶店のある側にホテルの入り口も設置しておいてくれるといいのに。

 このホテルは、トラムの停留所で言うと、ジシカ広場とウ・ドームの間にあるのだが、旧市街に入るところは坂になっていることを考えると、ジシカ広場の停留所を使った方がよさそうである。以前トラムの路線の改修工事が行なわれていたころは、代替バスの停留所がジシカ広場からムリーンスキー川を越えてすぐのところに置かれていたから、さらに交通の便がよかったのだけどね。

 以前、どこかで、古い、おそらく20世紀初頭のものだと思うのだけど、オロモウツの市街地の地図を見たころがある。その地図でも、このホテル・パラーツがあるところは、ホテルだった。ただ名前がグランドホテルだったんじゃなかったか。昔のオーストリアの町には必ず一つあったホテルだと誰かが言っていたような気がする。ということで確認したらホテルの運営会社の名前がグランド・ホテル・パラーツになっていた。

 宿泊費から言うと、ブ・ラーイより少し安いぐらいだろうか。問題は、予約サイトのカタカナ表記が、Booking.comでは、「ホテルパラース」になっていて、トリバゴでは「ホテルパラク」になっていること。どちらもチェコ語表記もあるホテルの中でカタカナで表記されているのはいいんだけど、この二つの表記を見て、同じホテルだとわかる人がどのぐらいいるだろうか。ホテルの写真を見ればわかるといえばその通りなのだけど。
2019年1月6日21時15分。












タグ:ホテル

2018年12月13日

オロモウツのホテル1(十二月八日)



 「オロモウツ」とブログ名につけておきながら、最近オロモウツについての記事を全く書いていなかった。観光案内とか二三回しか書いていないんじゃないだろうか。いずれ再開するつもりはあるのだけどなかなか気がむかないというか、思い切りが付かないというか。ということで、助走代わりにオロモウツのホテルをいくつか紹介することにする。
 booking.comやトリバゴでオロモウツの宿泊施設を検索すると60件以上の宿泊施設が出てくるけど、いくつかダブりもあるし、郊外過ぎて車でもなければ利用しづらいところもある。というよりも存在を知らないところの方が多い。ということで、町の中心、もしくは駅の近くで知り合いが宿泊したことがあって、どんなところか多少はわかっているところをいくつか選ぶことにする。

 先ず最初は、名前だけはすでに何度も登場しているホテル・ブ・ラーイ。以前は日本から知り合いが来ると必ずこのホテルを勧めていた。その理由となっていたレストランが閉店してしまってからは、このホテルを勧める機会もほとんどなくなってしまったが、オロモウツのホテルというとここを一番に挙げてしまうのは変わっていない。
 場所は旧市街の共和国広場から坂を下りた旧市街の中と外の境目に当たるところで、近くには歴史的建造物もあるけれども、このホテルの建物は新しい。チェコ語の「ラーイ」は楽園、天国を意味する言葉だが、ここではどうも聖書のエデンの園を意味させているようで、かつてのレストラン、今はホテルの朝食用の食堂の内装は、芸術的にデフォルメされたアダムとイブがモチーフになっていたと記憶する。

 部屋のほうもベッドなどの設備は普通のホテルと同じだが、細かいところのデザインが凝っていた。一番記憶に残っているのは、洗面所の水道の蛇口で、どうすれば水が出るのか、しばらく悩んでしまった。一度できてしまえば簡単なのだけど。そういえば以前ここに泊まった人が、暖房の温度の設定変更の仕方がわからなくて苦労したなんてことも言っていたなあ。
 部屋数はそれほど多くなく、予約が一杯で泊まれないこともあるが、泊まった人たちの評価は結構高かった。強いて難点を挙げれば、トラムの停留所のある共和国広場に出るのに急な坂を上らなければならないところか。駅まで大きな荷物がある場合にはタクシーを呼んでもらったほうがいいかもしれない。車でオロモウツに来る場合には、隣の立体駐車場内に宿泊客用の駐車場が確保されていて、ホテルの出入り口のところの裏口から駐車場に直接入れるようになっている。

 以前は自前のHPから宿泊の予約なんかもできるようになっていたのだが、やめてしまってbooking.comを通じての予約になっているようだ。電話や直接の予約も可能だろうけど。数年前に知り合いのために予約したときには、ブ・ラーイのHPで部屋の種類など条件を入れたのに、予約の確定をしようと思ったらbooking.comのページに遷移するようになっていたから、レストランを閉店した後、自前のHPの運営もやめてしまったのだろう。宿泊費は二人部屋で一泊7000円ほどか。オロモウツの中では平均よりちょっと高目というところか。
 booking.comのブ・ラーイのページには、最寄のスポットとかレストラン、マーケットなんかも表示されているのだが、何でこんなのがというものも上がっていて興味深い。普通のスーパーで上がっているのがリードルだけで、シャントフカとオプフーデク・ウ・エビというお店もスーパー扱いになっている。前者はスーパーと呼ぶには大きすぎ、後者は小さすぎる。しかもシャントフカは、近くのトルジュニツェ(青空市場)まで1キロになっているのに、3キロも離れていることになっているし、どうやって情報を引き出しているのか不思議である。

 ブ・ラーイを出て坂を上って共和国広場に出て、左にトラムの通り沿いに緩やかな坂を下りていくと、100メートルほどで次の停留所であるウ・ドームがある。左右の停留所に挟まれた交差点を左に曲がると、ホテル・ウ・ドーム、右に曲がるとペンション・ロイヤルがあるのだけど、実はどちらもあまり知らない。
 ウ・ドームの方が古くからあって、15年以上前に、知り合いが泊まったときにはクレジットカードで支払いができなかったとか言っていたかな。今は多分大丈夫なはず。ここもロケーションは、旧市街の中でも静かなところなので、いいいい場所にあるのだけど、トラム通までがちょっと坂になっているのが、大荷物を持っての移動には不向きかもしれない。ブ・ラーイに比べればはるかにましである。
 ここは中には入ったことがないのだけど、泊まった知り合いは、ペンション風の宿だといっていたから、そういうのが好きな人にはあっているかもしれない。ブ・ラーイとは違って、ぎりぎり旧市街の中だから建物自体もそれなりに古くからあるはずだし。

 ということで一回目はお仕舞い。次がいつになるかはわからないけど、またねたのないころに取り上げることにする。
2018年12月9日23時50分。













2018年10月13日

市町村議会選挙結果オロモウツ2018(十月九日)



 この市町村議会選挙の勝者を、町の大きさなどは考えず議席数だけに基づいて判断するなら、常に無所属の候補者達である。正確に言えば、政党に所属しない候補者たちが合同で作成した候補者名簿に乗っていた当選者が一番多いのである。その場合、チェコ語で無所属連合とする場合と、町の名前を付けた連合とする場合があるようで、今回は得票率で50パーセントを越え、合計で約35000議席を獲得している。
 二番目は、選挙制度からいうと何故可能なのか理解できないけれども、完全に無所属の候補者、つまり候補者名簿に入らずに単独で立候補した人ということだろうか。ニュースで二つも三つも候補者名簿ができるほどは候補者がいない町では、名簿化しないで、ここの候補者の名前を個別に投票用紙に印刷して、定数にあわせて印をつけさせたなんてところもあると言っていたから、そんな政党、グループ別の候補者名簿の存在しなかった町の当選者がここに含まれるのかもしれない。得業率10パーセントで議席は6000ちょっと獲得している。

 市町村議会選挙での無所属候補の強さ、多さをこの二つのデータは示しているのだが、政治的なまとまりのないこの二種類の無所属議員が存在しその数が国政政党を上回るという事実は、残念ながらほとんど国政に影響を与えることはない。国政政党は三位以下に並んでいるのだが、この手の政党にとって全国でいくつ議席を獲得したかとか、得票率が何パーセントだったかというのはそれほど重要ではない。重要なのは、主要都市の議会でどれだけ議席を獲得したかと、選挙後の交渉でどれだけの町で市長を出し、連立与党に参加できたかという点である。
 特に重視されるのはもちろん首都のプラハの結果だが、ブルノや、オロモウツ、オストラバなどの行政区分として地方の主要都市の結果も重視される。あとは以前の行政区分だったオクレスを周囲の町や村と共に構成していた町の結果も話題に上ることがあるが、それ以外の小さな町や村の結果は、よほど特別なことがない限り、個別にニュースになることはない。

 プラハ中心主義は嫌いなので、まずはオロモウツ地方の中心オロモウツから行こう。選挙期間中は、トラムにいくつかの政党のポスターが貼られたり、英雄広場の角の建物のつぶれた見せの窓にある候補者を立てた政治団体の候補者の写真が名簿の番号とともに張り出されたりしていたから、国政正当以外にも小さな地域政党みたいなものも出ているのは知っていた。それから、海賊党が市長連合と合同で候補者名簿を作成したのも知っていた。政策がどうこういっていたけれども、議員定数に合わせた候補者を集めるのが大変だったというところじゃないかなあ。
 期間中は市民民主党やANO、社会民主党などの国政政党が、ホルニー広場でイベントを開いて、有権者に賄賂を配布していた。賄賂といっても、チェコ風ホットドックであるパーレク・ブ・ロフリークとか、チェコ版のアナなしドーナツともいうべきコブリハなどの小さな食べものか、ペンとかバッジなんかの子もであることが多いから、それで投票先を選ぶとは思えないけれども、日本の厳格な精度を知っていると、これでいいのかといいたくなることは多い。

 とまれ今回のオロモウツの市議会選挙の結果を確認しよう。参照したのはこのページ。オロモウツ市議会選挙には全部で16の政党、団体が候補者を立てたようである。そのうち議席を獲得したのは、九つのグループだから、かなり票が割れたといってもよさそうだ。

 第一党になったのは、前回の選挙と同様バビシュ首相率いるANOで、得票率約27パーセントで、14の議席を獲得している。4年前の前回の選挙よりも2議席増やしている。議員定数が45だから、約三分の一なのだが、この数を多いと見るか少ないと見るか微妙なところである。前回は第一党になりながら市長の座を二位だった社会民主党に奪われていたが、今回は他の党に大きな差をつけての第一党なのでANO代表が市長の座につくことになりそうである。

 二番目に入ったのは、プロ・オロモウツという地元のグループで獲得議席は6、前回も2議席獲得しているようだけど、知らんかった。前回の得票率を見ると5パーセントを切っているから、市町村議会選挙には5パーセントの壁は存在しないのかもしれない。当選者の肩書きを見ると建築家を名乗っている人が多く、特定の政党のひも付きというわけではなさそうである。

 三番目がこちらも議席を6つ獲得した海賊市長連合。衝撃は当選者の名前にあって、名簿の三番目に記載されて4位で当選を果たしたビクトル・ティハークという名前に見覚えがあると思って確認したら、サマースクールの事務局長を務めていた兄ちゃんだった。海賊党かあ。なんだか妙に納得してしまった。合同名簿でナンバー3ということは、海賊党内では2番目だった可能性があるわけだけど、それにしては、海賊党の選挙活動の報道には出てきていなかったような気もする。最近あんまりオロモウツ地方のニュースを見ていないから、出ていたのかも知れんけど。

 四番目は良くも悪くも地方ボスでオロモウツの地方組織を牛耳っていたラングル氏が退場したように見える市民民主党。獲得した票は増えているけれども、得票率はちょっと下がり、議席数は前回と同じ5。一時の凋落傾向からは脱したようにも見えるけど、この党がチェコにもたらした害悪を考えると安心するのはまだ早い。

 五番目はキリスト教民主同盟。国政ではこの党上がり下がりが激しいのだけど、地方議会ではカトリックの組織に支えられて比較的安定した結果を出している。今回は議席を一つ減らして4。

 六番目が新しい地元の団体であるスポレチニェ。日本語に訳すと「一緒に」という意味になるが、唐名の味噌は、「ポレ」の部分に登場するOLが大文字にしてあること。OLはオロモウツを示す略号なのである。確かトラムの中に広告を出していて、選挙のリーダーがオロモウツ市の交通局のえらいさんを勤めているというグループじゃなかったかな。トラム、バスの無料化を主張しているのかと思ったら、ゴミの回収量の無料化を訴えていた。うーん。議席数は3.

 七番目はオカムラ党とゼマン信者等の連合。SPDとSPO、ときどきどっちがどっちだったかわからなくなるこの連合は、オロモウツだけのものである。オカムラ党は結党以来初の市町村議会選挙なので、議席を獲得すればそれだけで勝利と言えるのだが、オロモウツでは3議席も獲得している。よその町ならともかく、オロモウツでとは……。まあクラドノ(後述)に比べればましか。

 八番目と九番目は共産党と社会民主党。共産党は4議席から2議席に減らしただけなのでまだ許容範囲だけど、社会民主党は、かつてオロモウツの市長も地方知事も上院議員も独占していたことを考えると、10議席から2議席に減らしたのは壊滅的な敗戦と言わざるをえない。獲得した票も前回の三分の一以下で、社会民主党が主導したオロモウツ市政に対する批判が噴出したというところだろうか。もちろん全国的な社会民主党のでたらめぶりも関係しているだろうけれども。

 去年の下院選挙の結果と同じで、ANOとその他の小政党ということになり、連立の相手をさがすのが大変そうである。最低でも二つの党、グループと手を結ばなければならないのだから。たいていは安定多数になるように、過半数を大きく越える連立が目指されるのだけど、今回はどんな組み合わせになるのだろうか。選挙の結果を見るとANOから市長が出るのがすじだが、他の小政党が野合してANOは維持に出る可能性もなくはない。
 最終的にANO、市民民主党、キリスト教民主同盟、スポレチニェが連立与党を組んで市政を担当することになったようである。45議席中、26議席だからなかなかの数かな。市長になるのはANOのミロスラフ・ジュバーネク氏。いろんな党の選挙活動で気になったオロモウツの多すぎる借金を少しでも返済していってほしいものである。
2018年10月11日24時。








2018年09月25日

オロモウツ勝った(九月廿三日)



 やっと、やっとである。久しぶりに、今シーズン初めてホームでシグマ・オロモウツが勝った。これで第九節まで終了して2勝目、引き分けは一つもなく、7敗、勝ち点6で順位はしたから2番目の15位。このままいけばまた二部への降格である。去年の今頃は、二部から上がってきたばかりだったというのに、二部での好成績をそのまま一部にも持ち込んで、2位か3位にいたはずだから、天国から地獄である。監督のイーレクの解任のうわさなんかもあって、チーム状態も試合の内容も悪化しているようだった。
 不調の原因の一つとして解説者達が挙げていたのは、予選とはいえヨーロッパリーグに久しぶりに出場したことで、去年予選なしで本選から出場した初出場のズリーンがヨーロッパリーグでなかなか結果を出せなかっただけでなく、チェコリーグでも成績が上がらず最後まで残留争いをすることになったのに、チェコリーグに集中できている今年は開幕から好調で上位につけているのを考えると、間違いではないのだろう。だから、ヨーロッパリーグの予選で敗退した後は、調子を取り戻せるかと期待したのだが……。
 去年の好成績が、チームの実力だけではなく運にも助けられたものだというのは重々承知していたし、冬の移籍期間に攻撃の中心の一人だったホリーがプルゼニュに移籍して以降、得点力が落ちて秋と比べたら成績を落としていたから、今シーズンは苦戦することになりそうなのは、昨年ほどのスタートダッシュは期待できないのはわかっていた。わかっていたけどオロモウツのチームには期待してしまうのが、オロモウツの人間の人情というものである。

 考えてみれば、今年はクジ運も悪かった。第一節と第三節のホームでの最初の二試合が、スラビアとプルゼニュという現在チェコリーグで最強の座を争う2チームである。それでも始まるまでは、勝てるかもしれないなんてことを考えていた。それが……。
 スラビアには0−3で負けたが、オロモウツやスラビアの選手たちの試合後のコメントからは、点差ほどには内容に差はなかったような印象を受けたから、相手が変われば結果も変わるだろうと、この時点ではあまり心配していなかった。第二節のムラダー・ボレスラフでの試合で、前節のうっぷんを晴らすように4−0で勝ったし、ヨーロッパリーグのアルマトイとの試合も二連勝で勝ち抜けたからさ。

 その後、第三節はホームでプルゼニュに0−1で負け、第四節でスロバーツコにアウェーで1−3で負けた。チェコリーグの試合は見ていなかったが、ヨーロッパリーグの予選セビージャとの試合を見る限り、それなりに攻めることはできていたし、チャンス、チャンスもどきも、かなり作り出せてはいた。ただどうにもこうにも点が取れていなかった。こういう状況が続くと次第にチーム状態も悪化してチャンスすら作れなくなっていくということで、この辺りから今年はだめかもしれないというあきらめにも似た気持ちを抱き始めた。オロモウツって一度駄目になると立て直しに時間がかかるから、今年は二部に落ちなければ御の字かなと。

 第5節のホームでのバニーク・オストラバとの試合は、その不安が当たったというか、テレビで見たけどほとんどいいところがないままに負けてしまった。選手たちが頑張っていないというわけではないのだろうけど、解説者には動き出しが遅いから競り合いで悉く負けていると指摘されていた。スペインのセビージャとホームでは互角に戦ったオロモウツの姿はなかった。次の第六節ではヤブロネツまで出向いて0−3の完敗。ヤブロネツはヨーロッパリーグに本戦から出るチームだけど、まだ始まっていなかったので特にその影響もなく、オロモウツはまたまたいいところなく負けてしまったようだ。

 ヨーロッパリーグの予選も敗退で終わったし、そろそろチェコリーグで調子を取り戻してもらいたいと思っていたところで行われたのが、ボヘミアンズとのホームでの試合だった。前半はよかったみたいなんだよ。久しぶりに2点も取ってそのまま前半が終わったから、これは2勝目確実だということで、この記事を書く準備を始めようかとしたくらいなのだから。それなのに……。
 ボヘミアンズの反撃にあって、最後のほうはオロモウツの選手たちは恐々プレーしているとテキスト速報にも書かれる始末で、あっさり、本当に何でと言いたくなるぐらいあっさり逆転されてそのまま敗戦。点が取れない問題が解決したと思ったら、守りに入ってしまって最後は自滅したと言ってもよさそうだ。去年は相手が自滅してくれたのに。

 第8節では二部から久しぶりに昇格してきたばかりのプシーブラムにアウェーで0−1の負け。下の方の順位で残留を争うことになりそうな相手に負けたのは痛い。しかも、得点を決められた相手が、一時はサッカーを離れて格闘技の試合に出ていたという話もあるベテランのスレピチカというのもなあ。今シーズンは全30節が終わった後に追加で残留と降格を決める追加の試合が行われるとはいえ、当該チーム間の対戦成績というのは大事だから、下位に落ちそうな相手には勝たなきゃいけないはずなんだけど。
 この時点でオロモウツの順位は15位。シーズン初めからなかなか勝ち点を獲得できていなかったオパバやカルビナーが、勝ったり引き分けたりして勝ち点を取るようになったのに、第2節の勝利でしか勝ち点を上げていないオロモウツは、最下位のドゥクラと同じ勝ち点3で、得失点差で辛うじて上にいるというところまで落ちてきたのだ。

 第9節は、その今シーズン絶不調のドゥクラ・プラハとのホームでの試合で、最下位決定戦となってしまった。内容はひどかったらしいけど、何とか1−0で勝利して、試合の終わった時点では順位を二つぐらい上げたのかな。その後に始まった試合で、カルビナーとオパバが勝ったためにまたまた15位に戻ってしまった。とりあえず、最下位に落ちなくてよかった。この勝ちをきっかけに、内容も結果も少しずつ上向いてくれるといいんだけど。
2018年9月24日22時25分。









2018年05月05日

写真(五月二日)



二日、依召参入殿、被求云、縦雖有所労、可書者、余答不堪任之由畢、亦被命云、可出写真者、仍載写真了、




767.jpg


 これが社会主義的リアリズムという奴である。さすがにこれは似非漢文では書けない。

2018年01月07日

オロモウツへようこそ(正月四日)



 チェコ語についてコメントをくださった方が、大晦日、チェコ語風にいうとシルベストルをオロモウツで過ごされたらしい。気に入ってくださったようでうれしい。オロモウツの案内の記事ももう少し増やしたほうがいいのかなあ。長く住んでいるとすべてが当たり前のことにように感じられて、何について書けばいいのかわからなくなってしまう。たまに出かけるだけであまり知らないプラハのほうが書きやすいというこの矛盾。

 ところで、夜はどうだったのだろう。ホルニー広場辺りに出てチェコ人たちが無計画に打ち上げる花火を見上げられていたのかな。昔々、オロモウツではないけれども別の町の大晦日の騒ぎに巻き込まれて花火で怖い思いをしたことがあるので、寒い中出かける気にはなれないのである。日本の夏なら、ロケット花火を向けられてもネズミ花火に追いかけられても走って逃げればいいけど、あの時は雪が積もっていて、南国の人間には、走って逃げようにも逃げられなかったのだ。足を滑らせて倒れたほうが被害が大きくなりそうだったし。
 毎年、元日のニュースでうんざりするのが、プラハなどの大都市で、市の清掃局が夜中からごみの回収車を出して、ごみ箱のごみだけでなく地面に散乱している花火の燃えカスやら酒の空き瓶やらを回収し、さらに清掃要員まで投入しなければならなかったというニュースである。せめて自分が打ち上げた花火のごみをごみ箱に放り込むぐらいのことはしろよ。でも、火が残っていたら火事の原因になるかもしれないのか。うーん。

 チェコもドイツなどの思想に汚染され始めているので、スーパーやショッピングセンターの店員が祝日に休めないのはよくないとかいう理由で、特定の祝日には営業が禁止されることになった。それなのに、大晦日と元日という祝日に、清掃局の人たちの仕事を増やす花火は放置するというのがよくわからない。警察や消防の人たち、鉄道会社の人たちだって、交替で休みを取りながら祝日も仕事をしているわけだから、スーパーなどの営業を禁止しても仕方がないと思うのだけど。
 ドイツとの国境近くのスーパーやショッピングセンターには、ドイツで営業が禁止されている週末にドイツから買い物客が来るなんて話もあるから、そのうちに週末の営業も禁止されるかもしれない。チェコの週末も祝日も営業しているお店の問題は、むしろ定休日がないことだと思うんだけどねえ。国境を越えての買い物について言えば、チェコからドイツに安くて質のいい品物を求めて出かける人たちもいるというから、買い物客の奪い合いはどっちもどっちという感じなのかな。

 ところで、コメントを頂いた記事について少し云々しておくと、動詞については、いずれ書くつもりでいたのだ。名詞で格変化をやったから、格変化つながりで形容詞、数詞、人名から作られる所有の形容詞みたいなのについて書いてからにしようと考えていた。そして、形容詞と数詞の厄介さにあんまり書く気にならないよなあと先送りにしていたところに、動詞についてのリクエストが来たのは、渡りに船のようなところもあったのだ。だから、我儘ってことはないので、気になさらないでほしい。もし他にも要望があれば、遠慮なく書いてもらえるとありがたい。自力で何とかできるものはすぐ書くし、できそうにないものは調べて書くことも可能だし。ネタに困ることも多いし。
 動詞も現在変化、過去、命令とやってきて、どうしようか。過去形を使って仮定法に行く? 受け身まで行ってしまう? それに受け身や、三人称複数から形容詞を作ってもいいかな、これはその前に形容詞の解説が必要か。最近あまり考えないでチェコ語を使っているので、どの順番で説明していくのがいいのかよくわからない。自分が勉強した順番も、身につけた順番も覚えていないしなあ。日本人にとって、どれが難しいかというのもよくわからないかな。
 とまれ、教科書に基づいて身につけたチェコ語の文法を、自分なりに咀嚼して、教科書の説明とは違うかもしれない説明をするというシリーズは、続けていくつもりである。繰り返しになるけれども、チェコ語を勉強している人の役には立たなくても、気休めになってくれれば幸いである。

 コメントの最後に「Plzeň より」と書かれていたけれども、チェコ語で「v Plzni」と書いていただけたらさらにうれしかったかな。ちなみに「Plzeňより」は、「z Plzně」だけど、地元の人たちは「zez Plzně」というらしい。それは嘘だという人もいるので、本当かどうかはわからないけど。プルゼニュ出身の知り合いがいたら質問してみよう。
2018年1月4日22時。




意味不明な説明文である。1月6日追記。

オロモウツ( Olomouc )都市チェコ共和国の純銀製のフラグ Cufflinks 刻まれたボックス









2017年11月30日

シグマ・オロモウツ(十一月廿七日)



 久しぶりのサッカーの話題は、国内リーグについてである。リーグ戦開始当初は、スラビアが昨シーズンから続けていた不敗記録をどこまで伸ばすのかが注目されていた。昨年の秋から続いていたスラビアの不敗記録は、今シーズンの第11節にリベレツに負けたことで、36試合で終了した。昨シーズンの九月に就任したシルハビー監督は、その後一試合も負けることなく、スラビアを久しぶりの優勝に導いたのである。
 大量に補強をした今シーズンは、選手のローテーションが激しすぎるせいか、いまいち調子が上がらず引き分けてしまうことも多く、チャンピオンズリーグには出場できず、ヨーロッパリーグのグループステージでも勝ち抜けを決められないでいる。HETリーガでも、15節終了時点で8勝5分2敗で勝ち点29で、3位に甘んじている。この順位は上ができすぎという話もあるのだけど、去年だったら勝てていた試合が引き分けに終わるようなことも多い。

 次に、スラビアの不敗記録が止まる前から話題には上っていたけれども、騒がれたのが、プルゼニュの開幕からの連勝記録である。ブルバ監督が復帰し、トルコでも戦力外にされてチェコに戻っていたコラーシュを復帰させたプルゼニュは、チャンピオンズリーグの予選や、ヨーロッパリーグの試合でこそ、負けたり引き分けたりすることがあったが、リーグ戦では初戦から負けしらずを続け、14節まで全勝を誇ったのだ。
 コラーシュをはじめ、ペトルジェラやリンベルスキーなど、ベテランのもう引退も近いとみなされていた選手たちが、ブルバの元で復活をとげ、伸び悩みの印象の強かったコピツやフロショフスキーなどもこれまで以上に活躍するようになっている。スパルタやスラビアが外国の選手を集めたのに対して、プルゼニュはチェコの、それもベテラン選手をうまく使って、強いチームを再建することに成功した。

 ブルバ退任後もチェコリーグでの成績だけを見れば、そんなに悪くなかったのだけど、ヨーロッパの舞台で全く勝てなくなってしまっていたのだ。その弱体化したプルゼニュの名残は、チャンピオンズリーグの予選にも見られ、苦手のブルガリアチームのFCSB(ステアウア・ブカレスト)に敗れて本戦出場できなかったのである。かつての勝負強いブルバのチームであればブルガリアでの初戦で引き分けた時点で、勝ち抜けはほぼ決まりだったのだけど……。FCSBとはヨーロッパリーグのグループステージでも同組になったが、第5節、合計4試合目でやっと勝利を手にしている。同時にグループ勝ち抜けも決めているから、ヨーロッパでも強いプルゼニュの復活である。
 そのプルゼニュも、チェコリーグの第15節で、テプリツェと引き分けに終わり、開幕からの連勝記録が途切れてしまった。まだ負けたわけではないので、前代未聞の全勝での優勝は無理になったが、無敗での優勝は期待できる。たしか一度スパルタが無敗で優勝したはずだけど、あのときは引き分けが半分ぐらいあったんじゃなかったかな。プルゼニュはちょうど半分の試合が終わった15節終了時点で、14勝1分、勝ち点43、これは事実上は優勝決定と言ってもいいぐらいの勝ち点である。単純に倍とは行かないだろうけど、これまでの最大勝ち点70ちょっとを更新しそうな勢いである。

 そして次に注目すべき好調なチームが、二部から昇格したばかりのわれらがオロモウツである。前回昇格したときには、中途半端にベテランを補強してチーム混乱に陥っていたが、今回は、昨シーズンの二部でプレーした選手たちがほとんどそのまま残っていて、財政的な問題からほとんど補強しなかったのがよかったのだろう。二部で見せた見せた魅力的なサッカーを一部にもそのまま持ち込み、これまでにないぐらいの成績を残している。
 一時期調子を落として、負けてもおかしくないような試合もあったけれども、そんな試合でもきっちり引き分けられるのが今のオロモウツである。スラビア戦はハンドくさいプレーからのゴールで何とか同点に追いつき、ボヘミアンズ戦、オストラバ戦は、先制はしたものの相手に押し込まれて同点に追いつかれたあと何とか守りきったという試合だった。
 負けたのは連勝を続けていたプルゼニュとの試合だけ。それも、多くのチームが完敗する中、オロモウツは結構互角に近い試合をしていた印象がある。15節では不調とはいえそれなりに勝ち点を積み上げてきているスパルタとの試合に、1-0だったけれども、内容的には完勝し、現在9勝5分1敗の勝ち点32で、なんと2位につけているのである。

 今回は簡単には降格しないだろうと思っていたけれども、ここまでの結果を出すとは、選手たちや監督も期待さえしていなかったのではないだろうか。たしか勝ち点が29になった時点で、これで残留が決まったぞとインタビューで答えていた選手がいた記憶がある。チェコのリーグは全30節で行なわれ、勝ち点30前後が残留と降格の境目となることが多いのである。
 もし、今年最後の16節で負けなければ、オロモウツは2位で長い冬休みを迎えることになる。二部から昇格したばかりのチームが2位で秋を終えるというのは、これまでなかったことだというので、ここは頑張って秋の2位を目指してほしい。15節で勝ち点32なら、30節で64、この数字はシーズンによっては優勝を狙えなくもないのだけど、今シーズンは1位のプルゼニュが完全に独走に入っているから、ここから優勝というのは無理だろう。それでも久しぶりにサッカーでオロモウツの活躍が見られるというのは嬉しいものである。

 今はまだそれほど数は出ていないし、出場機会も少ないけれども、今後オロモウツの選手、オロモウツ出身の選手が代表に呼ばれる機会も増えていくはずである。そうなるとチェコ代表を応援するモチベーションも上がるので、今の好調ができるだけ長く続いてほしいものである。トブルディークがボスやってるスラビアの選手ばかりだとね、監督も元スラビアのヤロリームだしさ。

 ということで、久しぶりのオロモウツに関する、サッカーだけど、記事であった。
2017年11月28日25時。








2017年08月13日

チェック・サイクリング・トゥール2017(八月十日)



 仕事帰りにテレジア門の近くを通ったら、ナチスに焼き討ちされたシナゴーグの跡地の駐車場に、黒塗りのバスとトラックが停まっているのに気づいた。この炎天下に真っ黒とは、熱を吸収して中は暑いに違いないなんてことを考えながら眺めていたら、自転車チームのバスと機材を運ぶトラックだった。チェコ人、スロバキア人を数多く擁するドイツのチーム、ボラ・ハンズグローエである。金持ちチームの一つだから、外が真っ黒でもバスの中は冷房がしっかり効いて快適なのだろう。
 最近すっかり忘れていたのだが、オロモウツ地方を舞台に開催されれるチェコ最大の自転車のステージレースが行われる時期が近づいていた。今年の春ぐらいまでは、しばしば情報を求めて大会のHPを覗いていたのだが、全く情報の更新が行なわれなかったので、いつの間にか見なくなっていたのだ。

 去年はUCIのワールドツアーのチームが二つ来ていたから、今年はボラとどこが来るんだろうと期待して、久しぶりにHPを確認したら、残念ながら二年ぶり出場のボラだけだった。それだけでなく、去年の感じだと毎年出場しそうだった日本のアイサン・レーシング・チームも今年は出場しないようである。ちょっと残念。
 出場チームは、去年同様全部で18で、去年から継続して出ているチームは、7チームのようである。名前が変更になってわからないのもあるかもしれないけど、半分以下ということか。ヨーロッパのチームが中心で、一番多いのは、イタリアとオーストリアの3チーム。地元チェコは去年から数を減らしてポーランドと同じ2チームしか出ていない。
 一番遠くから来ているのは、カザフスタンのチームで、これってアジアのチームになるのかな。それともサッカーと同じでヨーロッパ扱い? 去年遠くアメリカから出場したチームは、日本のアイサンと同じで出場していない。このチームも長期的に出場するようなことをいっていたような気がするのだけどなあ。

 ボラが来るということは、チェコのタイムトライアルのエース、ヤン・バールタと、ロードレースのエースの一人レオポルト・ケーニクが来るということだろうと予想したのだが、バールタは来るけど、ケーニクは、ジロもツールもブエルタも棒に振る原因となった膝の状態がよくならないために欠場を余儀なくされたらしい。その代わりと言ってはなんだけど、サガンが来る。サガンはサガンでも世界的なスーパースター(トリックスターと呼びたくなるけど)のペテルではなくて、お兄ちゃんのユライ・サガンである。
 正直な話、出場選手の中で、名前を聞いたことがあるのは、ボラのバールタとサガン、ポーランドのCCCスプランディのチェコ人選手ヒルトぐらいで、誰が優勝候補になるのかもよくわからない。できればチェコ人のバールタかヒルトに勝ってほしいところだけど、二つ出ているチェコチームの無名の選手の中から優勝者が出てもいい。

 チェック・サイクリング・トゥールの初日は、チーム・タイムトライアルと決まっている。去年はフリーデク・ミーステクで行なわれたが、今年はいつものウニチョフに戻って約19kmのコースで行なわれた。ボラが圧倒的な優勝候補だったのだけど、勝ったのはチェコの自転車会社アウトルのチームだった。2位のボラとの差はわずか3秒以下、3位は6秒差でCCCスプランディ、この三チームの中から総合優勝が出るかな。
 二日目は、オロモウツからオパバを経てフリーデク・ミーステクへ向かう200キロ超のステージ。今年が初登場かもしれない。三日目は恒例のモヘルニツェからシュテルンベルクに向かって、エツェ・ホモのヒル・クライミングコースを三回登るステージ、最終日はオロモウツからシュテルンベルクなどを経てドラニに向かい、ドラニの周回コースを九周するステージである。

 一昨年は最終日が中継されたのだけど、去年はオリンピックのせいで中継されなかった。今年はまた中継されるだろうと期待していたのだけど、現在ロンドンで開催中の陸上の世界選手権にチェコテレビのスポーツチャンネルの放送枠を取られて、今年も中継はないようだ。競歩に負けてしまったのである。
 サッカーのチェコリーグの試合などはチェコテレビ第二で、特別に放送枠を取って中継されるのだけど、チェコ国内最大とはいえ、世界的にはまったく無名の自転車のステージレースを、そこまでして中継するわけにもいかないのだろう。人員も陸上の世界選手権に取られているだろうしね。ところで、去年のアイサンチームの出場を、日本で報じたスポーツ・メディアはあったのだろうか。
8月11日22時。





2017年08月01日

有朋自遠方来、もしくは秘密のオロモウツ(七月廿九日)



 縁あって親しくさせていただいているコメンスキー研究者が、チェコ語のサマースクールに参加するためにオロモウツに来られた。今年も来るという話は以前から聞いていたのだが、ご本人のブログを見ていても、いつまでたってもオロモウツに向かうという記事が出てこなかったので、仕事が忙しくて来られなくなってしまったのだろうかと不安だった。
 サマースクールが始まったのが7月24日の月曜日、普通は前日か前々日にオロモウツに入るものだが、前々日の22日まで、忙しく仕事をされている様子が書かれていて、これから日本を出ても間に合わないんじゃないかと思っていた。それが、22日の夕方まで日本で仕事をして、23日の夕方にはオロモウツに到着するという強行軍で無理やり間に合わせてしまったらしい。さすがである。思い返してみると、初めてサマースクールに参加したときには似たようなことをやったかな。あの時は出発の前日に仕事ではなく、飲み屋に壮行会と称して引っ張り出されたんだったか。
 サマースクール第一週の週末にあわせて、プラハの日系企業で活躍している共通の知人もオロモウツまで出てきてくれたので、以前からの約束通り土曜日に三人でお酒を飲みにいくことになった。前回五ヶ月ほど前に一緒にお酒を飲んだときから、楽しみにしていたのである。朋の遠方より来たる有り、亦た楽しからずやである。

 天文時計の前で再会したあと、いきなり飲みに行くのも遠くから来てくれた二人に申し訳ないということで、普通の観光客が足を運ばないところからのオロモウツをお目にかけた。二人とも初めてのオロモウツではないので、典型的な観光名所は一通り回っているのだ。だから、街の中心部の外側のは要塞都市時代の城壁の残骸が残っているところ、見上げるとかつてオロモウツが城砦であったことがよくわかるところをお目にかけることにした。
 ホルニー広場からガレリエ・モリッツの脇を通ると、複雑な形状の屋根が特徴的な聖母マリア何とか教会がある。聖母マリア教会は、前にあれこれ形容詞がついて、いろいろな種類に分かれる。その区別はキリスト教にほとんど興味を抱かない人間にはよくわからない。聖書の伝説か何かに結びついた形容詞なのだろう。「昇天せし聖母マリア」は何となく理解できても、「雪をかぶりし聖母マリア」と言われても何のこっちゃである。

 さらに進んで大通りに出て左に曲がって旧市街のほうを見ると、城壁が一部丸く突き出した形になったところが復元されている。向かい側の保険会社なんかの入ったガラス張りの現代建築物とは対照的である。この通がオロモウツの旧市街の中と外を分けていて、内側の建築物に関しては、新築、改築を問わずかなり厳しい制限がかかっていると聞く。
 反対に右に曲がると、城下の四角い塔のようなものが残っていて、何かの店にされているのが右手に見える。さらに交差点を超えて、右に曲がり旧市街のほうに入ると、美術館や博物館の建物を裏側から見上げることができる。ここから見るオロモウツの街の姿というのは、オロモウツをよく知っている人にとっても、はっとさせられるものである。

 さらに進んで、道がムリーンスキー川とぶつかるところから公園に入ると、所謂オロモウツ城が崖の上に見えてくる。街の内側のバーツラフ広場の側からは、教会と博物館が並んでいるだけで、城という印象は全く感じられないのだが、こちらから見ると、崖の上のいくつかの建物が結びついて全体として城を構成していることがよくわかる。プラハ城ほどではないにしても、なかなかの威容である。この公園の木々がなく、もう少し遠目から見ることができたら、さらに威風堂々たるお城なのだろうが、それだけのために公園の木々を切り倒すわけには行くまい。
 この公園は、地元の人たちの散歩コースになっているけれども、観光客が足を運ぶことはほとんどない。穴場のオロモウツの中でも穴場だと言っていいところである。公園を出てぶつかる通りがコメンスキー通りだというのも、今回の散策にはふさわしかった。狙ったと言いたいところだけど、偶然の産物である。

 そこから旧市街のほうに戻って、大饗宮殿の前を右に曲がって、目指すは聖バーツラフビール醸造所である。前回もここで飲んだのだが、プラハから来た知人は前回は車でプラハに戻るというので、ビールは飲めなかったのだ。ということで、中庭のザフラートカに席を取って、皆でお約束のジェザネーを注文する。出てきたビールが黒と金色できれいに半分半分に分かれていて、写真を撮るところまでが決まりごとである。
 それぞれ専門分野の違う三人だけれども、不思議と話がかみ合うのである。日本の政治、教育、高校、大学、チェコ語、英語などなど、流れるようにテーマを変えながら、ついつい時間を忘れて話し続けてしまった。酒を飲みて語り、語りて復た飲む、是れ亦た説ばしからずやであった。
7月30日23時。






2017年07月09日

聖モジツ教会――オロモウツ観光案内(七月六日)



 共和国広場からトラム通を町の中心のほうに下りていくと、小さな広場に突き当たる。その広場にどっしりとそびえているのが聖モジツ教会である。教会に隣接して典型的な社会主義時代のショッピングセンター、悪名高きプリオールが建っていたのだが、近年完全に改装されて外観を一新し、名前もガレリエ・モリツに改名された。今のガラスをふんだんに使った外観の方がデザイン的に美しいのは確かなのだが、どちらが旧市街の建物の間に建てられるのにふさわしいかとなると、簡単には決めかねる。
 ガレリエ・モリツの完成に伴って、トラムの停留所も聖モジツという名前に変わった。それまでは、上りと下りで位置がずれていたこともあって、プリオールとコルナという停留所のところにあったショッピングセンターの名前が付けられていた。ショッピングセンターに当たるチェコ語の「オプホドニー・ドゥーム」は、デパートと訳されることも多い表現なのだけど、プリオールはぎりぎりで許せるにしても、コルナはデパートと呼ぶにはかなり無理のある施設である。

 ゴシック様式で建てられた聖モジツ教会は、すでに13世紀の半ばに存在していたことを証明する文書が残されているらしい。その後、14世紀末にオロモウツを襲った大火災の後に、特徴的な二本の塔が建てられた。南側の塔の完成が1403年で、この部分は現存する最古の部分だという。そして少し高い北側の塔が完成したのが1412年である。
 この北側の塔は、一般に公開されていて、教会に入ることなく登ることができる。以前は入場料のようなものを取っていたが、現在は心づけ程度のお金を、教会と塔の整備のために寄付する、つまり募金箱の中に入れるだけで、自由に登れるようになっている。お金を入れずに登る人もいるかもしれないが、反対にかつての入場料以上の額を入れる人もいるだろうし、人を雇ってまで入場料をとる意味がないと判断されたのだろう。

 この塔の階段は最初は狭い石造りの螺旋階段で、壁に肩をぶつけながら上っていくことになる。そして、教会の鐘がつるされた部屋に出る。ここからは鉄製の階段になるのだけど、段と段の間には何もなく、向こう側が見えるようになっているので、高いところが苦手な人は恐怖を感じるかもしれない。それよりも怖いのが、塔の屋上出るところにある前に押し上げる形になっているドア?なのだけど。
 ホームセンター辺りで売っていそうなプラスチックの素材を使った手作り感満載のドアは、上ってきたときはまだいいのだけど、下りるときにはバランスを崩しそうになったり、ドアを手で支えながら階段に足を踏み入れなければならなかったりと結構厄介なのである。
 高さ約50メートルの塔の上からの見晴らしはよく、オロモウツの旧市街は歴史的町並保存地区で背の高い建物がないので、他の建物を眼下に見下ろすことができるのも気持ちがいい。ただ足元がどうにも落ち着かない。石の上に何か黒いものが敷いてあるのだが、それが水を吸ってなのか何なのか、波打っているのである。慣れれば平気になるのかもしれないけれども、慣れるほど何度も登る人がいるとも思えない。

 また聖モジツ教会は、パイプオルガンでも有名である。18世紀の半ばに設置されたオルガンは、大きさでも品質でもヨーロッパで最高のものの一つだという。知人のスロバキア人の父親がパイプオルガンを弾くことができて、この教会の人に引かせてほしいとお願いをしたことがある。実際に弾けたかどうかは知らない。以前、日本から来た人が、最近旅行会社ではただの観光旅行では終わらないツアーを企画していて、ヨーロッパでパイプオルガンを演奏しようという企画を見かけたことがあると言っていたけれども、チェコなら聖モジツ教会のオルガンも候補になるはずである。

 聖モジツ教会に名前を与えた聖人の聖モジツは、チェコ語ではスバティー・モジツとなる。スバティー・モジツと言えば、冬季オリンピックも開催されたスイスのサンモリッツのチェコ語名である。聖モジツについて、ちょっと調べてみたら、3世紀に活躍した古代ローマ帝国時代の軍人で、エジプトで生まれ現在のサンモリッツの辺りで亡くなったらしい。
 聖モジツは、テーベ軍団の指揮官としてガリアでの作戦に参加した際、当時のローマ軍団の習慣であった戦いの前にキリスト教徒を生贄として神にささげる儀式に参加することを拒否したことで、罪に落とされ、十分の一刑というのに処されたらしい。これは古代ローマ軍団に特徴的な刑罰で罪に落とされた軍人十人のなかから一人を選んで、残りの九人に撲殺させるというものだという。聖モジツも指揮官でありながら殺される一人に選ばれて、撲殺されたのだろう。
 この伝説がどこまで真実を伝えているのかも、どうしてそんなローマ軍団の指揮官だった人の名前がオロモウツの教会に付けられているのかもわからない。聖ミハル教会のある丘の上で、古代ローマ帝国の駐屯地のようなものが発見されているのと関係があるのだろうか。

 ところで、教会の隣のギャラリー・モリツの前身のプリオールの建築に際して、かつて存在したオロモウツ城下のチェコ人のものと思われる集落と11世紀に建てられたロトンダ形式の教会の跡が発掘されたらしい。また教会の周囲は18世紀の後半までは、墓地となっていたということである。ということは。ギャラリー・モリツは、墓の上に建つショッピングセンターということになるのか……。日本だとちょっとおどろおどろしい印象を持ってしまいそうだが、チェコだとぜんぜん気にならない。むしろシャントフカが、かつての工場の跡、土壌が汚染されていた土地に建てられているという事実の方が気になるなあ。
7月7日23時30分。






プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。