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2019年09月14日

プリマベシ邸(九月十二日)



 ジャパンナレッジに収録されている『日本大百科全書』は、絶えず新項目の追加や、既存の記事の改定が行われていて、定期的に更新情報が掲載される。いつも見るわけではないのだけど、今月たまたま八月の更新分を知らせるページを開いてみたら、画像追加のところにクリムトが上がっていて、追加された画像のキャプションに、「メーダ・プリマベージの肖像」と作品名が書かれていた。

 森雅裕の影響でクリムトに興味を持って以来、展覧会に出かけたり画集を買ったり、果てはウィーンの分離派会館に出かけたりしてきたが、絵は見てもその題名までは、特に人物画の場合には誰が描かれているのかまでは、あまり意識していなかった。この少女の絵も見たことはあると思うのだが、それが、「プリマベージ」の名を持っているとは思いもしなかった。
 オロモウツの観光名所の一つ、ジャーマン・セセッション様式の傑作プリマベシ邸を建てたプリマベシの人たちが、ウィーン分離派のクリムトと親交があって、邸内にクリムトのデザインしたものがあったなんて話は聞いていたけれども、絵を依頼したなんて話も聞いていたかもしれないけど、こんな有名な作品にプリマベシが出てくるとは思いもしなかった。クリムトファンであり、オロモウツの観光地としてはプリマベシ邸を一番推しているのに、不覚もいいところである。

 これまで、あちこちでプリマベシ邸のことには触れてきたけれども、断片的であまり詳しく書いていないので、ここらで一つまとめておこうと思う。参考になるようなプリマベシ邸のHPも公開されているし。以前は中に入っていたレストランのページしかなくて、建物そのものについての情報はあまりなかったのだけど、邸宅の歴史や、プリマベシ一族の歴史なんかについてもかなり詳しく知ることができるようになっている。ありがたいことである。
 最初に自分が誤解していたことを告白しなければならないのだが、プリマベシ家はイタリアからモラビアに移ってきた医者だと思い込んでいた。実際には、プリマベシ家はイタリアでは洗濯業を営んでおり、オロモウツに移ってきてからはさまざまな産業に手を出したようだが、中心となるのは製糖業と銀行業で、医者を稼業にしていたのは、第一次世界大戦後にオロモウツを離れてウィーンに移ることを決めたプリマベシ家が邸宅を手放した後に、買い取ったチェコ人たちだった。その結果、1926年から1992年までの66年間にわたって病院、サナトリウムとして使用されることになる。

 プリマベシ邸の歴史は1905年にまでさかのぼる。この年にオットー・プリマベシが、現在邸宅の建っているところにあった二軒のルネサンス様式の家を買い取り、新しい邸宅の建設を始めたのである。オットーはモラビアに拠点を移してから5代目の当主で、ウィーンにも事業と生活の拠点を有していたようで、ウィーンの女優だったオイゲニアを妻として迎えている。このオイゲニア・プリマベシもクリムトの絵のモデルになっている。芸名としてはメーダという名前を使っていたというから、二枚の絵はどちらともメーダ・プリマベシを描いたと言ってもいい。
 ちなみにオイゲニア・プリマベシを描いた作品は日本の豊田市美術館に収蔵されているようだ。おまけに現在クリムト展開催中というのは偶然というか何と言うか。チェコの近代建築の父でもあるオットー・ワーグネルの作品、家具もあるというから目の付け所が、さすがチェコに工場を建てたトヨタである。ってのは誤解かな。
 クリムトを初めとするウィーンの芸術家達のパトロンでもあったオットーの邸宅は、設計も内装もウィーンの芸術家たちの手になるもので、完成したのは翌年の1906年である。以後第一次世界大戦が終わりオーストリア=ハンガリー二重帝国が崩壊する1918年まで、プリマベシ家のオロモウツにおける本邸となる。建築から10年ちょっとしかプリマベシ家の人々はこの邸宅を利用できなかったのである。

 2000年ごろは、病院時代の名残だったのか、空気が汚くて汚れていただけなのかは知らないが、建物の外壁は黒く、すでに国有化される前の持ち主であるポスピーシル家の手に返還されて改修が始まっていると聞いていたから、それが本来の色だったのだと思っていた。あるとき、久しぶりに前を通って、聖ミハル教会の近くの奥まったところにあるので、要がなければ通らないのだが、色が明るいクリーム色に変わっていてびっくりした。そのときはこれから黒く塗るのだろうと考えたのだが、いつまでたってもそのまま。実はこちらの色が本来の色だったのだ。
 個人的には黒も、怪しい魔法使いかなんかが住んでいるような感じもして結構気に入っていた。世紀末ウィーンの退廃を感じさせる分離派とつながりのあったプリマベシだしさ。でも、プリマベシ家が銀行業をも営むようなモラビアの経済界の大物だったことを考えると、さわやかに明るい今の色のほうがいいのかなあ。

 以前入っていたレストランが閉店した後、新しいレストランはまだ入っていないので、敷地の中にも入りにくくなったが、オロモウツの市庁舎に入っているインフォメーションセンターによって、毎週月曜日と火曜日の午後に二回ずつ、プリマベシ邸の案内つき見学が始まっているようである。以前EU全体でやっている文化財の日か何かに特別に中に入ることができて、一階の部分は見せてもらったことがあるのだけど、もう一度見てみたいと思っていたのだ。問題はいつ時間が取れるかである。
2019年9月12日24時。





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